第17話 祈りと手当て
※カクヨムにも同名のものを公開しています。
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魔狼討伐の騒ぎが収まってから、10日ほどが過ぎた。
祈りの街グライフェナウは、いつもの静けさを取り戻しつつあった。
修道院の昼の鐘が1度だけ鳴る。
その音に合わせるように、灰色の石垣に囲まれた広場では、今日も寡婦の会が炊き出しの準備をしていた。
大鍋の中でスープが音を立て、湯気が白く立ちのぼる。
木皿の山の向こうでは、パンを切り分ける女性たちが忙しなく手を動かしている。
風が吹くたび、鍋から漂う豆と香草の匂いが、広場いっぱいに広がった。
人々の顔には、疲れと安堵が入り混じった表情があった。
重症者の多くは、討伐の当日に治癒術を施された。
修道院や、領主勅命の戦闘に参加した場合、治療院が負った怪我の責任を負うのが、この国の習わしだ。
だから、今ここに集まっているのは、軽い傷を負った兵士や、討伐に参加したという名目で便乗し、無料の治療を受けに来る者たちがほとんどだった。
彼らの腕や脚には、小さな切り傷、擦り傷、矢傷の跡が残っている。
修道士たちの前では、皆が痛みに顔をしかめてみせた。
痛がるほど救われる――。そんな迷信がこの街には根強く残っている。もちろん、修道士たちも顔をしかめていた。いつ負ったかわからない傷の治療をしているのだから。
田中は、その光景を少し離れた場所から見ていた。
向こうから明るい声がした。
「ターナカさん!」
リーナが両手に籠を抱えて走ってくる。
中には、切り分けられたパンと干し葡萄が詰まっていた。
頬にかかった髪を払う仕草が自然で、肌に浮いた汗と、働き者の温かさが滲んでいた。
「持ってきたわ。こっち、配るの手伝って」
「了解です」
二人で人の列を回りながら、椀にスープをよそい、パンを置いていく。
列に並ぶ人々の中には、疲れ切った者もいれば、ちゃっかりおかわりを狙っている者もいた。
リーナはそれを見ても、軽く笑って受け流している。
「みんな、必死なんですよね」
田中がつぶやくと、リーナはうなずいた。
「そうね。でも、必死に生きてるって言葉、悪くないと思うの」
配り終えたあと、二人は釜の前に腰を下ろした。
スープの香りと、風に混じる香草の匂いが心地よい。
「……あなたみたいに、積極的に支えてくれる人、珍しいわ」
リーナが、ふとつぶやいた。
「みなさん、自分のことで精いっぱいだから。こうして誰かの手伝いに来る人なんて、なかなかいないのよ」
田中とカタリナは少し照れくさそうに笑った。
「大したことはしてませんよ。お玉を回してるだけです」
「あたしなんて、顔出してるだけさ」
「でもね、そういう人がいるだけで、助かるの」
リーナの笑顔は柔らかく、少し疲れを帯びていた。
カタリナが横から軽く茶化すように言った。
「まるで神官みたいな言い方をするんだな、リーナさんは」
「そんなことないですよ」
そう言って笑うリーナの顔に、ほんの少しだけ赤みが差していた。
寡婦の会には、様々な女性がいた。
夫を戦で亡くした者。
怪我で働けなくなった男の代わりに、家計を支える者。
なかには、若くして子を抱えたまま、修道院の支援を受けている者もいる。
女性1人で生きていくことは、まずできない。
何らかの理由で夫を失ったものは、夫の兄弟が身元を引き受けたりすることが多い。だが、この街は、度重なる冬季遠征の影響で、男性そのものの数が少ない。
そのため、修道院は残された女性が生きていけるよう、このような会を応援しているのだ。
彼女たちは、修道院の土地を借りて畑を耕し、葡萄や豆、野菜などを育てている。それらを納める代わりに、亡き夫の慰霊と、僅かな金銭の支給を受けていた。
また、巡礼者や貧しいものに施しを行うのも、立派な仕事だ。
宗教の大切な役割である、セイフティネット。それが、この街の中で静かに循環していた。
しかし、その仕組みのどこかにも、どこか歪みがあるように感じる。
修道士たちは祈りと規律を説くが、庶民にとって祈りは日々の糧より遠い。
リーナもカタリナも、その矛盾を感じているのだろう。
昼を過ぎるころには、鍋も空になり、広場の喧騒が落ち着いた。
日差しの中で、リーナが汗を拭いながら言った。
「ターナカさんは、今回の討伐で、怪我とかされていないんですか?」
「ええ、おかげさまで。僕は、後方にいましたしね」
「よかった」
リーナは、ゆっくり。そして優しく微笑む。
「もし、怪我されていれば、早めに治癒の術を受けてくださいね」
「そう……。ですね。一度は経験しておきたいです」
田中は笑う。
現代医学を超える治癒術。自分の怪我が、どのように治るのかはこの目に見ておきたいと思う。
「こんな機会じゃないと、なかなかお願いできませんから」
「あはは。覚えておきます」
「つい先ほども、古い傷が治るかもしれないって言って、並んている人がいました。修道士様が怒っていました。何もしてないのに治療を受けようとしたって」
リーナは、珍しくほほを緩ませながら話をした。
それに田中は少し眉を寄せる。
「治す力は、金で買うものになってるんですね」
「残念ながら、そうです」
彼女は少し考えてから、言葉を探すように続けた。
「本当に大切なのは、体の傷よりも、心の痛みを忘れられる時間のことなんじゃないかと思うんです。ターナカさんと話してると、そういう時間になるから……」
その言葉に、田中は少しだけ息を止めた。
風が吹き、炊き出しの鍋の残り火がかすかに揺れた。
鐘が鳴り、修道士たちが列をなして回廊を歩いていく。
その光景を遠くから眺めながら、田中は思った。
癒やしは、誰のものなんだろう――。神か、人か。
風に混じって、信仰の声がかすかに届いた。
その音は、どこか遠い世界のもののように感じられた。
彼は手のひらを見つめる。
スープの匂いがまだ、指先に残っている。
癒やす手とは何か――。それを考えるには、まだ早かった。
しばらくして、寡婦の会の女たちは、灯の消えた広場で静かに片付けをしていた。
風が吹き抜け、遠くの修道院の塔が、夕闇の中にぼんやりと浮かび上がる。
田中は、その塔を見上げながら、ぽつりと言った。
「……祈ることも大事だけど、生きてる人を救う手が、もっと必要なんだな」
言葉を噛みしめる。
その思いが、彼の胸の奥に、ゆっくりと沈んでいった。
リーナ編が始まりました。
薄幸の女性。影がある女性。いかがですか?
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