第11話 戦う者の背中
※カクヨムにも同名のものを公開しています。
------------------------------------------------
鐘の音が、まだ夜明け前の霧の中で鳴っていた。
普段鳴ることはない時間の鐘に、街全体に緊張が走る。
石畳の路地に、松明の光が並び、人々が黙って見送っている。
討伐隊の出発だ。北門のほうから、馬のいななきと鎧のきしむ音が響いてくる。
門のそばで、カタリナが槍を背負い、鎖帷子の袖を締めていた。
普段見る姿との違い。その重装備に、田中は驚きを隠せないでいる。
いつもの豪快さよりも、どこか静かな緊張をまとって見えた。
「もう行くんですね!」
田中の言葉に、カタリナは口の端だけで笑った。
「ま、街の義理だ。行かないと寝覚めが悪い」
「……無茶はしないでくださいね」
リーナが言うと、カタリナは彼女の肩を軽く叩いた。
「心配性だな。前回より人数も装備も多い。今回はもう少しマシさ」
そう言ってみせた笑顔の裏に、わずかな影があった。
「怪我人は、また出ると思う」
カタリナの低い声に、リーナの表情が固まる。
祈りの言葉を口にしかけたが、声にはならなかった。
「だから、こっちも頼んだぞ。倒れたやつらを、また立たせてやってくれ」
「……はい」
「カタリナ。あなたに神のご加護がありますように……」
リーナは小さくうなずき、胸の前で手を組む。
朝靄の向こうで号令が響く。
討伐隊の列がゆっくりと動き出した。
「カタリナさん!」
「ん? なんだ?」
「首! あと、足首! 厚い布があれば、必ずそれを当ててください! 必ず!」
「ああ、分かった」
カタリナの隊も動き始める。
彼女はもう少し口を動かしていたが、田中には届かなかった。
無言で頭を下げる。
この街では、剣を振るう人だけが戦っているわけではない。
戦場の外にも、もう1つの戦場がある――。
そのことを、ようやく理解し始めていた。
その日、修道院は朝から慌ただしかった。
寡婦の会の女性たちが炊き出しの準備を進め、子どもたちが椀を並べている。
戦に出た家族を心配して、祈りに訪れる人の列が絶えなかった。
田中も薪を運び、水を汲みながら、ふと人々の表情を見ていた。
祈る顔は、不安と希望の入り混じったものだった。
「みんな、戦いの音を聞き慣れてるんですね」
そうつぶやくと、リーナが顔を上げた。
「……慣れてるというより、忘れられないんです。この街では、鐘の音ひとつで、誰かの生死が決まりますから」
その言葉に、彼は何も言えなかった。
祈りとは、心の拠り所であると同時に、現実を受け入れる儀式なのかもしれない。
リーナは炊き出しの湯気の向こうで微笑んだ。
「でも、わたしは信じています。誰かが傷ついても、誰かが立ち上がれる限り、街は生き続けます」
その言葉が、田中の胸に残った。
剣で戦う者、祈りで戦う者、癒しで戦う者――。
彼女もまた、戦士なのだと思った。
2日後の夜。
鐘が、沈んだ音を鳴らした。
北門の方から、ざわめきが起こる。
「帰ってきた……!」
誰かが叫んだ。
田中は思わず駆け出していた。
門の外は、血と泥の匂いで満ちていた。
荷車には包帯で巻かれた兵士たち、そして白布をかけられた体。
松明の炎が、闇の中で赤く揺れる。
その中に、見慣れた髪の色を見つけた。
「カタリナさん!」
リーナも駆け寄る。
彼女の右腕には、布が巻かれている。
「……ただいま」
「無事でよかった……!」
リーナの声が震える。
カタリナはその肩に手を置き、静かに笑った。
「ほら、泣くなよ。泣くと神様にわらわれちまうぞ」
「そんなこと……!」
二人のやり取りを見ながら、田中は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
命を削って戦う者と、それを支える者。
この街の土台は、きっとその両方の「想い」でできているのだ。
治療院の扉を開けると、祈りと呻き声が交錯していた。
松明の光の下、癒し手たちが次々と手をかざす。
掌から金の光が溢れ、裂けた皮膚がゆっくりと閉じていく。
肉が戻り、骨が繋がる。
それは、奇跡と呼ぶほかない光景だった。
「……神様の力なんですね」
田中がつぶやくと、リーナは首を振った。
「はい。祈りは確かに力を持ちます。肉体は蘇ります。……でも、心に負った傷までは癒せません」
リーナの目が、別室の方を向いた。
そこでは、治療を終えたはずの兵士が、震えながら壁に背を押し付けていた。
「黒い牙が……笑ってたんだ!」
「いやだ、もう行きたくない……!」
修道士が祈りを捧げても、男は取り乱すばかりだ。
田中は小さく息をつき、リーナを見る。
「僕にやらせてください」
男は目を見開き、虚空を見ていた。焦点が合っていない。
彼は男の前にしゃがみ込み、穏やかな声を出す。
「大丈夫。ここは安全です。街の中です。闇も牙も、もう遠くへ行きました」
男の目が揺れる。呼吸は荒いままだ。
さらに静かに言葉を重ねる。
「少しだけ息を止めてみましょう。そのほうが、楽になります」
田中の声は届いていないように思えた。
あきらめず、男の呼吸の音に耳を澄ませた。
乱れた息の合間に、微かに震える声が漏れる。
「……まだ、そこにいる……」
男も、声は届いているのか、息を一瞬止めようとする。が、すぐに荒い呼吸に戻ってしまう。
「大丈夫。ムリせず。少しずつ止めている時間を長くしましょう」
呼吸をすることでより苦しくなり、より空気が欲しくなる。
これは、過換気による血中の二酸化炭素量が低下によるものだ。息を止めるのは、これを抑える方法の1つ。本来、紙袋などがあればいいのだが、この時代にそんな便利な物は見当たらない。
なるべく呼吸を止め、血液のバランスを戻す必要がある。戻れば、自然と呼吸が落ち着く。
だが、呼吸をしないと死んでしまうと思っているので、それを少しでも抑えるのは難しい。
田中は、男の口元を覆うように手を当てる。
なるべく自分の呼気を吸わせるためにだ。
「次は、息を吸って。できるだけ、止めて。……吐いて。ゆっくり。そう!」
同じことを、同じ言葉を。一生懸命に伝える。
繰り返すことで、男も少し冷静さを取り戻しつつあるようだった。
「大丈夫、安心して。ここは、あなたの街。私が、ゆっくり声を掛けます。だから、あなたもゆっくり呼吸をする事ができます。そのたびに、あなたの心の中の黒い影は風に溶けていき、遠くへ消えていきます。あなたの中の光が、どんどん大きくなり、心が軽くなっていきます……」
男の喉がひくりと動き、少しずつ呼吸が浅く、静かになっていく。
恐怖の波が引くたび、目に戻ってくる人間の焦点。
田中はようやく、男の心が現実へ戻ってきたのを感じ取った。
男は、頬に涙の筋を残しながら、静かに眠りに落ちたようだった。
リーナが息を呑んだ。
「……神の癒やし手、ですね」
「いや、ただの応急処置です」
「でも、あなたの言葉には祈りを感じました」
リーナの瞳が、蝋燭の光を受けて柔らかく揺れた。
信仰の中に、人への敬意が混ざっていた。
夜が更ける。
修道院の鐘が、亡くなった者たちの名を告げるように鳴った。
リーナは蝋燭を灯し、祈りの間で手を組む。
カタリナは静かに頭を垂れ、田中は外の風に耳を澄ませていた。
遠く、北の森から、魔狼の遠吠えがかすかに聞こえる。
「……戦いは、まだ終わっていない」
田中のつぶやきが、静かな夜に溶けて消えていった。
魔狼じゃなくて、熊にするべきだったか!
毎日19:10頃更新予定です。
ブックマーク、評価、リアクション、よろしくお願いします!




