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癒やしを求めたら、奇跡と呼ばれて幽閉されました。  作者: 柊すい
第一章 祈りの街グライフェナウ

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3/10

第3話 炊き出し

※カクヨムにも同名のものを公開しています。

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本日は、3話更新!

 城門を抜けると、空気の匂いが変わった。

 外より少し暖かく、湿り気がある。

 石畳の道の両脇には、白壁と木の梁でできた家々。

 鐘楼の音が遠くで響き、パンの焼ける香りが風に混ざる。


 人々はすれ違うたびに胸に手を当て、短く祈りの言葉を口にした。

 それが当たり前のように溶け込んでいる。

 この街では、信仰と祈りがとても自然に存在してるものらしい。


 田中は、門番の言葉を思い出した。


 「困ったら修道院へ行け。施しがある」


 街の中心にそびえる鐘楼へ向かって歩く。

 やがて、白い壁に囲まれた大きな建物が現れた。

 その根元には、アーチの門。

 その上には、翼を広げた獅子の紋章――。門番の言っていた聖グリフォンの象徴だろうか。


 中庭では、白布をまとった人々が大鍋をかき回していた。

 湯気の中に漂う大麦と根菜の香り。

 炊き出しの列には、旅人や農民、子どもまでが並び、笑い声と祈りの声が入り混じっている。


 ――この世界でも、人は互いに支え合っているんだな。


 列の端に立ち止まると、前方から声がした。


 「寒かったでしょう。どうぞ、こちらを」


 声の主は、1人の女性だった。

 白い作業服の上に薄布をかけ、金色の髪を布で覆っている。

 陽の光を受けて、髪の先が柔らかく輝いた。


 彼女が差し出した木の椀から、湯気が立ちのぼる。

 大麦と根菜の煮込み――素朴だが温かい香りがした。

 田中は受け取り、軽く頭を下げる。


 「ありがとうございます」


 一口すすると、味は淡いが、胃の底にじんわりと熱が広がった。

 見知らぬ土地で、初めて人の手のぬくもりを感じた気がした。


 「見ないお顔ですね。旅の方ですか?」


 女性が穏やかに問いかける。

 彼は少し考えてから、短く答えた。


 「はい。そんなところです」

 「そんなところ?」


 くすっと笑う。

 その笑い方には、緊張を解くような柔らかさがあった。


 「あ、僕は、田中と言いまして――」

 「ター、ナカ?」


 少しイントネーションが違う。

 田中という言葉は、彼女たちには発音しにくいようだった。


 「ええ、ターナカで結構です。で、門の前で、巡礼者なら通っていいと言われまして」

 「ああ。ふふ、あの人たちの言いそうなことです」


 彼女はうなずきながら、彼の服に視線を落とした。


 「でも……不思議ですね」

 「何がですか?」

 「その服です。布の質も縫い方も見たことがありません。糸の目がとても細かいのに、光沢がある。どこで仕立てたんですか?」


 田中は一瞬、言葉に詰まった。

 シャツ、ジャケット、ネクタイ。どれもこの世界では説明のつかないものだ。


 「これは……仕事の服なんです」

 「お仕事?」

 「はい。特に理由はないのですが、働くときはこれを着る決まりがありまして」

 「司祭様か、役人の方ですか?」

 「いえ、そういう立派なものじゃ。むしろ、ただのサラリーマンというか……」

 「さらりーまん?」


 修道服とも、作業服ともとれる服装の女性が小首を傾げる。

 理解しようとしてくれているのが伝わる。

 少し笑って肩をすくめた。


 「人の要望を聞いて、書類をまとめたり。システムを作ったり。そんな仕事です」

 「……人の話を聞く?」

 「ええ。理解が追いついていない人の代わりに、考えを整理したり。誰かが困っていたら、それを解決できるように一緒に考える――。そんな仕事です」


 彼女の瞳が、ほんの少し丸くなる。

 小さな風が髪の端を揺らした。


 「……変わったお仕事ですね」

 「そうですかね? でも、悪くないですよ」

 「なぜですか?」


 田中は少しだけ考えて、答える。


 「人が喜ぶ瞬間を見るのが、好きなんです。悩んでた人が、少しでも顔を上げてくれたら、それで十分というか」


 彼女は静かに息をのんだ。

 田中の声には、不思議な柔らかさがあった。

 まるで、冷えた手を包み込むような温度を持っていた。


 「……ターナカさんって、不思議な人ですね」


 その言葉には、純粋な驚きと、ほんの少しの敬意が混ざっていた。


 「よく言われます」


 照れくさそうに笑う。


 「この街にはね、困っている人を助ける人はたくさんいます。でも、話を聞いてくれる人は……あまりいないんです」


 彼女はそう言いながら、自分の手のひらを見つめた。

 赤く荒れた指先。

 祈りと奉仕の代償が、そこに刻まれていた。


 「大変そうですね」

 「ええ。でも、これも祈りの一部です。誰かの空腹が満たされると、少しだけ私の心が軽くなるんです」


 そう言って笑う彼女の目の奥には、ほんの少し影があった。

 田中は、小さく問いかける。


 「あなたは、ここで働いて長いんですか?」


 彼女はうなずいた。


 「あ! 申し遅れました。わたくしはリーナ、と申します。寡婦の会に助けられて、もう3年ほどになります」

 「寡婦の会?」


 「はい。戦や遠征で夫を亡くした女性たちの組織です。修道院がその人たちの働き口をつくってくれて……。今では、ここで炊き出しや衣類の修繕を担当しています」


 言葉に穏やかさはあったが、その奥には心の強さを感じる。

 田中は、少しだけ目を伏せた。


 「……つらい記憶と向き合いながら、人を助けているんですね」

 「向き合うというより、忘れないため、でしょうか。いえ、忘れるためかもしれません。誰かのために働くことが、わたくしたちの祈りです」


 その声は、とても静かだった。

 けれど、それは悲しみではなく、どこか誇りにも似ていた。




 やがて、鐘が鳴った。

 街全体が静まり、人々が一斉に手を合わせる。

 リーナも祈りの姿勢をとった。

 その横顔には、凛とした美しさがあった。


 田中はただ、その姿を見つめていた。

 祈る人の顔というものが、こんなにも穏やかに見えるとは思わなかった。


 ――この世界では、信じることそのものが、日常なんだと思った。

7話以降は、毎日19:10頃更新予定です。

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