議論に水を差す(物理で)
末尾部分を少し変更しました
妖精たちの騒動が一段落したところで、サラは侯爵から魔法使用の許可を得るためにテントに戻った。
しかし、テントに入った途端に怒鳴り声が聞こえてきた。どうやらテオフラストスとアレクサンダーが揉めているようだ。ジェイドはオロオロと仲裁をしようとしていたが、侯爵とロバートは椅子に腰をかけて成り行きを見守っていた。
「これは何事ですか?」
するとジェイドがサラに助けを求めた。
「こちらのお二方が何を栽培するかで揉めてしまわれて、どうしたらよいものかと」
「なるほど。それで、祖父様と伯父様は仲裁されないのですか?」
ちらりと視線を向けると、二人とも気まずそうな雰囲気を出した。
「作物のことはさっぱりわからんのでな。こちらが口を挟む余地がないのだ」
「議論がちょっと白熱しちゃってるね」
「ちょっと議論が白熱? あれがですか?」
二人は大きな声で怒鳴りあい、相手が提案する植物に文句をつけ、机をバンバンと叩き合っている。そのうち取っ組み合いになってもおかしくない雰囲気だ。
「お二人とも落ち着いてください!」
しかし、何度かサラが声をかけても二人の耳には届かないようで、まったく応答がない。それどころか、机の上に置いたカップが床に落ちて割れても、二人ともまったく頓着する様子を見せなかった。
「いい加減にしてください!」
ブチ切れたサラは、二人の頭上から氷交じりの冷水をバケツ一杯分くらい、ドバっとかけた。
「うぉっ」
「ぎゃぁ」
頭から氷水を被った二人は、ピタリと議論を止めてサラに振り向いた。
「サラお嬢様、何をなさるのですか!」
「これはあんまりです」
もちろんサラは二人の抗議に耳を傾けたりはしない。
「それはこちらの台詞です。お二人とも何を考えていらっしゃるのですか。責任ある立場の人間として、恥ずかしくはないのですか」
「これは専門家同士の議論です」
「今のが議論だと本気で言いきれますか? お互い主張を譲ることなく、相手のアラを探すことだけの水掛け論ではありませんか。これを議論と呼ぶのであれば、どうぞお引き取りください。そんな無駄なことに時間を費やすつもりはありません」
ぽたぽたと水を滴らせたテオフラストスとアレクサンダーは、怒りをにじませた表情で抗議する。
「ですが、サラお嬢様が私共に作物の選定をお任せになったのではありませんか!」
「その通りです。だからこそ私たちは、こうして論じているのです」
ジェイドも慌てて、「私も専門家の方々の意見はとても貴重だと拝聴させていただいておりました」とフォローする。
「私は錬金術師と薬師の立場で、需要の高い作物を尋ねたに過ぎません。しかし、その意見を参考にして栽培する作物を選定するのは、そちらにいるジェイドさんをはじめとする農家の方々です。あるいは、グランチェスター領から補償金を出す期間内であれば、そこに座って他人事のような顔をされている祖父様や伯父様が決めるべきかもしれませんね。いずれにしても、お二方が決めることではありません」
「いや、他人事だと思っているわけではないぞ」
「でしたら、傍観せずに止めてください!」
サラは侯爵に対しても、一瞥したのみで取り合う様子を見せない。
「いいですかジェイドさん。このお二人は、それぞれの立場から欲しいものを主張しているに過ぎません。立場によって求めるものが違うのは当然ですし、主張は異なって当たり前なのです。そもそもお二方が必要としている植物が、この土地で育つかどうかを彼らがきちんと検証していると思いますか?」
すると、テオフラストスとアレクサンダーがビクリと顔を震わせた。
「私は昨日初めてこちらの土地の問題を聞きましたし、このあたりの気候などはまったく詳しくありません。一年を通じてどのような気温となるのか、日照時間はどうなのか、降雨量はどうなのか、あるいは雪が降るのかなどまったくわかりません。それに一番詳しいのは、この地域でずっと農業を営んできたあなた方なのです」
「ですが、こちらのお二方は専門家ですから、いろいろな事に詳しいはずでは?」
『ふーん。専門家っていえば無条件に凄いこと言うって思ってるんだ』
「では、実際に伺ってみましょうか。お二人のうちどちらでも構いません。この地域に雨はどのくらい降りますか? 夏場の気温はどのくらいまで上昇しますか? 冬に雪は降るのでしょうか?」
これらの質問に、テオフラストスもアレクサンダーも答えることはできなかった。
「これでわかりましたか? 彼らは錬金術師や薬師としてトップクラスの専門家ではありますが、農業については素人と大差ありません」
さすがにサラの言いたいことを理解したテオフラストスとアレクサンダーは、二人で顔を見合わせてしょんぼりと肩を落とした。
「サラお嬢様、大変申し訳ございませんでした」
「大変申し訳ございませんでした。改めて、この地域の環境を確認し、作物の候補を挙げることにします」
「私もいきなり失礼しました。お二人が熱心に考えてくださっていることは理解しておりますので、もう少し他の人の意見も聞き入れるようにしてください」
サラは魔法を使って先程かけた氷水の水分だけを蒸発させた。それでも寒そうにガタガタ震えていたため、二人の周りに温風を纏わせた。
「サラお嬢様は、器用に魔法を使われますね」
「ありがとうございます。特技のようなものですね」
「特技が多すぎるようにも思えるのですが」
「そこはあまり気にしないでください」
『うん、これからもっととんでもない特技を見せることになりそうだしね』
「ジェイドさんは、自分たちの畑だということをもう少し自覚してくださいね」
テントの中にいた男性陣に一通りの説教をしたところで、サラは本題に入った。
「ところで祖父様、私が魔法を使って農家の方のお手伝いをする許可をください」
「魔法で手伝いだと?」
「はい。あまり乱用すべきではないことは承知しておりますが、ライ麦は急いで刈り取る必要があります。しかも、穴を掘って焼却もしなければならないのです」
「なるほど。まぁサラの好きにしろ。何かあっても責任は私がとる」
「ありがとうございます」
侯爵はあっさりと許可を出した。
次にサラはテオフラストスとアレクサンダーに向き直った。
「専門家と言えば、レベッカ先生が花園にいる妖精たちを呼んでくれました。彼らも力を貸してくれるそうなので、人間の知らない知識を聞けるかもしれません。興味あります?」
サラの発言に、全員が一斉に目を見開いて質問を投げかけた。
「は? 妖精? レヴィが呼んだ?」
「まてサラよ。花園とはなんだ。妖精が守っているとはどういうことだ?」
「秘密の花園に妖精がいることは娘から聞いておりましたが、こんな遠くまできてくれたのですか?」
「妖精と話をすることができるのですか?」
「妖精って何ですか?」
『うーん。予想はしてたけどカオスだね』
「ひとつずつ答えますね。妖精は彼ら独自の方法で空間を移動できるらしく、レベッカ先生のお友達の妖精さんが、秘密の花園で植物を守っている妖精さんたちを呼んできてくれました。ちなみに、この移動は妖精しかできないそうで人間は使えません。実験したので確かです」
聞かれそうなことは先回りして回答しておく。こうした移動方法が人間にも使えるのであれば、商業利用や軍事利用まで考えそうだからだ。
「そうか残念だな。ところで秘密の花園というのはなんだ?」
「パラケルススの実験室がある塔には、庭園があるのです。そこにはさまざまな植物が植えてあり、妖精が植物を守っています」
「ほほう。だからお前はあの塔を敷地ごと欲しがったのだな?」
「はい。ちなみに塔にもさまざまな資料や書籍が残っているんです。やっぱり私に譲るのやめますか?」
すると侯爵は大きな声で笑いだした。
「いや。サラに譲って活用してもらうべきだろう。それだけ魅力的な花園や塔があれば、お前はグランチェスターから離れられんだろうからな」
「確かにそうかもしれませんね」
ロバートも侯爵と一緒になって笑っている。
「僕もサラがずっとグランチェスターに居てくれることの方が、花園や塔より何倍も価値があると思うよ」
そこにテオフラストスが割り込んだ。
「ということは、花園もあの資料もすべてサラお嬢様のモノということでしょうか?」
「そういうことになりますね」
「あぁ、何故私は錬金術師ギルドの長など務めているのだ。一介の錬金術師であれば、すぐにでもサラお嬢様にお仕えしたいのに! いや、いっそ辞めるか?」
「雇いませんよ?」
「何故ですか!?」
「テオフラストスさんの賃金は高そうですもの」
「賃金などなくても働きたいです」
「さすが『三度の飯より新しい知識を求める生き物』のおひとりだけありますね。でも雇いません」
サラはぴしゃりとテオフラストスの要求を退けた。実は横に居たアレクサンダーも似たようなことを考えていたが、テオフラストスの醜態を見て冷静になっていた。
「まぁまぁ。テオフラストスさんなら、アリシアさんからいろいろ教えてもらえるんじゃないですか?」
「あ、乙女たちとは秘密保持の契約を結んでいますから、私が許可しないと教えてくれないと思いますよ? たぶんアメリアさんも花園の情報は胸にしまっておいてくれるでしょう」
「「そんなぁ!!」」
『本当は妖精の友達について秘密を守る約束をしただけなんだけど、花園にある植物やパラケルススの資料などの情報は精査してから公表する形にしたいのよね』
この部分を書いていてアイスバケツチャレンジを思い出しました。
あのチャレンジで集まった寄付金で開発したALS治療薬「AMX0035」は、2022年にアメリカ食品医薬品局(FDA)に承認されたそうです。流行っていたのは2014年頃なので8年かかったことになりますね。
この運動を始めたALS患者さんのお二方は、すでにお亡くなりになっているそうですが、その志は今後も多くのALS患者さんを救うかもしれませんね。