馬とドレス
馬の繁殖について口述部分と矛盾があったため修正しました。
ゆるゆると馬に揺られていると、後ろから別の馬の蹄の音が聞こえてきた。おそらく2頭分だ。
「おーいレヴィ、サラー」
ロバートの声がしてふり向くと、侯爵とロバートが連れ立っている。服装から見て、二人は狩りに行っていたようだ。
『むぅ、執務はどうしたのよ!』
「祖父様、伯父様ごきげんよう」
「うむ」
「サラ、さっそく馬にのってみたのかい?」
「慣れるためにレベッカ先生に乗せていただきました」
「それで、どうだい? 怖いかい?」
「いいえ、とっても楽しいです。一人で乗れる日が待ち遠しくなってきました!」
すると、侯爵がロヴィに括りつけられたホーンラビットに気付いた。
「ほう、さすがレベッカ嬢だな。こんなちょっとした隙に、ホーンラビットを3羽も仕留めたか」
「恐れ入ります」
さすがに空気が読めるレベッカは、私が倒したとは言わない。
「サラは、狩りが怖くなかったのかい?」
「生きていくために必要なことを怖がることは致しません」
「ふむ、グランチェスターの娘らしいな」
さすがに二人とも私がホーンラビットを仕留めたことには気づかないようだ。よく見ればレベッカが弓を持っていないことに気付くはずなのだが、先入観とは恐ろしいものだ。
「祖父様、すぐにでも乗馬を習ってレベッカ先生と遠乗りできるようになりたいです!」
「そんなに気に入ったのなら、近いうちに牧場に行くか?」
「牧場ですか?」
「うむ。グランチェスターでは馬の繁殖も手掛けているのだよ」
「私を乗せてくれる馬にも出会えるでしょうか」
「おそらくいるだろう」
「じゃぁ、サラの鞍も作らないとね」
するとレベッカがロバートに向かって
「鞍は2つよ。サイドサドルでも練習させたいわ」
「あぁそうだね」
「いや、サラならサイドサドルだけでもいいのではないだろうか」
これには、サラが反発した。
「いいえ、私もレベッカ先生のように、馬に跨って狩りをできるようになりたいです!」
「そうかサラは狩りもできるようになりたいのか」
「はい。祖父様が仰ったように、飢饉のときには率先して領民のために糧を得られる女性になりたいです」
「ふむ、いいだろう」
サイドサドルとは、女性がスカートでも騎乗できるように作られた、横乗り用の鞍である。実は更紗時代、サイドサドルでの乗馬も体験したことがあった。サイドサドルでの乗馬は、傍からは優雅に見えるかもしれない。しかし、実はスカートの下はなかなか凄いことになっていて、足で鞍の突起部分を挟み込むようにして身体を安定させているのだ。
アクション映画で主演女優が馬に横乗りして射撃を練習するシーンを見た更紗は、『凄い格好いい。アレやってみたい!』とノリノリで体験してみたが、翌日は予想外の箇所が筋肉痛となって歩くのさえ苦痛だった。見た目には優雅だが、大変ハードであった。人によってはアレで障害を跳べるらしいのだが、更紗にはとてもできる気がしなかった。
『あれって上体を安定させるだけでも一苦労なのよねぇ。とてもじゃないけど、狩りできるようになれるとは思えない!』
とはいえ、貴族令嬢としてサイドサドルの練習は必須のようだ。そのあたりは仕方がないと、サラは諦めた。
「乗馬はもちろん教えますが、シーズンまでに社交についてもう少しお勉強しないと。招待状が届いたら、子供同士のお茶会や演奏会には参加しないとなりませんからね」
「私のようなものが、グランチェスターの一員として参加しても良いのでしょうか?」
すると、侯爵はロヴィの上から抱き上げて、自分の前に座らせた。
「誰が何と言おうと、お前はグランチェスターだ。堂々と胸を張って参加するが良い」
「はい。祖父様」
ロバートも馬を寄せてきて
「ドレスもいっぱい作ろうな。可愛いやつ」
「だ、ダメですよ。無駄遣いしちゃ。大きくなったら着られなくなっちゃうんですよ!」
「そしたらまた作ろう!」
「伯父様…」
完全に姪馬鹿になっている。
「祖父様からも言ってください。子供服なんて最低限で良いと思いませんか?」
「いや、貴族令嬢なら普通だろう」
侯爵も孫馬鹿であった。
「しかし、サラはクロエとは随分違うな。あの子は事あるごとに、新しいドレスや靴を欲しがるんだがなぁ」
「クロエは頻繁にいろいろな家のお茶会に呼ばれますからね。仕方ないと思います」
「ふぅむ。そういうものか」
「そういうものです」
クロエは"本物"の侯爵令嬢だが、サラはグランチェスターを名乗っていても平民だ。王都に住んで、子供のうちから社交をこなさねばならないクロエと、領地に引っ込んでいる平民のサラを同列に比較するのはクロエに気の毒だろう。
程なくして本邸に着いた4人は、馬の手入れを馬丁に任せて着替えに戻った。今日はレベッカもロヴィのブラシ掛けを他の人に任せることにしたらしい。
なお、サラの仕留めたホーンラビットと侯爵の仕留めた鹿は、その日の夕食になるという。さすがにこの時代には「熟成肉」という考えはないようだ。もっとも、食べきれずに保存したものが、熟成肉になっていることはありそうだが。
サラが部屋に戻ると文官たちからの伝言が届いていた。
『本日も自習室でお会いしたい』
どうやら何かあったようだ。伝言が書かれたメモを火属性魔法で処分し、「夕食後に集まるよう手配をお願いします」とだけマリアに伝えた。