謁見の間 4
小麦の話題が一段落したところで、王はソフィアの後ろに控えるリヒトとアメリアに目を遣った。
「長く待たせてしまったが、パラケルススからも新たな特効薬について話を聞かねばならん。ひとまず、其方らも面を上げよ。ソフィアのような儀礼的なやり取りはいらん。面倒だ」
疲れたような態度で、王はリヒトとアメリアに声を掛けた。
「御意にございます」
王の声掛けにリヒトは頭を上げたが、アメリアは王の『其方ら』という呼びかけを自分に都合よく解釈したりはしない。彼女の名前は呼ばれていないのだから当然である。
アメリアは薬草取りをしていた頃から、師であるアレクサンダーに『僕やアメリアが間違えたり失敗したりすれば、患者さんの命が危なくなる』と厳しく教わっており、仕事には常に細心の注意を払ってきた。そして、王宮に数日滞在してマチルダ王女の侍女やメイドたちに囲まれている間に、ほんの些細な失敗が自分だけでなく、リヒトやアレクサンダー、あるいは家族にすら影響を与えかねないことを知った。故に、名前を呼ばれなかったアメリアは、そのまま頭を下げ続けている。
数日間、王族や侍女たちの所作を身近で観察し続けていたアメリアは、平民である自分のマナー違反が目こぼしをされていることを理解した。本来であれば無礼だと叱責されるのだろうが、侍女たちはマチルダ王女の回復を最優先と考えてアメリアの仕事を邪魔することはなかった。だが、自分の所作が彼女たちのように洗練されていないことや、言葉の使い方がまったく違うことにはすぐに気付いた。時折、侍女たちが眉を顰めたり、小さく嘆息していたりするのを見れば自然に伝わってくる。
『ここで私が失敗したら、グランチェスター家、リヒト師、アレクサンダー師にご迷惑がかかる』
そんなプレッシャーの中、アメリアは床に額が付きそうなくらい頭を下げて目を伏せていた。だが、その様子を横目で見ていたリヒトは、『そんなに畏まらなくてもいいだろうに』と考え、『王がアメリアの名前を呼べばいいだけなのに』と心の中で呟いた。
しかし、王はアメリアやリヒトの思惑には気付かず、アメリアのことを無視したままリヒトに話し掛けた。当然のことながらアメリアは頭を上げる機会を逸し、平伏した姿のまま残された。
「皆も知っていると思うが、マチルダが熱病に罹った。病状が重篤になったため、第二王子妃の判断でマチルダにはパラケルススの開発した特効薬を投与した。既にマチルダは回復したと聞いたが相違ないか?」
「御意にございます。熱も下がり、今は自室でクマのぬいぐるみと遊んでおります」
玉座近くで夫と共に控えていた第二王子妃が恭しく答えた。ここで第二王子妃は『ぬいぐるみ"で"』ではなく、『ぬいぐるみ"と"』遊んでいると発言しているのだが、王はその事実に気付かなかった。
「効果は確かだったようだな」
「主治医のレイドローによれば、一時は命も危うい深刻な状態だったそうですが、特効薬を投与した後は順調に回復したとのことにございます」
第二王子妃が状況を説明すると、王は満足げに微笑んだ。
「それは重畳。パラケルススよ、孫娘の命を救ってくれたことに礼を申す」
「もったいないお言葉にございます。薬とはあくまでも回復を助けるものに過ぎません。実際に病に打ち勝たれたのは王女殿下ご自身でございます。あのように稚い方が、苦しみながらも病と戦われたことをお褒めくださいませ」
リヒトの発言に、王はつまらないジョークを聞いたような表情を浮かべた。リヒトは思ったままを口にしていたが、王の耳には王族への追従にしか聞こえなかったのである。
「なんとも謙虚なことだ。ところで、その特効薬はグランチェスター領において臨床試験が終わっていると聞いておるが、相違ないか?」
「完全に終わっているとは申せません」
「効果がハッキリしていないということか?」
「グランチェスター領では、騎士団が集団で熱病に罹患したため、騎士団寮を封鎖して特効薬を投与いたしました。結果、一部では副作用も見られたものの、概ね高い治療効果を確認しております。また、5歳の幼児や10代の少年少女にも投与いたしましたが、いずれも副作用なく数日後には回復しております」
「それは効果が証明されていると言えるのではないか?」
「十分ではございません。本来、薬の臨床試験とは、もっと長い時間をかけて慎重に実施すべきです。どのような副作用があるかわからないため、薬師の管理下で服用することが望ましいかと存じます」
「ふむ。なるほどな」
王はリヒトの説明に頷くと、書記を呼んで細かい内容を書き留めさせた。
「薬師ギルド、錬金術師ギルド、商業ギルドが連名で奏上してきた特効薬の開発と販売は許可する。ただし、『使用については慎重を期すこと』という一文を必ず入れ、薬師ギルドに認可された薬師にのみレシピを公開するように」
「陛下、それではパラケルスス師が除外されてしまいます」
側近として近くに侍っていた文官が声を上げた。
「其方は何を言っておるのだ。公認の薬師でなくても、自ら開発した薬を作ることは違法ではない。ただ、ギルドで販売できないというだけのことだ。今回の特効薬の有用性は既に薬師ギルドと錬金術師ギルドからも報告を受けておる。パラケルススの言葉に偽りはないそうだ。故にレシピ管理を薬師ギルドに任せることとする。万が一にも、未熟な薬師のせいで粗悪な特効薬が出回るようなことになれば、薬師ギルドにはレシピを公開した責任を負わせる」
王がギルド関係者に向かって大声で脅しをかけた。薬師個人のミスをギルドに追わせる王命など、これまで一度も聞いたことがない。ギルド関係者は震え上がった。
「お、畏れながら陛下、副作用なのか粗悪な薬なのかの判断は、専門家であっても大変難しゅうございます。どうか王命をお取下げください!」
「無闇に罪を問う気はない。だが、誰が作った薬が処方されたのかを明確にするのだ。特定の薬師の薬に問題が集中するようであれば、直ちにその者の薬の販売を止めて原因を究明せよ」
王の発言にリヒトは意見を述べた。
「陛下。ご英断かと存じます。薬の品質を担保することは非常に重要でございます。可能であれば、懸念される事態が報告された場合には、薬師ギルドではなく錬金術師ギルドが調査を担当することを推奨いたします。薬師ギルドの内部調査では真実が明らかにされない懸念がございます」
「確かにそうだな。では、調査は錬金術師ギルドと王宮文官が共同で調査団を立ち上げてコトにあたるように」
「しかしながら、あまり罰則を厳しくしてしまうと、薬師が逃げてしまうかもしれません。故意ではない場合には、寛大な対応をお願いいたしたく」
リヒトが深々と頭を下げると、王は深くため息を吐いた。
「材料を確保するのも容易ではないのだ。貴重な材料を未熟な者に任せるわけにはいくまい。王都では多くの熱病患者が薬を待っている。いや、既に熱病はアヴァロン全域に広がっているというべきだな。水面下では、領主たちが少しでも多くの特効薬を自領に持ち帰ろうと必死に交渉している状況だ」
「それは私も存じております。故に優秀な薬師を脅すようなことをすれば、薬の製造が追い付かなくなってしまうことを懸念しているのでございます」
「なるほど其方の言い分は理解した。では、故意ではないのであれば、厳しい罰は与えないことを約束しよう。ただし、原価を下げるためなどの理由で故意に悪質な薬を作った場合には、一切の慈悲を与えぬ」
「御意にございます」
このように王が罰則を強化しようとした背景には、ギルドとアカデミーの事情があった。王都の薬師ギルドのギルド長は、アカデミーの薬科の主任教授が着任することが伝統となっており、これは錬金術科も同様である。当然のことながら、派閥があり内部の権力闘争はなかなかに激しい。そして、派閥の上位にいる者は、自分の派閥に属している者を優先することが当たり前になっており、その見返りを当たり前のように受け取る。王はギルド長の派閥に属する薬師を中心とした体制になってしまうことで、未熟な薬師が粗悪な薬を製造することを危惧したのである。
無論、リヒトも王の意図を察してはいた。だが、今はそのようなことを問題視する余裕すらないというのが偽らざる本音でもあった。一刻も早く多くの公認薬師に特効薬を製造してもらい、薬師ギルド経由で薬を流通させなければならない。材料がどうしても手に入らないのであれば、最終手段としてポチにお願いしてサラの空間収納にある小麦を必要な材料に変えてもらうことまでリヒトは脳内でシミュレートしていた。もっとも、まだサラには説明していないので、これはあくまでもリヒトだけの考えである。
「では、臨床試験は薬師ギルドの責任で今後も継続し、問題が発覚した際には情報を迅速に報告することにいたします。薬の流通も管理・監視を徹底いたします」
薬師ギルドのギルド長が深々と頭を下げると、その横に立っていた錬金術師ギルドのギルド長も言葉を続けた。
「我々、錬金術師ギルドも薬師ギルドに協力いたします。もとより、錬金術師ギルドと薬師ギルドの両方に所属している者も多いので、これは当然といえば当然でございます」
実際、両ギルド長は伝統的に仲が悪い。お互いのカバー範囲が被っている部分が多いせいで、頻繁に縄張り争いが発生するのだ。薬師であり錬金術師であるリヒトからしてみれば実に馬鹿馬鹿しい争いであるが、そのお陰で薬師ギルドの監視を錬金術師ギルドに任せれば不正はやりにくくなる。
「ふむ。其方らの言い分は理解した。薬師ギルドと錬金術師ギルドは特効薬が速やかに流通するよう互いに協力せよ」
「「御意にございます」」
これまでのやり取りを記録していた書記は、内容を記した紙を王の近くに侍る文官に手渡した。その文官は内容を確認し、さらに別の書類にサラサラとペンを走らせると、その書類をトレイに載せて王の前に恭しく差し出した。トレイの上には書類の他にもインク壺とペンが並べられており、王はサインしようとしたところで、ふとペンを持つ手を止めた。
「ところでパラケルスス、ソフィアは既に特効薬のレシピを公開すると宣言しておるが、開発者である其方は本当に同意しておるのか?」
「御意にございます。むしろ、私がソフィア様にそのようにお願いいたしました」
「私の目からは、其方が熱病の特効薬がもたらす利権を正確に理解できていないように思えてならぬ」
「と、仰いますと?」
リヒトが首を傾げると、王は口許を歪めるように笑った。
「元々、熱病は沿岸地域で発生した病だと聞いている」
「御意。多くの研究者がそのような結論に至っており、私もその一人でございます」
「沿岸連合の貿易船が各国を回ったことで、熱病が広い地域に拡大したというのが通説だ」
「感染の経路は一つとは限りません。貿易船がその一つであることは否定できませんが、貿易港から大きく離れた辺境においてもほぼ同時期に流行が確認された年もございました。つまり、鳥や獣が媒介している可能性もあるように思われます」
「ふむ。経緯はともかく、この熱病が国境を無視して猛威を振るっていることは間違いない。つまり、それだけ患者も膨大な人数であるということだ。仮に其方がレシピを独占し、契約した公認薬師にのみ製造させれば、莫大な利益が手に入ることになる」
「御意にございます。私が莫大な利益を得られるであろうことは、承知しております。しかしながら、そのやり方では、特効薬の製造が患者の数に追いつきません。当然のことながら非常に高価な薬となってしまうでしょう。それでは多くの熱病患者を救うことができません」
「やれやれ、似非聖女のソフィアより、其方の方がよほど聖人らしい」
「陛下、私は聖女を自称したことはございません」
これには、ソフィアも口を挟む。
『似非聖女ってなによ。私は商人だって言ってるじゃない!』
「軽口だ。真剣に捉えるでない」
「陛下、実は私も決して聖人というわけではございません。ただ、多くの人々の恨みを買ってまで得られる利益に、魅力を感じないだけでございます」
「それこそが聖人の考えだと思うがな」
「私には妖精の友人がおります。畏れながら、陛下がご生誕された日のことも、私は鮮明に覚えております。そのように長い歳月を生きる者にとって、人の恨みを買うことほど恐ろしいものはございません。下手をすれば相手の子々孫々までが私を恨み続け、報復されるかもしれないのですから。そう言う意味では、私は臆病なのかもしれません」
「なるほど。そういうものか」
王は納得したような表情を浮かべ、手元の書類にサラサラとサインした。
「では、今この時より、熱病の特効薬のレシピはパラケルススの手を離れ、薬師ギルドが管理することにする。王族、貴族、平民の隔てなく、熱病の脅威に立ち向かい、これを駆逐せよ!」
「御意にございます」
王の声が広間にビリビリと響き渡ると、広場に参列していた人々は一斉に王に跪いた。
大変長らくお待たせいたしました。
引っ張り過ぎた王都の謁見を終わらせるため、数日は連日で公開します。
2025年11月10日に小説の6巻出ます! BOOK☆WALKERさんだと限定のSSがついちゃいます。
https://www.tobooks.jp/contents/20351




