王都にて王に応答して王太子に応対する
グランチェスター侯爵は、王宮に向かうため急ぎ身支度をしていた。侍従がカフリンクスを乗せた化粧箱を掲げた瞬間、その上からにゅっと肉球のある猫の手が伸びてきた。
「うぉっ」
「わっっ」
侯爵と侍従は同時に驚きの声を発した。
「あら、驚かせちゃったかしら。ごめんなさいね」
するすると何もない空間から三毛猫が姿を現す。
「もしや、其方はサラの友人かね?」
「その通り!」
カフリンクスの上でミケはくるんっと宙返りした。
「して、私に何用だろうか?」
「サラからお手紙を預かってきたわ。とっても急ぎなんですって」
ミケが尻尾を振ると、侯爵の手元に空中から手紙がポトリと落ちてきた。
「わざわざのご足労かたじけない」
「気にしなくていいわ! 返事があれば承るわよ」
「承知した。ところで妖精殿に何かお礼をしたいのだが、欲しいものはあるかね?」
「対価が欲しくてしたことではないのだけれど、美味しいお酒があると嬉しいわ」
「ほう、妖精殿はイケる口なのかね」
「どうかしら。ただ好きってだけなのだけど」
「では、好きなだけ飲んで行かれるとよい。酒蔵を空にしてもかまわんぞ」
「ふふっ。ありがとう」
ミケは傍らにあったソファにスタっと着地し、行儀よく座った。
「お前は酒をお持ちしろ。妖精殿の舌と鼻を満足させられる極上の物をな。私は密書を読んでしまうことにする」
「承知しました」
侍従が部屋を後にすると、侯爵は届いた手紙を開いた。
「ふむ…ロイセンが仕組んだことではない可能性が高い、か」
「サラはそう言ってたわ。状況が不自然で気持ち悪いんですって」
「なるほどな。陛下に拝謁する前にこの密書を読めて良かった。陛下への奏上する内容を変えることになりそうだ。サラは素晴らしい友人を得たようだな」
ミケはヒゲをピーンと誇らしげに張って、堂々と胸を反らす。完全にドヤ顔である。
『そうか猫…というか妖精もこのような顔をするのだな…』
と侯爵は内心微笑ましく思ったが、敢えて言葉にはしなかった。
そこに侍従がいくつかの瓶と、皿とグラスを持って戻ってきた。
「妖精様、お酒はどのように用意いたしましょうか? お皿にお注ぎしたほうがよろしいでしょうか?」
「ん~、ちょっと待ってね」
ミケが椅子の上でくるんっと宙返りすると、ミケは身長1メートルほどの人間の女性へと変化した。身の丈は低くても子供の姿ではなく、妖艶な美女といった雰囲気だ。三色の毛が混ざり合った長い髪はゆるい三つ編みになっており、片方の肩から前に垂らしている。
「これは驚きました」
「ほう、なんとも麗しいの」
「ありがとう。お酒を飲むならこの姿の方が楽そうだから」
そういってにっこり笑ったミケは、グラスに注がれたワインをぐびりと豪快に飲み干した。
「おいしぃぃ~」
「喜んでいただけて何よりだ。すまぬが私は王宮に行かねばならぬ。妖精殿はこちらでゆるりと酒を楽しんでいかれると良い」
「そうさせてもらうわ。ありがとう」
侯爵が王宮に到着すると、案内されたのは王の私的な空間にある応接室の1つであった。
「お召しにより罷り越しました」
「シーズン最後の舞踏会以来だろうか。グランチェスター侯爵」
「御意」
侯爵は王に勧められるまま、ソファに腰を下ろした。
「先程届いた密書は読んだ。これが事実であれば改めて正式な場での報告をしてもらうことになるだろうが……」
王は逡巡した。
「お前はこの内容を公にしても構わんのか? 横領事件の隠蔽の責を問われることになるかもしれんぞ」
「事実ですので、相応の責は負う所存でございます」
「なるほど潔い。しかし、潔いだけの領主に広大なグランチェスターを任せても良いものだろうか」
「御心のままに」
「ふん。お前は相変わらず狸だな。どうせこの事件がなければ、横領の報告などする気もなかったくせに」
「滅相もございません」
侯爵は涼しい顔で王からの指摘を受け流した。
「まぁ良い。ところで『敵国』とは具体的に、どの国を指すのかが判りかねる」
「それは私共も判断に迷っております」
「ほう」
「伏兵として狩猟場に潜んでいた傭兵団の団長は、ロイセンの騎士崩れの男でした。少し刺激しただけで、ペラペラと雇い主はロイセンの貴族だと自白しました」
「ロイセンの騎士崩れか…。ところで捕虜はすべて傭兵なのか? 正規の軍人は含まれていないのだろうか」
「すくなくとも、それらしき者を捕縛してはおりません。それ故に、ロイセンの手先とは考えにくいのです」
「というと?」
「陛下であれば、他国を攻める初戦に騎士崩れの傭兵を用いますか?」
「……使わないだろうな。不確定要素が大きすぎて、どう転ぶかわからん。なるほど、お前はロイセンに罪を被せたい輩がいると考えているのだな」
「御意。それだけではなく我が領の小麦を焼いて、アヴァロンの食糧事情を悪化させる狙いもあったように思われます。我が国とロイセンの関係を悪化させたいだけであれば、500人もの傭兵を雇う必要はないかと」
「ふむ確かに安い買い物ではないな……そういうことなら別の者の意見も聞くことにするか」
王は呼び鈴を鳴らして部屋の外で待機していた補佐官を呼び、この部屋にある人物を呼ぶよう命令した。しかし、その名前を聞いた瞬間、侯爵の背筋が凍り付いた。何故あの男がここに居るのだ。
「私をお呼びと伺いましたが」
部屋に入ってきたのは、ロイセンの王太子ゲルハルトであった。侯爵は慌てて席を立ち、王族に対する拝礼を行った。
ゲルハルトはロイセン王の息子ではない。ロイセン王には3人の王子がいたが、第三王子が兄二人を誅殺した後に王位継承権を放棄したため、公爵となっていた王弟の息子がロイセン王の養子となって立太子している。まだ30歳にも満たない青年である。
「わざわざ呼びたてて申し訳ない。実は我が国にロイセンの手先を騙る暴徒が現れたのだ」
「はっ!?」
アヴァロン王は侯爵に目線を遣り、事情を説明するよう促した。侯爵はロイセンを非難していると取られかねないことに怯えつつも、横領から始まった一連の流れをゲルハルトに説明する。
「なるほど。しかし事件の黒幕は断じて我が国ではないぞ。もちろん我が国の貴族が関係している可能性は否定できないが、少なくとも王や王太子である私自身はそのような侵略を考えてはいない」
ゲルハルトは断言した。
「うむ。こちらもそう思っている。ロイセンのように優れた軍事力を持つ国の犯行としては、あまりにもお粗末すぎる」
「とはいえ我が領への攻撃には、両国の関係を悪化させる意図があったのではないかと愚考いたします」
「そういうことはあるかもしれませんね」
ゲルハルトはため息をつき、遠い目をした。
「我が国はまだ10年前の粛清を引きずっています。それほどアドルフ王子の勢力は大きく、影響も大きかったのです」
「それでも粛清に踏み切ったのは貴国の王だろう?」
「実はアドルフ王子は水面下で周辺国への侵略を計画しておりました。側室として迎え入れるつもりだったレベッカ嬢の母国も例外ではありませんでした」
「つまり、アヴァロンに対しても侵略戦争を仕掛けるつもりでいたということか」
王は驚いた様子で身体を起こした。
「はい。軍備拡大のため増税の法案を議会に提出したことで、王はアドルフ王子への粛清を決意しました。王はアドルフ王子に対し『重税を課して戦争を起こしても、国民の支持を得られない』と再三諭したそうですが、『王家に忠誠を誓わない者はロイセンの国民ではない』といい放ち、税を納めない国民やアドルフ王子を支持しない貴族に罰を与えるよう王に迫ったのです」
「なるほど。ロイセンとは良い関係を築いていたと信じていたのだが少々驚いたな」
「臣下や国民に見放されてしまえば政権を維持することなどできません。我が国の王は、国を治めるために重要なのは王家の血筋などではないということを誰よりもご存じです」
「ふむ…耳の痛い話だな」
「これは不敬な発言となってしまい、申し訳ございません」
「構わぬ。事実、その通りであろうからな」
王はソファに深く座り直して目を閉じた。
「王は断腸の思いでアドルフ王子の粛清に踏み切りましたが、その代償はあまりにも大きく…」
「息子の粛清ともなれば、他国からもあまり良い目では見られないだろうな」
「それもありますが、なにより取りつぶしとなった貴族家が多かったことから、農工商のすべてに影響が出ました。いきなり領地を別の貴族家に与えたところで、すぐに運営できるはずもないのです」
「まぁ確かにそうだな」
「商業面が最も悲惨でした。国内各地で農業と工業が上手くいかず資金難になっていたところを目ざとい商人たちに狙われ、借金を抱えた貴族家も少なくありません。特産品も足下を見られて買い叩かれました」
「不届きな輩はどこにでもいる」
「まったくです。しかし国内外にさまざまな摩擦が起きる結果となり、未だ国力を回復しきれていないのです」
この話をサラが横で聞いていたとしたら、おそらく王族たちの読みの甘さを鼻先で笑ったかもしれない。商人が金を稼ぐのは当たり前。ロイセンの国民は、王の子育ての失敗を押し付けられたに過ぎないだろう、と。
「アヴァロン王、臥してお願い申し上げる。どうかこの件はロイセンの名を騙った犯行であると明言していただきたい」
ゲルハルトはアヴァロン王に跪いて懇願した。
「そのようなことをされずとも、ロイセンに責を問うつもりはない。どうか立ってくれぬか」
「はい…。誠に感謝いたします」
王は侯爵に向き直った。
「グランチェスター侯爵よ。こたびの事件は『ロイセンを騙った暴徒がグランチェスター領で略奪行為を働こうとして失敗した』ことだけ報告するがよい。横領については報告するに及ばぬ」
「しかし捕虜が多いため、他家に知られるかもしれません」
「私は『既にお前から横領から始まる陰謀について報告をうけておった』が、『略奪を未然に防ぐため犯人を泳がせておいた』のだ。『公にすれば犯人が逃亡する恐れがあった』のだから仕方がないではないか」
「御意にございます」
グランチェスター侯爵は、ソファから立ち上がって王の前に跪いた。
「ふむ。グランチェスター侯爵よ。お前の領地が誇る狩猟場を焼いてまで不埒者どもを捕縛したのだ。礼を言う」
「ありがたき幸せにございます」
ゲルハルトも侯爵のもとに歩み寄る。
「私からもグランチェスター侯爵にお礼を言わせてくれ。我が国にあらぬ疑いがかかる前に、犯行を止めてくれてありがとう」
「もったいないお言葉でございます」
すると王がニヤリと笑いながら侯爵に語りかけた。
「だがグランチェスター侯爵よ、横領のあった時期の修正申告は早めに済ませておけ。さすがにそれは私にも抑えられん」
「御意」
王の機転によって、グランチェスターの危機はひとまず去った。しかし、後処理を考えると頭の痛い問題は山積みである。
『何故ゲルハルト殿下は、この時期にお忍びで訪問されたのだろう?』
侯爵は疑問に思ったが、王室の客人に不躾な質問を投げるわけにもいかず、王の御前を辞去することとなった。