謁見の間 7
「さて、話が随分と長くなってしまったな。ソフィアよ、他に何か言っておきたいことはあるか?」
「ございます」
これは締めくくりの合図のような儀礼的な声掛けであり、本来であれば「ございません」と答えるべきものである。しかし、ソフィアは意図的にそうしなかった。
「ほう。申してみよ」
「ソフィア商会では、パラケルスス師が製造した特効薬を2000人分ほど確保してございます。こちらを無償で供出させていただきます故、どうか早急に臨時の治療院を開設する王命をお下しくださいますようお願い申し上げます。無論、すぐに底をついてしまう量でございます。追加の薬の製造も急いでくださいませ」
「相分かった。この場におる文官、ギルド関係者、ならびに多くの領主たちよ、治療院の開設と薬の製造に尽力せよ。これは王命である」
「「「「承知いたしました」」」」
その場にいた全員が跪き、王命を受け取った。
「畏れながら陛下、もう少し申し上げてもよろしゅうございますか?」
「申せ」
「王室に販売する分とは別に、ソフィア商会が保有する小麦の1割も供出いたします。王命により開設された治療院には、炊き出し用に分配させていただきますので、ソフィア商会まで書類にてお申込みくださいませ」
「ソフィアよ、経口補水液とやらも供出できるか?」
「そちらは手元にそれほど数がございません。どうか商業ギルドの関係者の方々にお願いいたしたく」
すると商業ギルドの関係者たちが、困惑した表情を浮かべた。
「経口補水液の製造は開始しておりますが、無償での提供はかなり難しいかと……」
製造原価から考えれば、特効薬よりもはるかに安い経口補水液ですら、商業ギルドは無償で供出することを拒んだ。王は微かに眉を顰めたが、批判的な言葉は吐かなかった。
「良い。其方らの身銭を切れと申しておるわけではない。必要な数を確保して分配するように。費用は王室が持つ」
「御意にございます」
しかし、ソフィアは黙っていなかった。
「確かに身銭を切っていただくわけにはまいりませんね」
「ソフィア会長、すべての商人があなたのように余裕があるわけではございません」
「それは仕方のないことですわ。でも、そう仰るからには、余裕のある方なら便宜を図ってくださるということですわね」
「え、いや、それは……」
言い淀んだ商業ギルドの関係者に向かって、ソフィアは優美に微笑んだ。
「私も商人でございますから、取引相手は余裕のある方の方が安心できますわ。そして、社会に貢献することに意義を感じるような方である方が、より望ましい商売ができると考えておりますの」
要するに『寄付もしないような商人とは付き合わない』と宣言したのである。これには横で聞いていた王も、痛快な表情を隠さなかった。
「ははは。ソフィア、どうやら其方はこの機会に取引先を選別しようとしておるな?」
「まぁ、そのような意図はございませんわ。ですが、こうした困難な時にこそ、より相手のことが知れるとは思っておりますの」
ソフィアはしれっと答えたが、王はソフィアの意図を正確に見抜いていた。
「まったくその通りだな。よし決めた。ソフィア商会に、アヴァロン王室御用達の看板を掲げることを許す」
「ありがたき幸せに存じます」
「ふっ。どこまで本気で感謝しているのやら。どうせ、すぐにロイセン王室の御用達も追加されることであろうよ」
「ロイセン王室は、これまで外国の商会に御用達を認めたことはないはずですが。亡き王太子妃のご実家にすら、御用達を許さなかったと聞き及んでおります」
「ほほう。では賭けをしようではないか。其方は御用達になれない方に賭けよ」
「陛下、賭けなのであれば、せめて期日を設けてくださいませ」
「確かにそうだな。では1年以内としておこう」
「それ程に短期間では、陛下に不利ではございませんか?」
「どうやら、ソフィアは怖気づいたようだな」
「致し方ございません。では賭けをいたしましょう。陛下は何を賭けられますか?」
「そうだなぁ……」
王が首をひねって考えていると、その横に座っていた王妃が声を上げた。
「陛下、あまり高価な品ではソフィアが困ってしまいますわ」
「確かにそうかもしれぬ。では、王都近くの森にある王室所有の狩猟館および土地を賭けようではないか」
王は気軽に『狩猟館』と言っているが、実際には離宮と呼べる規模であることを知らない貴族はいない。何しろ森の中にある人造湖の畔にある白亜の壮麗な屋敷なのだ。とても値段が付けられるようなものではない。
「あまりに価値が高すぎて、何を賭けても釣り合いがとれる気がいたしません」
「それなら、ソフィア商会の本店にあるという3台の巨大なシュピールアではどう? とても大きな魔石を使っていると聞いているわ」
「ほう。それは良い」
王妃の提案に、王も満足げに頷いた。
『確かに簡単に買えるような商品ではないけど、同じもので良いならすぐに作れるんだよね……本当に釣り合ってるって言えるのかしら』
ソフィアはちょっぴり良心の疼きを感じたが、相手が望んでるのだからと自分を納得させた。
「御意にございます。私は大型のシュピールア3台を賭けることにいたします」
ソフィアのやや前方に立っていたグランチェスター侯爵は、『兎が狐の穴に飛び込んだ』と思った。実のところ、王はこうした賭け事を好む人物であることを知らない貴族はいない。質の悪いことに、王は自ら負ける賭けをしないと言われている。おそらく水面下でソフィア商会をロイセンの王室御用達にする動きがあるのだろう。グランチェスター侯爵を始めとした多くの貴族が王の意図には気付いており、意地になったソフィアがまんまと王の掌の上で踊ってしまったのだろうと考えていた。
『ソフィア商会ご自慢の大型シュピールアは、王家が所有することになるだろうな。だが、少しばかり痛い目を見て勉強するべきだろう』
グランチェスター侯爵は、王の策略にはめられたソフィアを気の毒だと思いつつも、少なからず増長しているソフィアには良い薬になるだろうと考えた。
しかし、一方のソフィアはもう少し斜め上なことを考えていた。
『やったー! 王がシュピールアをほしがってるってことを、大々的にアピールできた! 多分、注文が殺到するわね……賭けなんて、勝とうが負けようがどっちでもいいわ。王の口から「うちの商品に興味ある」って言わせることが一番大事なんだから!!』
周囲はソフィアが貴重な財産を失うことを心配していたが、本人はまったく痛い目を見るつもりはなかったのである。
賭けの内容は文官たちの手によって書類にまとめられ、王とソフィアが互いに署名した。遊びのような賭けであっても王との約定であり、違反すれば厳しい罰則が適用される。魔法による制約も付けられており、王や王妃であっても違反の罰則を逃れることはできない。
こうしてソフィア商会とその関係者は王との謁見を終えた。公式にはグランチェスター侯爵と王の謁見であり、ソフィアたちはグランチェスター侯爵の同行者として記録されている。しかし、この謁見の主役がソフィアとリヒト、そして乙女たちであることは皆の知るところであった。
これにて謁見終了!
アメリア、何カ月も頭を下げさせたままでごめん!