第44話 火を継ぐ者たち
※カクヨムにも同名のものを公開しています。
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雨がやんだ夜、ギルドの執務室には、湿気が残っていた。
古い帳簿とインクの匂いが混ざり、壁際に置かれたランプの火が小さく揺れている。
リーナは膝の上で指を組み、じっとその炎を見つめていた。
マルガレータは隣に座り、落ち着いた声で言った。
「お願いがあります。――ターナカさんを助けたいんです」
リーナは、したためた手紙を差し出す。
机の向こうで、グレータが腕を組んだまま動かない。
書類の束を片手で軽く叩き、やがて低くつぶやいた。
「……どうせ、修道院が絡んどる話やろ。あんなもん、関わるだけ無駄や」
「無駄なんかじゃありません」
リーナが言い返す。
「彼は、みんなを助けてくれたんです。だから――」
その声は震えていたが、目には迷いがなかった。
グレータはようやく顔を上げ、2人を見つめた。
「リーナ、お前……分かっとるんか? 神さんの名を借りとる連中やぞ。逆らうたら、生きて帰れへん」
マルガレータが静かに言葉を継いだ。
「それでも、助けなければならない人です」
部屋に重い沈黙が落ちた。
雨垂れが屋根を打ち、遠くで誰かが扉を閉める音がする。
その静寂の中で、リーナが再び口を開いた。
「……あの人を連れて行かれるのを、見ていました。止められなかった。あの時の自分が、いまも許せないんです」
グレータは深く息をついた。
「罪悪感で動くと、ロクなことにならへん」
「違います」
リーナは首を振った。
「これは……責任です」
その言葉に、マルガレータも小さくうなずく。
「彼は、優しさのせいで捕らえられたんです。その優しさを見殺しにしたくない」
グレータは再び沈黙した。
机の上で、蝋燭の火がかすかに揺れる。
「……神さんの仕組みを、壊すことはできへんのや」
ぼそりとつぶやいた声は、疲れと覚悟が混ざっていた。
「修道院の壁は厚い。ウチらが動けば、ギルドごと潰される」
リーナはそれでも退かなかった。
「分かっています。でも、誰も動かないなら――わたしたちが動くしかない」
グレータは、マルガレータに視線を向ける。
「お嬢さん、命を投げ出す覚悟で言うとるんか?」
「……それでもいい」
グレータは顔をしかめ、手のひらで額を押さえた。
「まったく。あんたら、よう似とるな……。誰かのために無茶するタイプや」
「誰かが痛い思いをしてるのを、放っておけないだけです」
マルガレータが微笑むと、グレータはふっと笑った。
「ほんま、厄介な性分やな」
その瞬間、ギルドの扉がきしんだ。
冷たい風が入り込み、湿った空気が流れ込む。
「――話は聞かせてもらったよ」
低く落ち着いた声が、奥から響いた。
振り返ると、カタリナが立っていた。
髪をひとまとめにし、外套の裾を払う。
その目には、静かな怒りと覚悟の色があった。
「ターナカさんのこと、ですよね」
グレータが目を細める。
「お前まで首突っ込む気か」
「首を突っ込むというより――見過ごせないだろ」
カタリナはまっすぐ言い切った。
「あいつは、戦場でも誰よりも人を生かせようとした人だ。誰かの痛みを見たふりにできない。そんな人を、今度はあたしたちが守る番だろう」
グレータの視線が、ゆっくりと机の上をなぞる。
その横顔には、何かを決意しかけている影が見えた。
室内の空気が、一瞬で張りつめた。
カタリナは濡れた外套を壁際に掛け、机の前に立った。
グレータが顎で椅子を示すが、彼女は座らない。
「話を続けて。――どうやって助けるつもりなんだい?」
リーナは一瞬ためらい、マルガレータが代わりに口を開く。
「……まだ、そこまでの手立てはありません。ただ、彼を放ってはおけない」
「それじゃ、同じだな」
カタリナは小さく笑った。
「わたしも同じことを考えてたんだ。結局、理屈じゃないんだよな」
グレータが目を細める。
「理屈がないと、死ぬんは早いで」
「分かってるよ。でも、黙ってる方がもっと早く心が死ぬからさ」
その言葉に、リーナもマルガレータも静かにうなずいた。
「神さんの領分を壊すなんて、できん」
とグレータは繰り返した。
「でもな、ターナカはんを連れ戻すことだけなら……。やりようはあるかもしれへん」
その声に、3人の視線が一斉に集まる。
グレータは指で机を軽く叩きながら、眉をひそめた。
「修道院の壁は厚い。門番も信徒も多い。正面から入るのは無理や。けど……」
カタリナが前に出る。
「中に入れれば、どうにかします」
その言い方は、迷いのない断言だった。
グレータは思わず笑う。
「なんとかって……どうやってや?」
「どうにかするよ。中の構造が分かれば、あたしが動く」
リーナが慌てて言う。
「カタリナさん、危険です!」
「危険なのは分かってる。でも、放っておけないよ」
カタリナの声には、静かな熱があった。
グレータはその表情を見て、ゆっくりと息を吐く。
「まったく、えげつない子らやな……。せやったら、ウチも黙っとるわけにはいかんな」
そして椅子の背に体を預ける。
「よし。情報を集めよう。修道院の中、物資の搬入口、警備の交代……。人を動かすには、金と口が要る。ウチがやる」
マルガレータが驚いたように目を見開いた。
「協力してくれるんですか?」
「するとも。ウチもターナカはんには世話になっとるし。何もしませんでした、と言うわけにもいかんやろ」
グレータは肩をすくめ、口の端を上げた。
「ウチはギルドの顔や。正面からじゃ無理でも、裏口ぐらいなら開けられる」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ和らいだ。
リーナが深く頭を下げる。
「ありがとうございます。本当に……」
グレータは片手を上げてそれを止めた。
「お礼はまだ早いで。――ターナカはんは生きとる保証もないんや。最悪のケースも想定せなあかん」
その現実的な言葉に、一瞬、沈黙が落ちた。
けれど次の瞬間、カタリナが短く言った。
「生きてるよ。あいつは、そんな簡単に倒れるヤツじゃない」
その声は、誰も否定できないほど確信に満ちていた。
その頃、彼らが動き出す少し前――修道院の地下。
田中は暗い部屋に座らされ、数人の修道士に囲まれていた。
光は、頭上の蝋燭がひとつだけ。
その光が、疲弊した顔を淡く照らす。
「――言葉を、もう1度お願いします」
記録係の修道士が、羽根ペンを構えた。
田中はかすれた声で、静かに言葉を紡ぐ。
「……痛みを、思い出してください。その痛みは、……あなたが生きている証です」
修道士たちはそれを筆記し、別室で模倣を繰り返す。
同じ声の高さ、同じ言葉、同じ間。
しかし、結果はまるで違っていた。
被験者は苦しげに呻き、顔をしかめる。
「同じはずだ……なぜ、癒えない?」
記録室の隅で、ゲルトルーデは唇を噛んでいた。
理性では理解できる。
――それは神の御業ではない、人の心の共鳴だ。
けれど、そう口にした瞬間、自らの信仰を裏切ることになる。
窓越しに、田中が目を伏せる。
「心は、真似できませんよ」
静かなその言葉を、修道士たちは用紙に淡々と書き写した。
記録係たちの瞳は、聖典よりも冷たかった。
夜更け。ギルドのランプが小さく揺れた。
グレータが封筒を閉じ、リーナに渡す。
「修道院に出入りしている商人に渡したって。中の様子。調べてもらうよう書いてある」
「助かります」
グレータはうなずき、椅子の背を押した。
カタリナが立ち上がる。
「中に入る手段が見つかれば、私が行きます」
グレータは唸るように言う。
「ほんまに、どうにかする気やな……」
「もちろん。あいつを救うまで、止めるつもりはありません」
リーナとマルガレータもうなずく。
3人の視線が交わる。
それは誓いでも祈りでもなかった。
ただ、確かに燃える意志だった。
窓の外で、風が止んだ。
厚い雲の隙間から、わずかな月の光が差し込む。
グレータはその光を見上げながら、ぽつりとつぶやいた。
「……嵐の前や。風向きが変わるで」
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