表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
癒やしを求めたら、奇跡と呼ばれて幽閉されました。  作者: 柊すい
第八章 風の届くところ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/57

第40話 理性の檻

※カクヨムにも同名のものを公開しています。

------------------------------------------------

 湿り気を帯びた空気が、肺の奥にまとわりつく。

 修道院の地下――そこは牢獄というよりも、観察のために作られた石の箱だった。

 壁には古い聖句が刻まれ、鉄格子の向こうには灯火がゆらゆらと揺れている。

 昼も夜も区別がない。光は蝋燭1本きり。

 その炎が、田中の瞳の奥で微かに滲んでいた。


 (……これが、俺の償いか)


 彼は両手を組み、静かに息を整える。

 祈っているのではない。祈る資格など、もうとうに失っていた。

 転移する前の世界――。催眠という名の力で、人の心を弄んだ。

 幾人もの人生を壊し、笑顔を奪った。

 癒やしを求めてきたのは、誰かを救うためではない。

 自分が、人間でいられるようにするための()()だった。


 その贖いが、今は鎖のように首を絞めている。


 扉の向こうから、靴の音が近づく。

 鉄鍵の音が響き、修道士たちが数名、整然と入ってきた。


 「ターナカ。再現実験の時間です」


 短い言葉。返事をする間もなく、彼は立ち上がる。

 抵抗の意思などない。




 連れてこられたのは、もう見慣れた懺悔室。

 だが、そこに漂うのは懺悔ではなく、冷たい観察の気配だった。


 修道士の1人が香炉を掲げる。


 「本日の香料、カリナス樹脂。照度、強光。聖歌、なし」


 淡い金色の煙が、懺悔室に満ちていく。

 樹脂の香りは甘く、だがどこか焦げたような匂いが鼻の奥を刺した。


 「患者、入室」


 木の扉が軋み、若い兵士が中へ入ってきた。

 震える手を合わせて、彼は目を伏せる。


 「どうか……この胸の痛みを」


 修道士が短くうなずく。


 「始めてください」


 田中は兵士の正面に座り、目を閉じた。

 そして、穏やかな声で語りかける。


 「……怖かったんですね」

 「戦場で仲間を失いました。眠るたびに声が――」

 「いいんです。泣いていい。祈りは、涙のあとに残る温もりですから」


 兵士の肩が震え、嗚咽が漏れる。

 やがて呼吸が落ち着き、顔色が少し戻った。


 「心拍、やや早い。体温、上昇。顔色、改善」


 修道士が無機質に記録を取る。

 そのペンの音が、まるで機械のように響いた。


 観察席には、ゲルトルーデが座っていた。

 手元の記録簿を開きながら、心のどこかで冷たさを感じていた。


 (これは……祈りじゃない。検査だ)


 彼女の上司――学監エルンストは、椅子に深く腰かけたまま微動だにしない。

 その眼差しは、実験器具を見つめる科学者のものだった。




 鐘が鳴る。

 その音は、休息を意味していなかった。

 次の被験者、次の香料、次の照明――。

 祈りは、儀式ではなく検体と化していく。


 田中の目は次第に霞み始めていた。

 呼吸も浅く、肩が上下するたびに汗が滴る。

 それでも、彼は声を絞り出す。


 「……大丈夫、痛みは消える。信じてください」


 患者の顔が、ふっと穏やかになる。

 だがその瞬間、田中の手がわずかに震えた。

 視界の端で、光が滲む。

 まるで、自分の中の何かが削られていくようだった。


 (これは俺の罰だ。人を壊した分、癒やさなきゃ、釣り合わない)


 修道士が記録を取る。


 「反応、やや鈍い。声量、低下」


 ゲルトルーデの心臓が痛んだ。


 (祈りを記録にするなんて……)


 エルンストは淡々と言う。


 「いいぞ。あともう少しで、奇跡の構造が見える」


 ゲルトルーデは立ち上がりかけたが、踏みとどまった。

 ――まだ、見なければならない。

 彼がどこまで削られていくのかを。そして、神の御心を。




 鐘の音が再び響く。

 その低い音が、修道院全体に静かに滲んでいく。

 田中は、椅子の背にもたれながら浅い呼吸を繰り返していた。

 額の汗は止まらず、指先はわずかに痙攣している。

 それでも、口元にはかすかな笑みがあった。


 (……まだ、大丈夫だ)


 「次の条件に移る」


 エルンストの声が響く。


 「香料、ナルト草樹脂。照明を落とせ。聖歌は無調――声の響きで感情を刺激せず、純粋な反応のみを測定する」


 その言葉の冷たさは、まるで祈りの形式を削ぎ落とすようだった。

 修道士たちが無言で動き、蝋燭の灯が1つ、また1つと消されていく。

 残った光はわずかに。

 懺悔室の空気が、冷えた石のように静まり返った。


 患者は、年老いた男だった。

 背は丸く、顔には皺が深く刻まれている。

 それでも、彼の手は固く握られていた。


 「頼む、神の御名において……この足を」


 その声は震えているのではなく、怯えていた。


 田中は、そっと目を閉じる。


 「……わかりました」


 震える指で男の手を包むと、ひどく冷たい。

 彼は小さく深呼吸をし、ささやくように言った。


 「――怖くないですよ。あなたの足が痛むなら、その痛みの形を、少しだけ分けてください」


 懺悔室の空気が変わった。

 まるで、誰かが息を呑んだような気配。

 その瞬間、老人の表情が穏やかになる。


 「……軽い。足が、軽い」


 観察席がざわつく。

 修道士が手元の紙に急いで記す。


 「心拍、遅い。体温、やや高い。声、安定」


 奇跡の兆候と書き加えられたその記録を、ゲルトルーデは見ていられなかった。


 (なにが、兆候よ……)


 彼女は唇を噛む。

 ――そこにあるのは、人が人を気づかう姿。それだけだ。

 けれどエルンストの目は、どこまでも冷たかった。


 「理性のもとに再現された奇跡こそ、神の証明だ」

 「……それで、人は救われるんですか」


 ゲルトルーデの声は震えていた。


 「救いとは理解の結果だ。信じるとは、知ることだ」

 「違います!」


 思わず立ち上がる。椅子が床を擦る音が響く。


 「信じるって、そんな冷たいものじゃない!」


 エルンストが視線を向けた。


 「では言ってみろ。信仰とは何だ?」

 「……温もりです。痛みを分け合う、誰かのための気持ちです」

 「それは感情だ。神は理性の(いただき)におわす。人の温もりでは、神を測れん」


 その会話の最中にも、田中は手を離さない。

 だが、呼吸は荒くなっていた。

 彼の額から、冷たい汗が滴り落ちる。

 ――頭の奥が焼けるように痛い。


 老人の呼吸が整ったのを見て、修道士たちが動き出した。

 だが、田中の身体が(かし)ぐ。

 手を伸ばしたゲルトルーデが叫ぶ。


 「もうやめてください!」

 「まだだ」


 エルンストの低い声が重なる。


 「限界の先にこそ、神がいる」

 「これは神を探してるんじゃない! あなたは、神を作ろうとしてる!」

 「黙れ。理性こそが神の形だ」


 ゲルトルーデは震える拳を握り締めた。

 田中が膝をつく。

 それでも、老人の手を離そうとはしない。


 「……大丈夫。痛みは、もう――消えましたね」


 その声は、祈りというよりも子守唄のようだった。

 老人は涙を流し、何度もうなずく。


 「ありがとう……ありがとう……」


 田中は微笑んだ。

 だが、その笑みのまま意識が遠のいていく。


 ゲルトルーデは懺悔室へ駆け寄った。


 「ターナカ!」


 修道士が制止するが、彼女は構わない。

 その肩を抱くと、彼の身体は驚くほど軽く感じた。


 「……大丈夫です」


 かすれた声が返る。


 「少し、休めば……きっと」


 その目は焦点を失っていた。


 「観測を止めるな」


 エルンストの声が響く。


 「記録を取れ。これが再現された奇跡だ」


 ゲルトルーデはその言葉に背を向け、記録簿を閉じた。

 紙の端に、細い文字で1行だけ書き残す。




 “祈りの対象は、神ではなく人だった。人が、神を苦しめている”




 懺悔室を出ると、鐘が再び鳴った。

 田中は修道士たちに支えられ、また地下の牢へ戻されていく。

 その足取りは、風に消えそうなほど弱い。


 扉が閉まる音が響く。

 誰もいなくなった廊下に、蝋が滴る音だけが残った。


 暗闇の中で、田中は微かに唇を動かす。


 「……もし、神が見ているなら――」


 目を閉じ、息を整える。


 「この人たちを、(ゆる)してあげてください」


 沈黙。

 そして、遠くで鐘が鳴った。

 それは、まるで理性の檻を揺らすような音だった。


今日まで、1日2話更新です!

ブックマーク、評価、リアクション、よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ