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第一章 ~『剣道部の立川』~


 坂本の体調が回復したことを確認した僕は、誰もいない夕暮れの道を一人歩いていた。


「それにしても面倒な人に目を付けられたな」


 僕には僕の人生がある。日陰者が誰しも日の当たる場所を望む訳ではないのだ。


 僕は坂本についての扱いをどうすべきかと思案していると、我が家へと辿りついていた。何の変哲もない中流階級のマイホーム。二階建ての戸建て物件は僕が生まれた頃から過ごした生家である。


「ただいまー」


 扉を開けて帰宅すると、玄関に剣道道具が置かれていた。『使わないなら片付けろ』というメモ書きも添えられている。その見慣れた字から、母が書いたのだと知る。


「あ、兄さん」


 リビングに妹の咲がいた。茶色に染めた髪と、小柄な身体、そしてつぶらな瞳はまるで柴犬のようだ。


 咲はスクールカーストの最上位に位置する人気者で、本当に僕と同じ血を引いているのか疑わしいほどだ。一度母親に父親が違うのではと訊ねたことがあるが、たんこぶができるほど頭を殴られたのは懐かしき思い出である。


「兄さんにお客さんだよ」

「お客? 僕にお客なんているものか」

「知り合いゼロ、友達ゼロ、恋人ゼロの三つのゼロを信条としている兄さんに、人が訪ねてくるなんて、私も気絶しちゃいそうなくらい驚いたけど、現実に兄さんのお客さんがいるの」

「きっと訪問販売か何かだ。帰って貰いなさい――」

「ま、待ってくれ。俺の話を聞いてくれ」


 リビングの椅子に腰かけていた男が立ち上がる。眼鏡をかけたインテリ風な男だが、肩の広さや二の腕の発達具合からスポーツマンだと分かる。身長も見上げるほどに高い。


「俺は立川。剣道部の部長だ」

「剣道部の……」

「今日お邪魔したのは他でもない。才谷くん、俺は君が欲しいんだ」


 立川の言葉に空気が固まる。ピリピリした雰囲気が場を支配した。


「……兄さん、人生初告白だよ。今日の晩御飯は赤飯だね」

「勝手に決めつけないでくれ。幸いにも告白は二度目だ」

「嘘でしょ!? 兄さんを好きになる女性なんて、この地球に存在するはずが……」

「本当だ。しかも学園一の美女から告白された」

「兄さんがぁ~」

「冗談で言われただけだと思うけどね」

「だよねー、兄さんにはこのまま童貞街道を進んで貰わないと、私が困るもの」


 僕が童貞を貫くことで咲にどんな利があるというのか。聞きたい衝動に駆られるが、きっと聞いたら後悔することになるので止めておいた。


「さ、才谷くん、冗談はそこまでにしてくれ。剣道部の部長である俺が誘っているのだ。それは当然、剣道部に入部してくれということだ」

「…………」

「君のことは高等部でも噂になっていたよ。小・中と無敗の強さを誇った天才剣士だとね。才谷の名を聞けば誰もが震えあがったとも聞いている」

「…………」

「我が校の剣道部は年々強くなっているが、それでも最上位に君臨する怪物たちにはいまだ及ばない。なら怪物には怪物だ。君が剣道部に入ってくれれば――」

「お断りします」

「才谷くん!」

「僕は剣道部に入るつもりはありません」


 濁しては相手に希望を抱かせてしまう。僕の意思は固いと、きっぱりと断った。


「未練はないのかい?」

「ありませんよ」

「本当にそうかな。君の目はいまだ剣士の目だ。俺には剣を捨てていないように見えるがね」

「……仰る通り、僕は剣を捨てていません。ですが剣道部では満足できる相手と出会えませんから。お断りさせていただきます」

「ぐっ……勿体ない。君なら、あの男にさえ勝てたかもしれないのに」

「あの男?」

「君と同じく無敗の男。誰にも敗れたことのない、もう一人の天才だ」

「天才ですか……」

「俺はこれで失礼するが、もし興味が湧いたらいつでも剣道部へ来てくれ。部を上げて君を歓迎する」


 剣道部には入部しないと目で告げると、立川は頭を下げて帰宅する。その背中を妹の咲は名残惜しげに見つめていた。


「兄さん、勿体ないことしたね」

「そうかな?」

「そうだよ。だって兄さん、根暗のくせに勉強ができないエセ真面目人間なのに、剣道だけは得意じゃない。トロフィーや賞状も数知れず。このまま剣道を続ければオリンピックにも出られたかもしれないのに」

「オリンピックに剣道はないよ」


 武を重んじる剣道をスポーツ色の強いオリンピック種目にするのは反対する者も多い。特に剣道経験者が強く反対しているため、オリンピック種目に選ばれるのは絶望的だとさえ言われている。


「兄さんは本当に剣道を止めてよかったの?」

「そこに後悔はないよ。なにせ誰も僕には敵わなかった。スライムしか出てこないRPGをして、そこに楽しさがあると思うかい?」

「それはそうかもしれないけど……」

「それにもっと刺激的な遊びを見つけたんだ」

「まさか兄さん、グレたの?」

「どうだろうね……」


 僕ははっきりと質問には答えず、二階にある自室へと戻る。机の上にある龍馬の伝記本を手に取ると、ベッドの上に寝転がった。


「坂本龍馬は嫌いだが、この幻覚遊びはやめられないな」


 僕は意識することで龍馬の人生を追体験することができるが、体験する時間と場所は自由に選べるわけではなく、意識を集中させるためのトリガーによって変わる。


「本だと狙い通りの時間と場所に行ける可能性は低いけど、今回は人斬りと戦ってみるとしよう」


 僕は本のページを捲り、岡田以蔵と戦う場面を広げる。真剣を使った殺し合い。それこそが僕の望むものだった。


「頭が……」


 意識が白く染まっていく。蛍光灯の輝く天井が歪み始め、僕の意識は夢の中へと飛ばされるのだった。



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