男装の麗人
サラが目を覚ましたのは夕刻であった。それほど暗くはなっていないが、日はかなり傾いている。ベッドに横になったまま窓を眺めていると、16時を知らせる鐘が鳴った。どうやら3時間ほど眠っていたようだ。
ぼんやりとした頭が少しずつはっきりしてくる。
「そうだ! 暴動はどうなったんだろう!?」
眠る前の状況が一気に頭を駆け巡った。
「サラ大変!」
「森が燃えてる!」
いきなり頭上に裂け目が開き、ミケとポチが飛び出してきた。
「どういうこと?」
「森で火属性の魔法を使った人がいるの」
「だけど制御できてなくて、どんどん広がってるの! 森の妖精たちが大騒ぎしてるよ!」
「なんですって! どこの森?」
「人間たちが狩猟場って呼んでる森!」
サラはベッドから跳ね起きた。着替えずに眠ってしまったせいで、デイドレスはしわくちゃになっているが、今はそれどころではない。
「ミケ、急いでレベッカ先生に知らせて!」
サラはマリアを呼ぶ手間すら惜しんで、執務室へと駆け込んだ。しかし、執務室にロバートと文官たちはいたが、侯爵の姿はなかった。
「やぁ、サラ起きたのかい?」
「伯父様、祖父様はどこですか?」
「騎士団本部にいるはずだけど」
「妖精たちが騒いでいるのです。狩猟場が火属性魔法の暴走で燃えています。急いで知らせてください!」
ロバートは一気に真面目な表情になり、近くに居た文官に伝言を依頼する。
「この領内で水属性の魔法を使える人はどれくらいいますか?」
「森林火災を鎮められるレベルの魔法使いはいない」
「風属性は?」
「風属性なんて、火を煽るだけだ。囲い込んで火の方向をコントロールしたとしても、火の粉までは防げないと思う」
『そうか。この世界に酸素の供給を絶つ状態をイメージできる魔法使いはいないんだ』
そこにレベッカも駆けこんできた。背後にはマリアを伴っている。
「サラさん、状況は聞いたわ!」
「先生…このままでは、大規模な森林火災になってしまいそうです」
サラは泣きそうな顔でレベッカを見た。
「そんな顔で見るってことは、サラさんなら消せるってことね?」
「おそらく可能です。でも力を隠しておくことは難しくなると思います」
ロバートは慌ててサラを抱き上げて、ぎゅっと抱きしめた。
「無理しなくていい。大人たちに任せても、誰もサラを責めたりしない」
「そうよ。一人で背負う必要はないのよ」
サラは、ロバートにぎゅっとしがみついてから、ロバートを見つめ返した。
「私はサラ・グランチェスターです。グランチェスターの人間として、私には領民の生活を守る義務があります。行かせてください」
「わかった。それなら僕も全力でサラを守るよ」
ロバートはマリアにサラを託し、狩猟場に向かうための馬の準備をするよう使用人に命じた。
「サラお嬢様。まずはお着替えをしましょう」
『ん? 着替え?』
ふと頭を昨夜の遊びが脳裏を過った。どうやらレベッカも同じことを考えたらしい。
「サラさん、もしかして私の衣装が必要だったりしません?」
「とっても必要です!」
「まずは私の部屋に行きましょう」
サラとレベッカは視線を合わせ、淑女には相応しくないニヤリとした笑いを浮かべた。横で見ていたマリアには全く理解できなかったが、なんとなく『このお二人なら大丈夫かな』という心持になっていた。
レベッカの衣装部屋には、沢山のドレスが掛かっていた。しかし、そうしたドレスには目もくれず、レベッカはごそごそと奥の方から箱を取り出してきた。開けてみると、平民が着るような”男性用”の服が一式出てきた。ウィッグやブーツまで揃っている。
「レベッカ先生、これなんですか?」
「お忍び用の服ね」
「まさか、男装して外出されているのですか?」
「たまに?」
「本当に小公子レヴィは健在なのですね」
「それが私ですもの! さて、それじゃサラさん見せてもらえるかしら?」
「承知しました」
サラは服を受け取って構造を把握すると、ミケを呼び出して肉体を18歳にするよう依頼した。そして、借りた服を身に纏い、レベッカとマリアの前でくるりと回ってみせた。
「どうでしょうか?」
「うーん、サラさんは変身魔法を木属性って言ってたけど、着替え魔法は無属性ね。だってブーツは革ですもの」
「確かにそうですね」
「それに構造を把握してから魔法を使ってるようだから、鑑定系の無属性魔法も無意識に使っているように思うわ」
『うわ、ますますチートだな…』
「確認は後回しにしておきましょう。そのまま城内を歩くわけにはいかないでしょうから、服は仕舞って、年齢も戻しましょうか」
このやり取りの間、マリアは魂が抜けたように口をあんぐりと開けたまま固まっていた。
「マリア? しっかりして!」
「お嬢様、私は一体なにを見たのでしょう?」
「変身だね」
「とんでもないですね」
「ええ、サラさんの魔法は相変わらずとんでもないわ」
レベッカとマリアの意見が一致したようなので、サラは外見を元に戻した。
「でも、これで正体は隠せるはず。さすがに18歳の姿になればサラさんだとは思わないでしょうし」
「ちゃんと男性に見えてました?」
「胸が隠せてないから、男装の麗人にしか見えないわ」
「それはそれで倒錯的ですね」
『ん-? 胸を潰さないとダメだったかな。まぁ今はいいや』
成長したサラは、レベッカよりも胸が少々大きかったようだ。
その後サラは自室で乗馬服に着替え、ロバートの馬に同乗して騎士団本部へと向かった。サラからの報告から1時間後には現場からも狩猟場の火災の連絡が届いており、騎士団本部はバタバタと慌ただしくなっていた。
本部にある侯爵専用の部屋では、侯爵とジェフリーが待っていた。
「父上、ジェフにも秘密を明かすことに決めたんですか?」
「騎士団に隠し通すことは難しいだろう」
「仰る通りですね」
ジェフは不思議そうな表情を浮かべつつも、この場にサラがいることに異議を唱えるような無駄なことはしない。騎士としての経験から、サラが尋常ではないことには既に気付いているのだ。
「祖父様、森林火災を止めに行ってまいります」
「それしかないのか…」
「被害を最小限に食い止めるには、それしかないかと」
「そうか…。すまぬ」
侯爵は傍らに立つジェフリーに向かって説明する。
「サラは全属性持ちなのだ。しかも、魔力量や制御能力もずば抜けている」
「はぁっ!? アーサーの妻は王族の隠し子だったりするのですか?」
「そんな話は聞いたことがないな」
どうやらジェフリーの想像を超えた内容だったらしい。目が完全に泳いでいる。
「これが広く知られてしまえば、サラの自由はなくなってしまうだろう。私たちはそれを避けたいのだ」
「いや、しかし王室に望まれるのではありませんか? グランチェスターから王妃がでるかもしれません」
「私の身分は平民ですから、それはあり得ません。それに、私はそうした生き方をしたくないのです」
「しかし!」
「くどいぞジェフリー。私が許可したのだ。それ以上は口を挟むな」
「はっ。失礼いたしました」
ジェフリーは一礼した。
「だけど、このまま森林火災を鎮めに向かえば、バレるのは時間の問題だよね。僕はグランチェスターのためにサラを犠牲にしたくない」
ロバートは心配そうにサラを見たが、サラとレベッカは二人でくすっと笑った。
「それなんですけど、ちょっと裏技を思いつきました。祖父様、その衝立をお借りしても良いですか?」
ちょっとした着替えのために、執務室の角には衝立が置かれていた。サラはすたすたと歩いて衝立の後ろに回り、18歳の男装の麗人へと変身した。
「この姿ならバレずに済みます?」
衝立の後ろから出てきたサラの姿を見て、男性陣は目を剥いた。
「なんだそれは!」
「え、え、サラだよね?」
「お嬢様ですか??」
サラはレベッカと視線を合わせてにこっと笑った。
「えっと、私の妖精の恵みは、歳をとることを遅くするだけではなくて、年齢を自由に変えられるんです」
「なんだ、その非常識な能力は!」
すると、ミケがするするっと裂け目からでてきて、憤慨し始めた。
「なんですって!! 私は時間を司ってるだけよ! 失礼しちゃうわ」
サラはミケの額を指先で、すりすりと撫でた。
「祖父様、私の妖精が怒っているので、そのあたりでおやめください。私の友人は時間を司る妖精なのだそうです」
「なるほど…」
「それにしてもサラ、凄く綺麗になるんだね。声も少しハスキーでアデリアによく似てる」
するとジェフリーが咳払いをして忠告した。
「お嬢様。その姿で騎士団本部は歩かれない方が良いかもしれません。ここには若い男が山ほどおります。レベッカ嬢の乗馬服姿だけでも、気もそぞろになるやつらが山ほどいるのです。そこに男装の麗人のお嬢様が加わったら、間違いなく仕事が手に着かないでしょう」
「そんな大袈裟な」
「大袈裟ではないと思うがな」
侯爵もため息を吐いた。
「ジェフリーよ、騎士団のフード付きマントを持ってきてくれ。目深に被れば多少はマシだろう」
「そうですね」
サラは元の姿に戻り、ジェフリーから外套を受け取ってから、再びロバートの馬に同乗して狩猟場へと急いだ。