怖い考えになってしまった
強い風が吹き荒れる音で目が覚めたサラは、窓に近づいて王都の街並みを眺めた。どうやら昨夜はずっと雪が降っていたらしい。建物の屋根は白く染まり、街路に積もった粉雪は強い風に煽られるように舞い上がっている。
ふと、背後の扉から小さなノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
「お目覚めだったのですね」
洗顔用のボウルとお湯の入った大きな水差しを抱えているにもかかわらず、マリアは優雅な足取りでそれらを所定の位置にセットした。侍女教育の成果が所作にも表れているようだ。
「重くて大変そう。これくらいのお湯なら魔法で出すのに」
「私だけズルをしているようで、他の方々に申し訳ないですわ」
「王都邸には給湯システムがないものね」
「グランチェスター城が特殊なのです。蛇口をひねれば水もお湯も出るのですから。メイド長は『この便利さに慣れてしまってはダメよ。他で働けなくなってしまうから』と繰り返し私たちに話すんですよ」
マリアはメイド長の声を真似ながら、ボウルにお湯を注ぎ入れた。
「乙女の塔の便利さに慣れちゃった私はダメダメね」
「ふふっ。メイド長から呆れられちゃうかもしれませんよ」
「でも不思議なのよね。確かにグランチェスター城は特別ではあるのだけど、上下水道の仕組みや給湯システムの技術は100年以上前から公開されているのよ。アカデミーにも資料が置いてあることを確認済みよ。なのに、どうして普及していないのかしら」
「浅学な私には便利な仕組みが普及していない理由はわかりません。リヒト様でしたらお答えをご存じでいらっしゃるかもしれませんわ」
「リヒトなら知ってそうだけど、下手に質問したら話が長くなりそう」
「お話上手でいらっしゃいますものね」
マリアの手を借りて念入りに洗顔を済ませると、マリアはお湯で湿らせたタオルでサラの耳の後ろ、首筋、手足を清拭していく。
「リヒトが早く帰ってこられるといいのだけど。なんだかグランチェスター家の事情に巻き込んでしまったようで申し訳ないわ」
「ですが、幼い王女様が高いお熱を出しているのであれば、リヒト様はサラお嬢様がお止めになっても王宮に向かわれたと思います。おそらくアメリア様も同行されたことでしょう。あの方々は薬師ですから」
「そうかもしれないわね」
清拭を終えると、マリアはサラの着替えの支度を始めた。
「本日は外出の予定がないと伺っておりますが、お間違いございませんか?」
「合っているわ。サラは邸内で自習、ソフィアはグランチェスター邸の離れで商人ギルド関係者と会合の予定よ」
「では、本日はサラお嬢様がゴーレムですか?」
「いいえ、ゴーレムのソフィアが聞いた内容をそのままこちらのゴーレムで再生してもらいつつ、必要なら指示を出すつもり」
サラはゴーレムとマギのネットワークを使ったリモートワーク環境を手に入れたようである。
「それでは、邸内用のドレスにいたしますね。冷え込んで参りましたので、下着やソックスも厚手のものにいたしましょう」
マリアは手早く下着やドレスを用意し、軽く火熨斗をあてた。火熨斗とは現代のアイロンのような道具で、本来は服の皺を伸ばすために使用される。だが、マリアは着替えた時にサラが寒い思いをしないよう、服を温めるのに火熨斗を使っていた。
「お寒いとは思いますが、お着替えをお願いします」
「暖炉も入っているし、そんなに寒くないわよ」
サラは勢いよくワンピースタイプの夜着を脱ぎ捨て、だぼっとした木綿の下着を頭から被った。マリアはすかさずサラの下着を整え、背面にある紐を手際よく結んだ。次にウールでできたドレスのスカート部分を着せて紐で結び、同じ素材でできた丈の短いチュニックを上から着せていく。
「これってルーカスのデザインとは雰囲気が違うわね」
「こちらは、集落に住む女性がデザインされたそうです。なんでも『ルーカスのデザインは外向きの華やかなドレスばかりで、部屋でゆったりとくつろぐためのドレスがない』と意見されたとか。その発言に気分を損ねたルーカスが、『じゃぁお前がデザインしろよ』と乱暴に未使用のスケッチブックを投げつけたそうですよ」
「穏やかじゃないわねぇ」
「集落の女性たちの話では、二人は昔からの幼馴染で、そうした喧嘩も『じゃれ合っているようなもの』なのだとか」
「あはは。ルーカスにもそんな相手がいるのね」
マリアはサラの背後に回り、スカートとチュニックの重なった部分を覆い隠すよう柔らかめのビスチェを巻いて、背後のリボンを締めた。
「お嬢様、苦しくありませんか?」
「大丈夫よ。確かにこれは温かいわ」
「もっとペチコートを重ねることもできますが、座りにくくなってしまうのでこのくらいで宜しいかと存じます」
サラは鏡の前に立って手を上げ下げした後、くるりと回ってみた。
「着心地も良いわね。シンプルなデザインなのも気に入ったわ」
「サラお嬢様は、こうしたデザインの方をお好みになると思いまして」
「バッチリよ!」
着替えが終わると朝食である。グランチェスター城では朝食も大勢で一緒にとることが多かったが、王都邸での朝食は誘われない限り自室でとるのが普通だ。マリアが小さなベルを鳴らすと、外に待機していたメイドたちがガラガラと朝食を乗せたワゴンを押して入室してきた。
「祖父様や伯父様からの呼び出しはない?」
サラは朝食をテーブルにセットしている最中にメイドに声を掛けた。
「グランチェスター侯爵閣下とロバート卿は、まだお休み中でございます」
「あら、具合でも悪いの?」
「お二人とも深夜にお戻りになられたようです」
「なるほど。それならゆっくり休んでいただいた方がよさそうね。エドワード伯父様たちは?」
「あのご夫婦の朝はいつもゆっくりですから」
「社交シーズンは夜会も多いけど、普段からゆっくりなのね」
すぐに呼び出しがないことを知ったサラは、朝食を手早く済ませてマチルダ王女に献上するテディベア型のゴーレム製作にとりかかった。ひとまず武蔵よりも少し小型で柔らかい表情のテディベアを作ったが、ゴーレムのユニットをどうすべきかで思い悩んだ。
『コレ、マギの端末にしたら駄目な気がする。ゴーレムの技術には王族も興味を持っているだろうし、バックエンドシステムの存在を知られるのはかなり問題だわ。国王から命じられれば、マチルダ王女に献上された玩具であっても……ううん、王族の所有物だからこそ、堂々とアカデミーの専門家たちに解析させる気がする』
新たに作り出したテディベアが外部と通信しているような痕跡が見つかれば、グランチェスター家もタダでは済まなくなることにサラは気づいた。だが武蔵と違って魂の器を持たないテディベアには、ゴーレムのユニットを仕込む必要がある。サラの脳内では、泣き叫ぶ幼女からぬいぐるみを取り上げる悪い大人たちの映像が浮かんできた。
『うわぁ、めっちゃ可哀そう。所有者に無許可で持ち出したら魔法陣消えるような仕組みは実現可能かしら。再起動させたいときはソフィア商会持ち込みにすればいいかな。それにしても、魔石の秘密や魔法陣はどこまで隠蔽可能かしら』
一人でぐるぐると悩んでいても埒が明かないと感じたサラは、専門家とマギの意見を聞くことにした。乙女の塔まで空間を繋いで図書館に続く階段を降りると、書籍や資料を抱えた小型ゴーレムたちに出迎えられた。
「今日はゴーレムだけ?」
「グランチェスター城のメイドの方々は、昨日から人手が足りなくなった本邸でお仕事されています。どうやら、本邸の使用人にも熱病を発症した方が多くいらっしゃるようです。その他の使用人は塔内にいらっしゃいますが、日中の図書館は私どもゴーレムだけの方が効率よく管理できますので」
「なるほどね。それにしても熱病はなかなか終息しないわね」
「薬師ギルドが集計している患者数の推移から見れば熱病のピークは過ぎていますが、それでも昨年の同時期と比較すると患者数は2倍近いです。そう考えると、これから第二波や第三波がきても不思議ではありません」
「絶対数が多いってことね。特効薬の方はどうなの?」
「リヒト様が薬師ギルドと錬金術師ギルドを横断した製薬チームを立ち上げ、交代で薬を作り続けております。アレクサンダー師のご実家が薬種問屋だったこともあり、優先的に材料を融通してもらっております」
「その件は聞いているわ。『ソフィア商会の力を借りなくても大丈夫』と言われたから、ちょっとだけしょんぼりしちゃった」
その時。階段の上の方から、アリシアの柔らかいアルトの声が聞こえてきた。
「きっとアレクサンダー師はアメリアに良いところを見せたいのよ」
「おはようアリシア。ところで、あの二人はいつになったらくっつくの?」
「その気持ちはわかるわぁ。傍から見てると口を出したくなるよね」
「明らかに両想いだよね?」
「うん。絶対そうだと思う」
アリシアはサラに同意した。
「アメリアが告白しないと無理じゃないかな。アレクサンダー師は真面目な方だから『師匠が弟子に手を出すような不埒な真似はできない』くらい思ってそう」
「誠実な人っていえばその通りだけど、融通が利かないわぁ」
「でもね、最近はアメリアがおじいちゃんと一緒にいることが多いから、複雑な気持ちになっているみたい」
「あはは。リヒトは外見詐欺だよね」
「おじいちゃんも、サラにだけは言われたくないと思うよ。でもね、アレクサンダー師の場合、おじいちゃんが若くて綺麗な男性に見えるからっていうより『自分よりも師匠に相応しい薬師かも』って方が問題なのかも」
「アカデミーの教授より長生きしてるんだから、経験値が違うでしょうに」
「正論だけど、男心は複雑みたい」
「なるほど」
二人が図書室のソファに座ると、トマシーナが飲み物を運んできた。
「今日はジンジャーティにしてみました。お好みで蜂蜜を入れてくださいませ」
「ありがとうトマシーナ」
「どういたしまして」
サラとアリシアがジンジャーティを飲んでいる間にも、ゴーレムたちはせっせと働いている。どうやら授業の支度をしているらしい。
「ところでサラ、今度はどんな相談かしら?」
「どうして相談があるってわかったの?」
「わかりやすいもの」
「その前に、アリシアに言っておくことがあるの」
「おじいちゃんとアメリアのことなら知ってるわよ。ゴーレム経由で伝言もらったから」
「ごめんなさい。安易に呼んでしまったら帰れなくなってしまって……」
「気にしなくていいわ。サラに呼ばれなくても、おじいちゃんは近いうちに王都に行くつもりでいたから」
「そうなの?」
「王都の錬金術ギルド、薬師ギルド、商業ギルドの連名で書状が届いちゃったのよ」
「えっ!? それは随分と早業ね。特効薬の話をしたのは数日前なのに」
「気が急いたんでしょうね。商業ギルドの『緊急』の封蝋が使われていたわ」
商業ギルドの伝令は、封蝋の色で緊急度を区別する。その中でも『緊急』を意味する黒い封蝋は、戦争や反乱の勃発、大災害の発生などを報せるために使用され、中継地点で最速の馬と乗り手が全力で駆ける決まりになっている。そんな緊急の伝令が乙女の塔に届いたらしい。
「どうやら信じてもらえたようね。良かったわ」
「信じてもらえないと思ってたの?」
「半々くらいかな。いきなり訪ねてきた小娘に『熱病の特効薬』とか言われても、そう簡単には信じてもらえないわよ。やっぱりパラケルススっていう名前の効果かな」
「うーん。毎年大勢の人が亡くなってしまうのを見続けてきた薬師や錬金術師にとって、熱病の特効薬は悲願よ。まともな薬師や錬金術師なら、半信半疑でも確認はすると思う」
「自分の手で作りたいとか、競争意識とかないの?」
「当然あるわよ。悔しいから公開されたレシピは絶対に確認するはずだし、自分でも作ってみるに決まってる。公開されたレシピを流用して、別の新しい特効薬がでてくるのも時間の問題ね」
「リヒトはそれでいいのかな……」
「おじいちゃんにとっては、何十年も前の宿題みたいなものだから。目の前の患者を助けられるなら、好きに使ってくれって感じ」
「リヒトは商人には向いてないわ」
「あはは。そうかもね。だけど、私はおじいちゃんが商人に向いてなくて良かったと思う。そういう人って必要でしょう?」
「うん。とてもありがたいわ」
カップに残ったジンジャーティを飲み干したサラは、身体が暖まるのを感じた。
「ちなみに、王都からの伝令が届いたのは昨日で、おじいちゃんはその場で招聘に応じる返事を"直筆"で書いているわ。なのに、翌日には本人が王宮にいることを、サラはどうやって説明するつもり? 早馬よりも先に本人が到着しちゃってるんだけど」
「……やらかしたわ」
「でしょうね。近いうちにバレるわ。今のうちから言い訳を考えるか、移動経路の公開を覚悟するか決めておいた方がいいんじゃないかしら」
「どうしよう。困ったわ」
「その反応だと、相談したいことは別のことなのね。私は話を聞いてからずっと考えてたのに」
「もちろん、そっちの解決策も熱烈募集中よ」
アリシアは誇らしげに胸を反らし、ニヤリと微笑んだ。
「おじいちゃんと一緒に考えた解決策を聞く?」
「教えてくださいアリスト師!」
「ふっふっふ。サラの魔法を参考にして、固定した二つの座標を繋ぐゲートを開く魔道具を思いついたのよ」
アリシアは図書館の棚に置いてあった木箱を取り出し、サラの目の前に置いた。中には直系5センチ、高さ10センチくらいの円錐形をした魔道具が二つ入っている。
「これは小型の試作品なんだけど、魔道具同士をゲートの入り口と出口に設定できるようにしたの」
アリシアは魔道具を1メートルほど離し、それぞれのスイッチを入れた。
「これで、それぞれの魔道具の先端部分に通路ができたわ。ちょっと実験してみるわね」
胸元に差してあった羽根ペンを取り出したアリシアは、そのまま片方の魔道具の穴の中に羽根ペンの羽根の部分を押し込む。すると、差し込んだペンの羽根部分の先端が反対側の穴から顔を覗かせた。
「あ、反対側から羽根の先っぽが出てきてる!」
「基本的にはサラの移動魔法と同じ原理なの。つまり空間魔法の応用ってことね。これは試作品だから対になってる魔道具同士を繋いでいるのだけど、開けられる空間はとても狭くてペンくらいしか移動させられないわ」
「対になっている魔道具同士の距離に制限はあるの?」
「距離の制限はないのだけれど、起動時に座標を送り合う必要があるわ。その通信にマギの力を借りているのよ」
「この小さい魔道具の中に、マギと通信するユニットが入っているの?」
「座標の送受信機能だけに絞り込んで、なんとか小型化したわ」
サラは移動用魔道具をじっくりと眺めたが、円錐形の魔道具の表面に複雑な模様が走っているように見えるだけで、魔石が入っているようにすら見えない。
「魔石は底面にあって、取り換えられるようにしてあるわ。セットする魔石の属性は問わないのだけれど、小型化するために高純度の魔石をカットしないと駄目なの」
「規格品じゃないと取り換えできないってことね?」
「その通り。しかも、凄い勢いで魔力を消費するから、どんなに純度が高い魔石を使っていても、ゲートを繋いだら5分くらいで空っぽになっちゃうのよ。ほら、さっき開いたゲートが閉じてしまうでしょう?」
「わっ、本当だ。これって何かを送ってる最中にゲートが閉まったらどうなっちゃうの?」
すると、アリシアはにまーっと笑った。
「それはもちろん……」
「も、もちろんって、まさか!?」
「ズバっと切れ……」
「ぎゃぁぁぁぁぁ」
「……たりはしないわよ。安全面を考慮して、強制的に元の空間に放り出されるようにしてあるわ」
「あぁ良かった。もう、驚かさないでよ」
「あはは。怖い考えになっちゃうよね。でもね、最初におじいちゃんが描いた魔法陣だったら、あっちとこっちで泣き別れになってたはず。人の移動には怖くて使えないわ」
どうやらリヒトはあまり安全面については考慮していなかったらしい。
「おじいちゃんは、これを『移動ポータル』って呼んでた」
「いかにもリヒトが付けそうな名前ね。でも、アリシア……これは凄過ぎるわ」
「本当に凄いのは、魔道具なんか必要ないサラの方だと思うけど」
「ううん。魔法が使えない人でも使える魔道具にしちゃうところは本当に凄いと思う」
サラは感心しきりであるが、開発者としてアリシアは現状では解決できていないさまざまな問題を説明し始めた。
「さっきも言った通り、この移動ポータルを利用できるようにするためには、最初に対になった魔道具を両方とも起動させて、互いの座標を記憶させないといけないの。これにはマギのサポートが必要になるわ」
「移動ポータルにはマギとの通信ユニットを搭載しないと駄目ってことであってる?」
「ううん。それは必須じゃないわ。試作品は起動するたびに座標を書き換えるために通信させているけど、固定した位置にポータルを置いて使うだけなら、最初の起動時にマギに接続しているゴーレムでサポートできる」
「ゴーレムじゃなくて、マギとの通信ユニットだけでも大丈夫?」
「もちろん大丈夫よ。マギにとってはどれも端末に過ぎないから」
『ということは、移動ポータルを王室や他の貴族家に渡すことになったとしても、マギとの通信はできないようにできるわけね』
自分の目の届かない場所に置いた時のことを想定したサラは、設置時以外はマギとの通信が不要であることに安堵した。
「どれくらい距離の移動が可能なの?」
「マギが通信できる場所であれば距離は関係ないし、魔力の消費量も同じよ」
「近くても遠くても、移動するのに使う魔力は同じってこと?」
「その通り」
「魔力の消費量は、ゲートを通過できる質量とゲートを開いている時間で決まるの」
「大きなものを移動させるには、沢山の魔力が必要ってことであってる?」
「あってるわ。簡単に言うと、開くゲートの大きさで魔力量が変わるって感じかな」
「なるほど。それなら理解できるわ」
サラが頷くと、アリシアはより大きな問題があることを明かした。
「でも、それこそが問題なのよ。実用レベルで人が行き来できるような移動ポータルは、一度の移動で大量に魔力を消費してしまうの。とてもじゃないけど、気軽に使える魔道具とは言えないわ。これでも、最初におじいちゃんが描いた魔法陣から比べれば、随分効率化したんだけどね」
「元の魔法陣はもっと魔力が必要だったってこと?」
「そうなの。複雑すぎて魔道具に刻印できるような代物ではないし、魔力消費も尋常じゃなかったわ。なにしろ、おじいちゃん自身でも起動できなかったんだから」
「リヒトで無理なら、アヴァロン王室のメンバーでも無理よ。そもそも誰も起動できない魔法陣って、実験もできないじゃない」
「おじいちゃんって発想力は凄いと思うんだけど、魔法陣をよりシンプルで洗練されたものにするとか、効率を上げて魔力消費を抑えるとかは苦手みたい」
「複雑怪奇なリヒトの魔法陣を、アリシアが改良したのね?」
「そういうこと。魔法陣の解析と改良は私の特技だもの。あ、趣味でもあるわ」
乙女たちと仕事を始めて何度も思ったことではあるが、彼女たちは本当に才能豊かなのだ。アリシアはもちろん、アメリアもテレサも本当に素晴らしい。
『こんなに素晴らしい才能が埋もれてしまうことは、国益を損ねることになるって王室は気付いているのかな』
「サラ。眉間に皺が寄ってるわよ。可愛い顔が台無しじゃない。どうせまた『アリシアがアカデミーに通ってたら……』とか考えてたでしょ?」
「なんでわかるの!?」
「何度も言うけど、サラってとってもわかりやすいの。淑女ってもっと表情を取り繕うものなんじゃないの?」
「多分そうなんだけど、ここは自宅なんだから素のままでいたいじゃない」
「確かにそうね。気が抜ける場所は大事よ」
アリシアは、サラの眉間の皺に指をあててぐりぐりと伸ばした。
「それで実際の消費魔力量なんだけど、おじいちゃんがマギのバックアップ用に確保してた大きな魔石を使っても、大人が一人通り抜けられる穴を5分開けておくのが限界」
マギ用の魔石は、サラが作り出す魔石の中でも最大級である。限りなく100%に近い純度を持っており、アヴァロン王室の直系男子しか使えないと言われている攻撃魔法のインフェルノを10回以上は発動できる量を蓄えていた。
「それって、誰が起動できるの?」
「私の知る限り、サラとおじいちゃん以外の人に起動できる人はいないと思う。もしかしたら、ブレイズくんなら将来できるようになるかもしれないけど」
「うん。全然実用的じゃないわね」
「だよねぇ。だから、こんなのを考えてるんだけど……協力してもらえるかな?」
アリシアは大きな設計図をサラの前に広げた。
「これって、魔力を蓄積する魔道具?」
「さすが。サラならすぐに理解すると思った。移動ポータルだけじゃなくて、他の用途にも使えるように汎用的な設計にしてあるの。普段から少しずつ魔力を注いでおいて、いざという時に備える装置なの。ほら、貴族って子供のうちから魔力を枯渇させたがってるって聞いたから、こういうの喜ばれるかなって思って」
設計図にある魔道具は、大きな箱の中に大量の補充可能な魔石がずらりと並べてあり、蓄積されている魔力量がわかるような目盛りが付いている。魔力を注ぐ部分は複数人が同時に注げるように枝分かれしており、この魔道具から魔力を取り出しつつも複数の人間が魔力を補充できる仕組みになっている。
「……アリシア、魔力を補充できる魔石の技術を持つ私たちにとって、この魔道具は単純な工夫だってことは理解できる。でも、私は怖くてコレを外に公開できないわ」
「どうして?」
「とんでもない技術革新だから、かな」
「技術革新が怖いの?」
「どう言えばいいかな……。たとえばアヴァロン王室のインフェルノって、王室の直系男子しか入れない部屋で魔法陣に特定の属性の魔法を流すことで発動するんだって。個人差はあるらしいけど、生命を維持する代謝機能を最小限に抑えて数日かけて祝詞を詠唱しながら魔力を魔法陣に注ぐことで、やっと1回発動できる攻撃魔法なのよ。あ、コレ国家機密だから外で言わないでね」
「気軽に国家機密を明かさないでよ!」
アリシアはサラの発言に動揺を隠せない。何故なら、彼女はサラの言いたいことがすぐに理解できたからだ。
「だけど、アリシアのこの道具さえあれば……」
「大勢の魔力持ちから魔力を吸い上げて、インフェルノを使い放題ってことね?」
「特定の属性の魔法を流す必要があるらしいから改良は必要でしょうけど、概ねその通りの展開になると思うわ。さて、アリシアはどうしたい? もしかしたら、あなたはアカデミーに通った経験のない最初の王宮錬金術師になれるかもしれないわよ」
「絶対にお断り。私は錬金術を武器にしたいと思わないもの」
「気持ちはわかるわ」
だが、サラもアリシアも気付いている。マギとゴーレム、魔力を補充できる魔石、移動ポータル、そして魔力蓄積装置……どれをとっても軍事転用可能な技術だ。二人が人々の暮らしを豊かにするために開発した技術であっても、利用する側は開発者の意図を汲んだりはしない。
怖い考えになってしまった二人は暫し黙ったまま目と目を合わせていたが、先に口を開いたのはアリシアであった。
「将来のことはともかく、今は目の前にある課題だけを何とかしましょう。ひとまず、移動ポータルの中に、人が通り抜けられるゲートを10分間だけ起動できるくらいの魔力蓄積装置を埋め込むのはどう? 有事に備えて普段から少しずつ魔力を蓄積してもらうような運用方法なんだけど」
「いいんじゃないかな。どうせ一般に販売するつもりなんてないんだし。最悪、王宮には置くことになると思うけど……」
「その時は人に擬態したゴーレムを連れて行けば大丈夫だと思う。最初の魔力くらいはサラが補充するでしょう?」
「それくらいはするわよ。ところで、使う魔石なんだけど、大きい魔石じゃなくて小さい魔石をびっしり並べるのはどうかしら。あまり大きいと、分解されたときに採掘場所を聞かれそう」
「かなり大きな魔道具になっちゃうけど」
「大袈裟なくらい大きい方が、凄い魔道具って感じがして良いんじゃないかな」
二人は冷静になって現実的な解決策を模索し始めた。どちらもポジティブな思考の持ち主なので、困難に直面しても最悪の事態を避ける方法を探すのだ。
「ひとまず移動ポータルはなるべく早めに製作しておくつもりだけど、大きさの揃った魔石を用意してもらう必要がありそう」
「いくつくらい?」
「ゴーレムのユニットに入ってる大きい方の魔石を、100個ずつくらいあれば10分は何とかなると思う。1対だけなら200個。もっと作るなら、その分だけ必要ね」
「うひゃ。1対製作するのに国家予算並みの費用がかかるのね」
「自称錬金術師の小娘が作る魔道具とは思えないわよね」
「確かにね。そうだ、正確な場所は祖父様と相談することになるけど、設置場所はグランチェスター城と王都のグランチェスター邸にせざるを得ないと思うわ」
「グランチェスター侯爵閣下が、普段からお使いになる可能性はある?」
「便利な道具があったら使いたくなるのが人情でしょうね。私は魔力を補充する役目を任されそうな気がするわ」
「ひとまず、起動はなるべく簡単な仕組みになるようにしておくね」
「ありがとう。私も忘れないうちに魔石を作っちゃうわ」
サラはゴーレムに空の木箱を持ってくるように指示すると、その箱の中に作った魔石を放り込み始めた。ゴーレムのユニットに使用される魔石を作り慣れているため、ぽろぽろと零れ落ちるように次々と純度の高い魔石が生まれていく。
「いつ見ても圧巻の光景ね」
「自分でもそう思うわ」
「乙女の塔にいるとついつい忘れてしまいがちではあるんだけど、私はこんな風に魔石が使えることを当たり前だと思わないでいたいわ」
「どうして?」
「錬金術師として大事な視点を失ってしまいそうだから。限られた素材で創意工夫するのも大事だもの」
「言いたいことはわかる気がするわ」
サラが魔石を作っている横で、アリシアはせっせと魔法陣を描いていた。複雑なのでサラが見ても内容はまったく理解できないのだが、洗練された魔法陣というのはデザインとして見ても美しかった。
「それにしても、アリシアは逃げないわね」
「どういうこと?」
「リヒトだったら一人で秘密を抱えたまま、また何十年も寝ちゃいそう」
「確かにおじいちゃんならそうかもね。だけど、私はおじいちゃんと違って長生きできないもの。現実逃避しても物事は解決しないわ」
「なるほどね」
サラは初めて自分と乙女たちとの寿命に違いを実感し、胸の奥がチクリと痛んだ。
『そっか、リヒトはこの痛みを何度も何度も感じたんだな……』
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