第5話 試合の果てに、見えた景色
雪が、静かに舞っていた。
村の訓練場は、冬の朝の冷気に包まれている。地面はうっすらと白く、吐いた息は白く凍る。アシサノは道着の上から羽織った外套を脱ぎ、ゆっくりと深呼吸した。
今日の試合に勝てば、この村の“中等練士”として認められる。つまり、正式な剣士として修行を続ける資格が与えられる。逆に負ければ、ここを追い出される可能性もある――そういう、簡単じゃない勝負だった。
対戦相手は、村の青年剣士の一人。名をカイ=フロス。年は十九。アシサノより二つ上で、体格もよく、過去には傭兵として辺境の砦を守っていたこともあるという。
「名前、聞いたことはある。けど、話すのは初めてだな」
試合前、木剣を持った彼が、ぽつりと口を開いた。
「……あんたが、元“聖女”なんだろ?」
「うん。ま、元、ね。今はただの剣修行中」
「それで十分だ」
彼は、にやりと笑って構えを取った。
「来いよ。聖女さん。お手並み拝見ってやつだ」
* * *
木剣の先端が、雪の舞う空気を切り裂く。
先に仕掛けたのはアシサノだった。スピードで勝負するしかない。間合いを測り、相手の剣の届くギリギリの場所から、踏み込む。
――カンッ!
木剣と木剣がぶつかる音が、朝の空気に響いた。
「悪くない!」
カイの剣は重い。一発で木剣を弾かれたアシサノは、素早く回り込むように横へ動いた。けれど、相手の足運びも速い。
「やるな、“元”聖女!」
「その呼び方、やめてってば!」
返事の代わりに、カイの振る木剣が風を裂く。
アシサノは低くしゃがみ、避けた。そして、すぐに跳ねるように立ち上がり、わき腹へ一撃を放った――!
――ガッ!
直撃。けれど、カイは一歩も引かなかった。むしろその反動を使って、アシサノの正面に立つ。
「――うっ!」
振り下ろされる木剣。間一髪で防御。両腕が痺れる。
勝負は、五分。
――でも、体力差がある。
このまま持ち込めば、不利になる。決めるなら――次だ!
* * *
息を整える暇もないまま、アシサノは足を使って回り込む。相手の死角を狙って、今度こそ――!
「甘い!」
読まれていた。逆に足を狙われ、アシサノは体勢を崩した。
倒れそうになる瞬間。
――ダメだ。まだ、終われない!
地面を蹴って体をひねる。その反動を使って、最後の一撃を振り抜いた。
――ドンッ!
先に肩を打ったのは、アシサノの木剣だった。
審判役のヴァルドが、静かに右手を上げる。
「勝者、アシサノ=ヴィルカ」
* * *
膝をつきながら、アシサノは息を切らした。手は痺れて、指の感覚も薄い。
「……勝った、の?」
「そ。一本取られた」
カイが、さっぱりとした顔で手を差し出してくる。
「面白かったぜ、聖女ちゃん」
「だから、その呼び方はやめ――……もう、いいや」
思わず、笑ってしまった。
ヴァルドが近づき、静かに告げる。
「これでお前は、正式な剣士見習いとして認められる。“中等練士”の称号だ」
「……ありがとうございます」
肩書きなんて、もうどうでもよかった。けれど、“認められた”ということだけが、今のアシサノには何より嬉しかった。
「ただの元聖女が、ここまでやれるとはな。お前、本物だよ」
ヴァルドがそう言った時、雪はやんでいた。
雲の切れ間から、冬の陽が差し込んで、訓練場を銀色に照らしていた。
* * *
その日の夕方、村の小さな宴が開かれた。
囲炉裏を囲んで、温かいスープと、香ばしい肉の串焼き。普段は無口な村の男たちも、今日は珍しく笑っていた。
アシサノは、湯気を立てる木の椀を両手で包みながら、心の中でふと思った。
――王都を出てから、私はずっと“ひとり”だった。
でも今、ほんの少しだけ、“誰かと一緒にいる”って感じがする。
カイがどこからか薪を運んできて、笑いながら言った。
「それにしても、やるじゃん。負けたの、久しぶりだ」
「ありがと。あんた、強かったよ」
「ま、俺はもうすぐ村を出るけどな」
「えっ?」
「今度、剣試合の大会が西の方であってな。出てみようと思って」
ふと、心が動く。
「アシサノ、お前も来いよ。今の実力なら、予選ぐらいは通れる」
「……行っても、いいのかな」
「聖女だろうが平民だろうが、関係ねぇ。戦うやつは、みんな同じ“剣士”だ」
その言葉に、アシサノはゆっくりと頷いた。
新しい景色が、見えてきた。
王子の婚約者に追放され、聖女の称号を奪われ、全てを失ったと思っていたあの日。けれど今――ほんの少しだけ、胸を張って言える。
「私は、もう一度ここから、始める」
炎のゆらめきの中、少女の瞳は、まっすぐ前を見ていた。