第21話 招かれざる客人
※カクヨムにも同名のものを公開しています。
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今回から、イザベルの話です。
春の名残がまだ街に残っていた。
魔狼討伐からおよそ半月。人々の暮らしは少しずつ日常を取り戻し、田中もまた、いつもと変わらぬ穏やかな朝を迎えていた。
石畳の路地を、彼はゆっくりと歩いていた。
陽の光が屋根の端を白く照らし、通りには市場へ向かう人々の声が響いている。
腰には剣も杖もない。ただの旅人のような身なり。
けれどこの街では、もう誰も彼をただの旅人とは思わなくなっていた。
今の冒険者ギルドで、彼の名を知らぬ者はいない。
魔狼討伐の立役者。今は、軽い護衛や運搬の依頼をこなしながら生活している。
それは質素だが、彼にとっては心地よい日々だった。
昼下がり、受付の窓口に差し掛かると、見慣れた女性が手を振った。
「おーい、ターナカはん。ちょっとええか?」
明るい茶髪を後ろでまとめた、眼鏡の女性。
ギルドの顔とも言われる受付嬢――グレータである。
その声はどこか朗らかで、周囲の空気まで軽くする不思議な響きを持っていた。
田中は軽く会釈しながら近づいた。
「どうかされましたか?」
グレータは机の上から一通の封筒を取り上げた。
「これな、ルドルフ卿のお屋敷からや。わざわざ使いのもんが届けに来はってな。ターナカ殿にお渡ししてくれやて」
田中は眉をわずかに上げる。
封は深紅の蝋で閉じられ、封印には貴族家の紋章――双頭の鷲が刻まれていた。
「……これは、またずいぶん格式高いお手紙ですね」
「そやろ? ウチもびっくりしたわ。あのターナカはんに貴族様から直々にお手紙やて、ギルド中で話題やで?」
田中は苦笑して答える。
「ろくな話ではなさそうですね」
「そんなん言わんと、読んでみぃな」
田中は封を切り、紙面を広げた。
筆跡は整っており、文面は丁寧だが、どこか芝居がかった印象を受ける。
グレータに渡し、読んでもらう。
「先日の武勲、まことに見事であった。
一度お話を伺いたい。屋敷にて待つ――。ルドルフ・フォン・グラーツ」
田中は軽く息をついた。
「……お話、ですか。ありがたいことです」
グレータは肘をつき、面白そうに笑う。
「ターナカはん、あんま目立ちすぎんほうがええで? 上の連中は、なんやとすぐ噛みつくさかいな」
「肝に銘じます」
「ま、気ぃつけて行ってきぃ。あんさんみたいな人、貴族の館にゃ珍しいやろから」
「それはお互い様ですよ」
田中の返しに、グレータは一瞬目を丸くして、すぐに笑った。
「もう、そういうとこやで。ほんま食えへん人やなぁ」
彼は微笑しながら手を振り、ギルドを後にした。
夕刻。
街の中心部から坂を登ると、空気の色が変わった。
石畳が磨かれ、並木の間を抜ける風が少し冷たい。
上級地区は、まるで別の国のようだった。
坂の頂に建つ屋敷――ルドルフ家。
白い石壁は古びながらも気品を保ち、門扉には黒鉄の紋章が刻まれている。
田中は深呼吸をひとつして、門番に声を掛けた。ギルド経由で招待状をもらったことを話し、その手紙を見せると慌てて屋敷の中に消えていった。
出てきた執事は、完璧な身なりの男だった。
「ターナカ様でございますね。お話を承っております。どうぞ」
屋敷の中は静まり返っていた。
足音を吸い込む厚い絨毯。
壁に並ぶ肖像画は、いずれもこの家の栄華を語るように並んでいる。
案内された部屋は、日差しが柔らかく差し込む客間だった。
香木の香りが漂い、窓辺には花瓶が飾られている。
中央の椅子に、ひとりの若い女性が腰をかけていた。
金の髪が光を受けて揺れる。
淡いクリーム色のドレスが、椅子の背にふわりと広がっていた。
目を向けた瞬間、田中は察した――。この人が、ルドルフの娘。
魔狼討伐の表彰式で見た顔だった。
「……あなたが、ターナカね?」
声は鈴のように澄んでいるが、少し鼻にかかっていた。
自分の言葉に、他人がどう反応するかを、ずっと確かめてきた声だった。
田中は軽く会釈した。
「はい。ルドルフ卿にお呼びいただいたと伺いました」
「父は留守よ。代わりに、アタシがお話を伺いますわ」
カップを持ち上げる指先が、まるで舞台の演技のように優雅だった。
椅子から足を組み替え、わざと冷ややかな笑みを浮かべる。
「……あなた、魔狼を倒したんですって?」
田中は小さく笑う。
「倒したというよりは、自警団や冒険者たちと力を合わせて、誘導しただけですよ。罠の有る方に逃げてくださいねって」
「お願い? 狼に……?」
イザベルの瞳が少し細くなる。
「あなた、魔術師なの?」
「いえ。ただの巡礼者……。今は冒険者です」
田中は首に掛かったドッグタグを取り出すと、彼女に見えるように表を向ける。
彼女のあざけるような笑いが、唇の端に浮かぶ。
「まさか言葉で狼を説得した、とでも?」
田中は穏やかに笑う。
「吠え声では、勝てませんから」
一瞬、イザベルの顔が固まった。
彼の声音は柔らかかったが、そこには羨望も、侮蔑も挑発もなかった。
なのに、彼女を手のひらの上で転がすような態度。
――それが、彼女の誇りを最も強く揺らした。
沈黙が気まずくなったのか、彼女は紅茶のカップを取り上げて、わざとらしく音を立てて置いた。
「……お茶、冷めてしまったわね」
「ええ、でも香りはまだ残っています」
「あなた、そういうところが変なのよ。普通は、淑女を褒めるでしょう?」
「いえ、カップの方が立派でしたから」
「……っ、失礼ね!」
イザベルはぷいと横を向く。
だが、田中が本気で怒らせようとしていないことは、彼女にも分かった。
その穏やかな会話が、妙に心地よい。
いつもなら、こうした会話は退屈で仕方がないのに――。なぜか今日は続けていたい。そんな気持ちを感じるのだった。
「……あなた、変わってるのね」
「ええ、よく言われます」
田中は深々と一礼し、背を向ける。
その立ち姿には、貴族の前に立つ下民の卑屈さは微塵もなかった。
ただ、静かな礼節があった。
扉が閉まる音がして、部屋が再び静けさを取り戻す。
イザベルは、指先に残ったカップを見つめた。
何だったのだろう、あの男。
「……ふん、何よ。生意気な」
そうつぶやきながらも、心臓の鼓動が速くなるのを抑えられない。
鏡に映る自分の頬が、うっすら紅潮していた。
それが怒りなのか、戸惑いなのか、自分でも分からない。
窓辺に立つと、坂の下の街が見えた。
夕陽が屋根を赤く染め、鐘の音が遠くで鳴っている。
彼女は唇を噛み、ぽつりとつぶやいた。
「……次は、ぎゃふんと言わせてやる」
その声は怒りよりも、どこか嬉しそうだった。
胸の奥で何かが目を覚ます。
ただ、生まれて初めて、上から見下ろせない相手に出会った。――その事実が、心を揺らした。
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