グランチェスター城
グランチェスター領は広い穀倉地帯を有しているが、領地の西側にアクラ山脈が連なっており、領都はその麓に築かれている。領主の本宅であるグランチェスター城は天然の要害で、なんと500年以上前に築かれた古い砦も残っている。
さすがに普段生活するのは最も新しい様式で建てられた2階建ての邸ではあるが、それでも王都の屋敷より100年近く古いという。
案内しながらロバートは「大きいけど古くて不便な城」と説明したが、城の敷地には時代ごとにさまざまな建物があり、それぞれの建物に個性がある。籠城戦に備えていくつも井戸が掘られ、緊急時に領民が逃げ込んでも煮炊き可能な敷地も確保されているなど実用性も感じられる。
実はサラは歴女でもあった。正統派の歴史小説も歴史ファンタジーもたくさん読んでいたので、まとまった休暇には古い城や遺跡を観光することもあった。そんなサラの目には、グランチェスター城がとても魅力的に映った。
砦の端には高い尖塔があり、登ってみると領都全体を見渡すことができる。西側は峻厳な山々の稜線が美しく、時間帯によって異なる光の加減から、さまざまな景色を楽しむことができる。
アクラ山脈を超えた先の土地は未開拓の大森林が広がっているそうだが、あまりにも広大であるため、その先に何があるかはまだわかっていないという。
「なんて美しいのかしら」
「気に入ったかい?」
「ええ、とっても。グランチェスター領は素晴らしいわ」
日が傾き、稜線は赤とも紫とも青ともつかない儚く曖昧な色に染められている。こうした空の変化を見ているだけでも心が癒されるような気がする。
「僕もこの領地がとても好きだ。それにね、アーサーもこの景色が大好きだったんだよ」
「父さ…っとお父様も好きだったのですね」
うっかり下町にいた頃のように、父さんと言いそうになってしまった。
「僕の前では無理に貴族っぽくしなくてもいいよ。サラにとってアーサーは”父さん”なんだろ」
「うん。じゃない、はい」
うっかり、敬語まで忘れてしまいそうになる。
「敬語も無理しなくていい。僕たちは家族だからね。サラは賢いから、ちゃんとした言葉を使わないとダメな時と、そうじゃない時をきちんと理解して使い分けられるだろう?」
「うーん、あんまり自信ないかも」
「大丈夫だよ。アーサーは得意だったし、サラはその娘だからね」
「えっ、父さんもそうだったの?」
「あいつは大きな猫を被ってたよ。みんなアーサーの外面に騙されてたね。特に女の子たち!」
「父さんは女の子にモテモテだったの!?」
「かなりね。似たような顔立ちなのに、僕は全然誘われなかったんだよね」
「それなのに、なんで平民の母さんと結婚したんだろう」
実は両親が駆け落ちして結婚したことをサラは母親が亡くなるまで知らなかったため、父も母と同じ平民だと思い込んでいた。
「アデリアはアーサーがどれだけ猫をかぶっても騙されなかったんだ。城に配達にきたアデリアに声を掛けたら『薄っぺらで気持ち悪い笑顔』って言われたらしい。アーサーにはそれが新鮮だったみたいだね。それからはアデリアが根負けするまで熱心に口説き続けたんだ」
「それって侯爵家の令息としては失格だよね」
「そうかもね。だけど僕も恋愛結婚には憧れるし、正直アーサーが羨ましかったよ」
どうやらロバートは貴族の責任として領地を管理してはいるものの、恋愛結婚に憧れているために独身でいるようだ。
「ロブ伯父様も他の人に管理を任せて、自由にしちゃえばいいのに」
「僕もそうしたいんだけどねぇ。今のグランチェスター家は人材不足なんだ。任せられる人がいないんだよ」
「代官を雇えばいいんじゃないの?」
「そうもいかないんだよねぇ……。まぁそのあたりの事情は追々説明するよ」
ロバート伯父は頭をポリポリとかきながら困った顔をする。どうやら訳アリらしい。
「ごめんなさい。事情も知らないのに不躾なこと聞いてしまって」
「いいさ。サラが賢い子だってことがわかって嬉しいよ。明日からくるガヴァネスのレベッカもたぶん喜ぶんじゃないかな」
「レベッカ先生って言うんですね。ガヴァネスの方は。私のこと気に入ってもらえるといいなぁ」
「彼女は僕たち兄弟の幼馴染なんだ。彼女は賢い女の子が大好きだから、きっとサラとは仲良くなれると思うよ」