第26話 平和な戦場
※カクヨムにも同名のものを公開しています。
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朝の光が、窓の格子を斜めに照らしていた。
冒険者ギルドの受付は、今日も戦場だった。
依頼票、報酬精算、問合せ――紙と声と汗の混ざった空気の中、グレータはペンを滑らせていた。
「はい次! 討伐証明書は裏の窓口。報告書に血がついとる、拭いて出しな!」
「こっちは昨日の件の追加報酬だ!」
「ほな順番並びなおしてな!」
山積みの書類を前に、彼女のこめかみがピクピクと震える。
窓の外は初夏の陽気。にもかかわらず、室内は熱気で蒸し風呂のようだった。
「……はあ。ウチがいなきゃ、このギルド三日で終わってまうわ」
誰に言うでもなく愚痴をこぼす。
背後の扉が開き、どすん、と重い音が響いた。
奥の部屋から現れたのは、ギルドマスター――といっても、半分は酔っ払いのような男である。
寝癖のついた頭をかきながら、欠伸をひとつ。
「グレータ。あの商会からの書類、今日中に片付けておけよ」
「……またウチ!? マスター、朝から何してはるんです?」
「考えごとだ。ギルドの未来を……だな」
「酒瓶の底に、未来は見えへんて」
吐き捨てるように言って、ペンを走らせる。
その姿にマスターは苦笑し、のんびり手を振って奥へ戻っていった。
――今日も平和な戦場である。
昼を過ぎたころ、とうとう事件が起きた。
「おい、グレータ! 報酬が少ねぇぞ!」
臭い息をまき散らしながら、斧を背負った大男がカウンターを叩く。
「少ねぇやなくて、計算どおりや」
「何ぃ?」
グレータの眉が跳ね上がる。だが彼女も、売られた喧嘩を買うほど暇ではない。
書類をぱらりとめくり、淡々と言った。
「ウチは正直に処理してるだけ。文句は契約書読んでから言いなはれ」
男が顔を真っ赤にして何か言いかける。
「契約書の末尾、ここに記載があんねんで」
「な……」
「討伐対象の確認項目にな「巣を完全に焼き払うこと」って書かれてんねん。ちゃんと、焼き払ってないやろ?」
その一言で、場が静まった。
男は舌打ちし、渋々去っていく。
ざわついていた空気がすっと引く。
グレータは、深いため息をついた。
彼女はペンを置き、軽く頭を押さえた。
頭痛がまた戻ってきている。
「そら疲れるわ。朝から飯も食えとらん」
「俺らも似たようなものです」
「お前らは、金がないだけやろが!」
小さな笑いが交わされた。
いつものギルドらしいやりとりが続けられていた。
昼の鐘が2回鳴る頃。
書類の山が、机の上で城のように積み上がっていた。
グレータはそれを見つめ、深くため息をつく。
ペンを走らせていると、一枚の書類に目が留まった。
封印の印章が、いつもと違う。
修道院の寄進物資――。つまり、信徒たちから集めた金品を扱う依頼だ。
「……あれ? 印、変わってる」
以前は聖光の輪と呼ばれる印章だった。
だが、今回の書類には三重の紋が押されている。
「最近の修道院、何かあったんかな……」
眉をひそめながら、彼女は書類を脇へ寄せた。
その時、カウンターの前に誰かが立った。
顔を上げると、田中の姿が見える。
「おや、おつかれさん」
「はい。追加の報告書を」
「……あんた、ほんまマメやな。普通、こんな細かい報告出す人おらんで」
「癖ですよ」
その答えに、グレータは思わず笑ってしまった。
「変わっとるけど、嫌いちゃうわ。せやけど――」
彼女は額を押さえた。
こめかみが、またじんじんと痛む。
「大丈夫ですか?」
「寝不足。あと、マスターに腹立つのが半分」
「……それは、重症ですね」
田中が小さく笑った。
その声が、妙に心地よかった。
まるで、張り詰めた空気をほどくような響きだった。
「もうアカン……。ウチ、頭割れそうや」
紙を束ねる指先が震える。
「そんな状態で仕事しても、効率が良くないですよ」
「そんなん言われても。休む余裕すら、今のウチにはあらへんわ」
「ほんの少しだけ。時間を貰えませんか?」
「時間?」
グレータは眉をひそめた。
彼のこういうよく分からない提案には、もう慣れ始めている。
田中は、軽く指を立てた。
「ただの呼吸法です。誰でもできます。目を閉じて、静かに息を吸ってみてください」
「仕事中やっちゅうねん」
「今のあなたの頭痛、呼吸が浅くなっているせいです。あと、換気もしましょうね」
「……そんなことで治るなら、神様いらんわ」
「神様はいませんよ」
「そんな不謹慎なこと、滅多なことで言うたらあかんで」
田中の声が、妙に胸の奥へ響いた。
普段と違う、更に一段落としたトーン。それが染み入ってくる。
気づけばグレータは、指示に従って目を閉じていた。
「息を吸って……ゆっくり吐いて」
「……ふん。まるで子守歌やな」
「そう思うなら、そうでもいいですよ」
「……屁理屈な人やな、あんた」
呼吸を重ねるうちに、ざわざわしていた周囲の音が遠のいていく。
怒号も笑い声も、紙をめくる音も、すべて霞んでいく。
――代わりに、かすかな鼓動の音が聞こえた。
それが自分自身の音だと気づいたとき、グレータの肩の力がふっと抜けた。
「どうですか」
「……不思議やね。静かすぎて、逆に怖いわ」
「静かになると、いろんな音が聞こえてきます。自分の声や、考え、感情……そういうものが」
田中は何も言わなかった。
その沈黙が、優しさの形に思えた。
「……ちょっと寝てもうた?」
「少しだけ、です。5分ほど」
「5分で……? 頭、軽い……」
頭痛が、嘘のように消えていた。
グレータは呆然とし、次の瞬間、思い切り笑った。
「なんやそれ、めっちゃおもろいやん!」
「でしょう?」
「もう薬師要らんやん、商売あがったりや」
笑いながら、彼女は肩をすくめる。
久しぶりに、心の底から笑った気がした。
――こんな静けさをくれる人、この街に、他にいるやろか。
夜になっても、グレータは帰らなかった。
机の上のランプだけが灯り、帳簿の数字が淡く照らされている。
「……修道院の寄進記録、また変やな」
数字が整いすぎている。
金貨の流れが意図的に調整されたように見える。
指で紙をめくりながら、彼女はつぶやいた。
「神さん、ほんまにこの街見てるんかねぇ」
すると、ふと外で鐘の音が鳴った。
祈りの時間。
修道士たちが、塔の上で夜の祈りを捧げている。
「……祈りより効くわ、あの声」
軽く笑って、インク瓶の蓋を閉じる。
窓の外には、街灯の明かりと、帰る人々の影が揺れていた。
グレータは椅子の背にもたれ、ぼんやりとその光景を眺めた。
「神の声やのうて、人の声や。それで癒えるんやったら……悪くないね」
カウンターの隅に置かれたカップには、まだ温もりの残る紅茶。
その隣に、田中の置いていった報告書が一枚。
「まったく、あの人……何者なんやろね」
窓の外では、夜風が静かに吹いていた。
街の灯りがゆらぎ、遠くで誰かが笑う声が聞こえた。
グレータはそっと笑みを浮かべ、帳簿を閉じた。
グレータのキャラクターも好きです。
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