表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
癒やしを求めたら、奇跡と呼ばれて幽閉されました。  作者: 柊すい
第七章 2人の信仰

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/57

第33話 初めての贈り物

※カクヨムにも同名のものを公開しています。

------------------------------------------------

 金糸のリボンを解かれたあの日から、マルガレータの中に、小さな変化が生まれていた。

 朝、鏡の前で髪を整えるたびに、あの木の髪飾りが指先に触れる。

 重くもなく、眩しくもない。ただ、木の香りと手の温もりだけが残っている。


 ――あの人は、なぜこんなことをしてくれたのだろう。

 誰も手を伸ばしてくれなかった場所に、ためらいもなく触れた。

 その優しさを思い出すたび、胸の奥で何かがあたたかく波打つ。




 その日の授業後。

 生徒たちが帰った教室に、マルガレータはひとり残っていた。

 窓辺に立つ田中の背を見つめ、胸の奥の鼓動を抑えきれない。


 「ターナカ。……さん」


 呼びかけると、彼が振り返る。

 いつもの穏やかな表情。

 それだけで、声が震えそうになる。


 「この間は……ありがとうございました」

 「ああ、あの髪飾りのこと?」

 「はい。でも、あれは……私がずっと望んでいたことでした」


 彼女は少し息を詰め、続けた。


 「誰かに解いてほしいと思っても、自分ではできなくて。でも、あの日から、心が軽くなった気がします」


 田中は静かにうなずいた。


 「それなら、良かった」

 「はい。……それで、あの……お礼がしたいんです。ささやかですが、家にいらしていただけませんか?」


 言い終えると、マルガレータは両手を胸の前で重ね、わずかにうつむいた。

 断られたらどうしよう――そんな不安がよぎる。

 だが田中は、少しだけ笑って答えた。


 「いいんですか? 僕なんかが……」

 「あなたに来てほしいんです」


 その言葉には、はっきりとした意志があった。




 数日後。

 田中は、街の中心近くにあるマルガレータの家を訪れていた。

 裕福な商人らしく、彼女の家は石造りの堂々とした建物で、玄関先には香辛料や布を扱う店の倉庫が併設されている。


 広すぎる門を前に、田中は少し気後れした。

 門番に招待された旨を伝えると、すぐに年配の使用人が現れる。


 「お待ちしておりました。ターナカ様でいらっしゃいますね」

 「ああ、ええ。……その、急にお邪魔してすみません」


 使用人は微笑み、扉を大きく開いた。

 奥から、聞き覚えのある声がする。


 「――こちらです!」


 マルガレータだった。

 エプロン姿で、小走りに廊下を抜けてくる。

 淡い水色の服の上に白い布を重ね、髪をゆるくまとめていた。

 彼女がこんな姿を見せるのは初めてだった。


 「ようこそ、ターナカさん! 今日は……私が料理をしました」

 「あなたが? 本当に?」

 「ええ。いつも他の人に任せきりなので、今日は自分で」


 彼女の笑顔には誇らしさがあった。

 田中は思わずうなずく。


 「それは……光栄ですね」


 彼女に案内され、屋敷に足を踏み入れる。いくつ部屋があるのか分からない廊下を抜け、食堂に通される。

 食卓に並べられたのは、香草の香りが立つ煮込み料理、焼きたてのパン、具沢山のスープ――どれも本格的だった。


 席についた田中は、ひと口スープをすする。

 塩気も十分で、だが素材の甘みがしっかりと広がる。


 「……美味しい」


 その一言に、マルガレータの表情がぱっと明るくなる。


 「本当ですか?」

 「ええ。素直にそう思います。派手じゃないけど、落ち着く味ですね」

 「……そんなふうに言われたのは、初めてです」


 マルガレータは恥ずかしそうに目を伏せる。

 その頬がほんのりと染まり、カップを持つ手がかすかに震えた。


 2人の会話は弾んだ。

 本来、話ながら食事をするのはマナー違反かもしれない。でも、屈託無く笑う彼女と、満たされる食欲に、言葉が止まらなかった。

 教室では、いつもつまらなそうにしていた。同年代と一緒にいるのを見ても、こんな素敵な笑顔を見せているのは見たことがない。

 田中は、今日呼ばれたこと嬉しく思うようになっていた。




 「よろしければ、食後にお茶を。静かな場所の方が落ち着けますから」


 彼女の声は、少し甘く響いた。

 田中は苦笑しながらもうなずく。


 「ええ、お願いします」


 案内されたのは、彼女の私室だった。

 壁には花の刺繍、棚には丁寧に並べられた本や小物。

 日差しがカーテン越しに柔らかく差し込み、部屋全体が淡い金色の空気に包まれていた。


 田中が座ると、マルガレータは侍女に視線を送る。


 「……ごめんなさい、しばらく誰も入らないで」


 侍女たちは一瞬驚いたが「かしこまりました」と頭を下げ、扉を閉めた。

 静寂が訪れる。


 ティーカップを持つ彼女の指先が、わずかに震えている。

 彼女は深呼吸をひとつして、田中をまっすぐに見た。


 「……ターナカさん。あの時、私を縛っていたのは、金の糸だけじゃなかったんです」


 田中は静かにうなずいた。


 「わかります。人の心を縛るのは、糸よりも見えないものですから」

 「ええ。でも、あなたがその結び目を解いてくれた。それが、どれほどのことか……私にも、まだ分かりません」


 彼女の声がかすかに震える。

 部屋の中に、湯気と淡い沈黙が漂っていた。


 マルガレータは、カップを両手で包み込んだまま、言葉を選ぶように沈黙した。

 紅茶の湯気が、彼女のまつげをかすめて揺れる。

 小さな部屋に、鐘の音が遠くからかすかに響いていた。


 「……変なんです。あの日から、心の奥がざわざわしていて」


 彼女の声は震えていた。


 「私は、周囲に合わせ、形ばかり祈ってきました。でも、あなたと話していると、どうしてか……。そんな祈りすら、意味がないように思えてしまうのです」

 「修道士の方になんと言われるかは別ですが。僕は、それでいいと思います。祈りは強制されるものではありません。想いがあって、祈りたくなったら、祈ればいいと思います」

 「……っ」


 彼女は、田中の唇を目で追う。

 深い呼吸とまばたきが、それに続く。


 「……あなたの声って、不思議です」


 ぽつりとつぶやいた。


 「聞いていると、心の奥が静かになる。まるで、誰かにもう無理に祈らなくてもいいって言われているみたい」

 「それなら、嬉しいです」

 「でも、そう言われると……もっと聞きたくなります」


 マルガレータはうつむいたまま、紅茶の表面を見つめる。

 カップの中で、小さな泡が弾けて消えた。


 「ねえ、ターナカさん。この街に来てから、あなたは寂しくないんですか?」

 「どうでしょうね。寂しいと思う暇もないかもしれませんね」

 「そんなの……少し、悲しいです」


 彼女は、微笑みながらも、どこか切なげだった。

 その瞳には、教室で見せた礼儀正しい生徒の顔ではなく、誰かを想うひとりの女性そのものだった。


 マルガレータは立ち上がり、窓辺へ歩いた。

 外はすでに薄暗く、街灯の明かりがぽつぽつと灯り始めている。

 その背中を、田中は黙って見つめた。


 「あの時、金の糸をほどいてもらった時――」


 彼女は振り返らずに言った。


 「あれは、心の檻を壊された気がしたんです。誰かに触れられることが、あんなに温かいものだなんて、知らなかった」


 田中は椅子の背に手を置き、ゆっくりと立ち上がる。

 マルガレータが振り返った。

 その瞳は、涙をこらえて光っている。


 「……ねえ、ターナカさん。私の中の()()が、あの日から止まらないんです」

 「何か?」

 「あなたに会いたい、声を聞きたい。こんな気持ちは、いけないんですよね?」


 彼女の問いに、田中は少しだけ笑った。


 「いけないことをしてるように感じるなら、それは、あなたが()()な証拠ですよ」

 「正直……」


 マルガレータは息を吸い込み、ゆっくりと歩み寄った。

 田中の胸の前まで来ると、立ち止まり、彼を見上げる。


 「……もう少しだけ、正直でいたいです」


 そう言って、胸に身を寄せた。


 田中は驚いたように息を飲み、肩越しに彼女の髪が流れる。

 髪飾りが頬をかすめ、かすかな木の香りがした。

 彼は腕を上げかけて、少しの間、動けなかった。


 だが、マルガレータの指が彼の服を掴んだ瞬間、彼はそっと片手を彼女の背に添えた。


 「……ありがとう。でも、無理はしないでください」

 「無理なんて、してません」


 彼女の声が、胸元に押し当てられて震える。

 温もりが、布越しにじんわりと伝わってくる。


 「私、いままで人に触れたことなんて、ほとんどなかったんです。怖かったんです。拒まれるのが」


 時が止まったような静けさ。

 やがて、マルガレータは少しだけ顔を上げた。

 近くで見る田中の瞳には、どこか哀しみが宿っている。


 「……あなた、いつも誰かのことを気にかけているのに、自分のことは、誰にも話さないんですね」

 「なかなか。そう、中々話せないことも多いんですよ」

 「それでも……私は、聞きたいです」


 田中は苦笑した。


 「そんなことを言うと、あなたの方が疲れてしまいますよ」

 「いいんです」


 マルガレータは目を閉じた。

 彼の胸の鼓動が耳元で響く。

 その音を聞いていると、不思議と涙がこぼれた。


 「ああ……。この気持ちが、祈りの本質なのかもしれませんね」


 その言葉に、田中の腕がわずかに震えた。

 だが彼は何も言わず、ただその髪を撫で続けた。


 部屋の外では、誰も足音を立てなかった。

 扉の向こうにある世界が、遠く霞んでいく。


 マルガレータは彼の胸に顔を埋めたまま、ほんの小さな声でつぶやいた。


 「この気持ちが、罪でも構いません。神に許されなくても、私は……今が幸せです」


 田中はその言葉を聞きながら、ゆっくりと息を吐いた。






 「やっと。もう一つの呪縛から逃れることができました……」


 腕の中で、微笑む彼女が口にする。


 「お父様に、なんと言って怒られるか。想像もつきません」


 田中は、目の前の少女が抱える()()と願いの重さを、確かに感じていた。

 だからこそ、その抱擁に言葉を添えることはなかった。


 外の風が、カーテンを揺らす。

 夕陽の残光が二人の影を長く伸ばし、やがて、夜の帳が静かに降りてきた。


 神の名も、祝福の言葉もいらない。

 ただ、人の温もりだけが、確かにそこにあるのだった。


毎日19:10頃更新しています。

ブックマーク、評価、リアクション、よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ