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癒やしを求めたら、奇跡と呼ばれて幽閉されました。  作者: 柊すい
第八章 風の届くところ

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第39話 偽りの祈り

※カクヨムにも同名のものを公開しています。

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 雨の季節の晴れ間。

 空には薄い雲が浮かび、濡れた石畳の上を子どもたちが走り抜けていく。

 炊き出し場の鍋からは湯気が立ちのぼり、リーナの笑顔がその白い蒸気の中に揺れていた。


 「今日も、いい日になりそうですね」

 「ええ、神さまが少しだけ、休ませてくれたみたいです」


 彼女の言葉に、田中は軽く笑った。

 湿気を含んだ空気は重く、だが不思議と静けさがあった。

 その穏やかさを破ったのは、昼前に届いた1通の封筒だった。


 差出人のない寄付金。

 封筒には金貨数枚と、整った筆跡の手紙が1枚。


 「神の加護を広めるために、お使いください」


 リーナは目を輝かせ、胸の前で両手を合わせた。


 「ありがたいですね。これで子どもたちに()()()()も買えます」


 田中は微笑みながらもう一度その封筒を見た。

 金貨は新しく、磨かれたように光っている。


 「……善意というのは、時々、形を変えてやって来るものですね」

 「どういう意味です?」

 「いえ。ただ……あまり、きれいすぎるものは少し怖い気がして」


 リーナは苦笑し、話題を変えた。

 けれど、田中の言葉が小さな影を残したのを、彼女は感じていた。




 午後。

 空はどんよりと曇り、遠くで雷鳴のような低い音が鳴っている。

 街にはいつもより多くの修道士の姿が見受けられた。


 炊き出しの列の端に、見慣れない中年の男が立っていた。

 背を丸め、腰に手を当てている。


 「腰が……痛くて動けんのです。医者にも見放されて……」


 リーナはすぐに駆け寄った。


 「まぁ、大変。ターナカさん、見てあげてください」


 田中は男の前に膝をつき、穏やかに尋ねた。


 「どんな痛みですか?」

 「歩けんほどです……立ってるのもやっとで……」

 「そうですか。では、少し楽になるよう祈ります」


 彼は手をそっと男の背にかざした。

 が、その瞬間――。


 まだ何もしていないのに、男が勢いよく立ち上がった。


 「おおっ、立てる! 立てるぞ!」


 周囲の人々が一斉にざわめく。


 「神の奇跡だ!」

 「癒やされたんだ!」


 歓声が上がる。リーナは驚きのあまり口元を押さえた。


 だが、田中だけは動けなかった。

 掌に何の感触もなかった。ただ、冷たい汗が首筋を伝う。


 「……そんなはずは」


 小さくつぶやいたその声は、歓声に掻き消えた。

 男は両手を掲げ、わざとらしいほどの声で叫んだ。


 「この人だ! この人が神の力を使ったんだ!」


 その瞬間、群衆の中に修道服の影がちらついた。

 記録板を持ち、視線を交わし合う2人の修道士。


 田中の背中を、冷たいものが走った。




 炊き出しが終わり、リーナは片付けの手を止めて彼を見た。

 田中は井戸のそばで、じっと水を見つめている。

 袖をまくった腕が震えていた。


 「ターナカさん……大丈夫ですか?」


 ゆっくりと顔を上げた田中は、乾いた笑みを浮かべた。


 「……何もしていないのに、彼は自分で立ち上がりました」

 「そう、ですね……」

 「それなのに、癒やしたと言われました。作為的なものを感じます」


 リーナは息をのむ。

 彼の声は穏やかだったが、その奥にはかすかな震えがあった。


 沈黙。

 井戸の水面に、雨粒が1つ落ちて弾けた。

 リーナはそっと手を伸ばしたが、彼の指先にはまだ冷たい汗が残っていた。


 「……あなたの笑顔、少し怖いです」

 「そう見えますか?」

 「ええ。まるで、痛みを隠しているみたいに」


 田中はしばらく黙り、やがて小さくうなずいた。


 「癒やすたびに、その人の過去未来。少し背負うつもりでやってきました。けれど、今は……。その感覚よりも、人の悪意の方が、ずっと重く感じるんです」


 風が吹き抜けた。

 遠くの空で雷が鳴る。

 その音が近づくたびに、彼の横顔がかすかに光った。

 リーナは祈るように、目を閉じた。

 ――どうか、この人がこれ以上、傷つきませんように。そして神のご加護がありますように。




 翌朝、空気はいつになく重かった。

 夜半の雨が路地を濡らし、石畳の隙間に小さな水たまりができている。

 炊き出し場の幕を張り直しながら、リーナは何度も空を見上げた。

 雲の奥で、雷鳴が鈍く響く。


 田中は、少し疲れた顔をしていた。

 昨夜はほとんど眠っていないのだろう。

 それでも、いつも通りの穏やかな声で言った。


 「……今日も、変わらず人が来てくれるといいですね」

 「ええ。でも、なんだか落ち着かないんです。昨日のあの人……」


 リーナの声が、わずかに震えた。

 田中は静かにうなずき、薪の火を見つめる。


 「癒やされたと言っていましたね。でも、私は……。何もしていません」


 その言葉が、リーナの胸に刺さった。


 (彼は本当に、何もしていなかった。私は見ていたのに――)


 だがその沈黙を破るように、炊き出し場の入口から複数の足音が響いた。

 修道服を着た男たちが、整然と列をなして歩いてくる。

 先頭の修道士が封蝋のついた文書を掲げ、低い声で宣言した。


 「癒やし行為の疑いにより、修道院まで同行願います。対象――ターナカ殿」


 リーナは息をのんだ。


 「な……何を言っているんですか? この人は、人を助けただけです!」

 「助けることを名目に、神の御業を模倣する行為。それは、異端の疑いに値します」


 修道士の声は冷ややかで、すでに決定が下された調子だった。


 田中は驚くでもなく、ただ小さく微笑んだ。


 「大丈夫です。祈りが罪になるなら、その理由を、聞いてみたいと思います」

 「ターナカさん……!」


 リーナが声を上げる。だが彼はそっと手を上げて制した。


 修道士たちが近づく。

 田中は素直に腕を差し出した。

 その動作に、無理な抵抗はなかった。

 ただ、ほんの一瞬だけ、指先が震えていた。


 リーナの胸が締めつけられる。


 「……やっぱり、だめです。そんなの、おかしいです!」


 その声は風にかき消された。


 修道士たちは、通路を抜けて、修道院の奥へ向かった。

 通りの人々は足を止め、噂の癒やし手が連行される様子をただ見ていた。


 「本当に捕まったのか?」

 「神の使徒だって聞いたが……」

 「異端なんだとよ。神の奇跡を真似たんだとさ」


 低いざわめきが波紋のように広がる。


 田中は俯き、何も答えなかった。

 空気が重い。頭上の雲は鉛色に沈み、まるで世界全体が息を潜めているようだった。


 ――あの男は、この為に雇われたのか。

 ――寄付金で油断した我々に、このタイミングで。


 田中の脳裏に、昨日の光景が何度も浮かぶ。

 掌に触れた感覚はなかった。ただ、空気の冷たさと、視線の刺さる痛みだけ。


 「……私は、何か悪いことをしたんだろうか」


 誰に聞かせるでもなくつぶやいた声が、雨に溶けていった。




 一方そのころ、寡婦の会ではリーナが残された鍋を見つめていた。

 湯気の向こうに、彼の姿がまだ残っているような気がしてならなかった。

 子どもたちが不安げに近づいてくる。


 「英雄のおじさん、どこ行ったの?」


 リーナは優しく微笑んで、鍋をかき混ぜた。


 「……少し、お話をしに行ったの。すぐ戻ってくるわ」


 言いながら、胸の奥がじんと痛んだ。


 (どうして、あの人が傷つかなければならないの?)

 (あの笑顔の裏に、どれだけの痛みを隠していたの?)


 外では、また小雨が降り始めていた。

 雨粒が屋根を打つ音が、祈りの拍子のように響く。

 リーナは胸の前で手を組み、静かに目を閉じた。


 「どうか……彼の優しさが罰になりませんように。神さま。もし、この祈りが届くなら――せめて、彼の心の痛みを少しでも軽くしてください」


 祈りの声は雨に溶け、遠くで雷が鳴った。

 厚い雲の向こうで光が走り、街の屋根を淡く照らす。




 修道院の門が開く。

 重い扉が軋み、冷たい空気が流れ込む。

 田中はその中へと歩み入った。

 背後では、雨が強くなっていた。


 「対象、確保しました」


 修道士の声が響く。

 奥から、あの低い声が聞こえる。


 「よろしい。では()()を始めよう。奇跡を名乗る者に、理性の光を」


 その瞬間、遠くの空で稲妻が閃いた。

 雷鳴が轟き、修道院の屋根を震わせる。

 まるで、天そのものが彼の行く末を見届けるかのように――。




 リーナはその光を遠くの窓から見上げ、ただ、ひとつの言葉をつぶやいた。


 「どうか、無事で……」


 ――降りしきる雨。

 その1粒1粒が地を叩き、誰も知らぬ裁きのはじまりを告げていた。


お正月3が日は、1日2話更新です!

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