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癒やしを求めたら、奇跡と呼ばれて幽閉されました。  作者: 柊すい
第四章 祈りと眠り

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第19話 神の使徒

※カクヨムにも同名のものを公開しています。

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 日が少しずつ長くなってきた。

 昼下がりの光が街の屋根を照らし、修道院の鐘楼には白い鳩が集まっている。

 その光景を、寡婦の会の広場で見上げながら、リーナは穏やかに笑っていた。


 ほんの数日前まで、どこか影を落としていた彼女の顔には、今や柔らかな血色が戻っていた。

 スープを配る手際も軽やかで、笑顔を見せる余裕すらある。


 「リーナさん、最近ほんとに元気ねぇ」

 「まるで別人みたい。修道士さまの祈りが効いたのかしら」

 「……そうね。きっと、神さまが見てくださったのね」


 そんな言葉をよそに、リーナはそっと目を伏せる。

 ――祈ったのは、神ではなく、田中だった。

 けれど、それを誰かに言うつもりはなかった。

 あの夜、彼の声と腕に包まれて眠ったこと。それが奇跡だったと、自分だけが知っていればいい。


 炊き出しの香りが、風に乗って通りに流れていく。

 今日も人々が、修道院の前に長い列を作っていた。

 討伐で傷を負った者、家を失った者、職を無くした者。

 礼拝堂から出て来る人の中に、目に止まる1人の男がいた。




 年の頃は40歳前後。痩せすぎだが、肩幅のある農夫だった。

 手の甲には、深く残る爪の跡。

 魔狼が最初に畑を襲った夜、真っ先に被害に遭った男だった。

 列の中で、婦人たちがささやく。


 「……また来てるわね、あの人」

 「毎日、祈りの帰りに寄ってるんだって」

 「修道士さまに相談してるらしいけど、どうにもならないらしいわ」


 田中は、湯気の向こうでその会話を聞いていた。

 その男の指先が、微かに震えているのが見えた。

 両手の甲には爪の痕が刻まれ、まるで何かに縋るように、自分の手を握り締めていた。


 配膳の順が回り、木椀にスープが注がれる。

 男は礼を言いかけたが、声が出なかった。

 唇だけが震えていた。


 田中は列の脇から静かに声をかけた。


 「……少し、話をしませんか」


 男は目を上げる。

 その瞳の奥には、光も焦点もなかった。





 田中は、その後ろを静かについていった。

 柔らかい土と乾いた風、遠くで鳥の声が聞こえる。

 しかし、その畑の一角だけが、不自然に荒れていた。耕しかけの土が乾き、農具が地面に刺さったままになっている。


 すぐ近くに小さな石の家があった。

 男はそこに住んでいた。

 炊き出しで余ったパンを抱え、震える手で扉を押し開ける。

 家の方へ目を向けると、戸口に女性が立っていた。


 「……帰ったのね」


 薄い布の頭巾を被り、手には鍬を握っている。

 さっきまで畑に出ていたのだろう、袖口には土の粉がついていた。


 田中は会釈をして家に入ると、彼女もそれに続いた。

 家の中は質素だったが、清潔に整えられていた。


 「夫が……。何か……?」

 「あ、いえ。申し遅れました。寡婦の会で炊き出しを手伝っている、田中といいます。旦那さんが心配でついてきてしまいました。何か、お役に立てれば……と」

 「いつもありがとうございます。今、ウチは旦那が畑に出られないので……。施しが無ければ飢えていた所です」


 田中が机に目をやる。そこには、血の滲んだ細い布。


 「昨日、また畑へ行こうとして……。手が震えて、鍬を落としたんです」


 鍬を持っていた女性が先に声を出した。彼女は、自分を妻と名乗った。


 「眠れていないんですね?」

 「ええ。夜になると、魔狼の夢を見るみたいで……。目を閉じるのが怖いって。でも、働かないと畑が荒れてしまうんです」


 奥の部屋で、椅子に腰を下ろした男が俯いていた。

 焦燥しきっており、周囲に気を配る余裕もなさそうだった。


 「はい。少し、お話を聞かせてもらえますか」


 男は小さくうなずき、かすれた声でつぶやいた。


 「畑に行くと、思い出すんだ。あいつらの目……。足。爪。叫び。だもんで、鍬を握ると、心臓が早くなって、息が詰まる」

 「祈っても、変わらないですか?」

 「神さまは、俺のことまで見てくれない」


 田中はゆっくりと腰を下ろした。


 「祈るのは、後でいいんです。今は、呼吸を整えましょう」


 男が顔を上げる。

 田中は穏やかに続けた。


 「怖いのは当然です。でも、その恐怖は、あなたが生き延びた証でもある。恐れがあるということは、あなたがまだ生きようとしているということです」


 男の肩が小さく震えた。


 「生きようとしてる……?」

 「ええ。では、目を閉じてください。風の音を聞いて。草木が揺れる音も思い出して――」


 肩に手を触れ、ゆっくりとしたリズムで左右に揺らす。

 最初は田中の力で動いていた物が、次第に彼自身の力で揺れるようになる。


 「いいですね。ゆっくりとした動きは、あなたの心と体にリラックスを生みます」

 「……りらっくす」

 「はい。心が落ち着いて、体が楽になって。ほっとするような感じです」

 「ああ……」

 「そのまま。私の声を聞いて。意味を深く考える必要はありません。心地良く聞いてもらえれば大丈夫です」


 呼吸を深く。

 体のリズムは一定に。

 考えるのを止めて。

 頭の中は真っ白に。

 今は、何も、考えない。

 目の前に広がるのは、秋に実る大麦の穂。

 風に揺れる。

 あなたの体も揺れる。


 なんだか、一緒に聞いている奥さんも、ウトウトしているようだった。

 それでいい。

 家族が同じリスムに乗るのは、とても大切なこと。


 刈り取った後の藁の上。

 四肢を投げ出して、休憩。

 秋の高い空。

 穀物への感謝。

 あなたは、満ちている。

 同じ大麦も、同じようには育たない。

 雨の年もあれば、晴れ続きの年もある。

 それでも育つ。


 田中の声が、静かに男の中へ流れ込む。

 荒い息が徐々に落ち着き、握った拳がほどけていく。


 「もう、明けない夜は終わりました。あの時の恐怖は、今はもう遠い記憶です。畑は、あなたのものです。その土を耕す手は、畑を生かす手です」


 男の目尻から、涙が一筋こぼれた。

 それは恐怖の涙ではなく、張り詰めた糸が切れた時に流れる涙だった。


 「……ありがとう」


 田中は微笑み、軽く頭を下げた。


 「朝になったら、外へ出てください。光を見て。土の匂いを嗅いで。それだけでいいんです」

 「わかった」

 「もし少しでも、畑に出るのが怖ければ、また声を掛けて下さい。何度でも協力しますから」


 翌朝。


 陽を浴びながら、男は黙々と土を耕していた。

 奥さんが遠くから見つめ、手で顔を覆って泣いている。

 男は一度だけ手を止め、空を見上げた。

 そして、静かに笑った。


毎日19:10頃更新しています。

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