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癒やしを求めたら、奇跡と呼ばれて幽閉されました。  作者: 柊すい
第五章 はじめて泣いた日

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第22話 硝子の鳥籠

※カクヨムにも同名のものを公開しています。

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 朝の光が、薄くカーテンを透かして差し込んでいた。

 イザベルは鏡台の前に座り、金糸のような髪を櫛で梳いていた。動かすたび、陽の粒がその髪に散り、部屋の空気までも柔らかく染めていく。


 「……アタシには、みんな従うの」


 口にした瞬間、言葉が宙にほどけて消えた。鏡の中の自分が、どこか他人のように見える。


 アタシは小さいころから、そう教えられてきた。

 美しくあれ、優雅であれ、誇りを失うな。

 それが、貴族の娘としての全てだった。


 でも、気づけばそれは檻になっていた。

 笑えば皆が褒めてくれる。

 けれど、笑っていないと、誰もアタシを見てくれない。


 父――ルドルフが本家を兄に譲り、教皇代理としてこの街に赴任したとき、アタシはその輝かしい称号の意味を理解できなかった。


 「信仰の地で人々を導く」と言って誇らしげだったけれど、アタシにはそれが都を追われたようにしか見えなかった。

 父は、足が悪い。都では杖を手放せなかった。

 だからこそ、信仰の地での務めは、名誉の裏に静かな余生を望んでいたのかもしれない。


 「イザベル、一緒に来てくれるか」


 ……そう言われて、目の前が真っ白になったのを覚えている。




 この街の空は広く、風は清い。

 でも、退屈だった。

 訪ねてくるのは信者と商人ばかりで、夜会も無ければ噂話もない。

 贅沢な屋敷の中で、アタシは誰よりも孤独だった。


 ある夜、父と向かい合って食卓についた。

 銀の燭台が食卓を照らし、スープの湯気が淡く揺れている。


 「お父様、都では新しい劇が流行っているそうよ。信仰を風刺する喜劇ですって」

 「……くだらん話だな。神聖なものを笑いものにして、何が残る」


 ルドルフは、穏やかに笑うこともなくパンをちぎった。

 アタシは匙を弄びながら、ゆっくりと訊いた。


 「ねぇ、お父様。神様って、どんな方なの?」

 「ん……そうだな。お前ももう少し勉強すれば分かる」

 「じゃあ、アタシが間違ったら、神様は怒るの?」

 「まぁまぁ、そう難しく考えるな。お前は考えすぎだ」


 いつも、そればかり。

 「まぁまぁ」「そのうち分かる」「お前は考えすぎ」

 父の声はやさしいけれど、いつも途中で扉を閉ざす。

 話したいことは山ほどあるのに、お父様の返事はいつもそのうち分かるだけ。

 ――きっと、アタシの話は難しすぎるのだと思うようにしていた。


 知りたいのは神じゃない。

 お父様が何を信じてるかなのに。


 沈黙が流れる。燭台の炎が、ワインの表面に小さく揺れていた。

 視線を落としながら、胸の奥に小さな棘が刺さるのを感じていた。


 次の日も、同じ朝が来た。

 召使いたちが廊下を歩く音。侍女がカーテンを開ける音。

 屋敷はいつも通り整っているのに、どこか冷たい。


 アタシは、退屈を誤魔化すように人を試した。

 商人に無理な納期を命じ、侍女に完璧な礼を要求した。

 でも誰も逆らわない。

 怒らせたら大変だと、皆分かっているから。


 それが心地よくなるはずだったのに、最近は、少しだけ虚しい。


 午後、侍女がカップを落とした。

 床に転がった白磁の破片を、アタシは見下ろして言った。


 「……もういいわ、下がりなさい」


 慌てて拾い集め、指先を切った。

 赤い血が一滴、白い破片に落ちる。

 彼女は痛みに顔を歪めた後、なぜか微笑んだ。


 なぜ笑ったのか分からない。でも、その顔が、忘れられなかった。

 命令でも、虚勢でもない。

 本当に、生きてる表情だった。

 それはただ、怒られなかったことで「ほっ」としただけなのかもしれない。


 アタシは鏡の前に戻り、唇を動かした。


 「アタシには、みんな従うのよ……」


 でも、その声には力がなかった。




 数日前、父の屋敷にひとりの男が来た。

 粗末な服を着て、妙に落ち着いた目をしていた。

 ターナカ。

 アタシが呼び出した、あの変な人。


 思い出すだけで腹が立つ。

 アタシがどれだけ言葉を投げても、彼は笑って受け流すだけだった。


 「まさか、言葉で狼を倒したんですの?」

 「ええ。吠え声では勝てませんから」


 あの一言が、今も頭に残っている。

 皮肉と嫌味でしかない。でも、静かで、真っすぐな声。

 アタシの中の高い場所が、一瞬ぐらりと揺れた気がした。


 ――あんなの、ムカつくに決まってる。


 だから、侍女を呼んだ。


 「ねぇ、あのターナカって人。どうだったの?」

 「?」

 「どんな人だったかと、聞いているの」

 「とても丁寧な方でした。私たちにも、礼儀正しく接してくださって……」

 「誰にでも、丁寧なんて。くだらないわ」


 そう言って、アタシは紅茶を口に運んだ。

 少しだけ苦かった。




 寝室に戻ると、窓の外で風が鳴っていた。

 蝋燭の火を見つめながら、アタシはぽつりとつぶやいた。


 「神の前ではみんな平等、って……ほんと?」


 この街で父が何度も口にした言葉。

 でも、その神様は、アタシの心までは見てくれない。


 「だったら……お父様も、アタシも、同じはずじゃない」


 つぶやきながら、胸がきゅっと締めつけられる。


 見てほしかった。

 ただ、それだけだった。

 けれど、父の目はいつも遠くを見ている。

 信仰とか、務めとか、そんな言葉の向こう側ばかり。


 気づけば、頬に涙が伝っていた。

 自分でも驚くほど静かな涙だった。

 まるで、硝子の内側にひびが入るように――。




 翌朝。

 早く目を覚ました。

 鏡台の前に座り、自分の顔を見つめる。


 昨日までのアタシと、どこか違って見えた。

 笑っても、目の奥の光が変わらない。


 「……もう一度、会ってやる」


 口にした瞬間、胸の奥が熱くなった。


 「今度こそ、アタシの前で頭を下げさせてやる!」


 そう言って立ち上がる。

 カーテンを開けると、光が一気に差し込み、硝子の鳥籠が、かすかに軋む音を立てた。


 それは、囚われの姫が初めて他人に興味を持った、朝の音だった。


毎日19:10頃更新しています。

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