侯爵との話し合い 1
麦角菌の騒動が一段落し、秋植の作付けが終わったところで、サラたちはグランチェスター城に帰ってきた。侯爵、ロバート、ポルックスは一足先に帰城している。
錬金術師ギルドと薬師ギルドのメンバーは、サラたちと一緒に領都に戻った。テオフラストスとアレクサンダーは先に戻るはずだったのだが、二人とも頑としてサラから離れようとしなかった。おそらくギルドの運営よりも知的好奇心を優先したのだろう。
グランチェスター城にある本邸では、侯爵とロバートがサラを出迎えた。到着が夕刻であったことから、夕食のために戻ってきていたらしい。さっそく一緒に晩餐を囲むこととなった。
「サラにはいくつか確認しておかねばならんことがある」
「何でしょうか?」
「細かく言えばいろいろあるが、大きな括りで言えば『これからお前はどのように生きて行きたいのか』だな」
「ざっくりとしていて、答えるのが難しい問いですね」
「まぁそうかもしれんな。ではまず、貴族として生きたいかどうかだな」
いきなり核心に迫る質問をしてきた侯爵に、サラはどのように答えるべきか躊躇した。
「私は平民として生まれ育ちましたので、貴族令嬢として生きることは難しいだろうと思っています。従姉妹たちの様子を見れば、貴族社会でどのような扱いを受けるかは想像できますから」
「その件については、私の配慮が足りなかったこともある。すまない」
「いえ、祖父様が何か手を回してくださったとしても、見えないところで同じようなことが起きたと思います。仮に祖父様が私を養女にしてくれたとしても、私が平民であった過去が消えてなくなるわけではありません。社交の場に呼ばれたとしても、私が置かれる立場は決して愉快なものにはならないでしょう」
「ふむ。そうか」
レベッカもサラの発言に同意する。
「サラさんの置かれている立場は、貴族の庶子とあまり違わないかもしれませんね。アーサーとアデリアは教会に認められた正式な夫婦ではあるけど、貴族籍に入ったのは亡くなったあとですしね」
「でもサラの才能の一部でも公にすれば、評価は変わるんじゃないのかな?」
「それはサラさんのためにはならないと思うわ」
「なぜだい? レヴィは僕以上にサラの高い能力を知っているだろう?」
ロバートは不思議そうな顔をする。
「それは私が女性だからですよね?」
「ええ、そうよ」
音を立てることなくカトラリーを置いたレベッカは、ナプキンを口許にあてがいながら、悲しそうな顔をした。
「それほど女性とは辛いものなのかね?」
侯爵が厳しい眼差しでレベッカを見た。どうやらレベッカの意見にあまり賛成ではない様子である。
「辛いと感じるかどうかは人によるのではないでしょうか。基本的に貴族の女性は、男性の家族に従属しています。祖父、父、兄弟、嫁いだら夫、老いたら息子に従って生きねばならず、自分自身で生き方を決めることはできません」
「従属というのは穏やかならざる意見だな。我々は婦女子はか弱い存在であり、庇護すべきであると教育されるのだが」
「庇護されていることに安心し、穏やかに過ごされる女性もいらっしゃるでしょう。そこに愛情があれば、より幸福を感じるかもしれません。しかしその一方で、支配されることに閉塞感を感じる女性も少なくはないのです。夫が妻に暴力を振るったとしても、女性から離婚を申し出ることはできませんので」
「そんな男性ばかりではないと思うが…」
しかし、強引に隣国の王子に嫁がされそうになったレベッカの過去を思えば、この意見に説得力を持たせるのは少々難しい。
「祖父様、すべての女性がか弱いと思われますか?」
「お前は強いと思うが…」
「確かに私は他の方々よりも魔法の能力に長けているので、『強い』と言われるかもしれません。ですが強さとはそれだけを指すものではないと私は考えます」
「ほう?」
「たとえば乙女たちは女性であるためギルドに正式登録はできていませんが、それぞれ専門的な知識や技術を持っています。これは自分たちで生活していく強さを持っているということではないでしょうか? 開拓者の集落にいたエルザさんは、絶望的な状況で挫折することなく立ち上がり、夫であるジェイドさんを支え、地域のご婦人たちを率いる強さをお持ちでした。それにレベッカ先生の強さについては、説明するまでもないですよね?」
これには侯爵とロバートも頷いた。
「ですが貴族女性は強さを持っていても、表面的には強さを隠して男性に従わなければなりません。高い能力を持っていても、男性よりも優れているように見えた途端に『女のくせに生意気だ』と言われてしまうのです」
「なるほど、それは否定できんな」
サラは首を傾げて、少しだけ過去を思い出した。
「私はとても恵まれていました。私やレベッカ先生の手を借りずに乗り越えることができないほどグランチェスター領が人材不足だったからです」
「それはロバートの手柄であろうな。レベッカ嬢をガヴァネスとして雇用する旨を知らされたとき、薄々こやつの魂胆には気づいていたが、まさかサラまで巻き込むとはな」
「それは僕も想定外だったよ」
「伯父様は無茶ぶりが過ぎるとは思いますが、おかげで文官の方々にも受け入れていただきました」
「それは、サラが彼らに能力を示したからだろう?」
サラが恵まれていたことは確かだが、避難場所として選んだところが職場になるのは予想外でもあった。というより8歳で就職する羽目になるというのは、いかがなものであろうか。平民でも、せいぜいが見習いとなるような年齢である。
「いえ、やっぱり私は恵まれていたと思います。私が帳簿に口出ししたとき、ジェームズさんとベンさんは嫌な顔一つせずに受け入れてくれました。アカデミーを卒業して、周りの人たちからはエリート扱いされる文官なのに、8歳の小娘の言うことにちゃんと耳を傾けてくれたんです。これって凄いことだと思いませんか?」
「ええ、それは私も感じたわ。ロブが率先してサラさんを受け入れてたってこともあるとは思うのだけど、それでも彼らの柔軟な姿勢はとても評価できるわ」
「うーん。事態が切迫してて、背に腹は代えられなかったってのもあるとは思うけどね」
「確かにそういうところはあるかもしれないですね。本邸の執事やメイドたちを招集して欲しいって言った時も反対しませんでしたもの」
ロバートが苦笑を浮かべる。
「いやぁ。あれはサラが反対する余地を与えなかっただけだと思うんだけど」
「そうでした?」
「うん。まぁお陰で執務室のメイドたちの価値を知ったんだけどね」
「あぁ最初に執務室でメイドを見たときは、綱紀が乱れていると追い出してしまったが、あれは良いな。執務の作業効率が格段に向上したぞ」
『あ、祖父様も執務メイドの価値に気付いたのね! やっぱり秘書とかアシスタントって大事だよね』
サラはしみじみと前世の職場にいた派遣のおばちゃんを思い出していた。
「少し話は逸れてしまいましたが、要するに高い能力を持っていても、貴族社会やそれに近い場所では女性はあまり評価されないということを言いたかったのです。祖父様だって、執務室でメイドを見たら追い出しましたよね?」
「う、うむ」
「自分で言うのもなんですが、私の執務能力って高いほうだと思います。ですがどれだけ高い能力を持っていても、アカデミーに通うことはできませんし、他領の文官になることもできません。仮に私が貴族女性として他家に嫁いだとして、夫の執務に口を挟むことを快く受け入れてくださると思われますか? 妻の方が能力が高いことを見せつけられたりしたら、男性のプライドに傷がついたりしません?」
「それは男性の度量によるとしか……」
不意にレベッカが、くすくすと笑い出した。
「ロブ、それって自分の度量は広いって自慢してるの?」
「あ、いや、そういうつもりじゃないんだけど、僕は女性の能力が高いことだってあると思うし、そういう女性に支えてもらえるのは嬉しい!」
「なるほど。ロブはそういう女性と結婚したいのね。それは頑張って探さないとね」
「そんなに積極的に探すつもりはないというか、探す必要はないというか…」
『うーん。伯父様頑張れとしか言えない状況だなぁ。あ、祖父様も生暖かい目線になってる。これ祖父様も気付いてるな』
「まぁそういう理由から、私は積極的に貴族女性になろうとは思っていないのです」
「それは、グランチェスター家がイヤだから出て行こうと思っているわけではないということか?」
「正直言えば、小侯爵夫妻と従兄妹たちは苦手ですが、それよりも貴族女性としての生き方に縛られることがイヤなんだと思います」
「なるほどな。つまり、家のための結婚や社交を強制されず、エドワードたちにも口出しをさせないような環境を整えれば、サラはグランチェスターを出て行かずに済むということだな」
『はい!?』
「祖父様。私でも貴族女性としての責務として、家の繁栄を支えるために嫁ぐことは当然だと理解しています。そのために貴族としての特権を与えられていることも」
「サラよ。確かに貴族は家のため、領民のために生きなければならない。しかし、それが必ずしも結婚とは限らないのではないか?」
「と仰いますと?」
侯爵はワイングラスの脇に置かれた水のグラスを手に取ってコクリと飲み、ゆっくりと話し始めた。
「お前は自分自身の能力によってグランチェスターを支え、領民を守っていけば良いのだ。無理に結婚をする必要はない。将来はエドワードがグランチェスターを継ぐことになるが、ひとまずロバートの養女になってしまえば、保護者のいる令嬢となるため、エドワードが直接お前に命令することはできない」
「え、伯父様の養女ですか!?」
「僕じゃ不満?」
「だって三十路で独身なんですよ? コブ付きになったらお嫁さんこなくなっちゃいます」
侯爵は飲んでいた水を噴き出し、豪快に笑い出した。
「サラよ…、お前なかなかキツイな」
「だって事実ですよね?」
「そうだが、こやつの場合、コブの有無と結婚できるできないは関係無い気もするぞ。あるいは、コブが付いている方が良い方向に転がるかもしれん」
「二人ともあんまりじゃないか!」
憤慨しつつも、ロバートはなんだか嬉しそうな表情を浮かべている。
「うーん、即答しなくて良いのであれば、前向きに考えてみることにします」
「うむ、ゆっくり考えてみると良い」