すぐに帰れるわけではない
幕間なので短めです。
謁見の間から王が退室すると、俄に周囲が騒めき始めた。
バタバタと謁見の間を後にして駆け出していく者、その場で同僚や知人と話し始める者、呆然と立ち尽くす者などさまざまだ。だが、それ以上に目立ったのは、ソフィア、リヒト、そしてアメリアと知己を得ようと近づこうとする者たちである。しかし、グランチェスター侯爵が厳めしい表情で彼らの近くに立っていたため、身分の低い者は声をかけるどころか近づくことすら難しい雰囲気であった。
そんな重い空気などどこ吹く風とばかりに、アールバラ公爵夫人ヴィクトリアが近づいてきた。
「ソフィア、随分と派手な立ち回りでしたわね。陛下をあそこまで動揺させられる人はなかなかいないわよ」
「動揺させるつもりはなかったのですが……」
「おほほほ。何を言っているのかしら。堂々とラッセル公爵家に喧嘩を売っていたではありませんの」
扇子で口許を隠しつつ、ヴィクトリアは鈴を転がしたような声で笑った。
「ヴィクトリア様、酷いですわ。あれはあちらから売られた喧嘩だとご存じではないですか」
ヴィクトリアから『名前で呼んでほしい』と言われているため、ソフィアは『アールバラ公爵夫人』ではなく『ヴィクトリア様』と呼ぶことが多い。だが、実際にヴィクトリアを名前で呼ぶ人物は限られており、隙を見てソフィアに近づこうとしていた貴族や商人たちを大いに驚かせた。
「即座に反撃できる情報をすぐに取り出したのですから、攻撃されることをあらかじめ知っていたとしか思えませんでしたわ。というより、巧妙に罠を仕掛けてラッセル公爵を追い込んだようにも映りましたわね。おそらく、そう考えたのは私だけではないのではないかしら」
ヴィクトリアからの指摘には、ソフィアも頷かざるを得ない。
「少々やり過ぎてしまったかもしれません」
「気にしなくて良いわ。ラッセル公爵家のことは、陛下もある程度は把握されていらしたはずよ。私の家が知り得る程度の情報ですからね。王室が知らないとは思えませんわ」
「だとしたら、もっと問題ですわ。もし陛下がお目こぼしなさるおつもりだったとしたら、私の行動は陛下の御心にまったく適っておりませんもの」
「身内であっても、いえ身内であればこそ厳しい姿勢で臨まれるお方ですから、そのようにはお考えにならないと思うわ」
「そうだといいのですが」
ソフィアは小さく息を吐きながら、俯くように視線を伏せた。
「陛下がどのように思っていらしたのか、その答えはすぐにわかりそうよ」
「それはどういう……?」
発言の真意を問い返そうとしたところで、ソフィアはヴィクトリアが自分の背後に視線を送っていることに気付いた。ソフィアがゆっくりと振り向くと、アンドリューがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
「どうやらソフィアの読みは当たったようだな」
「そのようですわね」
グランチェスター侯爵が小さくソフィアの耳元で呟くと、ソフィアも表情を変えることなく同意した。
「大丈夫か?」
「当然ではございませんか」
「私にも手伝えることはあるか?」
「心配ご無用ですわ」
「しかしだな……」
二人のやり取りを傍で聞いていたヴィクトリアは、グランチェスター侯爵とソフィアが主従関係にないことをはっきりと理解した。また、社交界を賑わせている『愛人関係』でもないことも肌で感じ取った。この二人にそのような甘やかさはまったく見られない。正確には、グランチェスター侯爵から孫を心配する祖父のような空気を感じていた。
『サラ嬢に似ているから、情が湧いたのかしら?』
社交界に君臨するヴィクトリアは、その場の雰囲気を読むことにも長けている。だが、人としての常識が真実を遠ざけてしまうのだ。サラとソフィアが非常識の塊なのだから仕方がない。
「アンドリュー王子殿下をお遣いにできるのは、陛下か王太子殿下だけですわ」
「ヴィクトリア様はどちらだと思われます?」
ヴィクトリアの発言を聞いたソフィアは、愉快そうに尋ねた。
「おそらく陛下でしょう。もしかすると王太子殿下も同席されるかもしれませんわね」
「私は王太子殿下がお呼びになっているような気がいたしますわ。陛下は随分とお疲れのように見えましたから」
「ソフィア、陛下を疲弊させたのはあなただって自覚はあるかしら?」
「私のような一介の商人ごときが、陛下を疲弊させるなどあり得ないことでございますわ」
「まったく笑えない冗談ね」
王族相手にも動揺を見せないソフィアに、さすがのヴィクトリアも呆れ気味である。だが、ソフィアの持つ力を理解しているため、こうした無礼な態度もあまり気にならない。
アンドリューが近づいてきたため、一同は揃って頭を下げた。
「あぁ、頭をあげてくれ。ソフィア、少し時間をもらえないだろうか。別室を用意しているんだけど、一緒に来てもらえるかい?」
「御意にございます」
ソフィアが応じると、ヴィクトリアが横から口を挟んだ。
「殿下、ソフィアは独身女性でございます。王子殿下が堂々と別室にお呼びになるのは、少しばかり外聞が悪いように思いますが……」
「叔母上か。誤解しないで聞いてほしいのだけど、呼んでいるのはソフィアだけじゃなく、パラケルスス師とアメリアもなんだ。それに、呼んでいるのは僕の両親なんだ」
この発言に、周囲からざわりと声が上がった。謁見の間という公式な場においては、王族と平民が顔を合わせてもなんら不思議ではない。だが、王族が別室に呼び出すというのは、プライベートな空間に招待することと同じ意味を持つ。有力貴族の同伴者としてではなく、新興商会の会長と自称薬師に過ぎない平民が直接王族から招待されるなど前代未聞であった。
「私からも一言申し上げたく」
グランチェスター侯爵も声を上げた。
「許すよ」
「御意。ソフィア、パラケルスス師、アメリアは私の同伴者でございます。お呼びになるのでしたら、私も同行させていただきます」
「グランチェスター侯爵のことは呼んでないんだけど……。まぁいいか、侯爵にも一緒に来てもらおう。あ、叔母上は遠慮してください」
「御意にございます」
ヴィクトリアも一緒に行こうとまでは考えていなかったのだが、『来るなと言われるのもイヤな気分になるのね』と心の中で呟いた。
そして、グランチェスター侯爵とソフィアは、王太子夫妻に呼び出されたのである。
ヴィクトリアさんがやってくると、何故かリヒトとアメリアが空気になっちゃう!