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癒やしを求めたら、奇跡と呼ばれて幽閉されました。  作者: 柊すい
第七章 2人の信仰

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第28話 あなたの字を、まねてますよ

※カクヨムにも同名のものを公開しています。

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メリークリスマス!

 この季節の風は、生温く湿っていた。

 街の石畳には薄く雨の跡が残り、陽が差すたびに銀色に光る。

 広場の片隅で、大鍋がいくつも湯気を上げていた。

 寡婦の会の炊き出しである。

 鍋の中ではスープがぐつぐつと音を立て、隣では焼き立てのパンが布の上に積まれている。


 「はい、こぼさないようにね」

 「順番だよ、あわてないで――。そうそう、そのお皿使って」


 リーナが手を動かしながら、優しく声をかけていた。

 彼女の髪は汗で額に貼りつき、袖口にはスープのしずくが散っている。

 それでも誰よりも穏やかに、笑っていた。

 神に祈るより先に、目の前の人の腹を満たす。それが彼女の信条なのだろう。


 田中は列の整理を手伝いながら、周りの会話を耳にしていた。


 「それ、いくつ持ってった?」

 「わかんないよ、そんなたくさんは……」


 年長の女性が首をひねり、若い母親が笑って答える。

 リーナが代わりに記録帳をめくり、すらすらと指でなぞった。


 「ほら、ここにスープ10杯、パン12個って。昨日より少ないですね」

 「リーナさんはほんと、すごいねえ」


 どうやら、数字は皆読めるが、文字の方は難しいらしい。スープや、パンと言った日常的な文字も理解できない。

 彼女たちは数字で量を覚え、絵で印をつけ、日々を回している。人によって絵が異なるので理解できないこともある。

 それでも、この街の生活はきちんと回っていた。


 「女の人が字を習うのは、貴族か商人の家の娘くらいです」


 スープをよそいながら、一緒にパンを配っている田中に向けた言葉。


 「修道院に入れれば別ですけど……。あそこは少し、世界が違いますから」

 「リーナは、読めるんですね」

 「主人に教えてもらいました。手紙を書く人だったんです」


 彼女は少し目を細めた。

 湯気の向こうで、どこか遠くを見るように。


 「遠征に行くたびに手紙をくれて。最初は読めなくて、でも、どうしても読みたくて覚えたんです。言葉が届くって、こんなに温かいものなんだと思いました」


 彼女は、どこか懐かしい表情を見せる。


 「主人は帰ってくると、その手紙で文字を教えてくれるんですよ。その時が、一番楽しかった……」


 湯気の中で、彼女の笑みが淡く滲んだ。

 パンの香ばしさと、煮込んだ野菜の匂いが混ざっていた。

 炊き出しの音は、温もりの輪のように広場に響いていた。




 今日も、慌ただしい一日が過ぎていく。

 夜の街は、昼間の熱気を吐き出すようにしっとりと静まっていた。

 湿った風が石畳をなで、ランプの火をちらつかせる。

 炊き出し場の片づけが終わるころ、広場の片隅ではリーナが一人、帳簿を開いていた。


 「スープ大鍋たくさん。パンたくさん。毛布少し」


 声に出して読むと、どこか満足げに笑う。


 「たくさんって書くとね、あったかい気がするの。数字ばかりだと、寒い帳簿になるから」


 彼女はペンを置き、手をこすった。

 指先には薄いインクの跡。

 亡き夫が教えてくれた文字を、今も大切に使っている。


 「あなたの字を、まねてますよ。ちゃんと書けてますか?」


 静かな声が、ランプの光に吸い込まれた。

 帳簿の整理を終え、リーナの一日が終わる。




 翌朝。

 田中がギルドに向かうと、カウンターの奥でグレータが帳簿をたたんでいた。

 髪をひとつにまとめ、片肘をついて湯気の立つカップを持っている。


 「おっそいで。今日は雨降る前に終わらせたいんや」

 「そんな顔して、朝から働いてるじゃないですか」

 「誰かさんと違うて、ウチは朝から晩までキッチリ働いてるんや」


 彼女は、奥の部屋の扉に視線を送る。

 恐らく、ギルドマスターが寝ているに違いない。


 グレータは向き直ると、封蝋のついた封書を田中に渡す。


 「ああ、すまんな。ギルド宛てに届いたもんやから、開封して、中身は確認済みや」

 「それで?」

 「修道院からや。神の導きによって魔狼を退けし者として、若き修道士たちに話をしていただきたい。――やと」


 田中は眉をひそめた。


 「導き、ねえ」

 「街の英雄も大変やな。のんびり寝てもおられんな」

 「何言ってるんですか。ちゃんと働いてますよ」

 「せやった」


 グレータは肩をすくめ、机に腰を預ける。


 「英雄っちゅうのは、神より扱いやすいんよ。祭り上げても、首を落としてもええ存在やからな。教会はそういうの、得意やで」

 「……忠告ですか?」

 「せや。修道院は鼻がええ。どこで誰が「風」起こしてるか、すぐ嗅ぎつける。前にも言うたけど。あんた、目ぇつけられんように気ぃつけや」


 田中は笑って答えた。


 「風上には立たないよう、気をつけます」

 「せやけどあんたの立っとる場所、たいてい風がええんや。それが厄介なんよ」


 グレータは苦笑し、カップを掲げた。


 「ま、講話するのもええけど、言葉には気ぃつけや。あんたが喋ると、ほんまに風が動く」


 彼女は笑いながらも、その目は少しだけ真剣だった。


 「英雄は持ち上げられてるうちはええけど、風向き変わったら、すぐに異端や。ウチ、そういうの何人も見てきた」

 「心に留めておきます」

 「留めるだけやなくて、逃げ道も作っとき」


 田中が封書を懐にしまい、軽く息を吐いたとき、グレータはふと真面目な顔になった。


 「なあ、ターナカ。ウチ、こう見えてもあんたに感謝しとるんやで」

 「僕に?」

 「そうや。あんたが来てから、ギルドの空気が少しマシになった。助けるっちゅう言葉を、誰も笑わんようになったからな」


 田中は苦笑した。


 「僕は何もしてませんよ」

 「そういうとこがあかん。あんたは何もしてへん顔で、みんなをちょっとずつ動かしてる。ウチも気ぃついたら、あんたの方に顔向けてんねん」


 グレータはそう言って、湯気の立つカップをくるくると回した。


 「英雄なんて言葉、ウチは嫌いやけどな。もしこの街に英雄がいるとしたら、きっと戦わん人のことやと思う。立って、聞いて、見てるだけの人。……そんな人を、神さまは案外ほっとかへん」


 田中はその言葉に、しばらく黙っていた。


 「……それ、褒め言葉ですか?」

 「半分な。残り半分は、呪いや」

 「それは厄介ですね」

 「せやろ。でも、ウチはそういう人間の方が好きやで。風が変わっても、ちゃんと立っとる人。そういう人のおる街は、ええ街や」


 グレータはカップを飲み干し、「さ、仕事戻るで。うちが喋りすぎると、また情がうつったって言われるからな」と笑いながら席を立った。


 田中も軽く頭を下げ、扉を押した。

 外の風は少し湿って、夏の匂いを含んでいた。

 彼の背中に、グレータの声が届く。


 「ターナカ! 今度の講話、ウチも聞きに行こか?」

 「やめてください。緊張します」

 「ははっ、せやろな!」


 軽い笑い声が、閉まる扉の向こうで弾けた。


リーナは、物語を進める上で、無くてはならないキャラクターです。

影薄いけど。


毎日19:10頃更新しています。

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