嵐の予感
サラは久しぶりに執務棟に向かっていた。
思いがけず日中の予定がなくなったため、昼食になりそうな軽食を携えて侯爵とロバートに会いに行くことにしたのだ。
執務室の扉の前に到着すると、中から怒鳴り声のような大きな声が聞こえてきた。
『なんだろう? この声はたぶん祖父様だと思うけど』
こうした状況で扉をノックしていいのか、サラは逡巡した。いつもはレベッカが傍らにいるので、判断に迷ったときにはレベッカの判断を仰ぐことが多かった。しかし、今日はレベッカと別行動である。サラは改めて、レベッカがいない状況で執務室に向かうことが初めてであることに気付いた。
扉の前で躊躇していると目の前で扉が開いた。どうやら外に出て行こうとしたベンジャミンが扉を開けたようだが、サラが立っていることに気付いて立ち止まった。しかし、ベンジャミンの表情は驚くほど青ざめている。
「サラお嬢様、いらしていたのですね。どうぞお入りください。私は急ぎますので、このまま失礼いたします」
サラが執務室に入ると同時に、足早にベンジャミンは執務室を後にした。部屋に残った侯爵とロバート、そして文官たちも微妙に緊張したような表情を浮かべている。
「先程、祖父様のお声が聞こえました。なにかあったのでしょうか?」
侯爵とロバートは顔を見合わせて頷きあい、サラをソファに座るように促した。メイドたちはマリアから軽食の入ったバスケットを受け取り、配膳の支度に取り掛かる。
「暴動が発生したという連絡が入った」
「えっ、暴動ですか?」
「そうだ。グランチェスター家の狩猟場を管理している猟師たちが、自分たちの待遇に不満を訴えて暴動を起こしたようだ」
「報酬の支払いに問題でもあったのでしょうか?」
グランチェスター家の狩猟場は、アクラ山脈の麓に広がる森にある。この森には兎や狐のような小動物から、ワイルドベアなどの大型の魔物までさまざまな生き物が生息している。
晩秋から初冬にかけて行われるグランチェスター家の狩猟大会は、貴族の間でもなかなか人気のあるイベントらしい。
サラは知らなかったが、狩猟場というのは常に手入れが必要な場所である。というより、森そのものの管理が重要と言うべきだろう。馬を駆けさせるには、整備された林道が必要になる。余計な枝や蔓を落とし、下草も刈り取らねばならない。
木々が成長すれば、自然と森の中が込み合っていく。これを放置すると木はどんどん生い茂り、鬱蒼と暗い森になっていく。そうなれば見通しが悪いだけでなく、ひとつひとつの木が大きく成長できない原因ともなる。
この状態を改善するには、木の成長に応じて木の数を調整する『間伐』や、枯れた木や折れた木などを取り除く『除伐』といった作業が欠かせないのだ。なお、間伐や除伐した木は主に薪として利用される。
大きく成長した木を、建築物や家具などで利用するために切り出すこともあるが、グランチェスター家は狩猟場の景観を重視しているため、巨木の伐採許可が下りることはあまりない。
常に狩猟大会が行われているわけではないため、それ以外の時期に人里に降りてきた害獣は狩らねばならない。この害獣を狩るのが猟師である。
「狩猟場のある森を管理しているのは、グランチェスター家の親戚筋にあたるウォルト男爵家だ。ウォルト男爵が必要に応じて、木こりには報酬を支払っていたが、猟師には報酬を支払っていなかった」
「それはどうして?」
「報酬の代わりに、獲物をそのまま猟師に引き取らせていたそうだ」
「そういうことであれば、別に不思議ではありませんね」
獲物は肉や毛皮、場合によっては牙、角、内臓などが素材となるため、獲物をそのまま引き取ってよいということであれば男爵の対応は理解できる。
「木こりは森の管理費を報酬として受け取り、さらに間伐材などを薪として売ることも認められている。これに猟師たちが不公平だと文句をつけたのだ」
「なるほど。でも薪などで得られる利益はそれほど大きくないのではありませんか?」
「備蓄のために僕たちが薪を多めに購入したことも原因の一つかもね」
それまで机に向かっていたロバートも、ソファにやってきて話に参加する。どうやらメイドたちが昼食を皿に盛りつけて運んできたことが理由のようだ。
「木こりの収入が増えたから、猟師が面白くないと思っているということですか?」
「それもある。しかし、一番の問題は分業化にあると私は考えている」
「分業化?」
「そう。かつて猟師と木こりは、兼任している人が多かったんだ。普段は木こりだけど、人里に害獣がでたら猟師になるんだ。だけど最近は猟師を専門にする人が増えてきてね。ほとんどは冒険者ギルド所属の冒険者なんだけど、それだけじゃ食べられない人が猟師もやってるって感じかな」
ロバートがサンドウィッチをもぐもぐと食べながら説明する。
「要するに、これまで木こりと猟師の両方の利益を得ていた人ばっかりだから問題になってなかったけど、分かれちゃったせいで文句を言う人が出てきたってことだね」
「なるほど」
「狩猟場は許可なき者の狩猟を禁止していることは知っているか?」
「はい。レベッカ先生に教わりました」
実はグランチェスター家の狩猟場は、許可を得ていない人間が狩猟を行うことを禁止している。そのため『人里』に侵入していない獲物には、手をだすことができない。狩猟場に定められたエリアを出るまで、矢を射かけることすら許されていないのだ。
なお、サラはグランチェスターの一員であり、レベッカも客分として滞在しているため、二人は森で狩りをすることを許可されている。つい先日も二人で妖精の住む泉の近くで、ホーンラビットを狩っている。
「その規則には例外がある。実は森を管理する木こりが身を守るため、仕方なく狩ることは許されているのだ」
「それは不思議ではないですね」
「でもね、『身の危険を感じる』って基準は曖昧なんだよ。実際、食料が不足した木こりが森に入って獲物を狩ることもあるらしいんだ」
「あぁ、なんとなくわかってきました。専業の猟師たちができないことを、木こりが堂々とやっちゃうわけですね?」
「そういうこと」
ウォルト男爵も木こりたちの行動は把握していたが、大々的に狩猟をするわけでもないため、ある程度は目こぼしをしていたらしい。
ところが狩猟場で狩りができない専業の猟師たちにしてみれば、木こりたちが堂々と獲物を持ち帰るのを見て面白いわけがない。そのうち数名の猟師たちが、境界を超えて狩猟場のエリアで獲物を狩る姿が目撃されるようになっていった。
さすがにウォルト男爵も見過ごすことはできないと彼らを問い詰めたところ、「境界を越えた獲物を狩ろうとしたら、仕留めそこなって狩猟場に逃げ込んだ。手負いの獣を放置するわけにはいかない」と開き直ったのだという。
それでも違法な狩猟が後を絶たなかったことから、ウォルト男爵は猟師を数名逮捕して投獄した。見せしめの意味も込めて彼らを厳罰に処すつもりであったのだが、その夜に猟師たちが一斉に蜂起し、ウォルト男爵の邸を取り囲んだ。
もちろん、このような暴力にグランチェスターから狩猟場の管理を任されているウォルト男爵家が屈するわけにはいかないため、領の騎士団に出動を要請し、暴動はあっさりと鎮圧されるに至った。
しかし、専業の猟師たちの不満はいまだに燻っているというのが現状である。
「彼らの要求はなんですか?」
「狩猟場での狩猟許可だな」
「それ無理ですよね?」
国内屈指の狩猟大会の会場を荒らすわけにはいかないため、彼らの要求を呑むことはできない。
「でしたら専業の猟師を認めなければ良いのではないでしょうか?」
「うーん。そこが悩ましいところでねぇ」
実はグランチェスターの狩猟大会は、ここ数年で人気が急上昇しているのだそうだ。これは社交に力を入れている小侯爵夫妻の功績でもある。参加する貴族達は、狩猟場の周辺施設や領都に外貨を落としていくため、グランチェスター領の運営にも大きくプラスとなっている。
その一方、狩猟場は年々拡大し、森を管理する木こりの人数も不足気味となっている。また、狩猟場周辺には宿泊施設や馬の放牧施設なども次々とできており、そうした施設への害獣被害もやはり年々増加しているのだという。
「要するに、木こりも猟師も必要。でも猟師は害獣がでるのを待ってることしかできないせいで、収入が安定しないってことで合ってますか?」
「そうだね」
「で、木こりの人たちが狩猟場から獲物を持ち帰ってくるのが悔しい、と」
「それもあってるね」
『めんどくさっ!』
「そこまでは理解しましたが、先程ベンさんが急いで出ていかれたのには理由があるんでしょうか?」
「ベンジャミンはウォルト男爵の甥なのだ。今回の暴動で従妹が怪我をしたらしくてな。猟師たちに厳罰を科すよう息巻いておる。興奮し過ぎだと叱責したが、あれは聞く耳をもっているようには見えなかったな」
「そうですね。僕もベンのことは心配です」
何故かサラは嵐の予感を感じていた。




