小侯爵夫妻は子育てに悩む
侯爵とミケが酒を酌み交わしていた頃、同じ屋敷の別の部屋ではエドワードと妻が対峙していた。
「それは私の育て方に問題があるということでしょうか?」
「そうじゃない。リズを責めているわけではないんだ」
「ですが、これまで一度だって貴方の口から子供たちの教育について話をされたことなどないではありませんか」
「それはリズを信頼して任せてきたからだ」
「信頼されなくなったということなのですね?」
「違う。ただ、多感な時期の男子のことは、母親の手に余ることもあるだろうと」
何について言われているのかに気付いたエリザベスは黙らざるを得ない。
「……私が至らず申し訳ございません」
「こればかりは男子でなければわからないことも多いと思う。今までまかせっきりにしていたことを反省したよ」
「いえ、そういうこともあるということは、実家の乳母から聞き及んでおりました。ですが、まさか使用人の私物に手をつけるような真似をするとは…」
エリザベスはとうとう涙を流し始めた。肩を震わせて泣いている妻を放っておけず、エドワードは彼女を抱き寄せて背中を優しく撫でた。
「リズはよくやってくれてる。私が君に甘えて子供たちに構わな過ぎた」
「ですが盗みを働くなど…なんとも浅ましい……」
「その件は私がアダムと話をしてみるが、たぶん盗みを働きたかったわけではなく、自分の衝動を後ろめたく感じつつも、抑えることができなかったんだと思う」
「女性に興味を持ったのであれば、もう少し別の行動もあるかと思うのですが…」
「おそらく家族に知られたくなかったのだろうね。特に母親や妹に知られて嫌われるのが怖かったんだろう」
「そういうものなのでしょうか」
「実際にアダムと話してみないと正確なところはわからないけどね。でも、このまま放置するのは良くないと思う。あの年頃のそういう衝動は自然なことだし、悪いことだと思って欲しくないんだ」
「男子にとっては悪いことではないのですね。私は女子でございましたので、そういったことは慎みのないことだと教わるのです」
エリザベスは顔を赤らめつつ夫に尋ねた。
「うーん、男女差はあると思うけど、男女どちらにとっても重要なことではあるだろう? そういう衝動が無ければ、どうやって次代に繋いでいくんだい?」
「淑女教育では、そういうことは夫にお任せするよう教わりますから」
「だけど世継ぎを作った後に愛人を持つ貴族は女性にもいるだろう?」
「そういう方もいらっしゃいますが、私はあまり興味がなく……」
「それは良かった。自分の妻が他の男性に寄り添うのは面白くないからね」
「もちろん次期グランチェスター侯爵夫人として、夫の恥になるようなはしたない行動はいたしませんわ」
『私にだけなら、はしたなくてもいいんだけどな』
などと考えてしまうあたり、侯爵が指摘した通りエドワードはムッツリかもしれない。
「まぁ狩猟大会も近いことだし、その前にはアダムと話をしておきたいね。できれば他の子たちとも」
「他の子ともですか?」
「サラの件についても少し、ね」
「!?」
腕の中で妻の身体が固くなったことにエドワードは気付いたが、その理由をエドワードは理解することができない。
『やっぱりサラが平民だってことが気に入らないのか』
「領地に行けばあの子たちもサラに会うことになる。父上も気付いていることだし、同じことを繰り返すようであれば今後に支障があるだろう」
エリザベスは夫の腕から身体を起こし、相手の目を見つめ返した。
「義父様に何か言われたのでしょうか?」
「父上も気づけなかったことを悔やんでおられた。それは私も同じだ」
「エドもそうなのですね…」
「勘違いしないで欲しい。リズのせいであの子たちがサラをイジメたと思ってるわけじゃないんだ。ただ、気付いていたら止めることができたはずだと後悔しているだけだ」
「申し訳ございません。私は気付いていながら止めませんでした。あの子たちが貴族としての矜持を持って、サラに接しているのだと思っており……いえ思い込もうとしたのかもしれません」
エリザベスの声が小さくなっていく。
「私はサラが好きになれませんでした。平民だからと自分に言い訳をしてはおりましたが、まだ8歳だというのに美しすぎる容姿も、どこか遠いところを見ているような目も。あの子の目を見るたび、こちらの醜い思惑が見透かされているような居心地の悪さを感じてしまうのです」
「私もサラが気に入らなかった。あの子はアデリアに似過ぎている。あの子を見ると、アーサーと駆け落ちした時のアデリアを思い出してモヤモヤとした気持ちになるのだ。あの子に罪があるわけではないのに」
エドワードは妻の肩を抱いて、自分の方に抱き寄せた。
「サラはここにいる間に魔法を発現していたそうだ」
「えっ!」
「故に祝いとして昔アーサーが魔法を発現した時に受け取った土地を、ロバートがそのまま譲ったそうだ。どうやら弟の方は姪と仲良くやっているようだ。まぁガヴァネスの前で格好つけたかっただけかもしれないが。なにせあのレヴィだから」
「ですが魔法を発現したということであれば、私たちの養子にすべきではありませんか? 貴族家にとって魔法の発現は放置できることではありません」
「父上はそれをお望みではない。できればロバートの養女にしたいとお考えだ」
「何故です? 平民の血を引いているとは言え、彼女がグランチェスターであることは間違いありませんし、傍系よりは直系の養女とすべきなのでは?」
顎に手をやりしばしエドワードは考え込んだ。
「私はあまり頭が回る方ではないから、この辺りの機微はリズの方がわかるかもしれないね。もしかしたら、父上は子供たちの教育に懸念をお持ちなのかもしれない。あるいは別の理由かもしれない。よくわからないんだ」
「義父様から何か言われたのでしょうか?」
「不思議なことに彼女が発現したのは、グランチェスターの火でも風でもないんだ」
「なんですって?」
「正確には、火と風以外にも水と土を発現したそうだ」
「!?」
「最初に発現したのは水属性で、どうやら私たちの子供たちがサラを池に突き飛ばしたことが原因らしい。溺れかけたサラは身を守るために魔法を発現したのだそうだ」
「そんな! イジメといってもせいぜい言葉をかけるくらいかと!」
「しかも、池に落ちたサラを助けることなく彼らはその場を立ち去ったらしい」
「魔法が発現しなければ、死んでしまうではありませんか! もしや、あの3日程寝込んだ時のことでしょうか?」
「そうらしい」
どうやらショックのあまり、エリザベスは軽いめまいを起こしてしまったらしい。浅い呼吸を繰り返す妻を見兼ねて、エドワードは彼女のドレスをくつろがせてコルセットの紐を緩めた。
「大丈夫かい?」
「……大丈夫ですが、随分手慣れておりますわね」
「まぁ、いや、その…」
『まさか結婚前にいろいろ練習したことがあるとは言いにくいよな』
そうエドワードはエリザベスと結婚が決まったとき、いざというときに手間取ることのないよう練習していた。娼館などで練習したわけではなく、ドレス用のトルソーを相手に黙々と『自習』である。お陰で脱がせるだけでなく着せる方もバッチリだ。これを婚約後、初めて二人きりでデートする直前にやっていたことを考えると、やっぱりエドワードは間違いなくムッツリである。
なお、教師役は母親のメイドをこっそり買収した…つもりでいたが、当然エレオノーラにはモロバレであった。エレオノーラは、『練習したところで、実際にリズを前にしたら何もできないから大丈夫。好きなようにさせておきなさい』と言い放ったそうだ。もちろん、彼女の予言した通りになった。
「すみません。つまらないことを言いましたわ。貴族の妻が悋気を起こすなど…」
「いや、別にそれはいいんじゃないかな」
「たとえエドが妾を持ったとしても、その妾のドレスや化粧にまで気を遣うのが正妻の役目だと教わりましたわ」
「…だんだん聞くのが怖くなってきたんだけど、その教育はクロエも受けることになるんだろうか?」
「当然ですわ」
「私はクロエをそんな男に嫁がせたくないぞ!」
「そうしてくださればクロエも幸せでしょうね。結局貴族家の娘は父親のいう相手と結婚し、結婚後はその夫に従わねばならないのですから」
その時、エドワードは妻が諦念に似た表情を浮かべていることに気付いた。
『リズは私と結婚しても幸せじゃないのかもしれないな。彼女にしてみれば親の言うことに従って結婚したに過ぎないわけだし』
重たい石を飲み込んだような気分になったエドワードは、あまり具合が良くない妻を気遣い、話の続きは改めて明日にすることとして妻のメイドを呼んだ。そしてエドワードは妻をメイドに任せ、自分は寝室へと引き上げていった。
結婚して随分経っていますが、エドワードは相変わらずエリザベスが大好きです。
そしてムッツリ疑惑は、疑惑ではなく事実として認定されました。