表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
癒やしを求めたら、奇跡と呼ばれて幽閉されました。  作者: 柊すい
第三章 その香りを、忘れないで

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/57

第15話 夜を歩く女

※カクヨムにも同名のものを公開しています。

------------------------------------------------

 夜の鐘が3度鳴った。

 その音は、川沿いの家々の屋根を震わせながら、ゆっくりと空に溶けていく。


 魔狼討伐の騒ぎが収まってから、まだ2日。

 グライフェナウの街は、もう何事もなかったかのように静かだった。

 祈りの街は、悲しみも戦も、祈りの中に包み込んでしまう。

 田中はそんな街を歩きながら、胸の奥で息を整えた。


 報奨金を受け取り、初めて人並みの宿を取った。

 街外れ、小川沿いに建つ宿〈白燕亭〉。

 旅人のあいだでは「春に燕が戻る宿」と呼ばれ、長旅の終わりに立ち寄る場所として知られているという。


 粗末な外観のわりに、中はよく磨かれていた。

 梁に吊るされたランプの灯りが、木の壁を柔らかく照らし、乾いた藁の香りが、微かに鼻をくすぐる。


 温かい家の香りに田中は、久しぶりに「眠れる場所」に来たのだと実感した。


 宿の主人が差し出した温かい豆のスープを受け取り、窓際の席に腰を下ろす。

 窓の外では、川の流れが銀色に光り、風が柔らかく草を揺らしていた。

 静けさが、耳に染み込んでいく。


 匙を動かしながら、彼はぼんやりと考えていた。


 ――ようやく、まともな飯にありつけた。


 この街に来てからというもの、ろくなものを口にしていない。

 無一文で、食べ物にありつけただけでもありがたい。硬い干しパンと薄いスープ。夜は薄くて味のしない葡萄酒を飲んで、そのまま眠ることも珍しくなかった。


 今、こうして椅子に座り、テーブルに置かれた湯気の立つ皿を前にしていると、体の底から何かが緩む気がした。


 「……うまいな」


 思わず小さくつぶやく。

 味はどうということもない。ただ、塩気がちゃんとあって、腹に染みた。

 生きている実感というのは、案外こういうところにある。

 修道院の炊き出しは、基本薄味だ。

 川には港もあり貿易も盛んだが、なんとなく奥まった土地で、塩が貴重なのだと思う。それに文句は言えないが、その分今日の食事が特別美味しく感じられたのだった。


 スープをすすりながら、彼は天井を見上げた。


 「さて、これからどうしたものか」


 魔狼討伐の報奨金は大きかった。宿代だけなら、しばらく働かずとも暮らしていける。

 これから先、何をするべきか。現代へ帰る方法を模索するのか。それとも、魔狼を従えていたと思われる影を追うべきなのか。

 生活を安定させる必要もある。金が無限にある訳ではない。

 自分の手のひらを見る。

 自分にできること。


 「……人の心を軽くする、か」


 ぽつりと漏れた言葉が、湯気に紛れて消えた。

 癒やしの力――そう呼ばれるものが、どこまで通用するのか。

 過去に催眠術で痛い目を見たこともある。それをもう一度繰り返すのはこりごりだ。もちろん、困っている人がいれば助けてあげたいが、安易に使う物ではないと思っている。


 匙を置き、手を組む。


 「まぁ、贅沢は言わない。せめて、普通に飯を食える日々が続けばいい」


 そう思った。

 まずは生きること。

 その上で、明日も仕事を探し、()()を探していこうと思う。






 その時だった。


 「ねぇ、あんた、ひとり?」


 軽やかな声だった。

 振り返ると、柱に背を預けた女が、微笑を浮かべて立っていた。


 「ええ、まあ」


 田中が答えると、女は少し唇を上げて言った。


 「思ってたより静かな人なのね。魔狼を退けた人って聞いてたから、もっと怖い顔してるかと思ったわ」

 「……そんな大層なことはしてません」

 「ふうん。そういう人の方が、案外本物だったりするのよ」


 女は笑いながら、彼の向かいに腰を下ろした。

 年の頃は20歳すぎ。

 明るい栗色の髪を肩で束ね、首には薄い布を巻いている。

 派手ではないが、身のこなしに自然な艶がある。


 「ミーネって呼ばれてる。……ほんとはヘルミーナ。この辺で働いてるの。宿の人じゃないわ」

 「旅の方ですか?」

 「そうね。宿を渡り歩く商売だから」


 彼女はそう言って、杯を軽く揺らした。

 田中は、その言葉の意味を理解する。

 葡萄酒の赤が、灯の下で揺れる。


 「……あんた、どうやって魔狼をやっつけたの?」

 「人づてに聞いたんですか?」

 「ええ。市場の連中が言ってたの。ただの旅人が魔獣を倒したって。本当なら大したものよ」

 「大げさですよ。僕はただ、運が良かっただけです」

 「ふうん」


 ヘルミーナは顎に手を当て、興味深げに田中を見た。


 「……思ってたのと違うわね」

 「違う?」

 「もっと鼻にかけた人かと思ってた。賞金を手にして、酒でもあおってるような」

 「酒は嫌いじゃないけど、飲む理由がないだけです」

 「理由がない?」

 「ええ。生き延びただけで、もう十分ですから」


 その言葉に、彼女の眉が少しだけ動いた。

 笑っているのに、どこか胸の奥を刺されたような表情だった。


 「……変わってるね、あんた」

 「そうですか?」

 「うん。普通は助けたとか倒したとか言いたくなるもん。あんたは、ただ生き延びたって言う」

 「それが事実ですから」


 ヘルミーナは肩をすくめ、笑った。


 「そういうの、嫌いじゃないわ」


 言葉の調子は軽かったが、その瞳の奥には、人を見抜くような真剣さがあった。


 「……なんか、不思議ね。あんたと話してると、落ち着くの。全然、強そうに見えない」


 田中は少しだけ笑った。


 「それは、きっと見た目通りですよ」

 「ふふ、謙遜してー」


 ランプの灯が揺れ、二人の影が壁に映る。

 そこに生まれた沈黙は、気まずくもなく、むしろ心地の良い間だった。




 ヘルミーナは、ほんの少し笑った。


 「ねぇ、今夜、少し話さない? 静かにね。……ミーナから誘ったんだから、お代はいらないわ」

 「お代?」

 「いいの。話したいだけだから」


 からかうように笑い、彼女は受付の方へ歩いていく。

 帳場の女中に何かを告げ、木桶と布を受け取って戻ってきた。


 「ほら、お湯をもらってきた。ちゃんと温かいうちに済ませないとね」

 「そんなに準備が早いんですか?」

 「仕事だから。……でも、今日は少し違うかも」


 その言葉に、田中は一瞬だけ息を呑んだ。

 ヘルミーナの顔には、微笑みの中に、どこか心の底を見せようとする柔らかさが混じっていた。


 「行こ、どうせ部屋。あんた一人でしょ?」


 田中はうなずき、彼女の後ろ姿を見る。

 ランプの灯が、廊下の壁に長い影を作っている。

 上階へと続く木の階段が、足の下で軽く鳴った。


 〈白燕亭〉の夜は静かだった。

 扉の向こうで遠く誰かの笑い声がして、それもすぐに消える。

 彼女は湯桶を片手に、田中の部屋の前で振り返った。


 「ねぇ、あんた。今夜は、ミーネの話、少しだけ聞いてくれる?」






 肌を拭いた布が乾き始め、お湯がすっかり冷めた頃。

 田中の腕の中で、ヘルミーナがポツリポツリと話し始める。


 「この街はね、夜がきれいなの。でも、誰かと歩く夜は……あんまりない」

 「夜の街って、寂しいものですか?」

 「仕事が終わる頃には、みんな眠ってるもの。残ってるのは、ほんの少しの灯りと……嘘くらい」

 「嘘?」

 「うん。明日も会えるとか、すぐ戻るとか。でもね、そういうの嘘だって分かってても、嬉しいのよ」


 その笑みは、どこか自嘲にも似ていた。


 田中は黙って聞いた。

 振り向くヘルミーナの横顔が見える。


 「あなたはどうなの? 誰か待ってる人、いる?」

 「いません」

 「……そっか」


 彼女は少しだけうなずき、寂しそうに笑った。


 「そういう顔の人、好きよ。泣きそうな目してるのに、泣かない人」

 「泣いたって、何も変わらないですから」

 「変わるわよ」

 「え?」

 「泣いた顔を見て、誰かが優しくなることもあるの。それが、あたしたちの仕事よ」


 微笑み、笑うその声に、確かな誇りがあった。


 「ヘルミーナは、強いですね」

 「強い? 違うわよ」


 彼女は首を振る。


 「笑ってるとね、泣いてたことを忘れられるの。それだけ」




 小さなランプの灯が、壁に淡い影を作る。

 彼女の話は、時々止まり、時々続く。

 でもそれは、田中にとって心地の良いリズムだった。


 旅先で見た風景の話、会った人たちの話、笑って去っていった客の話。

 そのどれもが、夜の香りをまとっていた。

 「ミーナもさ、だいぶ癒やしてきたと思うのよ。正直」

 「癒やす?」

 「男性を」

 「……ああ」

 「ねぇ、ターナカ。人を癒やすって、怖くない?」

 「少しだけ」

 「どうして、そう思うの?」

 「相手の痛みを、自分の中に残してしまうから」

 「……あんた、ほんとに変わってるわね」


 彼女はくすりと笑い、ワインを一口飲んだ。

 灯りの反射で、赤い液体がゆらめく。


 「変わってる人、好きよ」


 その言葉に、空気がわずかに震えた。

 ふたりの間にあった距離が、静かに消えていく。

 何かを求めるでも、誤魔化すでもなく、ただ互いの呼吸の音を感じ合うような静寂。


 ヘルミーナは、窓の外に目を向けた。

 霧が川面に降り、遠くの灯が滲んでいる。


 「もし、もう少し早く会ってたらね」

 「え?」

 「この街に来る前。まだ人を信じられた頃のミーナだったら――。きっと、あなたを選んでたと思う」


 その言葉は、祈りのように静かだった。

 田中は何も言わず、ただうなずいた。


 彼女は微笑んで目を閉じる。


 「……眠くなってきた」

 「いい夢を」

 「うん。あんたの声、子守歌みたい」


 やがて、呼吸が落ち着き、穏やかな寝息に変わる。

 その顔からは、夜の疲れも、仕事の影も消えていた。

 ただ、安らぎの中にいる人の表情だった。




 窓の外で、最初の朝の鐘が鳴る。

 ヘルミーナは、寝返りを打ちながら、小さくつぶやいた。


 「……ミーネ、泣いてないよ」


 田中はその背を見つめた。

 朝の光が、少しずつ部屋を満たしていく。


 毛布を彼女にかけ直すと、白く光る空を見上げた。

 夜の霧は、もう跡形もなく消えてゆくところだった。


個人的に、ヘルミーナは好きなキャラクターです。

木桶を持って上がって、ナニをしたんでしょうね?


毎日19:10頃更新しています。

ブックマーク、評価、リアクション、よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ