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癒やしを求めたら、奇跡と呼ばれて幽閉されました。  作者: 柊すい
第八章 風の届くところ

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第45話 名をもって抗う

※カクヨムにも同名のものを公開しています。

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 修道院の尖塔が、灰色の雲の向こうに沈んでいた。

 イザベルは、薄い外套の裾を押さえながら、静かな石畳を踏みしめる。

 かつて、ここを通るたびに見かけた姿――中庭で子供たちに囲まれ、笑っていた冒険者の男。

 その姿は、どこにもない。


 門番の修道士が、彼女の前に立ちはだかった。


 「ご用件を伺います」


 イザベルは軽く顎を上げ、冷ややかに微笑む。


 「以前ここで、癒やしを行っていた方がいたはずです。ターナカ。――そう名乗っていました」


 修道士の表情が、一瞬だけ強張った。


 「……そのような者は、当修道院にはおりません」

 「そう。では、いなくなったのですね?」

 「あ、いえ……」


 彼女の声はあくまで穏やかだった。だが、その瞳には小さな炎が宿っていた。

 ――嘘をついている。


 イザベルは礼を言い、(きびす)を返した。

 強い風が髪を揺らす。


 (あの人のことを、いなかったことにするなんて……)


 胸の奥に小さな違和感が生まれ、それが瞬く間に怒りに変わる。




 翌日、イザベルは街の外れにある広場を訪れた。

 そこでは寡婦の会と呼ばれる女性たちが、貧しい人々に食事を配っている。

 炊き立てのスープの香り、石鍋の湯気。

 その中で、1人の女性が布を頭にかけ、忙しそうに人々へ器を渡していた。

 イザベルは迷わず声をかける。


 「あなた、ここでで働いているのね?」


 女性――リーナが振り返る。驚いたように目を見開いた。


 「はい……イザベル、様。なぜこちらへ?」


 「あなたたちの活動は聞いています。ここに、癒やしの人が関わっていたそうね。ターナカ――。そう呼ばれていたはず」


 リーナの手が止まり、スープがわずかにこぼれた。

 彼女は慌てて布で拭いながら、かすれた声で言う。


 「……彼を、ご存じなのですか?」

 「ええ。あの人には……少しだけ、助けられたことがあるの」


 イザベルの声は、どこか遠くを見ているようだった。

 リーナは周囲を見回し、小声で続けた。


 「あの、大変申し上げにくいのですが。ターナカは、今日はこちらにおりません」

 「そう。みたいね」

 「はい。で、どこにいるの? 知っているんじゃないの?」

 「……いえ」


 リーナは目を伏せる。

 それを見れば、誰でも彼女が嘘をついているのが分かってしまう。

 その沈黙が、痛みのように伝わってくる。


 「姿が見えないことは承知しているわ。だから、彼がよく顔を出していたという、ここに来たのよ」

 「……」

 「いいなさい。正直に。アタシも、ターナカを探しているのよ」


 リーナの表情が変わる。

 彼女も、ターナカを探している……?


 「あ、いえ。その……」

 「隠す必要はないわ。彼と、また話がしたい。ただ、それだけなのだから」


 リーナは、重い口を開く。

 イザベルの真意は分からないが、ここで嘘をついても、良い結果にはならないだろう。そうなると、知っていることを正直に話すしかない。


 「……ターナカさんは、修道院に囚われています。神への冒涜という名目で。私たちは彼を助けるために――」


 「彼を助ける」そこで、イザベルが彼女の言葉を遮る。表情はいたく冷静なのに、固い意志を感じるようだった。


 「庶民の手で、神の塔を崩せるとでも?」


 その瞬間、リーナは息をのんだ。

 イザベルの表情には怒りも悲しみもなかった。ただ、冷たい理性だけがあった。


 「あの日、寄付の話に乗ってしまったのは私です。あの人は、少しも疑わなかったのに……」

 「ふん。過ぎたことを言っても仕方ないわ」


 イザベルは髪に手櫛を通すと、ハッキリと口にする。


 「あなたたちの善意は尊いわ。でも、善意だけでは何も動かない」

 「それでも……」


 イザベルは目を伏せる。

 その問いが、心の奥を突いた。


 (……祈ることに意味があると思ってた。でも、祈りで何かが変わったことなんて、1度もないのにね)


 しばらく沈黙が続いたのち、イザベルは短く息を吐く。


 「話してくれて、ありがとう。あなたの情報は貴重よ。後は私に任せなさい」


 リーナは、何も言えずに彼女を見送るしかなかった。

 去っていく背中は、冷たい石畳の上でひときわ鮮やかに見えた。




 翌朝。

 灰色の雲が垂れこめた空の下、イザベルの屋敷は静まり返っていた。

 朝食の皿も手つかずのまま、彼女は書斎の机に座り、羊皮紙を前にしていた。

 窓から差し込む淡い光が、彼女の横顔を照らす。


 深く息を吸い、羽根ペンを取る。

 インク壺の黒が、ゆっくりと広がっていく。

 書き始めた文字は、滑らかで、しかしどこか震えていた。


 『イザベル・フォン・グラーツの名をもって命ず。

   本修道院に拘束中の冒険者ターナカの身柄を確認したく、直ちに報告を求む。

   ――神の沈黙に、沈むことなかれ』


 最後の1行を書き終えると、イザベルは大げさに息を吸った。

 呼ばれた執事が、控えめに扉を叩く。


 「お嬢様……そのような文書をお出しになれば、教皇代理閣下のお立場に――」


 イザベルは、ペン先を拭いながら振り返った。


 「父の名を借りるつもりはありません。ただ、信仰を語る者として、あの人の存在を否定するのが許せないの」

 「では……これは、信仰のために?」

 「いいえ。アタシ自身のために、よ。――祈りを奪われたまま、生きるのはごめんだわ」


 執事は言葉を失い、ただ頭を下げる。

 イザベルは立ち上がり、封蝋を溶かす。

 真紅の滴が羊皮紙に落ち、王家の紋章を刻む印章が押された。


 「届けて。修道院へ。グラーツ家の名において、冒険者の身柄を――明らかにさせるの」


 使者が馬を走らせて去る。

 イザベルは窓辺に立ち、遠くに見える修道院の尖塔を見上げた。

 空には、重い雲が垂れ込めている。


 (祈りの言葉では届かないなら、権力で叩きつけてやる――)


 唇にかすかな笑みが浮かぶ。

 それは傲慢ではなく、初めての()()()()()だった。




 昼の鐘が3度鳴るころ――。


 修道院の報告室。

 重厚な扉の向こうから、靴音が響く。

 副修道士が封書を抱え、蒼白な顔で走り込んできた。


 「エルンスト師! 教皇代理閣下からの命令書です!」


 室内にいた修道士たちがざわめく。

 机上に置かれた封書の蝋印――深紅のグラーツ家紋章が、異様に鮮やかだった。


 エルンスト師は静かにそれを手に取り、封を切る。

 目を走らせるうちに、眉がわずかに動いた。


 「……身柄の確認を求むか。なるほど」


 彼は口元を歪める。


 「娘の独断か、それとも父親の差し金か。どちらにせよ、好都合だ」


 周囲の修道士が顔を見合わせる。


 「し、しかし師よ、貴族命令に逆らえば……」

 「逆らわぬよ。――利用するだけだ」


 エルンスト師の目が冷たく光った。


 「冒険者を異端として正式に裁くには、外部の権威が必要だった。……まさか自ら用意してくれるとはな」


 その声には、神の名も慈悲もなかった。

 あったのは、理性と支配への確信。


 窓の外で風が鳴いた。

 エルンスト師は封書を机に投げ捨てると、低くつぶやいた。


 「神の沈黙に沈むことなかれ、か……。ならば、沈めてやろう。――その沈黙ごと」


 封書の赤い蝋が、ゆっくりと溶け落ちていった。


毎日19:10頃更新しています。

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