第28話 あなたの字を、まねてますよ
※カクヨムにも同名のものを公開しています。
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メリークリスマス!
この季節の風は、生温く湿っていた。
街の石畳には薄く雨の跡が残り、陽が差すたびに銀色に光る。
広場の片隅で、大鍋がいくつも湯気を上げていた。
寡婦の会の炊き出しである。
鍋の中ではスープがぐつぐつと音を立て、隣では焼き立てのパンが布の上に積まれている。
「はい、こぼさないようにね」
「順番だよ、あわてないで――。そうそう、そのお皿使って」
リーナが手を動かしながら、優しく声をかけていた。
彼女の髪は汗で額に貼りつき、袖口にはスープのしずくが散っている。
それでも誰よりも穏やかに、笑っていた。
神に祈るより先に、目の前の人の腹を満たす。それが彼女の信条なのだろう。
田中は列の整理を手伝いながら、周りの会話を耳にしていた。
「それ、いくつ持ってった?」
「わかんないよ、そんなたくさんは……」
年長の女性が首をひねり、若い母親が笑って答える。
リーナが代わりに記録帳をめくり、すらすらと指でなぞった。
「ほら、ここにスープ10杯、パン12個って。昨日より少ないですね」
「リーナさんはほんと、すごいねえ」
どうやら、数字は皆読めるが、文字の方は難しいらしい。スープや、パンと言った日常的な文字も理解できない。
彼女たちは数字で量を覚え、絵で印をつけ、日々を回している。人によって絵が異なるので理解できないこともある。
それでも、この街の生活はきちんと回っていた。
「女の人が字を習うのは、貴族か商人の家の娘くらいです」
スープをよそいながら、一緒にパンを配っている田中に向けた言葉。
「修道院に入れれば別ですけど……。あそこは少し、世界が違いますから」
「リーナは、読めるんですね」
「主人に教えてもらいました。手紙を書く人だったんです」
彼女は少し目を細めた。
湯気の向こうで、どこか遠くを見るように。
「遠征に行くたびに手紙をくれて。最初は読めなくて、でも、どうしても読みたくて覚えたんです。言葉が届くって、こんなに温かいものなんだと思いました」
彼女は、どこか懐かしい表情を見せる。
「主人は帰ってくると、その手紙で文字を教えてくれるんですよ。その時が、一番楽しかった……」
湯気の中で、彼女の笑みが淡く滲んだ。
パンの香ばしさと、煮込んだ野菜の匂いが混ざっていた。
炊き出しの音は、温もりの輪のように広場に響いていた。
今日も、慌ただしい一日が過ぎていく。
夜の街は、昼間の熱気を吐き出すようにしっとりと静まっていた。
湿った風が石畳をなで、ランプの火をちらつかせる。
炊き出し場の片づけが終わるころ、広場の片隅ではリーナが一人、帳簿を開いていた。
「スープ大鍋たくさん。パンたくさん。毛布少し」
声に出して読むと、どこか満足げに笑う。
「たくさんって書くとね、あったかい気がするの。数字ばかりだと、寒い帳簿になるから」
彼女はペンを置き、手をこすった。
指先には薄いインクの跡。
亡き夫が教えてくれた文字を、今も大切に使っている。
「あなたの字を、まねてますよ。ちゃんと書けてますか?」
静かな声が、ランプの光に吸い込まれた。
帳簿の整理を終え、リーナの一日が終わる。
翌朝。
田中がギルドに向かうと、カウンターの奥でグレータが帳簿をたたんでいた。
髪をひとつにまとめ、片肘をついて湯気の立つカップを持っている。
「おっそいで。今日は雨降る前に終わらせたいんや」
「そんな顔して、朝から働いてるじゃないですか」
「誰かさんと違うて、ウチは朝から晩までキッチリ働いてるんや」
彼女は、奥の部屋の扉に視線を送る。
恐らく、ギルドマスターが寝ているに違いない。
グレータは向き直ると、封蝋のついた封書を田中に渡す。
「ああ、すまんな。ギルド宛てに届いたもんやから、開封して、中身は確認済みや」
「それで?」
「修道院からや。神の導きによって魔狼を退けし者として、若き修道士たちに話をしていただきたい。――やと」
田中は眉をひそめた。
「導き、ねえ」
「街の英雄も大変やな。のんびり寝てもおられんな」
「何言ってるんですか。ちゃんと働いてますよ」
「せやった」
グレータは肩をすくめ、机に腰を預ける。
「英雄っちゅうのは、神より扱いやすいんよ。祭り上げても、首を落としてもええ存在やからな。教会はそういうの、得意やで」
「……忠告ですか?」
「せや。修道院は鼻がええ。どこで誰が「風」起こしてるか、すぐ嗅ぎつける。前にも言うたけど。あんた、目ぇつけられんように気ぃつけや」
田中は笑って答えた。
「風上には立たないよう、気をつけます」
「せやけどあんたの立っとる場所、たいてい風がええんや。それが厄介なんよ」
グレータは苦笑し、カップを掲げた。
「ま、講話するのもええけど、言葉には気ぃつけや。あんたが喋ると、ほんまに風が動く」
彼女は笑いながらも、その目は少しだけ真剣だった。
「英雄は持ち上げられてるうちはええけど、風向き変わったら、すぐに異端や。ウチ、そういうの何人も見てきた」
「心に留めておきます」
「留めるだけやなくて、逃げ道も作っとき」
田中が封書を懐にしまい、軽く息を吐いたとき、グレータはふと真面目な顔になった。
「なあ、ターナカ。ウチ、こう見えてもあんたに感謝しとるんやで」
「僕に?」
「そうや。あんたが来てから、ギルドの空気が少しマシになった。助けるっちゅう言葉を、誰も笑わんようになったからな」
田中は苦笑した。
「僕は何もしてませんよ」
「そういうとこがあかん。あんたは何もしてへん顔で、みんなをちょっとずつ動かしてる。ウチも気ぃついたら、あんたの方に顔向けてんねん」
グレータはそう言って、湯気の立つカップをくるくると回した。
「英雄なんて言葉、ウチは嫌いやけどな。もしこの街に英雄がいるとしたら、きっと戦わん人のことやと思う。立って、聞いて、見てるだけの人。……そんな人を、神さまは案外ほっとかへん」
田中はその言葉に、しばらく黙っていた。
「……それ、褒め言葉ですか?」
「半分な。残り半分は、呪いや」
「それは厄介ですね」
「せやろ。でも、ウチはそういう人間の方が好きやで。風が変わっても、ちゃんと立っとる人。そういう人のおる街は、ええ街や」
グレータはカップを飲み干し、「さ、仕事戻るで。うちが喋りすぎると、また情がうつったって言われるからな」と笑いながら席を立った。
田中も軽く頭を下げ、扉を押した。
外の風は少し湿って、夏の匂いを含んでいた。
彼の背中に、グレータの声が届く。
「ターナカ! 今度の講話、ウチも聞きに行こか?」
「やめてください。緊張します」
「ははっ、せやろな!」
軽い笑い声が、閉まる扉の向こうで弾けた。
リーナは、物語を進める上で、無くてはならないキャラクターです。
影薄いけど。
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