侯爵と小侯爵
侯爵はグランチェスター邸に戻り、王宮でのやり取りをエドワードに説明した。
「それは横領については、見逃してくださるということでしょうか?」
「見逃すわけではない。ただ、『既に報告は受けていたが、敵の動きを掴むために伏せていた』という形にしてもらっただけだ。この後、きちんと修正報告をせねば罰せられることに変わりはない」
「それでも陛下は我らに味方してくださったということですよね?」
侯爵はエドワードを睨みつけた。
「馬鹿者! 敵だの味方だのという次元の話ではない。おそらく陛下はこの件に我が国とロイセンの関係を悪化させたい外部の勢力が働いているとお考えだ。そして、ロイセンの王太子が秘密裡に我が国を訪れていたということは、あちらでも何らかの動きがあったと推測される。だからこそ、この程度の揺さぶりで我が国が動揺すると思われるのを避けておるのだ」
「なるほど!」
「なるほどではないわ! この程度のことを察することすらできんのか。お前の頭の中には藁でも詰まっておるのか」
「どうせ私はアーサーのように賢くはありません。しかし、何を間違ったか私が長男に生まれてしまったのですから父上も諦めてください!」
どさりとソファに腰を下ろした侯爵は、深いため息を吐いた。
「すまぬ。言い過ぎた。お前はお前でよくやっていると思う」
「別に慰めていただかなくとも、自分の身の程は知っております。私では文官たちに支えられて領地を経営するのがやっとでしょう。ですが他家との関係を強化し、次代に恙なくグランチェスターを引き渡すことが私の使命だと心得ておりますので」
「そうだな…。平時であれば理想的な領主であろうな」
「……それほど状況が思わしくないのですか?」
「それすらも読めぬのだ。私の手には余る」
「今回の襲撃を未然に防いだではありませんか!」
「それは私の手柄ではないのだ……」
遠い目をする侯爵をエドワードは静かに見つめていたが、内心はあまり穏やかとは言えなかった。
『父上ではない? ロバートか?』
「あぁやはりレベッカ嬢を娘にしたいものだ…」
『ふむどうやら窮地を救ったのはレヴィのようだな。まぁあの目敏い小公子であればそれくらいしてのけるか。さすが父上のお気に入りだ』
「そこはロバートに頑張ってもらえば済む話じゃないですかね」
「それができるなら10年以上前からそうしているわ! あのヘタレがっっ!!」
「父上がオルソン家に婚約を持ち掛ければよろしかったのではないですか」
「ノーラと約束したのだ。お前たちの婚約はお前たちの意思に任せると」
「でも私とリズの結婚は、父上と母上が決められましたよね?」
「お前がエリザベスを視線だけで追いかけておるのをノーラが気付いたからだ」
「はぁっっっ!?」
「お前の様子に気付いてから1年程ノーラは黙ってみていたそうだが、声もかけられずもぞもぞしてるだけなのを見て痺れを切らしたそうだ」
「もぞもぞなどしておりません!」
「ではエリザベスを好きだったわけじゃないと?」
「いえ、それは…その…」
「ほれみろ」
「まぁお前たちの縁をまとめてすぐにノーラは逝ってしまったがな…」
侯爵夫人であったエレオノーラは、長男が結婚すると間もなく病で亡くなった。
「ところで父上、その…サラはどうしていますか?」
「ほう、お前にしては珍しい質問だな」
エドワードはやや俯いた。
「…サラが領地に行った後、子供たちがサラをイジメていたことを知りました」
「ふむ。気付いたのか」
「父上はお気づきでしたか?」
「私も気づかなかった。だが領地でサラから聞いた」
「申し訳ありません」
「いや、私も気づけなかったから同罪であろう」
「リズは気づいていたようです。ただ、止めなかったことについて理由を言わないのです」
「まぁエリザベスは誰よりも貴族であろうとするからな。平民の子供とは相容れないのかもしれん」
エドワードはテーブルに置かれていたグラスに入った水をグイっと飲み干し、自嘲的な表情を浮かべた。
「実は私もサラを見ると複雑な気持ちになるのです」
「ほう」
「あの子は驚くほどアデリアに似ていますから。彼女に罪が無いことはわかっているのです。ただ、どうにもあの姿を見ていると…アデリアに会わなければ今でもアーサーは生きていたのではないかと思えて」
「お前もそう思っていたのか」
「父上でもですか?」
「うむ」
しばしの沈黙の後、侯爵は訥々と話し始めた。
「サラを迎えに行ったのはアデリアから手紙が届いたからだ。最初に手紙が届いたとき、私はてっきり金の無心だと思ったのだよ」
「アーサーが亡くなったのですから、母娘だけでは生活には困窮したでしょうね」
「あいつは仕入れに向かう途中で死んだそうだ。家にあったほとんどの現金を持っていたそうだ」
「それは…悲惨ですね。ですがアーサーが亡くなってからサラを引き取るまでは随分と時間がありましたよね? なぜアデリアは自分が死ぬ直前まで連絡をよこさなかったのでしょう?」
「彼女も病にならなければ、あのままサラを一人で育てるつもりだったのだろう。あるいは状況によっては、死んでも頼るつもりはなかったのかもしれぬ」
「状況によっては?」
「うむ…アーサーは殺された可能性があるそうだ」
「なっ!!」
「そして手引きを疑われる男は、サラを将来の愛人として囲うつもりで引き取るつもりだったらしい」
「そいつは誰です!? グランチェスターの親族に手を出して無事で済むとでも!」
エドワードはテーブルをバンっと叩いて立ち上がった。
「チゼンという商人とラスカ男爵だそうだ」
「ラスカ……?」
「そうだ。爵位こそ男爵だが王室の血筋を引く厄介な家だ。故に今は証拠を固め、きっちりと追い込む用意をせねばならぬ」
「なるほど…非常に腹立たしくはありますが、そういうことでしたら」
「私も腸が煮えくり返っているのは同じだ」
淡々とした口調だったが、侯爵の発言には憤怒があった。エドワードも同じ気持ちではあるが、父がこの憤りを半年以上も一人で抱えていたのかと思うと、その深さに慄然とした。
「まぁその話は追々な」
「はい」
「私はこれから領地に戻るが、お前はどうする?」
「狩猟大会がありますから、私もそろそろ領地に向かわねばなりません」
「そうか」
「その前にリズと話をしなければならないかもしれませんね」
「サラの件でか?」
「はい。子供たちの教育にかかわる問題でもありますので」
「確かに今のうちかもしれんなぁ。特にアダムは…せめて窃盗は止めさせよ。多感な時期ではあるが、あれでは使用人に示しがつかぬ」
「誠に恥ずかしい限りで」
「まぁ私もお前も偉そうなことが言えるわけでもないがな。男などそんなものだろう?」
「いえ、私は…その…」
「子供を3人もこさえて何を照れているのだ。いい歳をして。お前のような男を世間ではムッツリと言うのだ」
「ロバートのようにフラフラと浮名を流すよりはだいぶマシでしょう」
「どちらも本気の相手にはヘタレなのが問題だ」
「私は結婚しております!」
「ノーラのお陰でな」
「ぐ…」
『やっぱりノーラが生きていたら、今頃レベッカ嬢はロバートの嫁だったかもしれんなぁ』
「そういえば領地にきたらサラに会うか?」
「当然会うでしょう。あの子には謝罪したいですし」
「うーん…。いろいろ心の準備をしておいた方が良いぞ」
「どういう意味でしょうか? 怒っているのでしょうか?」
「多分、それほど気にしてはおらんと思う。ただ…」
「ただ?」
「とても驚くと思う」
「はぁ…?」
「まぁ会えばわかるだろう。そういえばサラの容姿はアデリアに似ておるが、中身はノーラそっくりだぞ」
「母上にですか? そうは見えませんでしたが」
「サラの機嫌を損ねたらな、目がまったく笑っていない微笑みを浮かべながら『グランチェスター侯爵閣下』と呼ぶんだよ」
「それは間違いなく母上ですね!」
侯爵とエドワードは顔を見合わせて頷きあった。