収束あるいは終息
「ジェイドさーん、種と苗を用意してもらいました。取りに来られますかー?」
サラはジェイドを呼んだ。するとジェイドとその妻のエルザ、そして10歳くらいの男の子を先頭に3人の子供もサラの方に向かって歩いてきた。さらにその後ろにはジェイドの両親と思われる壮年の夫婦もいる。
「えっとジェイドさんは文字の読み書きはできますか?」
「いえ、私はできませんが妻はできます。もともと商家で働いていたので」
「なるほど。ではエルザさん、これを見てもらえますか?」
サラは彼らの前にやや大きめの紙を拡げた。
「ここに、畑のどこに何を植えればいいのかの指示と、妖精から聞いた育て方を書いておきました。あ、北側が上です。種と苗の絵も描いてありますので、植えるときの参考にしてください」
ちなみに、指示書の絵はアメリアが描いている。彼女は植物図鑑の絵を任されるほどの腕前なのだ。サラは賢明なので自分で絵を描いたりはしない。指示書に芸術的なシュールレアリスムは不要だからだ。
「ははぁ、なるほど。これはとても分かりやすいですね」
エルザが指示書を覗き込みながら答えた。
「畑も耕してもらったことですし、さっそく明日から取り掛かりますよ」
「あ、一部の作物は、もう少ししてから植えるものもありますので」
「この指示書に従って、時期がきたら植えればいいんですね?」
「はい。よろしくお願いします」
ふとサラが顔を上げると、ジェイド一家を取り囲むように他の農家の人々もやり取りを見守っていた。その後ろにはギルド関係者たちもいるではないか。
「皆さんも集まってくださったのですね。ひとまずジェイドさんのご家族は、畑に植える作物の選定を私に任せてくださったので、こうして種や苗を用意させていただきました。それと、こちらにあるのは、それらの作物を育てて収穫したものです。自分たちが何を育てるのか知っておくのも大切かと思いまして、植物を守る妖精たちにお願いして用意してもらいました」
サラは山のように積みあがっている収穫物を指し示した。中には薬草もあるため、錬金術師や薬師たちも、興味深そうに収穫物を見つめている。
「折角ですし、皆さん一緒に食べませんか? たくさん用意してありますので。ギルド関係者の方々は、薬草をご覧になっていただいても構わないですよ」
収穫物を手に取って確認していたエルザがサラに質問した。
「どれが薬草で、どれが食べて良い作物なのかわからないものもあるのですが…。そもそも調理方法が良くわからないです」
「そうかもしれませんね。では作物を説明しつつ、調理方法もお話しましょう」
かくして、サラは農作物の調理方法や利用方法などを、ひとつひとつ説明していった。なお、事前にアリシアとアメリアには指示を出しておいたため、彼女たちはサラが水属性の魔法で綺麗にした馬鈴薯を皮ごと大きな鍋で蒸してある。
「まずは馬鈴薯をお召し上がりいただけますか? 今回はシンプルに蒸しただけですが、調理のバリエーションはとても多いので、私は領都の商店でも売ってもらおうかと考えているのですが」
馬鈴薯には事前に十字の切込みを入れておいたので、そのあたりにバターを乗せて人々に振舞った。なお、この集落では牛を飼っている農家も多く、バターも豊富にあった。
「うわ、サラ、これすっごい美味い!」
なぜか農家の人々よりも先にロバートが馬鈴薯に感動していた。
「なぜ伯父様が先に召し上がっているのですか。これはジェイドさんや農家の方々に、新しい作物を紹介するために用意したのですよ!」
「だってサラが美味いっていうからさ。気になるじゃないか」
サラは深い深いため息をついた。
「皆さま、食いしん坊の伯父でもうしわけありません」
サラがペコリと頭を下げると、周囲は堪えきれずに笑い出した。
「ははは。つまり貴族様も夢中になるくらい美味いってことですよね」
「それはうちでも育てなきゃ」
人々は次々と蒸した馬鈴薯を試食し、その美味しさに感動してくれた。馬鈴薯以外にも、蕪、大根、ブロッコリー、エンドウなどの野菜にも興味を示している人が多い。当然といえば当然だが、錬金術師や薬師は薬草に興味津々である。
「もし、ご自分の畑でもこれらの作物を育てたいとお考えの方がいらっしゃったら、申し出てくださいね。種や苗などはこちらで用意いたします。あ、もちろんこれらの作物を育てていただいたとしても、ライ麦の補償金はきちんとお支払いしますのでご安心ください」
「すみません、できれば他の作物も食べてみて良いでしょうか? うちの台所で料理しますので」
エルザが調理を申し出てくれたため、ほかの収穫物も次々と調理していった。気が付けば、錬金術師や薬師たちも野営の準備をしており、それぞれに調理を始めている。
そのうちライ麦パンを提供する農家もでてきた。念のため妖精にチェックしてもらったが、在庫のライ麦粉には麦角菌がないことは確認されたため、皆安心して食べている。
あっという間に周辺はお祭りのような雰囲気へと変わっていく。
『あらら、お酒まで出てきたよ…』
ふと遠くに目をやると、珍しくレベッカが貴族的ではない笑いを浮かべて、ロバートの方に近づいていくのが見えた。声を掛けられたロバートは、渋々といった雰囲気で、ライ麦や雑草を放り込んだ穴に近づいていく。
穴の淵に立ったロバートは、穴に向かって手をかざし始めた。しばらくするとロバートの手から小さな火の玉が飛び出し、麦穂の上に落ちるのが見えた。しかし、炎が燃え上がるようなことはなく、すぐに火は消えて細い煙だけが立ち上っている。レベッカはロバートの背中をバンバンと叩き、淑女にあるまじき大口をあけて大笑いをしていた。
『あれが本来の小公子レヴィなんだね。楽しそうだなぁ』
その後もロバートは、火の玉を麦に向かって撃ち続けたが、まったく火の手が上がる気配がない。さすがに気の毒に思ったサラは、ロバートが火の玉を放った瞬間を見計らって、風属性の魔法で火の玉に酸素を送り込んだ。
穴から大きな炎が吹きあがり、まるでキャンプファイヤーのような雰囲気になった。人々も炎を見て歓声を上げている。どうやらロバートは風属性の方が得意らしい。麦角菌が飛散することのないよう、風属性の魔法を操っている。
『あの炎が燃え尽きるまで、伯父様の魔力は持つのかしら?』
サラは心配になったが、後ろから錬金術師ギルドの職員が近づいてきて、ロバートに代わって風属性の魔法を使い始めた。どうやら交代で面倒を見ることになったようだ。
こうして麦角菌の騒動は収束した。
翌日には集落一帯の農家がすべてサラの提案を受け入れ、ポチとサラは3日ほどかけて魔力のぎりぎりまで種や苗を変換し続けた。既に燃やしてしまったライ麦や雑草は使えなかったため、これから開墾予定の雑木林の植物たちをまとめて変換した。おかげで翌年の春には、さらに拡張した畑に種や苗を植えることとなり、種と苗を出すのに5日を費やすこととなるのだが、この時のサラには予想すらできていなかった。
なお、サラがすべての農家の種と苗を出し終えたタイミングで、徴税官アインが助っ人として他の地域に住む農民を連れてきた。アインとしては刈り取りの手伝いのつもりであったのだが、彼の予想に反して作付けの手伝いとなった。
そして、この時に手伝ってくれた人々も新しい作物に興味をもったことから、ぽつぽつと周辺の土地を巻き込んでいくこととなる。
その後、この集落は村として登記されるのだが、村の名前は『バレイ村』である。バレイ村はグランチェスター領で初めて輪作をした農村として有名になり、開拓もどんどんすすんでいくこととなる。
なお、初代村長となったジェイドの口癖は『ここは天使と妖精に救われた村』であったという。