おそろしい子
しょんぼりと肩を落として俯いてしまったサラとは対照的に、隣にいるクロエはまったく動揺した様子をみせなかった。
「お言葉ではございますが、パラケルスス師がそうした問題に気付いていなかったとは思えません。あの方はサラとは違います」
「確かにそうだな」
「ちょっと、それだと私が残念な人みたいに聞こえるんだけど」
「まるで残念じゃないみたいな口ぶりね。サラがやらかしたのは事実でしょう?」
「ううっ……」
クロエはサラのツッコミを、バッサリと斬って捨てた。
「マチルダ王女殿下のことは予想外だったとは思いますが、パラケルスス師であれば王都でも熱病が流行することはわかっていたはずです。今回のことがなくてもパラケルスス師は移動用の魔道具を作るつもりだったのではありませんか?」
サラと一緒に行動し、ゴーレムたちと交流することも多いクロエは、グランチェスターの大人たちよりもサラの行動を把握している。当然、リヒトや乙女たちへの理解も深い。
「クロエの言う通り、アリシアからリヒトは予想してたって聞いてるわ。既に試作機が用意されていたのもそういう理由ね」
「やっぱり。それで、魔道具はいつ頃できるの?」
「正確にはわからないわ。材料が揃ったばかりなのよ」
「どれくらい作れる?」
「量産は無理。必要になる魔石の量が尋常じゃないもの」
「サラが魔石を作れることは知ってるわ。そういう建前は省略してよ」
「正直言うと、私でも数を揃えるのは骨が折れるわ。ソフィア商会にある展示用の大型シュピールアを見たことある?」
「もちろん。伝説級の魔石を使っているから上級貴族でも買えないって評判だもの。まさかあれと同じ魔石が必要なの?」
「あのレベルの魔石を沢山使うのよ」
「ひぅ」
さすがのクロエも小さな悲鳴を上げた。
「この魔道具のことをリヒトは『移動ポータル』って呼んでいるわ。なんとかグランチェスター領と王都邸を繋ぐ分の魔石は用意したけど、次に同じものを作るのはどれくらい後になるかわからない」
「用意した魔石はどのくらいなの?」
「ひとまず200個。グランチェスター領側で100個、王都側で100個使う予定。ね、この時点でまったく量産できる気がしないでしょう?」
するとクロエは淑女然とした微笑みを浮かべつつ、首をやや傾げてサラに尋ねた。
「それでも王室に納品するでしょう?」
「どうして当たり前みたいに言うかな。タダで献上なんて絶対にできないわ。原価だけで国家予算を遥かに超えるのよ」
「でも、サラが魔石を用意するのでしょう?」
「あのね、基本的にソフィア商会で販売されている魔道具の魔石は、採掘された魔石を加工して作られているの。私が製造しているわけではないわ」
「そうなの?」
「当たり前じゃないの。私がずっと魔石を作らなきゃいけないような商品を大々的に販売できるはずがないじゃない。すべての魔石を私が用意したら魔石市場が崩壊してしまうわ」
「サラが作った宝石を流通させないのと同じ理屈?」
「その通り。原価だけでも代金を支払ってもらわないと、ソフィア商会が倒産しちゃうわ。確かに一定以上の大きさの魔石や、大量に安定した品質の魔石が必要なら"特別に"私が用意することもあるわ。それでも、王室だからって、何でもかんでも献上してもらえると思ったら大間違いよ」
先日のアンドリュー王子の言動が腹に据えかねていたサラは、強い口調で言い切った。マチルダ王女に献上するテディベア型のゴーレムは、サラ自身が決めたことなので構わないのだが、王族の権力を振りかざして強要されるのは実に腹立たしい。
「それでもソフィア商会が今後もアヴァロンで活動したいなら、王室に移動ポータルを納品せざるを得なくなるはずよ。時間がかかるとしても、移動ポータル用にサラが魔石を作るに決まっているもの」
「面倒になったら、グランチェスターごとアヴァロンから去るかもしれないわよ?」
この発言にグランチェスター侯爵とエドワードは顔色を変えたが、言われたクロエはケロリとしたままであった。
「それで、次の国でも同じように王家に圧力を掛けられたら逃げ出すの? 何度繰り返したって似たような問題は起きるわ。それくらいならグランチェスターが後ろ盾になるアヴァロンでやる方が楽でしょう?」
「否定はしないけど、私の協力を当たり前のように考えるのは止めて頂戴」
「私だって、何度もドラゴンの尻尾を踏むつもりはないわよ」
「どうかしら。最近、自分がクロエのおねだりに弱くなってる自覚はあるわよ」
「ちゃんとメリットも用意するってわかってるからでしょ」
サラは深いため息をついた。
「魔石をどっさり使った商品をタダで献上する前例をつくるのは絶対にイヤ。それに、何度も言うけど移動ポータルは消費する魔力量がとてつもなく多いのよ。たっぷり魔石を搭載しても、1回つかったら魔石はほぼ空っぽになるんだから」
「1回しか使えないってこと?」
「基本的にはそう。魔力を補充できる魔石を使うことで繰り返し使えるようにはなるけれど、当然その分だけ原価は高くなるわ。それに、使った後には誰かが大量の魔力を補充しなければならない」
「サラみたいに日常的に使えないってことは理解できるけれど、緊急用の移動ポータルはアリなんじゃないの?」
「仮に王宮に設置するとして、何処と繋ぐの?」
「うーーん」
クロエは考え込んでしまった。だが、その答えをグランチェスター侯爵は持っていた。
「それはグランチェスター領しかなかろう。万が一王宮に敵がなだれ込んできたとしても、グランチェスター領に移動すれば別の移動ポータルが設置されている。動力となる魔石も豊富にあると考えるだろうしな」
「ですが、それはグランチェスター家が王室の味方であることが前提ですわ」
「故に王室との縁組の可能性が高まるというわけだ。少なくとも我が家から嫁いだ妃が粗略に扱われることはないだろう」
グランチェスター侯爵はニヤリと笑った。しかし、サラは納得できなかった。
「つまり、代金はグランチェスター家が負担するということで宜しいですね?」
「待て待て。グランチェスター家は、ソフィア商会にかなりの便宜を図っていると思うのだが?」
「まったく釣り合いが取れていないと思います」
「そこは家族の情でなんとかならんか?」
「なりません」
ところが次の瞬間、クロエはくるりとサラの方を振り返ってぎゅっと抱きついた。
「サラ、お願いだから移動ポータルを作って。王室に嫁いだら、いっぱい協力するって約束するから」
「駄目よ。ドレスやアクセサリーとは違うんだから。いくらすると思ってるの」
クロエは少し身を起こしてサラを正面から見据え、両肩を掴んで前後にガクガクと揺さぶり始めた。
「そこを何とか!」
「ちょっちょっと、止めて頂戴」
「じゃぁ作って」
「むーりー」
「一生のお願いだからぁぁぁ」
「どうせ、このあとも沢山おねだりするんでしょ? っていうか放してよぉぉ」
「それはそれ、これはこれってサラも言ってたじゃない」
「わ、わかったから手を放してぇぇぇぇ」
「やったぁ」
返事を聞いてクロエはサラを解放した。
「ひ、酷い目にあった。頭がグラグラしてキモチワルイ……」
「何を言ってるのかしらね。サラだったらクロエくらい簡単に振りほどけるでしょうに。茶番もそのくらいにしておきなさい。どうせ王室の反応次第では作らざるを得ないことを理解しているのでしょう?」
レベッカが呆れたように声を上げる。
「無理に振りほどいたら、クロエが怪我をするかもしれないではありませんか。私はそこまで腹黒なことは考えておりません」
「あらまぁ。相手の手足を斬り飛ばしても『治せば問題ない』と豪語していたサラが随分変わったこと。淑女教育の賜物だと信じたいところですわね」
「て、手足を斬り飛ばしたですってぇぇ!?」
レベッカの発言に、クロエはそっとサラとの距離を取った。
「あら、クロエは知らなかったのね。ソフィアの姿で、暴動の首謀者の手足を魔法でスッパリとやってたわよ。しかもね、治癒魔法で綺麗に元に戻してから『まだやりますか?』って聞くものだから、敵は完全に戦意を喪失してたわ」
「うわぁぁ。それを聞くと、お父様は運が良かったんですね。サラを怒らせたのに頬を切られるだけで済んだのですから」
「思い出させないでくれ……」
黒歴史を一刻も早く葬り去りたいエドワードは、首を大きく左右に振る。
「確かに私がそのような振る舞いをしたことは事実ですが、私だって相手を見て行動を決めております。誰彼構わずに手足を斬り飛ばすことはありません!」
「そもそも淑女は相手の手足を斬り飛ばしません」
「ですが、祖母様は魔法で暴徒を凍り付かせ、侍女に手足を叩き割るよう命じたと聞き及んでおります。この祖母様の行動から、自分の身を守り、ついでに二度と私を襲撃しようなどと考えることのないように力を示しておくことの大切さを学びました」
「サラったら……」
サラの発言にレベッカとロバートは揃って頭を抱え、エドワードは明らかにイヤそうな表情を浮かべている。
「えっと……話が大きく逸れてしまったのですが、まずはグランチェスター城と王都邸を結ぶ移動ポータルを設置します。どの程度の質量を運べる魔道具になるのかはアリシア次第ではありますが、魔石の数から考えると馬車一台分くらいは移動させるつもりがあるように思います。あくまでも予想ですのであまり期待はなさらないでください」
「ほほう。だが気軽に行き来できるほど魔力は余らぬだろうな……」
グランチェスター侯爵は顎に手を遣って検討するフリをしつつサラに目線を送る。
「そんな目で見ても、私は魔力の補充はいたしません。使ったら、自分たちで注いでください。まぁ、搾り取った魔力の液体を注ぐユニットは実用化しているので、グランチェスターの子供たちが魔力増加のために毎日取り出してる魔力を貰ったらどうですか? ブレイズの魔力が凄い勢いで増加しているので、たっぷりあると思いますよ。あぁ、でもブレイズの魔力はブランデーやシードルの熟成に使うべきかもしれませんけど」
『あとは、そろそろ変身魔法で遊びたくなる時期だと思うんだよねぇ。そういえば、大人になったブレイズはイケメンだったなぁ』
ふと、サラはブレイズのことを思い出し、少しだけ口角が持ち上がった。
「サラが微笑んでるってことは、私たちを揶揄っているだけね? 祖父様、ちゃんと魔力は補給してくれそうですわ」
「それは重畳」
「え、ちょっと、そんなこと言ってないわよ!」
「いいのよ。わかってるから」
サラは慌てて否定したが、クロエはにんまりとした表情のままである。
「今すぐゴーレムと交代して部屋に引きこもりたくなってきた」
「それはずっとグランチェスターにいてくれるってことね。嬉しいわ」
『く、クロエ……おそろしい子』
クロエのことを白目になりそうな雰囲気で見つめたが、どう考えても断れる雰囲気ではなかったのでサラの方が折れるしかなかった。
「もう、仕方ないなぁ。とはいえ、王室に移動ポータルを設置するかどうかは、王室の出方を見てからにしましょう。少なくとも『寄こせ』と言われて、右から左に渡せるものではありません。先程も申し上げましたが、移動ポータルをクロエの持参金扱いにするおつもりであれば、グランチェスター家に相応の対価を請求いたします」
「それ程の代金をグランチェスターが支払えるはずがない。わかっておるだろう?」
サラは祖父の物言いにカチンときた。涼し気な表情を浮かべており、どうせ請求されることなどないと高を括っているように見える。
「言っておきますが、対価はお金だけとは限りません。そろそろ祖父様や伯父様、もちろんお父様にも覚悟を決めていただくことにしましょうか」
「覚悟だと?」
「サラ、僕もかい?」
サラはすっと手をあげて指を3本立たせた。
「一つ目は、私に政略結婚をさせないこと。相手が王族であっても例外ではありません」
「当たり前だよ。サラはどこにもお嫁にやらないからね!」
「あ、いえ。そのうち相手ができれば、お父様が何を言っても結婚します」
「そんなぁ」
「ロブ、諦めろ。アーサーの娘なのだから似るのも当然だ。下手に反対すれば駆け落ちしかねないぞ」
エドワードはロバートの肩をぽんぽんと叩いた。
「駆け落ちというより、面倒だからソフィア商会ごとグランチェスターから離れちゃうんじゃないですかねぇ」
「おい、ロブ絶対反対するな!」
「だってサラがお嫁に行っちゃうんだよ!?」
「いつ結婚するかわからんだろうが。サラには妖精の友人がいるのだ。お前が死んだ後かもしれないだろ!」
「そうか!」
「ひとまず落ち着いてください。別に今すぐ結婚したい相手がいるわけではありませんが、この件はお約束いただけますか?」
グランチェスター侯爵とエドワードは目を見合わせて、互いに頷きあった。
「わかった私の代とエドワードの代では約束しよう。ロバートもそれで良いな?」
「承知しました」
サラは指を一本折り曲げ、二つ目の条件を提示した。
「二つ目は、王室や貴族と私の間で摩擦が生じた場合、私に味方していただきたいのです」
「それは家族なのだから当然だ」
「貴族家とはそのように甘いものではないことをご存じでいらっしゃるのに、そのように安易に頷くのはいかがなものかと」
「お前に敵対するほど私もエドワードも愚かではないぞ」
「ひとまずそういうことにしておきましょう。王室や他の貴族家からの圧力に屈することなく私の味方をしていただける、と」
グランチェスターの大人たちは全員が、こくこくと頷いた。
「そして最後のお願いですが、私に無断でソフィア商会や私に属する人やモノを利用しないでくださいませ」
「それはどういうことだ?」
「まず、祖父様ですが、懲りずにまたブランデーを持ち出しましたね? この件はミケも片棒を担いでいるようなので、祖父様だけを責めるつもりはございませんが……次にやったら本気で怒ります。まったく酒呑みはどうしようもありませんね」
「す、すまぬ」
「ちなみにミケには罰として後でたっぷりお酒を造ってもらうことにしたので、そのうち安定供給できるようになるでしょう。伯父様も、勝手に他の貴族家にお酒を融通する約束をしないでくださいませ。こちらにも都合というものがあるのです」
「いや、しかし、貴族同士の付き合いというものがだな……」
「そのお酒を造るための魔力と労力を伯父様が負担してくださいますか? 代金払う気ないですよね?」
「だ、代金はちゃんと回収してくるぞ」
『へー、ほー、ふーん』
「じゃぁチャリティオークションに出品する分は、伯父様の借金に追加しておきますね。数本を寄贈して売上は全額寄付すると豪語されていたそうではないですか」
「なぜ知っているのだ」
「まだ、そういうことで驚きますか?」
「い、いや、その……」
エドワードが口籠ったところで、サラはレベッカとエリザベスの方に振り向いた。
「それとお母様、伯母様、ゴーレムを無断で使用するのをお止めください。ゴーレムたちはグランチェスター家の使用人ではありません。たびたびグラツィオーソを連れ出していらっしゃることは存じております。今日も大量の招待状を書かせていましたよね?」
「それくらいはいいじゃないの。私たちは家族でしょう?」
エリザベスが不機嫌に言い返した。
「お忘れかもしれませんが、ゴーレムを稼働させるには魔力が必要です。彼らの中には沢山の魔石が詰まっていますし、私の魔力が補充されています」
「もちろん理解しているわ」
「魔石は魔力を保持しているから価値がある、つまり動力の源となる魔力に価値があるということなのです。お母様と伯母様は、私の魔力という資産を無断で消費していることを自覚されていらっしゃいますか?」
「そこまで大袈裟なことではないわ。少し借りただけよ」
「では稼働した分の魔力消費を計測して料金を徴収しても構いませんか?」
「どうしてそこまで意地悪なことを言うのかしら。義理とはいえレヴィはあなたの母親になるのだし、私もあなたの伯母なのよ?」
「やめろリズ。今回はお前たちが悪い」
「ですが、ロブとレヴィの結婚式のお手伝いですのに!」
エドワードは妻の元に歩み寄り、そっと肩に手を置いた。
「サラは手伝わないと言っているわけではない。無断で使用するなと言っているだけだ。ゴーレムの手を借りたいのなら、サラの許可をきちんと得るんだ」
「サラはロブとレヴィの養女になるのです。私たちにとっても姪ですわ。目上の親族に従うのは当然ではありませんか」
しかし、レベッカはエリザベスの発言を無視して、サラと視線を合わせて謝罪の言葉を口にした。
「ごめんなさい。私が間違っていたわ。あなたのゴーレムを勝手に使うのは良くないことよね。きちんとサラにお願いすべきでしたわ」
「ゴーレムの手伝いが必要なのであれば、どうか私にお声がけくださいませ」
「レヴィまで! 子供は親に従順であるべきよ。私たちはサラの保護者なのだし、サラはグランチェスター庇護下にある娘よ」
どうやらエリザベスはレベッカの態度も気に入らないらしく、苛立ちを隠すこともなく甲高い声で叫んだ。
「対外的に見れば保護者なのは間違いないのでしょうけれど……、実際に保護されているのはどちらなのかしら。少なくとも経済的には、サラは独立した存在だわ。だって、グランチェスター家がサラのために使ったお金以上の価値を、受け取っているでしょう? 庇護下にあるというより、協力関係にある相手というべきじゃないかしら」
「どうしてサラのことになると、いつもお金の話になってしまうのかしら。淑女として恥ずかしいとは思わなくて? 確かにサラが沢山のお金を持っているのは事実なのかもしれませんけれど、子供は大人が導いてあげるものでしょう?」
「リズ、それは論点のすり替えというものよ。子供を導くことと、自分に従わせることは同じではないわ。先程リズは『それくらいはいいじゃないの』と言ったけれど、それを決めるのはサラであって私たちではないのよ」
「レヴィこそ何を言っているの。貴族家の令嬢は家のためにできる限りのことをするべきだし、子供の頃からそう躾けるものよ。それなのに、サラときたら政略結婚を拒否している癖に、揉め事になったらグランチェスター家に自分の味方をしろなど厚かましい要求をしているじゃない。うちのクロエは、グランチェスター家のために王室に嫁ぐとまで言っているのに!」
自分の名前が出たことで、クロエは母親の元に歩み寄った。
「お母様、落ち着いてくださいませ。お褒めいただいて光栄ではございますが、私はグランチェスター家のために王室に嫁ぎたいわけではないので、申し訳ない気持ちになってしまいます」
「あなたまで何を言うの!」
「お母様もご存じではありませんか。私はアンドリュー王子殿下をお慕いしておりますし、王室に嫁ぐに足る家格を持つグランチェスター家に生まれたことを、幸運なことだと思っております。どちらかと言えば、この想いを遂げるために私がグランチェスター家やサラの力を利用しているという方が正確な気がいたします。もし、家のために他の貴族家に嫁げと言われたら、私は反抗するかもしれません。お母様だって、ロッシュ家のためだけに嫁がれたわけではないでしょう?」
「それはそうですけれど……」
「もちろん私にもグランチェスター家の娘としての自覚はございます。家の存続にかかわるのであれば、この想いを胸に秘めて別の殿方に嫁ぐでしょう。ですが、それは両親や祖父様に従順だからではなく、領民に支えられて生きている貴族の義務であると理解しているからですわ」
クロエは真っ直ぐな眼差しでエリザベスを見つめ、次いでサラの方に振り向いて優美に微笑んだ。
「お母様を始めとする大人の方々にこのような物言いをするようになったのは、サラの影響であることは明らかですわね。淑女失格の誹りを受けるかもしれませんが、こんな自分を意外に気に入っていたりもするのです。サラの言うことがすべて正しいと思っているわけではありません。ですが、間違いなく私の視野は拡がったと感じています。グランチェスター領でサラと交流……というには少々過激でしたが、直接話をすることで以前の私が愚かなもの知らずの小娘であったことに気付きました」
「まさか娘に諭される日が来るとは思ってもいなかったわ。でも、サラが普通の貴族令嬢とは違う価値観で生きていることは認めざるを得ないわね」
「お母様、少なくともサラがグランチェスターの一員でいてくれる限り、他家に嫁ぐ以上の利をグランチェスターにもたらしてくれるはずですわ」
エリザベスはクロエの頭を軽く撫で、そしてギュッと抱きしめた。
「あなたの意見は理解したわ。でも、あまり急いで大人にならないで頂戴。少し寂しいから」
「はい。お母様」
「ははは。クロエは賢い子だなぁ。なんとなく、子供の頃のアーサーに似てる気がするよ。エド、そう思わないか?」
ロバートはどっかりとソファーの背もたれに寄りかかり、クロエとエリザベスの母子とエドワードを愉快そうに見遣った。
「確かに似てるが、淑女としてはどうなんだろうな」
「我らの敬愛するエレナ伯母上ですら、社交界の花と呼ばれていたことを考えれば、このくらいは可愛いものだろう」
エレナとは、前ハリントン伯爵家に嫁いだグランチェスター侯爵の実姉である。若い頃は楚々とした美女であったが、ひとたび剣を握れば騎士よりも強いと囁かれる外見詐欺で知られていた。何しろ得意な得物は大剣で、狩りに行くときにも背中に背負っていた。
するとグランチェスター侯爵……というより姉を思い出して背筋を凍らせたウィリアムは深いため息をついた。
「グランチェスターの女性は何故か強くなるように思うのだ。グランチェスターで生まれた娘だけでなく、嫁いできた女性もな。思い起こせば父上も母上には頭が上がらなかった。事実、エレナ姉上を育てたのは母上だしな」
『それは男がヘタレだからでは……』
と、その場にいた女性全員が同じことを考えたが、敢えて口にすることはなかった。




