【前日譚】田中が、癒やし手になるまでの罪と罰
※カクヨムにも同名のものを公開しています。
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この外伝は、田中がこの世界へ来る前に残してきた、ひとつの過ちと、いくつかの選べなかった選択の物語です。
本編とは直接つながらないため、読むかどうかは皆さんの自由です。
ただ、本編で田中がときどき見せる「迷い」や「優しさの形」が、
どこから来ているのかを知りたい方には、補足として読んでいただけるかもしれません。
必要な方だけ、そっと続きをお読み下さい。
田中が催眠術を覚えたのは、会社の忘年会の余興がきっかけだった。
ほんの出来心だった。みんなが少し笑ってくれれば、それで良かった。
まさか、その軽い一歩が、人の人生を揺らす力になるとは、このときの田中はまだ知らなかった。
最初に術を試したのは、行きつけの店で明るく接してくれるギャルだった。
天真爛漫で、ノリもよく、笑って受け流してくれるタイプの女性。
彼女の反応が良かったことで、田中は「人を楽にできる」と錯覚してしまう。
次に頼まれたのは、忘年会の相方となる職場の後輩だった。
責任感が強く、時に自分を追い詰める子。
彼女が落ち込んでいたとき「少しだけ楽になりたい」と自分から頼んできた。
田中は断れなかった。
その瞬間、誰かの心を軽くする言葉の温度に、田中自身が酔ってしまった。
やがて彼女は、催眠そのものよりも、田中の存在に安心を求めるようになる。
その次に心を寄せたのは、キャバクラで働く清楚な女性だった。
控えめに笑う、丁寧で優しい人。
彼女は日々の疲れを隠すように微笑み、田中の前だけで「少しだけ弱さを見せてしまうんです」と告げた。
田中は、その揺れに気づきながらも寄り添ってしまう。
どれほど危うい行為かも分からずに。
――そして忘年会本番。
催眠術は驚くほど成功し、拍手と笑いの中心に立った。
称賛、肩を叩かれる手、注がれる酒。
いつの間にか田中の胸のどこかが膨らみ始める。
「人を導ける」
「人を楽にできる」
その思い込みが、田中の心を静かに歪めていった。
家庭に悩みを抱える年上の女性が相談に来たときも、強く見える彼女がかすかな震えを帯びて「少しだけ頼りたかった」と言ったときも、田中は線を引けなかった。
またひとり、またひとりと、「支え」を求めて彼の言葉に寄りかかっていった。
そして――その女性の娘までもが、田中を必要としてしまう。
寄りかかれば、離れるときの痛みは深くなる。
田中の曖昧な優しさは、それぞれの心を揺らし、傷つけてしまった。
泣いて距離を置く人。
笑顔のまま姿を消す人。
強がりの裏で崩れていた人。
田中は誰も拒まなかった。
誰も選ばなかった。
その結果、誰も救えなかった。
全部が壊れたとき、ようやく田中は気づく。
悪かったのは催眠ではない。
優しさの形をしていた自分の弱さだったことに。
田中は催眠を封じた。
もう二度と誰かの未来を狂わせないために。
それでも歩き出さなければならない。
痛みを抱えたままでも、今度こそ人を惑わせずに生きるために。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
田中は、誰かを救おうとしたわけではありませんでした。
ただ、誰も傷つけたくないという甘さが、人を深く傷つけてしまった。
その痛みが、彼の中で長い間、静かに沈んでいたものです。
けれど、この過去があったからこそ、
本編で彼が示す「距離の取り方」や「選ばない慎重さ」に、理由が生まれます。
この外伝が、本編での彼の行動を少しだけ違う角度で見せてくれたなら、
それだけで十分です。
ここから先は、田中が「ようやく自分の足で歩き直す物語」が続きます。
どうぞ、このあともゆっくりお付き合いください。




