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癒やしを求めたら、奇跡と呼ばれて幽閉されました。  作者: 柊すい
第七章 2人の信仰

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第30話 教室の光

※カクヨムにも同名のものを公開しています。

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 朝の鐘が2回鳴る頃。

 光が修道院の窓から差し込み、木の机の上に長い影を落としていた。

 講堂ほどの広さもないが、そこには静かな熱があった。

 子供たちの小さな声、ペンが紙を擦る音。

 神の名を唱えるよりも、人の気配が濃く漂う場所だった。


 田中は、その教室の、いちばん後ろの席に腰を下ろしていた。

 粗末な椅子は少しきしんだが、それもまた落ち着く音に思えた。

 机の向こうには、貴族や商人の子らが並び、聖典の一節を筆記しながら、修道士の声を真似ていた。


 「――神は、心清き者を祝福し、傲慢なる者を罰す」


 そう唱える声の中に、幼いあくびが混ざる。

 田中は思わず口元をゆるめた。

 10歳にも満たない子供たちにとって、この教えは少しばかり重い。

 それでも彼らは、毎朝欠かさず祈りと学びを繰り返していた。


 当初、彼がここに加わると聞いたとき、修道士たちは顔をしかめた。


 「英雄が教室に?」

 「聖句よりも、剣を振るう方が得意なのでは?」


 そんな声が上がったと聞く。

 だが、マルガレータの願いと修道院長の許可によって、彼は正式に生徒として迎え入れられることになった。




 しばらく通うと、子供達とも仲良くなる。

 田中の隣では、年の離れた少年がこっそりと紙を覗き込み「英雄さま、字を書くの、うまくなったね!」と笑った。

 彼は小さくうなずく。


 「師がいいからな。お前たちのまねをしているだけだ」


 周囲からくすくすと笑い声が上がった。

 子供たちは、すっかり彼に慣れてしまったらしい。

 最初は遠巻きにしていたのが、今では休み時間に群がるほどだった。

 年少の子は「おんぶして」とせがみ、年長の子は「剣の持ち方を教えて」と憧れを隠さなかった。


 そんな中、修道士が朗々と聖典を読み上げた。


 「神の御心は、戦いを止め、争いを鎮めるものなり」


 その言葉に、一人の少年が首を傾げる。


 「じゃあ、どうして争いはなくならないの?」


 修道士がぴたりと口を止めた。

 教室にざわめきが走る。

 ――その問いは、信仰の場ではあまりにまっすぐ過ぎた。

 子供たちが修道士の返事を待つ。だが、答えは出てこない。


 田中は静かに手を挙げた。


「いい質問だ」


 修道士がほっとしたように彼を見る。

 田中は立ち上がり、黒板の前に出た。


 「神さまは、戦争を止めるんじゃなくて、止めようとする人を見てるんだと思うよ」


 子供たちがいっせいに顔を上げる。

 年長の少年が手を挙げた。


「じゃあターナカさんは止めたの?」

「いや、怖かったから逃げたよ。死にたくなかったからね」


 教室に笑いが起きた。

 修道士が咳払いをしながら「静粛に」と言うが、どこかに笑いを含んでいた。

 その空気の柔らかさに、マルガレータはペンを止めた。


 彼女のノートには、文字が並ぶ。


 〈神は見ている〉


 その一文を見つめてから、静かに線を引いた。

 代わりに書き加えたのは――


 〈人を見ている〉


 意味は違う。

 けれど、なぜか胸の奥でその言葉がしっくりと馴染んだ。




 授業の終わりの鐘が鳴る。

 子供たちは机を叩き、声を弾ませながら立ち上がった。

 外の中庭へと駆け出していく。

 木漏れ日の下で笑い声が弾けた。


 田中はゆっくりと腰を上げ、残ったノートを閉じるマルガレータに軽く会釈した。


「……あなたの言葉の方が、心に残りました」


 彼女の声は小さく、けれど確かな響きを帯びていた。


 田中は答えず、ただ穏やかに笑った。

 ――それだけで、十分だった。




 昼下がりの中庭は、光がやわらかく地面を照らしていた。

 古い噴水の縁に腰を掛けた子供たちが、木の枝を手に「魔狼討伐ごっこ」をしている。

 剣を構えるまねをしながら、笑い声を上げ、砂埃を舞い上げた。

 修道士たちは遠くからそれを見守り、田中は片付けを手伝いながら静かに眺めていた。


「やれやれ、こいつらの方がずっと勇敢だな」


 そのとき、小さな悲鳴が響いた。

 ひとりの少年が転んでいた。

 石畳に膝を擦り、血がにじんでいる。

 隣にいた子が慌てて「修道士様! 血が出てる!」と叫ぶ。

 修道士が駆け寄ろうとしたが、田中の方が早かった。


 しゃがみ込み、膝を覗き込む。

 痛みで涙をこらえる少年に、田中は穏やかな声で言った。


 「痛いの痛いの、飛んでけ――」


 子供が一瞬、きょとんとする。

 そして、しゃくり上げた呼吸が静まった。

 涙が乾いていく。


 「……ほんとだ、痛くない!」


 周りの子供たちがどよめいた。


 「すごい!」

 「英雄さまの呪文だ!」


 修道士が困惑したように眉を寄せる。

 田中は苦笑して肩をすくめた。


 「魔法なんて持ってないよ。ただの気休めさ」


 そして少年の頭をそっと撫でる。


 「次は石畳の上じゃなく、草の上で遊べよ」


 少年が笑い、他の子供たちもつられて笑った。

 その場の空気が、いつのまにか明るくなる。

 血はまだにじんでいたが、泣き声はどこにもなかった。


 その様子を少し離れたベンチで見ていたマルガレータは、両手の本を胸に抱き、ただ立ち尽くしていた。


 「……あの人は、祈っていないのに。言葉だけで、人の痛みを止めた……」


 胸の奥が熱くなる。

 祈りとは、聖句でも儀式でもない。

 ただ誰かの痛みに寄り添う、その姿こそ――。

 マルガレータは知らぬ間に、本の角を握りしめていた。




 石造りの廊下の陰で、修道女ゲルトルーデが立っていた。

 彼女はこの修道院でも若い方で、信心深く、冷静な女だった。

 だがその眼差しは、田中を見るときだけわずかに揺れた。


 「あれが……本当に危険な存在に見えますか?」


 隣の修道女がささやく。


 銀髪で、冷めた目をした少女――ゲルトルーデは首を横に振らなかった。

 ただ、答えなかった。


 彼女の中で、命じられた監視という言葉が曖昧になっていく。

 笑っている男。

 子供に向けた、穏やかな眼差し。

 祈りの言葉よりも、まっすぐな手。


 「……笑っている人ほど、何かを隠しているものです」


 そうつぶやきながらも、なぜか視線を外せなかった。


 教室からはまだ、子供たちの笑い声が聞こえていた。

 その中に、田中の声が混じっている。

 まるで鐘の音のように、心に残った。




 夕暮れ。

 光が傾き、教室の窓を金色に染めていた。

 田中は一日の授業を終え、机を拭いていた。

 子供たちの落書きが消えない。だが、それも悪くない。


 そうつぶやいて、窓の外を見やる。

 中庭では、マルガレータがノートを開いていた。

 そのページには()()の文字が消され、代わりに()()()と震える筆跡で書かれている。


 風が紙を揺らし、修道院の鐘が遠くで鳴り始めた。

 彼女は顔を上げ、特に広がる葡萄畑の空を仰いだ。


マルガレータは金髪、ゲルトルーデは銀髪です。


毎日19:10頃更新しています。

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