グランチェスターの騎士
ゆっくりした昼食が終わったところに、騎士団の制服を着用した赤毛の男性が入室してきた。どうやら午後のお仕事時間のようだ。
「暴動の鎮圧で私がお役に立てることは無さそうですので、お邪魔にならないように退散しますね」
「さすがに見た目は子供のお前を連れて行くわけにはいかんな」
「正真正銘8歳です。見た目だけではありません」
『私はコ〇ンかっ!』
「ですが、『連れて行くわけにはいかない』とは、祖父様は現場に赴かれるということでしょうか?」
「そうだ。これから騎士団を伴って向かうつもりだ」
「危険ではありませんか?」
「領主の責務とはそうしたものだ。それほど規模の大きな暴動ではない。心配するな」
「はい…」
更紗時代、仕事でさまざまな国を訪問した。宿泊しているホテルの付近で暴動が起きたり、テロが発生したこともある。ひとたび暴動がおきれば、死傷者が出るということもサラは理解していた。
暴動を力で鎮圧しても、根本的な解決に至るとは限らない。民衆の不満が燻り続け、結果としてさまざまな場所に暴動が飛び火してしまう危険性があることも十分考えられる。
『なんだろう、すごくイヤな予感がする。そもそも、この暴動って本当に猟師たちの待遇の問題でおきたの?』
昼食のついでに概要しか聞いていないはずなのに、この暴動のことを『分かったつもり』でいたことにサラは改めて気づいた。
「お暇する前に確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「暴徒は猟師だけなのでしょうか?」
祖父は扉の前に待機していた騎士に目線をやり、顎をしゃくった。騎士は侯爵の要求を理解し、サラの質問に答えていく。
「暴徒は猟師、および猟師らに賛同した冒険者で構成されています」
「冒険者ですか? それはグランチェスター領の冒険者ギルドに所属している方々でしょうか?」
「猟師の多くは我が領の冒険者ギルドに所属している冒険者ですが、賛同している冒険者は他領の者たちのようですね」
『え? どうして他領の冒険者が、グランチェスターで暴動を起こすの?』
基本的に暴動は武力によって鎮圧される。当然暴動を起こした者たちは捕えられ、決して軽くない罰則が待っている。場合によっては処刑されることすらある。
わざわざ他領の冒険者が、猟師の待遇くらいで暴動を起こすとは、サラには信じられなかった。たとえ猟師と親交があったとしても、そこまでのリスクを冒すとは思えない。
「人数はどれくらいなのですか?」
「猟師は20名、他領の冒険者が30余名です」
「それでは猟師より多いではありませんか! ちなみに、本当に他領の冒険者なのですか? 暴徒たちの身元は判明していますか?」
「こちらの手元に身元を確認する書類が届いておりませんので、正確な身元が判明している者は少ないかもしれません」
『待って、これ本当にただの暴動?』
「祖父様、この領の騎士団には何名が所属していますか?」
「正式な騎士は500名程度だな。あとは準騎士や見習いが700名程で、予備役は300名といったところだな」
「そのうちどれくらいを連れて現地に赴く予定ですか?」
「まぁ騎士50名、準騎士や見習いを100名といったところか。少数精鋭で早めに鎮圧する」
「もし、その他領の冒険者が偽装した騎士や傭兵だった場合、その人数で制圧は可能でしょうか?」
「ぬっ!?」
侯爵をはじめ、執務室内にいる全員がサラの指摘にびくりと反応した。
「臆病な小娘の戯言に過ぎないかもしれません。ですが、仮に私がアヴァロンを侵略するのであれば、まず食糧庫であるグランチェスターを狙うでしょう」
「なんだと!?」
「暴動が起きたのはグランチェスターにとって重要な拠点となりつつある狩猟場です。絶対に放置はしないでしょうし、祖父様の性格から考えて、祖父様自身が鎮圧に赴かれることも予想しているかもしれません」
既に初秋であり、狩猟大会を開催するまでの期間はそれほど残っていない。グランチェスターは貴族としての威信から、この地域の火種を放置するはずがないのだ。
「ウォルト男爵邸で暴れている暴徒を制圧するだけであれば、大規模な軍隊は必要ありません。必然的に少人数で素早く解決しようとするでしょう。ですが、その騎士たちに向かって、別の方向から伏兵が襲い掛かったらどうなるでしょう? 狩猟場は森ですから伏兵を潜ませることは容易だと思います。それに、他領の冒険者を騙った傭兵や騎士であれば、逃亡するフリをして騎士団を優位な場所に誘導することもできるかもしれません」
「なんと!」
「その場で祖父様を殺害、あるいは大怪我を負わせるだけでも彼らの作戦は成功です。グランチェスターは大きく混乱するでしょうから」
「しかし、そうすることで敵にどのような利があるのだ?」
サラはしばし考えて答えた。
「グランチェスターは小麦の収穫時期を迎えています。私なら指揮系統の混乱に乗じて小麦畑を焼きます。あるいは収穫済みの小麦を盗み出して、自分たちの糧食にするかもしれません」
「ふむ…」
「グランチェスターから小麦が得られなければ、アヴァロン国内の食料事情は一気に傾きます。本来であれば、ひとつの領が傾いたところで、国が一気に危機に見舞われることはありません。せいぜい食料品の価格が高騰するくらいです。もちろん国は民を救うために備蓄した食料を放出することになるでしょう。ですがグランチェスターに、その配給が割り当てられることはないでしょう。国はここに備蓄した小麦があると信じているはずですから。下手をすれば備蓄を供出しろと命令が下るはずです」
「もしや、サラが言いたいのは…」
侯爵が喉の奥から絞り出すように声を出す。
「はい。私は横領事件を起こした人間たちが、グランチェスター領の状況を外部に漏らした可能性を疑っています。あるいは横領そのものが計画の一部かもしれません。失われた備蓄が敵の手に渡っていないことを祈りたいですね。本気で国に攻め入ることを考えているとすれば、真っ先に糧食を確保するでしょうから。当然ですが我が国を守る兵士たちにも糧食は必要です。しかし国の食糧事情が悪化している時に糧食を不足なく確保できるでしょうか? 考え始めるとすごく怖いですよね」
サラは猟師が暴動を起こす理由が極めて弱いと考えていた。確かに猟師たちは不満に思っているのかもしれないが、そもそも彼らは冒険者との二足の草鞋を履いているのだ。ある意味では猟師の方が副業である。
暴動は器物破損や傷害といった暴力事件であり、捕まれば犯罪者となり、冒険者ギルドの登録も抹消されるだろう。副業に不満があるなら、そもそもその仕事をしなければいいのだ。わざわざ本業ができなくなるような行為に及ぶ必要はない。
つまり彼らには、暴動という罪を犯すだけのメリットがあるのだ。おそらく金をもらっている可能性が高い。
「もし暴徒が猟師だけであれば、ちょっとした小競り合いが暴動に発展してしまったのだと思ったかもしれません。しかし、他領の冒険者を巻き込むというのは些か不自然過ぎませんか?」
執務室内は水を打ったような静けさに包まれていた。不意に口を開いたのは、扉の前に控えていた騎士であった。
「お嬢様、あなた様は一体…」
『あ、そういえばこの人は、初めましての人だわ。執務室だからうっかりしてたよ!』
サラは騎士に近づいて挨拶することにした。
「お初にお目にかかります。サラ・グランチェスターと申します。アーサー・グランチェスターの娘で、侯爵閣下の孫にあたります。以後お見知りおきを」
きっちりカーテシーを決める。
「私はジェフリー・ディ・グランチェスターと申します。グランチェスター騎士団の団長を拝命しております」
「グランチェスターということは、ジェフリー卿は私の親戚でもあるのですね?」
「私の父は、侯爵閣下の弟にあたります」
ロバートも二人の傍に歩み寄ってきた。
「要するに、僕たち兄弟の従兄弟だね。彼の父親は先代侯爵の4番目の息子だから、僕と同じように騎士爵だ。だけどその息子のジェフは、王都の剣術大会で優勝して、自力で騎士爵を叙爵された強者なんだよ」
「本来なら身分は平民なのですが、かろうじて貴族の末席に留まっております」
「相変わらずジェフは堅苦しいなぁ。子供の頃みたいに普通に話せよ」
「ロブ、今は仕事中だ」
ジェフリーは眉間にしわを寄せ、ロバートに厳しい視線を送る。どうやらジェフリーは、真面目で堅い人物らしい。
「アーサーの娘ということは、本当に見た目通りの年齢なのですね」
「はい。がっかりされましたか?」
「いえ、そういうことではないのですが…」
ロバートはジェフリーの肩をぽんぽんと叩いた。
「やっぱり、そこ驚くよね。僕らも最初は驚いたからね」
「当たり前だ。お前の姪とはまったく信じられん。まぁアーサーは賢い子だったが、それでもこの年頃は普通の子供だったぞ?」
「まぁそうだね」
「しかも、この部屋で驚いているのが私一人だということの方が、もっと驚きだ」
「それは……慣れちゃったから、かな」
周囲は一斉に頷いた。
「まぁそれについては追々話すとしよう。ジェフリーよ、サラの心配が杞憂だったとしても、最悪の状況を想定して動いておくべきだろう。其方は騎士団の半数を率いて暴動の制圧に向かえ。残りは予備役の者たちも含め、すべて登城するよう命令を下せ。揃い次第、領内の見回りを強化させるのだ。特に農村地域を重点的に。私は城に残って指揮を執る」
「はっ」
ジェフリーは侯爵に一礼し、足早に退室していった。
「どうやら音楽会は延期になりそうですね」
「仕方あるまい。お前の心配が杞憂に終わればすぐだろう」
「そうだと良いですね」
ふとサラは強い眠気に襲われた。昨夜は8歳にあるまじき夜更かしをしたせいで睡眠不足な上、昼食をたっぷり食べて満腹だ。睡魔が訪れないわけがない。サラが小さなあくびを嚙み殺し、目をショボショボさせていることに気付いたロバートは彼女を抱え上げた。
「どうやらサラはおねむみたいだね」
「ゆうべ、夜更かししちゃったのです。それでレベッカ先生にも怒られました」
「なるほどな」
「部屋まで送るよ。子供は寝ないとね」
ロバートは抱え上げたサラの背中を、軽くぽんぽんと叩いた。その感触が心地よく、サラはそのまま腕の中ですやすやと寝息を立て始めた。
「こうしてると普通の子供なんだけどねぇ…」
それはこの場にいる全員の共通見解でもあった。