月夜の猫とワイン
深夜の勢いで書きました
今回の侵略行為に関する報告書をまとめ、正式な王への親書として送付した侯爵は、執務室を出て自室へと戻った。
廊下の窓からは青みがかった見事な満月が見える。
『サラの髪の色のようだな』
などと考えつつ自室のドアを開けると、ソファの上で小さな三毛猫が丸まってスヤスヤと眠っていた。
傍らには、なかなか驚きの数の酒瓶が転がっていた。
「どうやら妖精殿は本当に我が家の酒蔵を空にするつもりだったらしいな」
「どうにも、起こすにしのびなく…」
侍従が困ったようにミケの近くに立ち尽くしていた。
「よい。そのまま寝かせておこう」
侯爵は微笑みながら寝支度を整え始めると、その物音でミケの耳がピクリと動いて目を覚ました。ミケは目を覚まして伸びをする。
「お目覚めのようだな。妖精殿」
「ん~。眠っちゃってたみたいね。おかえりなさい……侯爵」
「ウィルでいいぞ。爵位は名前ではないからな」
「そっか。じゃぁウィル。お酒とってもおいしかったわ。ありがとう」
「こちらこそ伝言を届けてくれて感謝している。本当に役に立ったよ」
「良かったわ!」
ミケは尻尾をピンと立て、先っぽだけをちょこっと動かした。どうやら尻尾でも返事をしているらしい。
「じゃぁそろそろ行くわね」
「私は少し飲むつもりなのだが、少し付き合っていかないかね? さすがに今日は飲みすぎかい?」
「あら、これくらいなら全然平気よ! 素敵な殿方に誘われたならお付き合いしなきゃね」
再度人の姿をとったミケではあったが、酔っているせいなのか、あるいはまだ寝ぼけているのか頭には猫耳が残り、お尻にも尻尾が残っていた。
『中途半端な姿ではあるが、手と顔が人間になっていれば飲酒には問題なかろう』
侯爵は割とどうでもいいことを考えた。
侍従が示した酒の中から、侯爵は比較的軽めで若いワインを選んだ。
「このワインは庶民でも手が届く気軽なものではあるのだが、寝る前にこのような酒を飲むのを好んでいてな。あまり客人には出さんのだが」
「あらいいじゃない。そういうのも素敵だと思うわ」
「このような月夜に美しい女性と自室で酒を酌み交わすとは光栄だな」
「ふふっ。妖精に性別はないのよ」
「なんとも夢がない。聞かなかったことにしておこう」
侯爵は侍従がワインをサーブしようするのを止め、自らミケのグラスと自分のグラスにワインを注いだ。そして目線だけで人払いする。
「妖精殿」
「ウィル、私のこともミケでいいわ」
「そうか光栄だな。ではミケ…その…サラは私を恨んでいたりはしないのだろうか…?」
侯爵はボソリと弱気な疑問を口にした。ミケは耳だけをピクリと動かした。
「私はね、サラが生まれた時から彼女の近くにいたのよ。彼女の持つ魔力がとっても素敵だったから、いつかお友達になりたいって思ってたの。そんな風に思ってた妖精はたくさんいるのよ」
「サラは愛されているのだな」
「そうよ。サラはモテモテなんだから! 私たちはサラが転生者だってことを知ってたけど、思い出さないならそれでもいいかなって思ってた。必ずしも前世が幸せってわけじゃないでしょ」
「そうだな」
「だけど、サラは不思議なくらい大人びた考え方をする子だった。記憶は戻ってなかったけど、心は既に前世と融合していたんだと思うの。だからかもしれないけど、ウィルの存在を知っても彼女は全然恨んだりしなかったわ」
「そう、なのか?」
「誤解して欲しくないのだけど、ウィルにも貴族という身分にも興味がなかったみたい」
それは侯爵にとって、『恨んでいる』や『嫌われている』と言われた方が良かったと思える答えだった。
「そうか興味がなかったのか」
「あ~だから誤解しないでってば。その時のサラは少し壊れていたんだと思う。だって考えてもみてよ。父親が亡くなって母親は生活のために身を削ってたのよ? アデリアは自分の食事を削ってもサラに食べさせるような人だった。敏いサラがそれに気づかないわけがないじゃない」
「それほど酷かったのか」
「そうね…最期の頃は水しか口にしない日も多かったと思うわ」
「私の罪は重いな…」
ミケはぶんぶんと首を横に振った。
「いいえ私はアデリアが傲慢だったと思ってる。駆け落ちしたとはいえ、彼女はウィルにも、本当は実家の父親にだって頼ることができたはず。だけど手遅れになるまで彼女の矜持がそれを許さなかった。彼女が死んだのは自業自得だけど、幼いサラの心や身体の健全さを奪ったことは許しがたいわ。母親だからって許していいことじゃないでしょう?」
「なんとも手厳しいな」
「子供のサラは大好きな母親に負担をかける自分が好きじゃなかった。だけど同時にサラの大人の心はアデリアの身勝手な自己犠牲にも気付いてた。いろんなことが彼女の中でぶつかり合って、サラの心は疲れ果ててしまったのよ」
「なんとも不憫な」
侯爵は悲しい顔でため息を吐く。
「サラは少しずつ周囲のことに関心を持たなくなっていったわ。そしてとうとうアデリアが亡くなったとき、サラはアデリアの隣でそのまま起き上がらないつもりになってたのよ」
「そういえば、あの時サラは『一緒に眠るつもり』と言っていたな」
「ええ。そのまま一緒に眠ってしまうつもりだったみたい。実際、サラは何日もまともな食事をしていなかったから、そのまま横になっていたら希望通りになったかもしれない」
「そこまでだったか」
「ウィルが来るまで、私たちはサラが消えちゃうって悲しんでた。妖精たちはサラが大好きだったけど、サラ自身が私たちを見つけなければ手を貸すことができないのよ」
「そういうものなのか」
「ええ、そして私は幸運にもサラの友達になって名前を付けてもらえた。だから私はウィルの前に姿を現すことができるし、一緒に寝酒も楽しめるのよ」
グラスを持ち上げてミケはにっこりと微笑んだ。
「だからウィルがサラを連れ出してくれたことは本当に感謝してるの。この邸でサラはイジメられたけど、それでも他人の感情に触れたことで彼女は少しずつ自分を取り戻していった。もちろんイジメはよくないことだけどね!」
「私はまったく気づかなかったよ。駄目な祖父だな」
「誰だってすべてのことが見通せるわけじゃないわ。それに結果的にはイジメのお陰で前世の記憶を取り戻したんだし、結果おっけー?」
「ミケは気楽でいいな」
「過ぎてしまったことを深刻に悩んでも仕方がないでしょう? 反省は大事だけどいつまでも後悔するのは時間の無駄よ。刻を司る妖精として、時間の無駄は許しがたいわね」
「そう、か。後悔は時間の無駄か」
「反省したなら、次にどうすればいいかを考える方が良いに決まってるじゃない」
「そうだなぁ」
侯爵はグラスに残っていたワインをぐびりと飲み干し、ボトルからさらなるワインをなみなみと注いだ。ワインの注ぎ方としていかがなものかとは思うが、今夜の侯爵はそんな気分だったらしい。
すると、ミケもグラスを空にして、そっと侯爵の前に押しやった。もちろん侯爵はそのグラスにもなみなみとワインを注ぎ入れた。
「サラが前世の記憶を取り戻して最初に思ったことを教えてあげるね」
「ほう?」
「まだ8歳の癖に『今度は恋愛して結婚したかったなー』ですって」
「ぶっ」
侯爵は思わず咽た。
「そうなるよね~」
「まだ早いだろうが!」
「前世は30歳過ぎても独身だったからでしょうねぇ」
「なるほどなぁ」
まぁ他にも物騒なことをいろいろ考えていたが、ミケはサラの名誉のために黙っていることにした。
「そうそう。前世で亡くなる前に買ったワインを飲み損ねたことを悔しがってたわね。多分あの子は酒呑みよ。大きくなったら一緒に飲みたいわね」
「ミケが手を貸せばいつでも大きくなるだろうに」
「そういえばそうね。ウィルったら頭いい~~」
ミケはだいぶ出来上がったようである。グラスに残ったワインを飲み干すと、くるんと宙返りして猫の姿に戻り、侯爵の膝の上に着地した。
「だからね、サラはウィルのことを恨んだり嫌ったりはしてないのよ。それよりも豊かで安全な生活環境を整えてくれた人って感謝してる。まぁロバートには働かされたけどね」
なお、侯爵の方もかなり酔いが回っており、膝の上のミケを撫で始めた。
「そうか…私は嫌われてないのか」
「うん。だいじょうぶ~」
ミケはゴロゴロと喉を鳴らし、侯爵に撫でられるままになっている。
その後、侯爵は続き部屋になっている寝室のベッドに横になったが、ふわふわと浮いて侯爵の後をついてきた猫も彼が横になったベッドに潜り込んだ。
そして二人(?)は朝まで目を覚まさなかったが、これを果たして同衾と見るかどうかは意見の分かれるところである。
サラ:ミケが浮気したーー。
西崎:それより、君の出番がないことを心配すべきでは?