結婚の継続
今回はパッと思いついたものを書いただけなので、細かいところはふんわりです。気にせず読んでいただけると幸いです。
「…わたくしを妻に、ですか?」
唖然として問い返す相手は旦那様。
この場合の旦那様とは、雇い主のという意味。
だから、絶対に「君を妻として迎えたい」などというセリフが出てくるはずはないのだ。
しかし、この旦那様は私に向かっていったのだ。…聞き間違いじゃなければ。
…ん?聞き間違えたか?
「そうだ。突然ですまないが、君に妻になってほしい」
「…だれの?」
旦那様に対してあまりにもフランクな言葉遣いになってしまった。
「私の。…まさか、他に結婚の約束をしている人がいるのか?」
「いえ、そうではないですが」
「では、心に想う人がいる?」
「いえ、おりませんが」
「では、問題ないだろう」
「問題しかないですね。」
「なぜ」
「…わたくしが、亡き奥様付きの侍女だからですかね」
そう、わたくしマリアナ・サーベンティスは、今は亡き奥様フローナ様お付きの侍女なのである。
フローナ様にはわたくしが13歳のころよりお仕えしていました。
フローナ様はコロセオ公爵家のご長女としてご生誕されました。
その侍女として行儀見習いもかねておそばにおいていただいたのが、わたくしでした。
わたくしも一応貴族というくくりには身を置いていますが、常であればフローナ様とはお話もできないような身分です。しかしフローナ様はなぜかわたくしを特に気にかけてくださり、こうして結婚された後も侍女としてお仕えすることができたのでした。
しかし、フローナ様がお亡くなりになり、フローナ様付きの侍女としての仕事はなくなってしまいました。
わたくしももう26歳となり貴族の娘としてはいささか結婚適齢期をすぎている気がいたしますが、それでも探せば全くないというわけではないでしょうから、一度実家に帰り今後のことを両親に話さねばと思っていた矢先、旦那様から求婚(?)されたのでした。
「あの、旦那様。わたくしを妻にとおっしゃいましたが、わたくしではなくほかの女性をお探しになったほうがよろしいのではないでしょうか」
「なぜ?」
「わたくしの年齢もそうですが、なにより亡き奥様付きの侍女なのです。その侍女を娶るとなるとあらぬ噂が立ちかねません」
「ふむ。例えば?」
「…奥様の生前より愛人関係にあったのではないか、とか。」
「そのような事実はないから問題ない」
「それはわたくしが一番わかっています」
「あとは?」
「わたくしと旦那様の身分が違いすぎます」
「君は子爵令嬢だろう。貴族だ。問題ない。」
問題大ありだ。しかし、旦那様の爵位がわたくしより上であるため無下にも断れない。
「それに、きみにはマシューの世話も頼みたい。マシューは君になついてるだろう。」
マシュー様は現在3歳になるこの家の後継ぎだ。
つまりフローナ様の忘れ形見であり、旦那様の息子にあたるお方だ。
マシュー様については、確かにわたくしも気がかりになっていた。
マシュー様は天使のような愛らしいお顔の方なのだが、いささか人見知りをされてしまい見知らぬ人に慣れるのに時間がかかるのだ。
それに今はまだ母親が恋しい時期であるが、お母さまであるフローナ様が亡くなりお側で支えて差し上げる必要があるだろう。
「…マシュー様のことはわたくしも気にはなっておりました。ですが、そばでお世話をさせていただくだけであれば、侍女のままでも十分勤めは果たせると思います。」
「だが、そうなればいずれ私のもとに新しい妻を娶れと言ってくるうるさい連中がいるだろ。」
「わたくしは風よけですか。…はぁ、わかりました。ではマシュー様にお世話がいらなくなるまでの間、旦那様の新たな妻として役割を果たさせていただきます」
「あぁ、よろしく頼む」
ふっと柔らかく旦那様が微笑んだ姿を見たのは、恐らくこれが初めてでした。
妻になることを了承したものの、わたくしの心はもやもやと暗い影が覆っています。
フローナ様が今のこの状況を見たらなんと言われるのでしょう。
フローナ様はこの家に嫁いで来られて毎日幸せそうでした。
旦那様がいて、可愛いマシュー様にも恵まれいつも楽しそうでした。
しかし、フローナ様はもともとお体が丈夫なほうではなかった。
ある日風邪をこじらせてあっさり逝ってしまわれた。
風邪の間はずっとフローナ様のお側で懸命に看病した甲斐もなくあっけなく。
変わって差し上げたいと何度思ったか。
願いは届かなかったけれど。
床に臥せっていたフローナ様に言われたのだ、「旦那様とマシューを頼んだわ」と。
まさかフローナ様もわたくしが妻となることを予想してはいなかっただろうが、引き受けてしまった以上はやり遂げなければならない。
こうしてフローナ様の喪が明けた翌月にわたくしたちはひっそりと結婚式をとりおこなった。
そしてそれから10年の年月が経った。
マシュー様も大きく成長されもう、わたくしの手は必要ないでしょう。
これまで大変なことも多くありましたが、旦那様と力を合わせなんとかここまで来られました。
「旦那様、これまで大変お世話になりました。マシュー様も立派に成長されもうわたくしはお役御免になりました。そろそろ田舎に引っ込もうと思っております。」
「君が妻になって10年か。長かったな。」
「はい。マシュー様の成長を見られたこと本当に感謝しております」
「ではこれで、君と結婚するときに言っていた『マシューが世話を必要としなくなるまで』という契約は達成した、ということだな?」
「はい」
旦那様とは不敬ながらも戦友のような関係になれたのではないだろうか。
わたくしの人生の中での最初で最後の旦那様。
この人が旦那様でよかったと心から思う。
旦那様と最後に握手でもしようと近寄ったその時、すっと旦那様が視界から消える。
いえ、消えたのではない跪いているのだ、わたくしにむかって。
「なにを」
「では、改めて再度求婚したい。」
「え?」
「君を愛している。だから、このままずっと私の妻としてそばにいてほしい」
「なに言って、」
「頼む」
真剣な目をしてそう言ってくる旦那様から目をそらせない。
こんなことを冗談で言うような人ではないことはこの10年でよく分かっている。
であれば、本当に?
「フローナ様に申し訳がたちません」
「フローナ?」
「フローナ様の大切な旦那様とマシュー様のお側においていただいただけでも幸せでしたのに、これ以上お側にいて幸せになるなんて。本来であればこの幸せはフローナ様のものでしょう?」
「マシューはともかく、フローナは俺のことはそんなに大切には思ってなかったと思うが」
「っそんなこと!」
「いや、本当なんだ。」
ふっと旦那様が笑う。
旦那様と結婚してからこの柔らかく微笑む顔を見る機会が増えた。
そこに悲しさはない。
「フローナと結婚する前の話をしようか」
旦那様に導かれて椅子に座る。向かい合うように座った旦那様は少し考えるように顎に手を当てながらはなしはじめた。
「フローナとはまぁ、言ってしまえば契約結婚だった」
「え?そのようなお話は一度も…」
「まぁ、聞いていなくて当然だろうな。フローナは君を大事に思っていた。」
「はい、本当の姉妹のようにそれはよくしていただいて」
「うん。だけど、フローナにとって君は姉妹以上の関係を望んでいたんだよ。」
「姉妹以上?」
「そう、言ってしまえば愛していた。」
「あい…?」
「だけど、この世の中貴族子女が避けては通れないのが結婚だ。フローナは君を侍女として一緒に嫁ぎ先に行くことで、君をそばに置いておくことに決めた。」
「そんな…」
「そんな時にであったのが俺だよ。気が付かなかっただろうが、俺ははじめは君に求婚するつもりだったんだよ。」
「えぇ?」
入ってくる情報の多さに追いつけない。
「だけどそれをことごとくフローナに邪魔されてね。あまりにも邪魔するからもしかして、と思って聞いたんだよ『君もマリアナを愛しているのか』ってね。そうしたら『そうよ、何か文句でもあるの』って言われたんだ。それにはさすがに驚いたが、納得もした。けれどフローナが君のそばにいる以上、俺は君に求婚できない。だから俺はフローナにある提案をした。」
「提案?」
「俺とフローナが結婚して、マリアナを侍女として連れてくる。フローナと結婚している間、俺はマリアナに手を出さないが、もしフローナか俺のどちらか相手より先に死んだら、残ったほうがマリアナを幸せにする。ただ世間から疑われないように夫婦生活はつつがなく送ることが条件だった。」
「そんな…。」
この結婚にそんな裏話があったことは当然マリアナは知らない。
だけど、そんな当人の意思のないところで重要な話し合いはされていた。
「君の意思を確認しなかったことは反省している。しかし、当時は俺もフローナも君を手に入れることしか考えられなかった。そのためにお互いが邪魔なこともわかっていたが、君に対しての気持ちを一番に理解できるのもまた同じ存在だった。そして俺たち夫婦は君を生涯侍女として一番そばに置く権利を得ることができた。」
そこまで話終えたところで、ふっと旦那様の表情が曇った。
「フローナは死んだことで君の中に生涯美しく生き続けている。俺は、フローナに絶対勝てなくなった。そんなの悔しいだろ。でもどうしようもなかった。だから君の体だけでも手に入れようとマシューの存在を利用して結婚を申し込んだ。」
確かにフローナはマリアナの心に残り続けている。けれどそれは尊敬と憧憬によるものだ。
愛はまだ知らない。
「これまで君に隠れて卑怯なことをしてきたこと申し訳なく思う。すまない。」
深々と旦那様が頭を下げる。
「旦那様、頭をお上げください。突然のことになにがなんだかまだ理解できていないのです。」
「うん、そうだね。君が困惑していることはわかってるんだ。だけど俺は卑怯だから、君が困惑している隙に付け込みたい。…これからも妻として俺のそばで生きてほしい。」
眉をさげながらほわほわと笑う笑顔には邪気のなさそうに見えるのに、言っていることはとんでもない。
「もちろんそうなれば、君とはちゃんと夫婦になるわけだから寝室も一緒にするし、もちろんそういうこともする。できるなら四六時中一緒にいてドロドロに甘やかしてあげたいし、離れたくないとも思ってる。」
「どうしましょう。一気に離婚に気持ちが傾きました。」
「はは。君が離婚したいならそうしてもいい。ただ一人の男が命を絶つだけだよ。」
「その男とは…」
「もちろん俺。」
「おっっっっも」
にこやかに笑う目の前の男の目にはにわかに狂気がにじんでいる。
これでは選択肢があってないようなものだ。
マリアナは善良な心の持ち主なのだ。
「さぁ、マリアナ。俺とどうなりたい?」
はぁ。と一つ深いため息をつく。
「…結婚の継続を。」
書きながら、きっとフローナ様は旦那様にマリアナとの仲を見せつけたりして、楽しんでたんだろうなーとか、フローナ様と旦那様はライバルのような戦友のような関係を保っていたと思うので、フローナ様視点も面白そうだなとは思いましたが、難しそうなので断念しました。