出来過ぎている
「ソフィア、午後に少し時間をもらえるかい?」
昼食を終えて客間へと引き上げようとしたサラとレベッカに、ロバートが声をかけてきた。
『あー、どうせこの前の提案の具体的な施策を聞きたいんだろうけど、ウォルト男爵がいる場では無理だよ』
「どうされました?」
「いや、ソフィアとレヴィの力を借りたくてね」
「と、申しますと?」
サラとレベッカはにっこり微笑んだ。笑顔の意味は『自分の仕事は自分でやれ』である。
「あ、いや、その…」
「私とソフィアさんは領都に戻ろうかと思っております。今発てば夜には着くでしょうし」
「えっ…」
ロバートは明らかに挙動不審になっていた。ここのところ、サラとレベッカに助けてもらうことが多かったため、今回も助けてもらえると思っているようだ。
しかし、そこに思わぬ伏兵がやってきた。ジェフリーである。
「折角こちらに戻ってきたのに、お嬢様方は発ってしまわれるとは寂しいですね。どうか今夜の晩餐だけでもご一緒してはいただけませんか? 騎士団から護衛も出せますので、出発を明日に延期されてはいかがでしょう?」
その横ではウォルト男爵も頷いている。
「これほど早くお発ちになってしまわれては、娘も寂しがるでしょう。どうかもう1日だけでもお泊りください」
『これだけ言われたら断りにくいよね…。別にジェフリー卿がイケメンだからじゃない!』
誰に言い訳しているのかわからないことをつらつらと考えたが、ひとまず帰るのは明日に延期することにした。
「それにしても、ジェフリー卿は戻るタイミングが絶妙ですね。もしかして、狙っていらっしゃいました?」
「そんなことは…」
『この言葉の濁し方からすると、声を掛ける前に様子を窺ってたわね?』
「だって状況が出来過ぎですもの!」
その瞬間、サラは自分の発言に引っ掛かりを覚えた。脳内をぐるぐるとさまざまな思考が駆け巡り始める。
不意にサラが表情を消したことに素早く気付いたレベッカは、他の人の目に触れる前にそっとサラをその場から連れ出すことにした。
「いずれにしても、一旦客間に戻りますね。森を再生してきたばかりで疲れてしまいましたの」
サラも慌ててその場を取り繕う。
「確かにちょっと疲れました。申し訳ございませんが、少々休ませていただきますね」
「これは、気の利かないことで申し訳ございません。どうかごゆっくりお休みください」
ホストであるウォルト男爵は使用人を呼び、サラとレベッカの世話を申しつけた。ロバートもこれには無理を言うことなく、二人を下がらせた。
サラに与えられた客間に二人が到着すると、レベッカは付き添ってきた使用人たちにお茶だけ頼んで下がらせた。
カップを持ってサラの隣に腰を下ろしたレベッカは、心配そうにサラの頭を撫でた。どちらも18歳前後の容姿であるため、やや倒錯的な雰囲気になっているが、レベッカにしてみれば大事な教え子である。
「ソフィアさん、大丈夫?」
サラは防音障壁を展開してからレベッカに応えた。
「ねぇレベッカ先生。今回の出来事って出来過ぎだと思いませんか?」
「どういうこと?」
「捕まったのは全員傭兵でした。彼らは口々にロイセンに雇われたと言っていますが、ロイセンの正規軍は誰も見ていません」
「確かにそうね」
「もちろん、奇襲に成功した後に正規軍がなだれ込んでくる手筈だった可能性もあります。ですが傭兵だけで他国を侵略するなど、計画が杜撰だと思われませんか?」
レベッカはサラの指摘に状況を振り返って考えてみた。
「サラさんが捕まえた傭兵団のリーダーは、元ロイセンの騎士って言ってたわ」
「それは嘘ではないと思うのです。ですが、私がロイセンの国王だったら、あのような騎士崩れに重要な役目を任せたりはしません。口が軽すぎます」
「それはサラさんが心を折ったからでは?」
「あの程度で簡単に折れるような忠誠心しか持たない者に、レベッカ先生だったら重要な先鋒を任せますか?」
「……任せないわね」
不意にドアをノックする音が聞こえてきた。サラが防音障壁を消すと、レベッカはドアの外にいる人物に対して誰何した。どうやらロバートとジェフリーが二人の様子を確認しに来たらしい。
レベッカが彼らを招き入れると同時に、サラも再び防音障壁を展開する。
「ん? どうしたんだい?」
「先程から、レベッカ先生と今回の一連の事件について話していましたの」
「ほう。それは興味深いですね。是非お聞かせください」
サラは頷いた。
「私は今回の出来事が、あまりにも出来過ぎに思えるのです。500人近い捕虜がいますが、すべて傭兵だったと伺っています」
「そうですね。全員が傭兵かフリーの冒険者でした」
「ジェフリー卿、あなただったら他国を攻める先鋒に傭兵だけで編成された軍を使いますか?」
「使いませんね。局所的な作戦で傭兵を使うこともありますが、必ず正規の軍隊の管理下に置きます。そうでなければ戦局を制御できないですから……ふむ、確かに今回の状況は不自然ですね」
ジェフリーも顎を撫でながら思考する。
「私も傭兵に偽装した正規の騎士が、居るのではないかと疑ったのですが、今回捕縛した捕虜たちは、すべて傭兵でしたね」
「ジェフリー卿は偽装した騎士を見分けられるのですか?」
「全員を完璧に見分けられるとは言い切れませんが、かなり高い確率で見分けられると思いますよ。こういうのは同業者には隠せないものですから」
ロバートが慌てたように口を挟んだ。
「え、ちょっと待って。もしかして一連の事件はロイセンの仕業じゃないかもしれないってことかい?」
「その方がしっくりくるんです。特に狩猟場に潜伏していた傭兵団のリーダー、あのロイセンの騎士崩れが一番の違和感ですね」
「サラさん、もしかして第三者がロイセンを騙ってグランチェスター領に攻め込んだのではないかと疑っているの?」
「そうですね。なんだか物凄く気持ち悪いんですよ。今の状況って」
サラは再び思考という名の深海に潜ろうとしたが、折角なのでここに居る他者の助けも借りてみることにした。
「今回の騒動が本当にロイセンの陰謀だと仮定しましょう。ロイセンがアヴァロンを攻める理由がわかりません」
「領土を拡大するためではなくて?」
レベッカの意見についてはサラも検討した。だが、どうしても違和感を拭い去ることができないでいた。
「皆さまもご存じの通り、ロイセンは10年ほど前のお家騒動以来、あまり政局が落ち着いているとは言い難い状況です。今は内政に力を注ぐべきでしょうし、実際そのように振舞っているように見えます。そんな時期に隣国に攻め入ることが得策とは思えないのです」
「身内の結束を高めるため、共通の敵を国外に作ることはあります」
サラの意見にジェフリーも呼応する。サラは両者の意見から、さらに別のことを考える。
「今のロイセンは政局が落ち着いていない、つまり王が自国の貴族を制御できていない状態ということですよね?」
「そうね」
「ジェフリー卿の仰ることも理解できるのです。確かに共通の敵がいれば結束力は高まりますから。でもいきなり軍事行動に出るでしょうか? まずは自国の不利益を国民に喧伝すると思うのです」
「それは何故ですか?」
「戦争にはお金がかかるからです。戦費を捻出するために税金を上げる、あるいは国が債権を発行するかもしれません。いずれにしても資金を調達するには、戦争する『理由』が必要です。『アヴァロンのせいで不利益を被っている』あるいは『アヴァロンを手に入れれば豊かになる』といったところでしょうか。しかし、そうした動きはすぐに相手にも察知されますから、すでにロイセンとアヴァロンの間に緊張がなければおかしいのです」
ジェフリーは不思議そうな顔をしてサラに質問を重ねた。
「しかし、奇襲をかけてアヴァロンを自国の領土にすれば、後から利益がついてきます。アヴァロンのすべては無理でも、グランチェスター領だけでも手に入れることができれば、国は潤うのではありませんか?」
「軍事行動で手に入れた領土がそう簡単に利益を生むと思われますか? 焼かれた小麦畑で前年と同じ収穫があるはずがありません。略奪行為も起こるでしょう。身内を殺された領民たちが翌年には嬉々としてロイセン国民として小麦を栽培できるはずがありません。人数も減ってしまいますしね。もちろんロイセン王が暴君であれば、そういう作戦をとる可能性はあります。ただし、それは国内の情勢が安定していて、国庫を開くだけで軍費が捻出できることが前提です。それと…」
「それと?」
ジェフリーが身を乗り出してサラの説明に耳を傾ける。
『近いっ。イケメンが近すぎるっ』
「あの…ジェフリー卿、少し離れていただけますか?」
「あ、申し訳ございません」
慌ててジェフリーは姿勢を正した。
「いえ、騎士の方には身近な話題でしょうから仕方ないですよね。私が言いたかったのは、『本当に奇襲を成功させたかった』のであれば、精鋭部隊を派遣するか、大部隊を編成して物量に物を言わせる作戦を取るべきではないかと言うことなんです。いずれにしても、短期決戦ですね」
「ふむ……、グランチェスター領を少数精鋭で攻めるのは少々骨が折れますね」
「そうですね。領地は広く、領主がいるグランチェスター城は堅牢な要塞を備えています」
「………」
ジェフリーは腕を組みつつ、無言で考え始めたようだ。それを横目で見たロバートも意見を述べる。
「サラは、敵は本気でグランチェスターを攻める気はなかったって思ってる?」
「それもちょっと違いますね。単にロイセンに汚名を着せたいだけであれば、500人もいらないと思うんです。狩猟場の暴動だけで十分ではありませんか?」
「確かにそうだね。あのロイセンの元騎士がいたのも狩猟場だし」
「おそらく狩猟場の暴動は、グランチェスター騎士団を集めるためでしょう。うまくいけば祖父様を傷つけることができると考えても不思議ではありません。そして、その混乱に乗じてグランチェスターの小麦を焼く、あるいは収穫した小麦を略奪する」
「そこまではサラも予想してたよね?」
「そうですね。暴徒たちは捨て駒に過ぎず、元ロイセンの騎士がいることで犯人はロイセンだと思い込ませることができる」
『だけど、単なる捨て駒にしては状況が出来過ぎなのよ』
不意にジェフリーが顔を上げた。
「つまり、敵はグランチェスターの小麦を焼き、その犯行をロイセンに擦り付けたいと考えたということですね」
「あくまでも可能性の問題です。狩猟場にいた伏兵がロイセンの精鋭部隊であれば、こんなこと考えませんでした」
「サラさんは、誰が首謀者だと思うの?」
「悩ましいですね。小麦を焼こうとしたことだけを見れば、自分たちの小麦の値段を吊り上げたい他領、あるいは穀物を輸出している他国かもしれません。ただ、ロイセンを巻き込んだことを考えると、アヴァロンとロイセンの関係を悪化させたい勢力がいる可能性も否定できないです」
全員が黙り込む。
「いずれにしても、今の段階では判断材料が少な過ぎます。この件は祖父様にも伝えるべきですね。妖精に頼んで、急ぎ祖父様に手紙を届けてもらいましょう」