謁見の間 2
「畏れながらラッセル公爵閣下、今のアロウズ商会には、たとえ10倍の価格を提示されても小麦を売ることはありません」
「なんだと! 其方、ラッセル公爵家を愚弄する気か!」
「そのような意図はございません。私はアロウズ商会とは取引をしないと申し上げているに過ぎません」
「同じことだ。ソフィア商会がグランチェスター侯爵家の庇護を受けるのと同じように、アロウズ商会も我がラッセル公爵家の庇護下にあるのだ。いや、ラッセル領の台所をアロウズ商会が支えているという方が正しかろうな。我らは同じ船に乗った家族のような存在なのだ」
『自領の商人と協力している善い領主のアピールかな? でも、かなり現実と乖離してるよね。ラッセル公爵はどこまで気付いているのかしら』
「それはアロウズ商会の不正行為についても、ラッセル公爵家が責を負うという意味だと解釈してもよろしゅうございますか?」
「無様だな。不利な立場に追い込まれた途端、次は他者への言い掛かりとはな」
「お尋ねしているだけでございます。そこまでアロウズ商会と密接な関係ということであれば、彼らの行為も把握していると解釈しても宜しゅうございましょうか?」
「無論だ。アロウズ商会の会長は、其方とは違う。領地のために力を尽くす商人の鑑のような男なのだからな」
自信満々に言い放つラッセル公爵にソフィアは不快感をおぼえ、どこまで事実を明らかにして良いものなのかについて逡巡した。
「確かにアロウズ商会の会長であるフレディ氏は、多くの方々に慕われていると伺っておりますわ」
「なにやら含みのある言い方だな。何が言いたい」
「アロウズ商会がアヴァロンのみならず、他国の商人にも親切だということに驚きを隠せませんの。海沿いにあるアロウズ商会の倉庫地下には、隠された港への通路がございますでしょう? そこから出入りする他国の船乗りたちのお陰で、近くの酒場や娼館が大層繁盛しているとか。自費で港を用意されたアロウズ商会には皆様とても感謝しているそうで、自発的に売上の一部をアロウズ商会にお支払いしているのですって。商人の鑑とはこのような御仁なのですのね。とても私には真似できそうにございませんわ」
「いい加減なことを申すな!」
ラッセル公爵は、頭から湯気が出そうなくらいに激高した。だが、セドリックの眷属から情報を貰ったサラは、密かにグランチェスター城にいたシノビ一族に潜伏を命じており、既に有力な情報をいくつか抱えている。
セドリックの眷属たちは情報を見聞きすることはできても、証拠となる品を持ち出したりはしない。物理的に証拠品を運べないわけではないが、彼らの興味は情報そのものであり、その情報を裏付ける証拠品にはあまり関心がない。
妖精と違い、人間であるシノビ一族は諜報活動中に捕まってしまったり、怪我をしたり、最悪の場合には命を落としてしまう危険がある。こうしたリスクから、サラは積極的にシノビ一族に諜報活動をさせたいとは思っていない。だが、今のように証拠で固めなければならないような状況では、シノビ一族を使わざるを得ないというのも事実であった。
そのため、シノビ一族を使う時にはセドリックの眷属にも監視を依頼し、何かあったらサラも即座に駆け付けられるような体勢を整えている。だが、グランチェスター城にいる家令のジョセフが率いるシノビ一族はとても優秀で、いままでサラの手を煩わせたことは一度もない。
『妖精とシノビたちが優秀過ぎて、どこまで公開したらいいのか悩ましいわね。贅沢な悩みだこと』
サラは持参した木箱の底の方に手を入れるフリをしつつ、空間収納からアロウズ商会の密輸に関する証拠を取り出した。出入りしている商人たちの国籍、取扱品目、取引量、価格などが記された書類に加え、密貿易に使用している港に出入りするための割符もある。
「こちらにアロウズ商会の密貿易に関する取引記録の写し、および港に出入りする際に使用される割符がございます。無論、信用していただく必要はございませんが……」
ソフィアはゆっくりと視線を動かし、かなりの下座に立っていたアロウズ商会の会長であるフレディと目を合わせると、ふっと小さく微笑んだ。
「ご本人もいらっしゃるので、そのままお渡しいたしますね」
商人のフレディは平民ではあるものの、豪奢な服や装飾品を身に纏っており、裕福であることを全身でアピールしているような男であった。視線を向けられたフレディは、慌ててその場を立ち去ろうとした。だが、ソフィアの視線を追っていた2名の近衛騎士が退路を断つように立ちはだかった。
「な、何を!」
「あぁ、騎士様方、どうか手荒なことはなさらないでくださいませ。商人の鑑であるアロウズ商会の会長に、是非ともご確認いただきたいことがございますの」
ソフィアが資料の一部を掲げると、心得たように官僚たちがその書類を受け取った。
「そ、そのようなものは知らん。随分と手の込んだでっち上げだな」
「つまり、偽りの情報だと仰るのですね?」
「当たり前ではないか」
「それは朗報ですわね。実はこちらの原本からグランチェスター様式の帳簿に落とし込んでみたのですが、沿岸連合のパッツィ商会との取引に問題があることに気付きましたの」
「問題?」
「まるで詐欺のような不当な取引ですわ。パッツィ商会は信用に足る相手ではないと申し上げたかったのですが、……当方のでっち上げという事であればこの資料は不要ですわね」
アロウズ商会の取引記録を元に、サラとマギは複式簿記の帳簿を作成していた。元の資料があまりにも煩雑でわかりにくかったため、そのままでは取引の全容を把握するのが難しかったのだ。マギが能力を存分に発揮してくれたお陰で、あっという間に複式帳簿にまとめてくれたのである。
そして、この帳簿からさまざまな不正を発見したのは、元宮廷文官であり査察を専門としていたトマスである。ソフィアに良いところを見せるいい機会であったため、トマスはとても熱心にこの帳簿の矛盾点を洗い出していた。
ソフィアの発言に、フレディは平静さを装いつつも、口許が引き攣るのを抑えることができなかった。
「ね、念のため私にもその書類を見せていただけるかな?」
『あら、気付いていたのかしら。でも、全容は把握できていないようね』
沿岸連合のパッツィ商会は、意図的にわかりにくい書類を使って、不正に金銭を騙し取っていた。随分とアロウズ商会を馬鹿にした手口ではあるが、複雑怪奇な帳簿は管理するのも大変で、なかなかこうした詐欺的な手口に気付きにくい。そのため、会計に詳しい人材は、どの商会でも引っ張りだこである。
「でっち上げの書類をお目にかけるなど礼儀に反することはできませんわ」
「そ、そうか。それで、そのでっち上げの資料では、どのような手口を使ったことになっているのだろうか」
ソフィアは小さく首を傾げて考えるような仕草をしてから、ゆっくりと話し始めた。
「手口はいくつかあるのですが、目立つのは関税でしょうか。密貿易ですから関税の支払いなど無いはずなのですが、輸出入の関税をすべてアロウズ商会が負担する形で計上されていましたわ。もっとも密貿易なのはアヴァロンでだけのようで、ロンバルでは正式な取引として成立しているようですわね。それと、二重請求も散見されておりましたわ。到着が遅れた商品の支払いを先に済ませているにもかかわらず、到着した後にも支払っていらっしゃいました。微妙に明細の品目名を変えて、別の商品であるかのように見せているようです。大胆ではありますが、手慣れた手口なのでしょうね」
「なっ。そのようなことが!」
「回収できていない売掛金を、あたかも回収しているかのように消込みしている処理もございました。会計担当者のミスであれば良いのですが、意図的だとすると従業員が他の商会と内通しているかもしれませんわね。あ、そういえば損益計算書も作成したのです」
先程書類を手にした官僚たちは、ソフィアの発言を受けて書類の内容を精査し始めた。
「ふむふむ。確かにこれはなかなか手の込んだやり口ですね」
「まぁ他国との貿易は書類が煩雑ですからね。だが、密貿易であれば専門家も雇いにくいのでしょう」
「しかし、素人ではないのですから、せめて二重請求には気付くべきではありませんか?」
ふわりとやわらかい微笑みを浮かべるソフィアは、商人にとってもっとも屈辱的となる言葉をフレディに放った。
「商人の鑑とも称される善良な方を、このような汚い手口で騙すなど許せませんわ。いいえ、違いましたわ。これはでっち上げの書類ですもの、そのような事実は無いということでしょう。これらの記録はすべて破棄いたしますわね」
確かに書類は煩雑でわかりにくい。だが、そうした事情を差し置いても、詐欺の被害にあったことは商人として無能の烙印を押されるに等しい。つまり、ソフィアはフレディを詐欺に引っ掛かる無能者と、痛烈に批判しているのだ。
「ぐっ……」
事前にラッセル公爵から『王の御前でソフィアを糾弾する』という話を聞いていたことから、フレディはソフィア商会が折れて小麦を販売してくれると確信していた。よもや王の前で堂々と売り渋ることはないだろうと高を括っていたのだ。
だが、蓋を開けてみればアロウズ商会の密貿易が暴露され、裏帳簿の情報はソフィア商会の手に渡っていた。
『一介の商人、しかも新参者の女商人がそれ程綿密な諜報活動ができるとは考えにくい。おそらく王室の密偵が、ソフィア商会を隠れ蓑に使ったのだろう。既に王室とは裏取引が成立していると考えたほうがいいな』
フレディは屈辱を味わいながらも、判断力は鈍っていなかった。だが、相手が規格外な存在であることまでは想定していなかったため、状況を大きく誤解してもいた。
『あの帳簿がほしい。パッツィ商会の不正を暴けば、既に約定している小麦の取引を何とかできるかもしれん』
小麦を入手できることを確信していたため、アロウズ商会はパッツィ商会を相手に小麦の取引契約を締結してしまっていた。既に資金は底をついており、反対売買の差額すら捻出できないところまで追い込まれていた。豪華な衣服を身に纏っていても、アロウズ商会の内情は火の車である。
しかし、アロウズ商会がそのような状況にあるなどとは疑ってもいないラッセル公爵は、ソフィアの発言を聞いて鼻に皺を寄せるような表情で嗤った。
「怖いもの知らずとはこのことだな。グランチェスター侯爵家の後ろ盾があろうとも、虚言の責任は必ず取らせる」
「確かに私は自らの発言に責任を持たねばなりませんわね」
ソフィアは改めて王に向き直り、深く頭を下げた。
「陛下、ラッセル領は王都に近く、馬を乗り継げば今夜中にも辿り着ける距離でございます。私が指摘した隠れた港への入り方を開示いたしますので、どうか王室の兵を差し向けてご確認いただけませんでしょうか?」
王はソフィアの発言を疑っていない。というより、ラッセル領での密貿易については、既に王室の調査でも明らかになっており、王室の密偵は身分を隠して取引現場にも立ち合っていた。だが、ラッセル公爵は王族であり、彼自身が密貿易には関与していないことから、こっそり呼び出して警告してやるつもりでいたのだ。
『まったく、困った従弟殿だな。ソフィアを糾弾などするから、このようなことになるのだ。己の力量を弁えぬとは。あれでラッセル領の内政が上手くいっているというのだから、まさにアヴァロンの七不思議の一つと言えるだろう』
「承知した。すぐに王国騎士団を派遣しよう。取引の拠点となる港であるならば、そう簡単に痕跡を消すことはできぬ。ソフィアの申すことが虚言であるかどうかはすぐに明らかになるだろう。さて、そこの商人、何か言うべきことはあるか? 正直に申せば沙汰に手心を加えぬでもないが」
王の発言にフレディは震えあがった。その口調は明らかに苛立ちを含んでおり、射殺されそうなほどの鋭い視線が向けられている。
ガタガタと震えながら、フレディは王の前に跪いた。
「お、畏れ入りましてございます。資金繰りが苦しくなりつい……」
「アロウズ商会の……なんといったかな」
「フレディと申します」
「そうか、フレディ。其方、密貿易を認め、私の慈悲を乞うているということか?」
「認めます。大変申し訳ございません」
フレディの発言を聞いたラッセル公爵は、口をぽかーんと開けたまま固まった。よもやソフィアの方が正しいなどとは、まったく想定していなかったのだ。しかし、王の前でいつまでもそのような態度をとるわけにはいかない。
「おいっフレディ、お前は領主である私を謀ったのか!」
「申し訳ございません。どうかお許しください」
「許すわけがないだろうがっ!」
激高するラッセル公爵を止めたのは、玉座で退屈そうな表情を浮かべた王であった。
「ジャスパー、いい加減にせんか。このような場で騒ぎ立てるな。まったく其方は子供の頃から変わっておらんな。癇癪を起したところで事態は好転せぬ」
「陛下、その言いようはあまりでございます」
ラッセル公爵はしょんぼりと肩を落とした。
「残念ながら商人の鑑とやらは、密貿易で我が国に入るはずの税を免れておるようだ」
「お恥ずかしい限りでございます」
「ところでソフィア、其方の入手した帳簿には禁制品の取引についても記されておるか?」
王に問われたソフィアは、取引品目のリストを取り出して内容を確認する。
「輸出品としては小麦、塩、明礬、煙草がございます。それと、当商会が販売しているシュピールアもそれなりにありました。確か、魔石の重量が一定数を超える場合には申請が必要だったと記憶しておりますので、禁制品と申し上げても差し支えないのではございませんか?」
「その通りだ。ふむ……なかなかの取引量のようだな。して、輸入品はどうだ?」
「とにかく砂糖が圧倒的に多いのですが、硫黄と硝石が含まれていることが気にかかります」
「なんだと!」
ソフィアの発言に、王の目が鋭くなった。控えていた官僚たちに命じ、ソフィアの手元から取引品目のリストを受け取ると、明らかに空気が変わるのが伝わってきた。どうやら王の身体からは魔力が漏れ出しているらしく、威圧という程ではないにしても、明らかに呼吸が苦しくなっている。
『うわぁ。王様がめっちゃ怒ってるわ』
「フレディとやら、これはどういうことだ?」
「そ、それは……その……」
「正直に申さぬか。一介の商人が気軽に扱えるような品ではない。誰の指示で動いておるのだ!?」
「申し訳ございません。資金繰りが苦しく、禁制品とは知りながら取引を受け入れました。それらの品はアヴァロンではなく、隣国のロイセンに陸路で運ぶ予定でございました」
「もっと悪いわ! 友好国とはいえ、火薬の材料を他国に売っただとっ」
王の怒りはさらに強まり、床に頭を擦りつけんばかりに平伏しているフレディを威圧した。さらに、王はラッセル公爵の方を振り向き、声を張り上げて怒鳴りつけた。
「ジャスパー、まさか其方もこの件に関わっておるのか?」
「誓って私は無関係でございます。私の忠誠心は陛下もご存じではございませんか!」
「王族にとって、身内は常に敵となる可能性がある相手だ。親子や兄弟はもちろん、従兄弟同士でも敵となり得る」
「私はこのような取引は知りませんでした。本当です。信じてください」
「では、潔白を証明するのだ。王国騎士団よ、今すぐラッセル領に向かい、アロウズ商会の密貿易を徹底的に調べるのだ。ラッセル公爵家は捜査に全面的に協力せよ。騎士団とラッセル公爵は退席し、即座に成すべきことを成せ!」
王が宣言すると、王国騎士団の団長が王の前に進みでて跪いた。倣うようにラッセル公爵も跪く。
「拝命いたします」
「御意にございます」
二人がバタバタとその場を後にすると、王の前には額づいたフレディが取り残された。
「そこの商人も尋問せよ。証拠隠滅ができぬようしっかりと監視するのだ」
「はっ」
近くに待機していた2名の騎士が、フレディを引き立ててその場を後にした。
そして、この様子を傍から見ていたアールバラ公爵夫人は、自分がかつて経験した背筋が凍り付くような恐怖を思い出していた。
『やはりソフィアは敵に回したらダメな相手だわ』
お、おわらない _(꒪ཀ꒪」∠)_
2025/10/04:アロウズ商会とどちらが加害者かわかりづらいという指摘を受け、パッツィ商会の 詐欺について少し書き換えました。




