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癒やしを求めたら、奇跡と呼ばれて幽閉されました。  作者: 柊すい
第八章 風の届くところ

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第49話 異邦の光

※カクヨムにも同名のものを公開しています。

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あと5話!

 夜は、まるで呼吸を忘れたように静かだった。

 雲が厚く、月明かりはほとんど届かない。

 その下で、修道院の外壁は沈黙をまとい、石の冷たさだけが時を刻んでいる。


 カタリナは、資材庫の裏に身を潜めていた。

 昼間、グレータから受け取った許可証で敷地内に入り、息を潜めたまま数刻が過ぎている。

 冷気が頬を刺し、肩の上に積もった埃が微かにざらついた。

 蝋燭の匂いが、石の隙間から流れてくる。


 ――まだ、動けない。


 廊下の奥で、人の気配が動いた。

 硬い靴音。短い号令。

 修道士たちが何かを運んでいる。

 なにやら慌ただしい雰囲気に、カタリナはすぐ気づいた。


 「……何?」


 小さくつぶやき、掌を握る。

 声を出せば、空気が裂けるような気がした。

 静けさがあまりにも濃い。

 世界そのものが、息をひそめているようだった。


 ――マルガレータ。

 あの子が動いたんだ。


 そう思った瞬間、胸の奥で緊張が跳ねた。

 今夜、修道院を混乱させる役割を担っているのは、彼女だ。

 警備の目が、彼女を追っていれば、それ以外は手薄になる。

 今なら、誰も気づかない。


 カタリナは壁から身を離し、廊下の陰を滑るように進んだ。

 火を灯した蝋燭の光が遠くで揺れている。

 光が届かない闇の隙間だけを選び、足音を消して歩いた。


 石畳の床は冷たく、靴底の摩擦音が神経を刺す。

 壁の向こうでは、誰かが急ぎ足で駆け抜ける音がする。

 その音の先には、恐らく礼拝堂。

 高い天井と鐘のある場所。

 カタリナはその方向を避け、反対の回廊へ身を向けた。


 目指すのは地下。

 ターナカが囚われている場所。

 頭の中で、修道院の構造を思い出す。

 地下牢へ続く階段は、東棟の奥。

 礼拝堂からは最も遠い位置にある。

 行くなら今しかない。


 廊下の灯りが揺れ、影が伸びた。

 その影を跨ぎながら、彼女は思考を切り替える。

 自分がしていることが、神の御心に反しているのかもしれない――そんな考えは、もう捨てた。

 あの人を置いて行くほうが、よほど罪に思える。


 風が吹いた。

 修道院の窓枠をすり抜け、冷たい空気が頬を撫でる。

 その風の中で、遠くから大きな音が聞こえる。

 金属の音が石壁に反響し、柔らかく広がる。

 その響きに、カタリナは息を止めた。


 「……行こう」


 つぶやきは、風に溶けて消えた。

 その瞬間、どこかで別の灯が揺れた。




 同じ夜、礼拝堂では1人の修道士が立ち尽くしていた。

 ゲルトルーデ。

 若くして学監補佐を務める記録係で、誰よりも規律を重んじる女。

 その彼女が、今、命令に背いてここにいる。


 高い天井の下、蝋燭が1本だけ灯っていた。

 祭壇の上に置かれた聖書の金文字が、わずかな光を受けて滲む。

 外では怒声が聞こえる。


 「北棟だ!」

 「侵入者を探せ!」


 その声が遠ざかるたびに、心臓の音がはっきり聞こえた。


 (これで、少しは時間が稼げる……)


 マルガレータが囮になっている。

 誰にも言えなかったが、彼女の行動計画を最初に耳にしたのは、ゲルトルーデだった。

 止めることもできた。

 けれど、止めなかった。

 止められなかった。


 自分の中で、信仰が揺らいでいた。

 ――神の御名の元に、どれだけの人が傷ついてきたのだろう。

 ターナカという冒険者の男が現れてから、その矛盾を直視せざるを得なくなった。


 彼の存在は異端だった。

 だが、あの眼差しだけは真っ直ぐだった。

 人を癒す力を持ちながら、自分の行いを奇跡と呼ばなかった。


 その言葉を、彼女は今も覚えている。


 「……助けられるなら、それでいい、か」


 小さく繰り返し、唇に笑みを浮かべた。

 笑みというより、ため息に近い。

 この街では、善意がいつも罰と隣り合わせだ。

 けれど、それでも人を想うことをやめられないのなら――それを信仰と呼ぶべきではないのか。


 祭壇に置かれた蝋燭を見つめる。

 炎は小さく、かすかに震えていた。

 その灯を掌で包み込み、ゲルトルーデは目を閉じた。


 (私にできることは、まだある)


 この礼拝堂は夜間、誰も入らない。

 鐘を鳴らすことも許されない時間帯。

 だが、静寂を破るために――彼女は、ここにいる。

 声を上げるのは、まだ先。

 その時が来たら、迷わず呼びかける。


 ――願わくば、冒険者にも光を。


 その言葉は、まだ胸の中だけにあった。

 声にはしていない。

 けれど、確かに形を持ち始めていた。




 カタリナは修道院の南回廊に出た。

 天井の高い通路を抜けると、微かな光が見えた。

 窓の外からではない。

 礼拝堂の方向だ。

 誰かが灯をともしたのだろう。


 彼女は思わず立ち止まる。

 そこまで強い光ではないのに、不思議と胸が熱くなった。

 誰かが、同じ夜に動いている。

 そのことを、身体が感じ取っていた。


 石壁を伝って歩きながら、足音を殺す。

 冷たい空気が肺を満たし、息が白く散った。

 今にも鐘が鳴り出しそうな気がした。

 まだ夜は深いのに、世界がわずかに明るく見えた。


 彼女は立ち止まり、下へ続く階段の前に立つ。

 風が吹き上がり、足元の埃が舞った。

 闇の奥は見えない。

 だが、その闇の向こうに大切な人がいる。

 そう思うだけで、足が前へ出た。


 ――行こう。


 その一歩が、静寂を破った。


毎日19:10頃更新しています。

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