第4話 旅立ちと、剣の里
王都を出たのは、曇り空の朝だった。
剣の道を目指していたはずが、気づけば“聖女”と呼ばれ、そしてその称号すら奪われた。学園も、居場所も、すべてを失って。それでも、アシサノの足は止まらなかった。
「……平民舐めるな、って、あのとき言えばよかったなぁ」
荷物を背負って、一人歩く未舗装の街道。道の脇には草が揺れ、ところどころ霧が立っている。季節はもうすぐ冬。朝の空気が、ひりつくように冷たい。
――けど、まだ終わってない。
ポーチの中には、たった一つだけ残してきた銀製の短剣。かつての師匠、田舎村の片隅で剣を教えてくれたお爺さんがくれたもの。
「ほんとの“強さ”ってのは、勝ち続けることじゃねぇ。“折れねぇこと”だ」
あの言葉を、今なら少しだけ、わかる気がする。
* * *
数日後。道中で出会った旅商人の荷馬車に乗せてもらいながら、アシサノがたどり着いたのは、山深い村だった。
「ここが、“リュデルの谷”……」
地図にも載っていない、山の民たちの里。剣士の隠れ里とも言われるこの地に、かすかな希望をかけてやってきた。
村の入口には、年季の入った木製の門。その前で棒を持って見張っていたのは、髪を一つに束ねた、鋭い目つきの青年だった。
「用がないなら帰れ。ここは旅人を受け入れる場所じゃねぇ」
「剣を、学びたいんです」
言った瞬間、彼の目が鋭く光る。
「女の子が“剣を学びたい”? どっかの遊戯剣術学校と勘違いしてねぇか?」
「遊びじゃない。本気です。何もかも失ったけど、剣だけは、まだ捨てたくないんです」
数秒の沈黙。やがて青年はふっと鼻を鳴らし、門を開けた。
「……入れ。話だけは聞いてやるよ」
彼の名前は「ヴァルド=グレイアス」。この里で剣術を教える師範代らしい。無愛想だけど、話は通じる人だった。
「この村には、世捨て人みたいな奴らばっかりだ。王都で裏切られた奴、仲間に見捨てられた奴、戦場で全部壊された奴……いろんな“元”が集まってる」
「“元”……?」
「元騎士、元傭兵、元殺し屋。お前みたいな“元聖女”でも、別に驚かねぇよ」
――見透かされてる。
だけど、それが逆に気持ちよかった。ここでは肩書きなんか関係ない。ただ、“今、何ができるか”だけを見てくれる。
「訓練を受けたければ、まず体を作れ。朝は日の出前に起きて、山道を五往復。食事は粗食。剣は午後から。倒れても泣くな。泣いたら放り出す」
「わかりました」
その夜、アシサノは村の訓練舎に通され、布団と木剣を渡された。床は硬くて寒い。でも、心のどこかは、ほんの少し温かかった。
* * *
翌朝、訓練が始まった。
山道の駆け上がりは想像以上にきつく、足はすぐにパンパンに張った。昼には握力がなくなり、木剣を何度も落とした。
それでも。
「一本……一本……!」
剣を振る。振り続ける。吐きそうになっても、足がもつれても、やめなかった。
「なんでそこまでやる?」
訓練の合間、ヴァルドが珍しく声をかけてきた。
「別に……意地です。負けたまま終わるの、嫌だから」
「負けたことがあるのか」
「ありすぎて数えきれないです」
ふっと笑われた。
「それならいい。“負けを知ってる剣”は、強い。無敗の奴よりずっとな」
その一言が、どこかに染みた。
* * *
訓練の日々は過ぎていく。
夜は満天の星空の下、火のそばで体を温めながら、里の人々と話す時間もあった。
「剣って、技術だけじゃないのね」
「気配、呼吸、感情。全部を読むのが“間合い”だ。剣は“感じる力”だ」
最初はただ振るだけだった木剣が、少しずつ自分の延長になっていく感覚があった。
そして、一ヶ月後。
ヴァルドがぽつりと告げた。
「……アシサノ。次の試験、受けてみろ。ここの“中等練士”として認めるかどうかの実戦試合だ」
「受けます」
答えは決まっていた。
「けど手加減はしねぇぞ」
「望むところです」
かつて、聖女と持ち上げられて、何も知らずに流されていた自分には、もう戻らない。剣を通して、はじめて“自分の足で立ってる”気がした。
試合の日、雪がちらついていた。
アシサノは、震える手で木剣を握りしめた。
でも――逃げる気は、なかった。