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癒やしを求めたら、奇跡と呼ばれて幽閉されました。  作者: 柊すい
第八章 風の届くところ

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第43話 静けさのなかで

※カクヨムにも同名のものを公開しています。

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あと10話!

 イザベルは、その日もいつものように修道院の外壁を歩いていた。

 市場での買い物帰り、遠回りしてまでこの道を選ぶのが、もう癖になっていた。


 かつて、あの中庭で祈るように人々と向き合っていた男の姿を、遠くから見るだけで心が落ち着いた。

 話しかけたことも、手を振ったこともない。ただ、そこに彼がいるというだけでよかった。


 けれど、ここ数日はその姿が見えない。

 今日もまた、窓をのぞいては首を傾げる。

 いつもなら、子供たちの笑い声の向こうに、彼の穏やかな声が混じっていたのに――。


 門番に尋ねても「知らない」としか返ってこない。

 イザベルはそれ以上何も聞けず、ただ小さく息をついた。


 (……居なければ、居ないで寂しいものね)


 胸の奥でそんな独り言をつぶやき、修道院を背に歩き出す。

 足取りは軽いはずなのに、なぜか影が長く伸びていく気がした。




 雨が上がったばかりの街は、石畳の隙間からかすかに湯気を立てていた。

 灰色の雲の向こうから陽がのぞき、濡れた屋根を鈍く照らしている。

 マルガレータはその光を見上げ、深く息をついた。

 修道院の誰に尋ねても、田中の行方を知る者はいない。

 彼の名を出すたびに、皆が口を閉ざした。

 ――まるで、彼がこの世に初めから存在しなかったかのように。


 それでも彼の足跡は、確かに残っていた。

 市場で笑っていた子供。

 炊き出しで支援を受けた寡婦。

 病を癒やされた老人。

 そのだれもが、どこかで「ターナカ」という名を口にしていた。


 ゲルトルーデから内情は聞いている。

 だからこそ、マルガレータは田中を救う仲間を探していた。

 彼を心配する人。彼に接し、彼を深く想う人たちの協力が不可欠だと思ったのだ。


 マルガレータは記憶を頼りに、寡婦の会を訪れた。

 粗末な木の扉を押すと、温かな香りと湿った空気が迎えた。

 煮立つ鍋の湯気が白く立ちこめ、パンを焼く香ばしい匂いが鼻をくすぐる。


 戸口の前で立ちすくむ彼女に、年配の女性が声をかけた。


 「お嬢さん、修道院の方かい? 今日はお祈りの集まりじゃないよ」


 マルガレータは軽く頭を下げる。


 「ええ、知っています。――ターナカさんという方のことで、伺いました」


 その名を口にした途端、作業の手が止まった。

 鍋をかき回していた匙が、沈黙をつくる。

 やがて、奥から1人の若い女性が現れた。

 リーナだった。


 「ターナカさんのこと……何かご用ですか?」


 声はかすかに震えていた。

 マルガレータはその様子を見て、胸の奥が締めつけられるのを感じた。


 「彼が、この場所でお世話になっていたと聞きました。行方を知りたくて……」


 リーナは目を伏せ、しばらく黙っていた。

 その沈黙に、答えのすべてが含まれていた。


 「――見たんです。修道士たちに囲まれて、連れて行かれるところを」


 その声は低く、怯えているようだった。


 「止めようと思ったのに、何もできなかった」


 マルガレータは唇を結び、静かにうなずいた。


 「やっぱり……そうだったのね」

 「修道院に捕まったんです。あの人は何も悪くないのに」


 リーナは拳を握りしめた。

 マルガレータはゆっくりと歩み寄り、向かいの席に腰を下ろす。


 「詳しく聞かせていただけますか。何があったのか、どんな様子だったのか」

 「……寄付が届いたんです。寡婦の会に。それがあの日の朝で、みんな喜んでいました。それで、わたし……調子に乗ってしまって。「お礼に癒しをお願いします」なんて言ったんです」

 「その場に、修道士が?」

 「はい。ターナカさんが手を伸ばした瞬間、囲まれて――。まるで、それを待っていたみたいでした」


 言葉を紡ぐたび、リーナの肩が震える。

 その目には涙が浮かんでいた。


 マルガレータは黙って聞いていた。

 話の途中で何度も口を開きかけたが、言葉が見つからなかった。

 ただ、彼女の胸にも似た痛みがあった。

 気づいていたのに、何もできなかったという悔いが、ふたりの間に静かに重なっていく。


 「――助けたいんです」


 リーナが言った。


 「でも、どうすればいいか分からない。修道士に逆らえば、今度はわたしたちが捕まってしまう」


 顔に手を当て、うつむいてしまう。


 「思い返せば、あの日から、修道院の警備が厳しくなったように思います。周辺のわたくしたちには、あまり影響がありませんが、中に出入りする人が文句を言っていました」


 思い返せば、状況が悪くなる事しか出てこない。

 気持ちは焦っても、自分にできることと考えると、手詰まってしまう。

 しかし、リーナはそこで思い出したように声を上げる。


 「冒険者ギルドの、グレータをご存じですか?」

 「ギルド……?」

 「ええ。あの人なら、いろいろな所と通じています。事情を話せば、きっと動いてくれる……はず」


 リーナは、やがて小さくうなずいた。


 「彼女に頼ってみましょう」

 「ありがとう」


 マルガレータは静かに言った。


 「あなたが彼を信じてくれて、本当にうれしい」


 リーナはかすかに笑った。


 「信じてます。……だって、あの人は嘘をつかない人だから」


 ふたりの間に、ようやく小さな光がともった。

 炊き出しの鍋の火が、ぱち、と弾ける音を立てる。

 その火が、これからの行動を告げる合図のように見えた。




 その夜、寡婦の会の炊き出しが終わると、マルガレータとリーナは木の机を挟んで座っていた。

 鍋の底に残ったスープが、弱火の上で小さく泡を立てている。

 表向きは後片づけの手伝いだが、2人の表情には別の緊張があった。


 「――明日、グレータさんという方に会わせてもらえますか?」


 マルガレータの言葉に、リーナは少しだけ眉を上げた。


 「冒険者ギルドの受付をしています。気が強い人ですが、情には厚いですよ」

 「そんな方なら、頼もしいです」


 マルガレータの声には希望が混じっていたが、それは慎重なものだった。


 「修道士が相手です。正面からの交渉は、きっと難しいでしょうね」


 リーナは手を握りしめる。


 「でも、黙っていたら、あの人は――」


 言葉を切り、喉を押さえるようにして俯いた。


 「自分の身を顧みずに、誰かを助けようとしてる。……そんな人でした」


 その声音には、信頼と後悔が入り混じっていた。

 マルガレータはしばらく黙ってから、そっと答えた。


 「ええ、知ってます。あの人は、自分が傷つくことで人を安心させてしまうような人だから」


 2人は同時に微笑んだ。

 その笑みには、痛みと優しさが同居していた。


 やがて、火が小さくはぜる音がして、リーナが立ち上がる。


 「もう片づけますね」


 マルガレータも立ち上がり、手を貸した。

 鍋を運び出す途中、リーナがふとつぶやく。


 「……この街、静かになりましたね」

 「ええ。まるで、誰かが息を潜めているみたい」


 その言葉に、2人は顔を見合わせた。

 窓の外では風が止み、どこかで鐘がひとつだけ鳴る。

 音が空気を震わせた瞬間、マルガレータは確信した。

 この沈黙は偶然ではない。

 街そのものが、何かを恐れている――そんな気配があった。




 翌朝、リーナは早くから動き出した。

 グレータへの手紙を仕上げるためだ。

 炊き出し場の一角で、帳簿を付けるふりをしている。

 インク壺の中でペン先を湿らせながら、彼女は迷いなく書いた。


 「助けを求めています。彼は、罪ではなく()()()で捕らわれました」


 文字を書き終えたあと、乾かす手がわずかに震えていた。

 それでも封をして、息を吐く。


 「これで、少しは前に進める」


 マルガレータが傍でうなずく。


 「彼を救うのは、奇跡でも祈りでもないわ。――人の手よ」


 リーナは顔を上げ、微笑んだ。


 「じゃあ、その手をつなぎましょう。みんなで」




 その頃、街のあちこちで奇妙な噂が流れ始めていた。


 「癒しの人が姿を消したらしい」

 「修道院が、連れて行ったんだと」

 「いや、あの人は神に近づきすぎて、天に召されたんだってさ」


 誰も確かなことは知らない。

 ただ、笑顔の数が少しずつ減り、教会の前で跪く人々の表情に陰が落ちた。


 かつて、街にやわらかな風を吹かせた男がいた。

 その風が止んだいま、人々は呼吸の仕方を忘れたかのようだった。


 だが、その沈黙の底で、鍋の火を守るように立つ2人の女性がいた。

 マルガレータとリーナ。

 その視線の先に、小さな灯りがともっている。


 彼を救うための、最初の光だった。


毎日19:10頃更新しています。

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