第3話 炊き出し
※カクヨムにも同名のものを公開しています。
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本日は、3話更新!
城門を抜けると、空気の匂いが変わった。
外より少し暖かく、湿り気がある。
石畳の道の両脇には、白壁と木の梁でできた家々。
鐘楼の音が遠くで響き、パンの焼ける香りが風に混ざる。
人々はすれ違うたびに胸に手を当て、短く祈りの言葉を口にした。
それが当たり前のように溶け込んでいる。
この街では、信仰と祈りがとても自然に存在してるものらしい。
田中は、門番の言葉を思い出した。
「困ったら修道院へ行け。施しがある」
街の中心にそびえる鐘楼へ向かって歩く。
やがて、白い壁に囲まれた大きな建物が現れた。
その根元には、アーチの門。
その上には、翼を広げた獅子の紋章――。門番の言っていた聖グリフォンの象徴だろうか。
中庭では、白布をまとった人々が大鍋をかき回していた。
湯気の中に漂う大麦と根菜の香り。
炊き出しの列には、旅人や農民、子どもまでが並び、笑い声と祈りの声が入り混じっている。
――この世界でも、人は互いに支え合っているんだな。
列の端に立ち止まると、前方から声がした。
「寒かったでしょう。どうぞ、こちらを」
声の主は、1人の女性だった。
白い作業服の上に薄布をかけ、金色の髪を布で覆っている。
陽の光を受けて、髪の先が柔らかく輝いた。
彼女が差し出した木の椀から、湯気が立ちのぼる。
大麦と根菜の煮込み――素朴だが温かい香りがした。
田中は受け取り、軽く頭を下げる。
「ありがとうございます」
一口すすると、味は淡いが、胃の底にじんわりと熱が広がった。
見知らぬ土地で、初めて人の手のぬくもりを感じた気がした。
「見ないお顔ですね。旅の方ですか?」
女性が穏やかに問いかける。
彼は少し考えてから、短く答えた。
「はい。そんなところです」
「そんなところ?」
くすっと笑う。
その笑い方には、緊張を解くような柔らかさがあった。
「あ、僕は、田中と言いまして――」
「ター、ナカ?」
少しイントネーションが違う。
田中という言葉は、彼女たちには発音しにくいようだった。
「ええ、ターナカで結構です。で、門の前で、巡礼者なら通っていいと言われまして」
「ああ。ふふ、あの人たちの言いそうなことです」
彼女はうなずきながら、彼の服に視線を落とした。
「でも……不思議ですね」
「何がですか?」
「その服です。布の質も縫い方も見たことがありません。糸の目がとても細かいのに、光沢がある。どこで仕立てたんですか?」
田中は一瞬、言葉に詰まった。
シャツ、ジャケット、ネクタイ。どれもこの世界では説明のつかないものだ。
「これは……仕事の服なんです」
「お仕事?」
「はい。特に理由はないのですが、働くときはこれを着る決まりがありまして」
「司祭様か、役人の方ですか?」
「いえ、そういう立派なものじゃ。むしろ、ただのサラリーマンというか……」
「さらりーまん?」
修道服とも、作業服ともとれる服装の女性が小首を傾げる。
理解しようとしてくれているのが伝わる。
少し笑って肩をすくめた。
「人の要望を聞いて、書類をまとめたり。システムを作ったり。そんな仕事です」
「……人の話を聞く?」
「ええ。理解が追いついていない人の代わりに、考えを整理したり。誰かが困っていたら、それを解決できるように一緒に考える――。そんな仕事です」
彼女の瞳が、ほんの少し丸くなる。
小さな風が髪の端を揺らした。
「……変わったお仕事ですね」
「そうですかね? でも、悪くないですよ」
「なぜですか?」
田中は少しだけ考えて、答える。
「人が喜ぶ瞬間を見るのが、好きなんです。悩んでた人が、少しでも顔を上げてくれたら、それで十分というか」
彼女は静かに息をのんだ。
田中の声には、不思議な柔らかさがあった。
まるで、冷えた手を包み込むような温度を持っていた。
「……ターナカさんって、不思議な人ですね」
その言葉には、純粋な驚きと、ほんの少しの敬意が混ざっていた。
「よく言われます」
照れくさそうに笑う。
「この街にはね、困っている人を助ける人はたくさんいます。でも、話を聞いてくれる人は……あまりいないんです」
彼女はそう言いながら、自分の手のひらを見つめた。
赤く荒れた指先。
祈りと奉仕の代償が、そこに刻まれていた。
「大変そうですね」
「ええ。でも、これも祈りの一部です。誰かの空腹が満たされると、少しだけ私の心が軽くなるんです」
そう言って笑う彼女の目の奥には、ほんの少し影があった。
田中は、小さく問いかける。
「あなたは、ここで働いて長いんですか?」
彼女はうなずいた。
「あ! 申し遅れました。わたくしはリーナ、と申します。寡婦の会に助けられて、もう3年ほどになります」
「寡婦の会?」
「はい。戦や遠征で夫を亡くした女性たちの組織です。修道院がその人たちの働き口をつくってくれて……。今では、ここで炊き出しや衣類の修繕を担当しています」
言葉に穏やかさはあったが、その奥には心の強さを感じる。
田中は、少しだけ目を伏せた。
「……つらい記憶と向き合いながら、人を助けているんですね」
「向き合うというより、忘れないため、でしょうか。いえ、忘れるためかもしれません。誰かのために働くことが、わたくしたちの祈りです」
その声は、とても静かだった。
けれど、それは悲しみではなく、どこか誇りにも似ていた。
やがて、鐘が鳴った。
街全体が静まり、人々が一斉に手を合わせる。
リーナも祈りの姿勢をとった。
その横顔には、凛とした美しさがあった。
田中はただ、その姿を見つめていた。
祈る人の顔というものが、こんなにも穏やかに見えるとは思わなかった。
――この世界では、信じることそのものが、日常なんだと思った。
7話以降は、毎日19:10頃更新予定です。
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