胃が痛い
ジェイドはとても胃の痛い思いをしていた。ほんの少し前までこの辺りに何を植えるかで、地位の高い錬金術師と薬師が侃々諤々としていたのだ。ところが、サラがやってくるなり決定権は自分たちにあるのだと突き付けられ、その場にいる全員の視線がこちらに向けられている。
『オレ…、どうしたらいいんだろう』
確かにジェイドはこの地域のリーダー的な存在ではあるが、農家に生まれ育ち、ここに来てからはずっと開拓農民だ。これまで接したことがある『偉い人』はせいぜい徴税官しかおらず、領主一族やギルド関係者など顔を見たことすらなかった。要するに、ジェイドは完全に雰囲気に呑まれているのだ。
こうしたジェイドの緊張に気付いたのは、やはり同じような立場にいるアメリアだ。サラが大きな声で師匠でもあるアレクサンダーたちを叱責している声が聞こえたため、慌ててテントに入ってきたところ、ジェイドが置かれている状況に気が付いた。
「ジェイドさん、今すぐ決めろと言われているわけではないので安心してください。って言われても、こんなに偉い方々に囲まれて緊張しちゃいますよね。実は私もずっとドキドキしてるんです。でも大丈夫です。私の師匠であるアレクサンダー様は、決してジェイドさんたちに無理強いをしたりはいたしませんし、薬草が栽培できなくても気を悪くしたりしません。ちょっとだけ落ち込むかもしれませんけど」
アメリアはアレクサンダーに振り返り、「ですよね?」と確認した。
「アメリア、そんなことで私は落ち込んだりしないよ」
続いてテントに入ってきたアリシアも、テオフラストスに声を掛けた。
「お父様も大概になさってくださいね。錬金術師としての好奇心は理解できますが、サラお嬢様に妙なお願いをするのはやめてください。とても恥ずかしいです」
「…わかった」
「ジェイドさん、父が申し訳ございません。どうかこの地域のためになる選択をなさってください。もちろん助力は惜しみませんので、知りたいことは何でも聞いてください」
乙女たちが場の雰囲気を和やかなものにしてくれたため、サラはその後を引き継いだ。
「先程お話したように、グランチェスター城には秘密の花園と呼ばれる庭園があり、妖精がたくさん住んでいます。彼らは植物を守り育ててくれる妖精なので、きっとこの土地でも育ちやすい植物を教えてくれるはずです。そうした植物の中から、需要のあるものを選んで栽培するという方法もあるかなと思いまして」
やっと腑に落ちたようにジェイドは頷いた。
「えっと。まず妖精の方々に育てやすい植物を教えていただき、その上で錬金術師や薬師の方々が必要とする作物を植えるべきなのですね」
「私はそのように考えています。それに薬草にこだわる必要もありません。やっぱり食料になる作物の方が良いと思うなら、そうして構わないんじゃないかと。それでも良いではありませんか。これだけの広さですから、試験的にいろいろな作物を植えても良いかもしれませんね。領から補償金が出る間は、安心して試せますよ」
そして、サラは少しだけ恥ずかしそうにしつつ、言葉を続けた。
「それとですね、これを言ってしまうとテオフラストスさんやアレクサンダーさんを責められない気もするのですが、実は私も育ててほしいなぁって思う植物があるんです。もちろん無理強いはしませんが…」
珍しくサラがモジモジとした態度をとっているので、周囲の大人たちは不思議そうな顔をした。
「それでサラお嬢様は、私たちの畑で何を栽培して欲しいとお考えなのですか?」
「馬鈴薯と呼ばれる芋です」
そう、サラはとてもジャガイモが食べたかった。アメリアから受け取ったリストを見た時、この世界に転生してからジャガイモを食べていなかったことに、今更ながらに気付いてしまったのだ。
「聞いたことのない植物なのですが、種や苗などはあるのでしょうか?」
「少量ではありますが秘密の花園で栽培した種芋があります。もし栽培していただけるのであれば、最初だけ魔法で育成を支援して種芋を増やします」
ジャガイモがここの土地で育成できることは、既に妖精には確認済みで、種芋の増やし方もヒアリングしてあった。
「えっと、その芋は食べられるんですよね?」
「すっごく美味しいです!!」
サラが興奮して主張する様子があまりにも可愛かったせいで、ジェイドは堪えきれず笑い出した。つられて周囲の大人たちも笑っている。
「ははは。そんなにサラお嬢様が食べたいのであれば、栽培しないわけにいかないですね。他の農家はわかりませんが、私の畑では栽培しますよ」
「サラ、そんなに食べたかったなら、はやく僕に言ってくれれば手に入れてきたのに」
「これは薬草どころじゃなさそうですね」
『こ、これはかなり恥ずかしい。食いしん坊キャラみたくなってるよ!』
「そんなに笑わないでください。きっと皆さまも食べたら気に入るはずです! それに栽培して欲しい植物は他にもいっぱいあるの我慢してるんですからねっ!」
すると笑いながら侯爵が立ち上がってサラを抱え上げた。
『祖父様は、どうしてこんなに私を抱き上げるんだろ??』
「サラよ、いっそのことお前が決めてやったらどうだ? どうせ彼らは今年と来年は補償金を受け取るのだ。その間に妖精の知恵を借りてお前が指示を出してみれば良いのではないか? その結果を見た方が、ジェイドたちも今後どのような作物を育てていくか決めやすいだろう。それにお前なら錬金術師や薬師に何を言われても動じることが無かろう?」
「動じるどころか、サラなら氷水を頭から掛けますからね」
ロバートのツッコミに、テント内は再び笑いに包まれた。
『くぅぅ。恥ずかしい…』
これは明らかに身から出た錆である。
「わかりました。ジェイドさんたちがそれで良いと仰るのであれば構いません。こちらの地域を1年と少しの間、管理させてください」
「承知しました。私と私の両親の畑は、サラお嬢様にお任せします」
ジェイドは地図上で、自分と両親の畑の位置を指し示した。
「他の者にも声を掛けておきます。おそらく皆も同意するとは思いますが、きちんと確認した上で、再度お願いすることになると思います」
「わかりました。よろしくお願いしますね。ジェイドさん」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
ジェイドはサラと侯爵に深々と頭を下げ、「では、私も刈り取りの作業に向かわせていただきます」とテントを後にした。作物を決めるという胃の痛い作業から解放され、晴れ晴れとした表情を浮かべている。
「えっと、ジェイドさんにはかなり負担が大きかったみたいですね…」
「無理もないですよ。私もいまだに緊張していますから。まだアリシアさんはテオフラストスさんのお嬢様ですから、慣れているんじゃないでしょうか?」
「私もダメです。まだまだ全然慣れてません」
とはいえ二人ともサラを抱える侯爵の姿には、少々ほっこりするものがあったので、先程よりリラックスしてきてはいる。
『もしかして、祖父様は緊張感を和らげるために私を抱っこしてる?しかし、もっと幼女の頃ならともかく、8歳にもなって抱っこされるとか…』
勝手にサラは侯爵の意図を想像していたが、別に侯爵はそんなに深いことは考えていなかった。単にサラを抱っこしたかっただけである。そしてロバートも隙があればサラを抱っこする気満々であった。
「今朝は急いでいたので素通りしたが、ここから馬で半刻ほどのところに街があるのだ。領主館もあるので、今日はそちらに泊まる手筈になっている。そこの鍵をお前に預けるから、こちらに訪れた時の拠点にするといいだろう。畑の管理のためには、おそらく頻繁に行き来することになるだろうしな。なるべく早めに馬にも乗れるようになっておけ。馬は早急に手配する」
「ありがとうございます。祖父様」