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癒やしを求めたら、奇跡と呼ばれて幽閉されました。  作者: 柊すい
第八章 風の届くところ

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第44話 火を継ぐ者たち

※カクヨムにも同名のものを公開しています。

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 雨がやんだ夜、ギルドの執務室には、湿気が残っていた。

 古い帳簿とインクの匂いが混ざり、壁際に置かれたランプの火が小さく揺れている。

 リーナは膝の上で指を組み、じっとその炎を見つめていた。

 マルガレータは隣に座り、落ち着いた声で言った。


 「お願いがあります。――ターナカさんを助けたいんです」


 リーナは、したためた手紙を差し出す。

 机の向こうで、グレータが腕を組んだまま動かない。

 書類の束を片手で軽く叩き、やがて低くつぶやいた。


 「……どうせ、修道院が絡んどる話やろ。あんなもん、関わるだけ無駄や」

 「無駄なんかじゃありません」


 リーナが言い返す。


 「彼は、みんなを助けてくれたんです。だから――」


 その声は震えていたが、目には迷いがなかった。

 グレータはようやく顔を上げ、2人を見つめた。


 「リーナ、お前……分かっとるんか? 神さんの名を借りとる連中やぞ。逆らうたら、生きて帰れへん」


 マルガレータが静かに言葉を継いだ。


 「それでも、助けなければならない人です」


 部屋に重い沈黙が落ちた。

 雨垂れが屋根を打ち、遠くで誰かが扉を閉める音がする。

 その静寂の中で、リーナが再び口を開いた。


 「……あの人を連れて行かれるのを、見ていました。止められなかった。あの時の自分が、いまも許せないんです」


 グレータは深く息をついた。


 「罪悪感で動くと、ロクなことにならへん」

 「違います」


 リーナは首を振った。


 「これは……責任です」


 その言葉に、マルガレータも小さくうなずく。


 「彼は、優しさのせいで捕らえられたんです。その優しさを見殺しにしたくない」


 グレータは再び沈黙した。

 机の上で、蝋燭の火がかすかに揺れる。


 「……神さんの仕組みを、壊すことはできへんのや」


 ぼそりとつぶやいた声は、疲れと覚悟が混ざっていた。


 「修道院の壁は厚い。ウチらが動けば、ギルドごと潰される」


 リーナはそれでも退かなかった。


 「分かっています。でも、誰も動かないなら――わたしたちが動くしかない」


 グレータは、マルガレータに視線を向ける。


 「お嬢さん、命を投げ出す覚悟で言うとるんか?」

 「……それでもいい」


 グレータは顔をしかめ、手のひらで額を押さえた。


 「まったく。あんたら、よう似とるな……。誰かのために無茶するタイプや」

 「誰かが痛い思いをしてるのを、放っておけないだけです」


 マルガレータが微笑むと、グレータはふっと笑った。


 「ほんま、厄介な性分やな」


 その瞬間、ギルドの扉がきしんだ。

 冷たい風が入り込み、湿った空気が流れ込む。


 「――話は聞かせてもらったよ」


 低く落ち着いた声が、奥から響いた。

 振り返ると、カタリナが立っていた。


 髪をひとまとめにし、外套の裾を払う。

 その目には、静かな怒りと覚悟の色があった。


 「ターナカさんのこと、ですよね」


 グレータが目を細める。


 「お前まで首突っ込む気か」

 「首を突っ込むというより――見過ごせないだろ」


 カタリナはまっすぐ言い切った。


 「あいつは、戦場でも誰よりも人を生かせようとした人だ。誰かの痛みを見たふりにできない。そんな人を、今度はあたしたちが守る番だろう」


 グレータの視線が、ゆっくりと机の上をなぞる。

 その横顔には、何かを決意しかけている影が見えた。




 室内の空気が、一瞬で張りつめた。

 カタリナは濡れた外套を壁際に掛け、机の前に立った。

 グレータが顎で椅子を示すが、彼女は座らない。


 「話を続けて。――どうやって助けるつもりなんだい?」


 リーナは一瞬ためらい、マルガレータが代わりに口を開く。


 「……まだ、そこまでの手立てはありません。ただ、彼を放ってはおけない」

 「それじゃ、同じだな」


 カタリナは小さく笑った。


 「わたしも同じことを考えてたんだ。結局、理屈じゃないんだよな」


 グレータが目を細める。


 「理屈がないと、死ぬんは早いで」

 「分かってるよ。でも、黙ってる方がもっと早く()が死ぬからさ」


 その言葉に、リーナもマルガレータも静かにうなずいた。


 「神さんの領分を壊すなんて、できん」


とグレータは繰り返した。


 「でもな、ターナカはんを連れ戻すことだけなら……。やりようはあるかもしれへん」


 その声に、3人の視線が一斉に集まる。

 グレータは指で机を軽く叩きながら、眉をひそめた。


 「修道院の壁は厚い。門番も信徒も多い。正面から入るのは無理や。けど……」


 カタリナが前に出る。


 「中に入れれば、どうにかします」


 その言い方は、迷いのない断言だった。

 グレータは思わず笑う。


 「なんとかって……どうやってや?」

 「どうにかするよ。中の構造が分かれば、あたしが動く」


 リーナが慌てて言う。


 「カタリナさん、危険です!」

 「危険なのは分かってる。でも、放っておけないよ」


 カタリナの声には、静かな熱があった。

 グレータはその表情を見て、ゆっくりと息を吐く。


 「まったく、えげつない子らやな……。せやったら、ウチも黙っとるわけにはいかんな」


 そして椅子の背に体を預ける。


 「よし。情報を集めよう。修道院の中、物資の搬入口、警備の交代……。人を動かすには、金と口が要る。ウチがやる」


 マルガレータが驚いたように目を見開いた。


 「協力してくれるんですか?」

 「するとも。ウチもターナカはんには世話になっとるし。何もしませんでした、と言うわけにもいかんやろ」


 グレータは肩をすくめ、口の端を上げた。


 「ウチはギルドの顔や。正面からじゃ無理でも、裏口ぐらいなら開けられる」


 その言葉に、部屋の空気が少しだけ和らいだ。

 リーナが深く頭を下げる。


 「ありがとうございます。本当に……」


 グレータは片手を上げてそれを止めた。


 「お礼はまだ早いで。――ターナカはんは生きとる保証もないんや。最悪のケースも想定せなあかん」


 その現実的な言葉に、一瞬、沈黙が落ちた。

 けれど次の瞬間、カタリナが短く言った。


 「生きてるよ。あいつは、そんな簡単に倒れるヤツじゃない」


 その声は、誰も否定できないほど確信に満ちていた。






 その頃、彼らが動き出す少し前――修道院の地下。


 田中は暗い部屋に座らされ、数人の修道士に囲まれていた。

 光は、頭上の蝋燭がひとつだけ。

 その光が、疲弊した顔を淡く照らす。


 「――言葉を、もう1度お願いします」


 記録係の修道士が、羽根ペンを構えた。

 田中はかすれた声で、静かに言葉を紡ぐ。


 「……痛みを、思い出してください。その痛みは、……あなたが生きている証です」


 修道士たちはそれを筆記し、別室で模倣を繰り返す。

 同じ声の高さ、同じ言葉、同じ()

 しかし、結果はまるで違っていた。

 被験者は苦しげに呻き、顔をしかめる。


 「同じはずだ……なぜ、癒えない?」


 記録室の隅で、ゲルトルーデは唇を噛んでいた。

 理性では理解できる。

 ――それは神の御業ではない、人の心の共鳴だ。

 けれど、そう口にした瞬間、自らの信仰を裏切ることになる。


 窓越しに、田中が目を伏せる。


 「心は、真似できませんよ」


 静かなその言葉を、修道士たちは用紙に淡々と書き写した。

 記録係たちの瞳は、聖典よりも冷たかった。




 夜更け。ギルドのランプが小さく揺れた。

 グレータが封筒を閉じ、リーナに渡す。


 「修道院に出入りしている商人に渡したって。中の様子。調べてもらうよう書いてある」

 「助かります」


 グレータはうなずき、椅子の背を押した。

 カタリナが立ち上がる。


 「中に入る手段が見つかれば、私が行きます」


 グレータは唸るように言う。


 「ほんまに、どうにかする気やな……」

 「もちろん。あいつを救うまで、止めるつもりはありません」


 リーナとマルガレータもうなずく。

 3人の視線が交わる。

 それは誓いでも祈りでもなかった。

 ただ、確かに燃える意志だった。


 窓の外で、風が止んだ。

 厚い雲の隙間から、わずかな月の光が差し込む。

 グレータはその光を見上げながら、ぽつりとつぶやいた。


「……嵐の前や。風向きが変わるで」


毎日19:10頃更新しています。

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