治癒魔法の発現
周辺の状況を確認していると、頭上からミケがにゅるんと飛び出してきた。
「サラ!人が倒れてる!」
「どこっ?」
「こっち」
サラはミケを追って走りはじめた。レベッカにもミケの声は聞こえていたため、隣にいたロバートにもすぐに伝わった。
そこには大人と子供が折り重なるように倒れていた。急いで近づいていくと、子供の方は見覚えが無いが、大人の方はベンジャミンであった。二人とも酷い火傷を負っているが、辛うじて息はしているようだ。
「ベンさん!!」
そこにレベッカも駆け込んできて、二人の様子を確かめる。どうやらベンジャミンが子供を庇っていたらしく、より火傷の状態が酷いようだ。
「ソフィアさん、あなた治癒魔法は発現してるかしら?」
「いえ、まだです」
「じゃぁ今すぐ目の前でやるから見ていて。もしできそうなら、その子をお願い!」
「はい!」
レベッカは、ベンジャミンの傍らにしゃがみこみ、治癒魔法を発動させた。しかし、なかなか思うように傷が塞がっていかない。
「レベッカ先生。一旦、水属性魔法でベンさんの身体を包みます。身体を洗浄しつつ、冷やしておきますので、酷い箇所から治療してみてください。こちらの子も同じように水属性魔法で包んでおきます」
「なるほど。効果ありそうね」
レベッカがベンジャミンの治療を再開すると、少しずつ火傷が癒えていくのがわかった。しかし、癒えていく速度があまりにもゆっくりで、だんだん子供の方が心配になってきた。
「ミケいる?」
「いるわよ」
「この子の時間を、ゆっくりにできる?」
「できるけど、どうして?」
「身体の状態が悪化するのを遅くしたいの。ベンさんの治療が終わるまで待てないかもしれないから」
「でも、サラ自身の魔力を結構つかうわよ?」
「それでもいいわ」
「わかった。まかせて!」
ミケは子供の上空で円を描くようにくるりくるりと回り、キラキラとした光の粒を落としていく。
「この子の時間をすっごくゆっくりにしたよ。1年が100年になるくらい?」
「ありがとう。ミケ」
「どういたしまして」
ベンジャミンの傷が癒えていく様子を見て、サラは不思議に思った。
『治癒ってなんだろう? レベッカ先生の様子を見ていると、身体が治ろうとする機能を底上げしてる感じみたい。でも、それだと欠損した部位とかは戻らないよね』
サラはベンジャミンをじっと見つめた。すると突然サラの頭の中で、元気なベンジャミンの状態が再現され、目の前で横たわっているベンジャミンに何をすべきなのかを言葉ではなく感覚で理解した。
誰に教わることもなく、サラがベンジャミンに手を翳すと、その位置に光の粒が集まり、見る見るうちに火傷した箇所が何もなかったかのような綺麗な皮膚へと戻っていく。
「え?」
レベッカは自らの目を疑った。サラが発動している魔法が、自分の治癒魔法とはまったく異なったものだったからだ。光属性であることは感覚的に理解できるのだが、いままで目にしたことのない不思議な魔法であった。
しかし、サラはそのことにまったく気付いていない。
「どうやら私も発現したみたいです!」
「えっ。そ、そうね…」
レベッカは今の状態をどう説明すればいいのか悩んだ。この世界の魔法は、イメージによって発動する。つまり人に説明するのがとても難しいのだ。アカデミーの学者なら論理的に説明できるのかもしれないが、アカデミーでの専門教育を受けることのできないレベッカにはできそうもない。
「じゃぁ私も手伝いますので、ちゃちゃっとやっちゃいましょう!」
言葉の通り、サラは2人の治療をちゃちゃっと終わらせた。ただし、すぐに気力が回復するわけではないため、二人の意識はまだ戻っていない。
サラとレベッカが治療している間に、ロバートは避難していた男爵邸の使用人を伴って戻ってきた。担架にできそうな戸板と毛布などを用意し、近くの道に幌付きの荷馬車を待機させているという。
ひとまず二人を男爵邸に運ぶことにして、荷台に気を失っている二人と、サラとレベッカを乗せて走り出した。
そこに、どこからともなく飛来した矢が荷馬車に刺さった。
「ロバート卿。大変です。暴徒が戻ってきたようです!」
「ソフィア、レヴィ、身体を低くして荷台から顔を出さないように」
しかし、そんなことを聞いてサラが大人しくしているわけもなく、即座に荷馬車を土の壁でドーム状に包み込んだ。
「これでひとまず矢は射かけられないと思いますが、暗いですね」
するとレベッカが魔法で光の玉をいくつも作り、ドーム内にふわふわと浮かび上がらせた。
「灯は確保できたわね」
ウォルト男爵邸の使用人たちは、サラとレベッカの魔法に目を剥いている。
「さすが名高いオルソン家のご令嬢ですね」
「そちらのお嬢さんも素晴らしい。オルソン家に縁の方でしょうか」
サラは声を掛けてきた男性に語りかけた。
「ソフィアと申します。でもごめんなさい。素性をお話しすることは許されておりませんの」
「あ、なるほど」
魔法を発現するのは大半が貴族、あるいは貴族から平民になった子孫である。貴族の血統が遠くなるほど魔法は弱くなり、発現しにくくなっていく。そのため平民の大半は、魔力を持っていても魔法を使うことができない。
つまり強力な魔法を使える人物は、十中八九貴族か、貴族籍に名前を載せてもらっていない庶子である。『素性を話せない』と説明すれば、大抵は後者であると判断され、それ以上詮索されることはない。
「でも外の様子がわからないのは不安ですね」
「ソフィア、外の様子を確かめる方法はあるかな?」
「そうですねぇ、ではちょっと床を底上げしつつ、矢が入らないよう小さな穴をいっぱい開けてみましょうか」
サラはドームの周囲を3メートルほど高くし、ドームの四方に金属のメッシュで蔽われた窓を作ってみた。
「わっ。外はすっごい人数です。あれ、暴徒ってこんなに多いんですか?」
高台になったドームの窓から覗いてみると、大勢の人間がこちらを取り囲んでいる様子が窺えた。どうみても報告されていた暴徒よりも数が多い。
「ロブ。あれは暴徒じゃなさそうよ」
「そうだね。武器や防具を見た感じ、どこかの傭兵じゃないかな」
「やはり伏兵がいたのですね」
「そのようだ」
すると荷馬車の方から声が聞こえてきた。
「あれはロイセンの雇った傭兵たちです」
荷台からベンジャミンがゆっくりと降りてくる。
「ベンさん、気付いたのですね? お身体はもう大丈夫ですか?」
サラは駆け寄って、ベンジャミンの身体をしげしげと眺めた。
「あの、すみません。どちらのお嬢様でしょうか?」
ベンジャミンはそんなサラを不思議そうに見つめた。
『しまった! 今の私は8歳のサラじゃない!』
「不躾にすみません。私はソフィアと申します」
「治癒を手伝ってもらったの。その時に私がベンさんと呼んでいたものだから、彼女もそのまま呼んでしまったのね」
「ソフィア、彼は文官のベンジャミンだ」
「なるほどそうでしたか。ソフィアさん、私のことはベンで構いません。助けていただきありがとうございました」
「どうか、お礼はレベッカお嬢様に」
「そうですね。レベッカ嬢、本当にありがとうございました」
「どういたしまして」
ベンジャミンはメッシュ窓から外を覗き込んだ。
「やはり私が森でみた傭兵たちですね」
「森に伏兵が潜んでいたってことかい?」
「はい。私は従妹を見舞った後、密かに暴徒たちの様子を観察していたのですが、一部の暴徒が頻繁に森に入っていくことに気づいたんです」
「ふむ」
「私は不審に思って彼らの後を追いました」
「おいベン! 文官のくせにそんな危ない橋を渡るな。見つかったらどうするつもりだったんだ」
ベンジャミンは苦笑する。
「実際、見つかってしまいました」
「なんだって!」
「そこで寝ている小僧に見つかったんです。いや、もう起きてこっちを窺ってますけどね」
全員の視線が一斉に荷台に向かった。