表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
癒やしを求めたら、奇跡と呼ばれて幽閉されました。  作者: 柊すい
第五章 はじめて泣いた日

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/57

第23話 観念の遊戯

※カクヨムにも同名のものを公開しています。

------------------------------------------------

 朝の光が、薄絹のカーテンを透かして床に落ちていた。

 イザベルはその光を見つめながら、胸の奥に残ったざらつきをどうにも拭えずにいた。


 ――なぜ、あんなふうに泣いたのだろう。


 あの夜の涙の理由が、いくら考えても分からなかった。

 胸の奥に、何か柔らかいものが生まれた気がして、それがむしろ気持ち悪かった。

 泣くなんて、子供の頃以来だ。


 「……執事。あの冒険者を、もう一度呼びなさい」


 口に出すと、胸の奥が少しだけすっきりした。

 理由などどうでもよかった。

 彼女はただ、あの男の落ち着いた瞳が頭から離れなかったのだ。




 昼下がり、ルドルフ邸の大広間。

 陽光を受けた大理石の床が、白く輝いている。

 イザベルはティーカップを弄びながら、気怠げにため息をついた。


 「退屈。……この街は、どうしてこうも面白くないのかしら」


 返事をする者はいない。

 侍女たちは、彼女の機嫌を損ねぬよう、遠巻きに立っている。

 そんな中、執事がやってきて(うやうや)しく頭を下げた。


 「ターナカ様を、お連れいたしました」


 扉が開き、柔らかな足音が響く。

 飾り気のない服装。

 いつも通りの落ち着いた佇まい。


 「2度目のお招き、恐縮です」


 田中は穏やかに一礼した。

 言葉に嫌味を感じるが、その所作に媚びはなく、かといって傲慢さもない。


 「あなた、退屈しのぎに、何か面白いことをしてみせなさい」


 挑発するような声。

 ターナカは一瞬だけ目を細め、それから微笑んだ。


 「面白いこと、ですか」

 「そう。人を楽しませる(すべ)ぐらい、あるでしょう?」

 「そうですね……。では、あなたの体を使ったマジックでも」

 「……マジック?」


 イザベルの眉が、ぴくりと動く。

 ターナカは軽く首をかしげた。


 「言葉の遊びですよ。危ないことはしません」


 彼の声は、不思議なほどに静かだった。

 命令でも挑発でもない、ただの落ち着きという名の力があった。

 まるで、風が水面を撫でるような穏やかさだった。


 「じゃあ、見せてみなさいよ」


 イザベルは顎を上げ、ソファに深く腰を沈めた。

 ターナカは小さく会釈し、手を差し出す。


 「こちらの指先を見てください」


 その指は長く、しなやかで、動きに妙な品があった。

 彼女は一瞬、目をそらすのが恥ずかしくなった。


 田中は、それを高く上げる。

 イザベルは、目で追ってしまう。


 「いいですね。その姿勢で深呼吸をしましょう。ゆっくり、深く」

 「それに何の意味があるの?」

 「イザベル様が、面白い事をしろと仰ったので」

 「……ふん」


 イザベルは肩で息を整えながら、大きく息をした。


 「これでいい?」

 「ええ。とてもいい感じです。では次に――手をこう、握ってみてください。指先をたてて」


 ターナカが示したのは、両手を合わせる姿勢だった。

 彼女は言われるままに、手を組み、指先を立てる。


 「少し失礼しますね」


 田中は片膝をつき、イザベルの人差し指にそっと触れた。

 指先と指先が離れたまま、静止する。


 「ちょっと、誰が触れて良いなんて言ったの?」

 「面白い事のためですよ」

 「……調子に乗らないで」


 彼は、穏やかな声のまま続ける。


 「指と指の間をしっかり見て。指が付かないようにしてみてください。でも僕が指が付きますといった瞬間から指が動いてしまいますよ」

 「そ、そんなこと……。ある訳ないじゃない」

 「では、くっつきます。3、2、1」


 彼女は最初、笑いそうになった。

 だが、数秒後には笑えなくなっていた。


 「……指が、勝手に……動く……?」


 目の前で、自分の手がゆっくりと閉じていく。

 意識していないのに、抵抗しても止まらない。

 まるで見えない糸で引かれているようだった。


 「あなた、魔法が使えるの!?」


 その言葉に、ターナカは少し笑った。


 「心と身体はつながっています。少し、心を休めてみませんか」

 「アタシは、休みたいなんて――」


 彼女の言葉は、そこで止まった。


 「無理せず。心が軽くなるイメージを。ふわふわと、空の雲になるように」

 「……雲?」

 「ええ、そうです。目を閉じて、呼吸を落ち着かせて」

 「……」


 イザベルの肩が、かすかに上下した。

 さっきまで挑むように光っていた瞳が、ゆるやかにほどけていく。


 田中は、イザベルの肩に触れると、左右に優しいリズムを刻む。


 「体が揺れる度に、体も軽くなります。体が軽くなれば、より、心も軽くなります。そう。ゆっくりと。静かに」


 彼女も、また抱えるものが多いのだろう。

 田中は、丁寧に心と体をほぐす暗示を入れて行く。

 10分、20分と、休む事無く言葉をかけ続ける。


 「あなたを縛るものはありません。この瞬間、自由です。大空を舞う鳥のように、あなたの心は解き放たれました。思うことは自由です。口にするのも自由です。さぁ、軽くなった心で目を覚ましましょう。……7、8、9、10。おはようございます」


 いつの間にか彼女の険しい表情は抜けていた。

 それどころか、彼女の両目から、止めどないほどに雫があふれ出ていた。

 涙と一緒に、胸の奥に溜め込んでいたものが、急に溢れ出した。


 父のこと。実家のこと。兄のこと。街のこと。

 色々な言葉が溢れてくる。彼女は、自由に見えて、誰よりも我慢を強いられて生きてきたのだ。庶民には分からないものを。

 そして、不意に自分の話をし始める。


 「……アタシの価値って、何なの?」


 声が震えた。

 自分でも驚くほど弱々しい声。


 「……父は、アタシを飾りのように扱うの。貴族の娘らしくって、そればかり。笑って、背筋を伸ばして、何を言われても笑顔でいなさいって……」


 ターナカは、黙って聞いていた。

 視線の奥に、同情も慰めもない。

 ただ、受け止めるような静けさがあった。


 「でもね、笑っているとき、アタシはどこにもいないの。誰も、アタシを見ていない。貴族の娘としか、見てないのよ」


 自分が今まで、いかに空虚に生きてきたか。虚無を抱いてきたか。虚像として演じてきたか。その思いが虚を突いて溢れ出る。


 ――涙が、また(こぼ)れ始める。

 ひと粒、またひと粒と頬を伝い、膝に落ちていく。

 彼女は慌てて手を当てたが、次から次へと止まらなかった。


 「あなたは、もう誰かの飾りではありません」


 ターナカの声が、静かに響く。


 「あなたは、あなたとして生きていいんです」


 その瞬間、彼女の呼吸が乱れ、嗚咽が漏れた。

 心の奥に溜まっていた長い年月の埃が、ようやく風に飛ばされた気がした。




 どれほどの時間が経ったのか分からない。

 ただ、陽光が傾き、部屋の色が金に変わっていた。

 イザベルの頬は涙で濡れ、まつ毛の先に光が宿っていた。


 「……こんな涙、いつ以来かしら」


 震える声でつぶやくと、ターナカは穏やかに言った。


 「それは、生きている証ですよ」


 彼の瞳に、彼女は映っていた。

 美しい娘としてではなく、一人の人間として。


 沈黙のあと、イザベルは小さく微笑んだ。


 「ねえ……あなた、何者なの?」


 ターナカは肩をすくめ、軽く笑った。


 「神ではありませんが、かわいいレディには()()を起こせるんですよ」


 その冗談に、イザベルの胸がきゅっと締めつけられる。

 笑いたいのに、笑えない。

 けれど、不思議と心が温かかった。


 「奇跡を、起こせる人……」


 彼の言葉が、静かに胸の奥に刻まれた。




 その夜、彼女は鏡台の前に立っていた。

 蝋燭の灯が、頬を淡く照らす。

 涙の跡が、まだうっすらと残っていた。


 「……あの人の声、優しかったな」


 自分の唇から漏れた言葉に、驚く。

 頬を撫でると、まだ温もりがあった。


 鏡の中のイザベルは、いつもより少し柔らかい顔をしていた。

 貴族の娘ではなく、ただの女の子の顔。


 「……魔法、なのかしら」


 そうつぶやいた瞬間、胸の奥がほんのり熱を帯びた。


 その熱は、恋とも希望ともつかないもの。

 けれど確かに、彼女の中で息づいていた。


 硝子の鳥籠の中に、初めて灯った小さな火。

 それは、まだ誰にも見えない。

 だがイザベルは、その光が心地よかった。


「レディには奇跡を起こせる」ルパンみたいな事を言わせたかったお話でした。


毎日19:10頃更新しています。

ブックマーク、評価、リアクション、よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ