令嬢の私財
「では私に新しい身分と商会をください」
「なっ!」
これにはロバートだけでなく、周りで笑っていた人々が一斉に静まった。
「身分と商会だと?」
「はい。領の備蓄を賄うために商会を設立することにしていたかと存じます」
「あぁ確かに話したね」
「それを私に任せていただきたいのです」
「ふむ。それで新しい身分というのは?」
「グランチェスター家が設立した商会ということになれば、王都から査察官が来た時に不正会計を疑われかねません。そのため、グランチェスター家とは関係のない人物を用意したいのです」
「つまり、サラではない別人の籍を用意しろということかい?」
「仰る通りです。ここから先は私のお願いになりますが、可能であれば私の商会として実際に経営していきたいのです。もちろん、備蓄については契約書を交わして、不正に搾取しないことをお約束いたします」
ロバートはしばし考えこむ。
「できないことではないけれど、それをサラがやる理由を聞いてもいいかな?」
「自分の資産を持って独立したいのです」
「独立!? グランチェスターを出るつもりなのかい?」
「はい。いずれはそうなるでしょう」
「グランチェスター家の令嬢がどうして!」
「いいえ、私は貴族ではありません。それは伯父様もご存じではありませんか」
この国で貴族として認められるのは、爵位を持つ人物の1親等までである。ただし、爵位を持つ本人が存命であれば、例外的に2親等までは貴族として振舞うことが許されているに過ぎない。この仕組みによって、この国は貴族という特権階級の人間を無駄に増やすことを抑制している。
王都の従兄妹たちは将来父親が侯爵となることが決まっているため、生涯貴族であり続ける。しかも、グランチェスター侯爵家では、正式な継嗣として認められるとグランチェスター家が持つもう一つの爵位である子爵位を継承する。つまり、従兄妹たちは侯爵の孫というだけでなく、子爵令息と令嬢でもあるため、仮に父親のエドワードが亡くなったとしても貴族のままなのだ。
ロバートも侯爵の令息であるため生涯貴族だ。彼は騎士爵でもあるため、今後ロバートに子供が生まれれば、騎士爵の令息・令嬢として貴族となる。ところが騎士爵は一代限りの特殊な爵位であり、本人が亡くなると爵位は国に返上しなければならない。つまりロバートが亡くなれば、その時点で子供は平民となる。
アーサーも駆け落ちする前に、騎士爵の叙爵は受けていたが、既にアーサーは亡くなっているため、今のサラの身分は平民だ。
「祖父様は私を引きとって、教育も与えてくださっています。そのおかげもあり、周囲の方々も私をグランチェスター家の令嬢として扱ってくださっています。とても感謝してはおりますが、私が平民であることは紛れもない事実です」
「それなら僕がサラを養女にしよう」
「伯父様、私は貴族になりたいとは思っていないのです」
これは嘘ではない。サラは生活の水準を落としたくないと思ってはいるが、貴族になりたいとはまったく思っていない。
「君はグランチェスターを愛していないのかい?」
「グランチェスター家を愛しているかと聞かれれば、否と答えるしかありません。半年程度ではありましたが、王都邸での生活は楽しいとは言い難いものでした。このままグランチェスター家に留まっても、エドワード伯父様が侯爵位を継承されれば、私の生活も愉快なものではなくなるでしょう」
「僕の娘であれば守れるだろう?」
「このようなことを自分で言うのもおかしな話ですが、容姿はそれなりですし、魔法も発現しました。結婚適齢期と言われるような年齢になったとき、エドワード伯父様が私を放っておくとは思えません。むしろ徹底的に利用しようとされるのではありませんか?」
「政略結婚させられるということだね」
「はい。しかも平民の血を引いた劣った血統の娘として、年嵩の方の後妻や問題を抱えた方の伴侶になる可能性が高いと思います」
「まぁ確かに」
「私はそのような生き方をしたいとは思いません。それが貴族令嬢としての義務というのであれば、先に貴族としての権利を放棄いたします」
実際のところ、容姿が優れているだけではなく、魔法を発現した上に、妖精の恵みもうけているため、そこまで酷い相手には嫁がない可能性の方が高い。しかし、ここはロバートを煽っておく必要があるので、悲惨な可能性を思いっきりアピールする。
「ですが、グランチェスター領と領民を愛する気持ちは持っております。父さんの生まれ育った土地ですし、ロブ伯父様も大好きです。それに、乙女たちのようなお友達もできました!」
「ありがとうサラ。僕もサラが大好きだよ。まぁ、エドはなぁ…、弟の僕がいうのもアレだけど…」
「下種野郎ですわね」
レベッカがロバートの発言を引き継いだ。
「レヴィ…はっきり言いすぎだよ」
「おそらく、ここにいる誰もが同じ思いなのではありませんか? 文官もメイドも、ロブ自身だって、あの男が侯爵になる日が遅ければ遅いほど良いと思っているでしょう」
「まぁそうなんだけどさ」
『あらら、エドワード伯父様ったら嫌われているわねぇ』
「まぁサラの独立は理解したよ。商会の設立はやるべきことだし、信頼できる人じゃなきゃ任せられないのも事実だしね」
「ただ、どこまで祖父様に話すべきなのかが悩ましいです」
「確かに」
ロバートとサラが頭を抱えていると、レベッカが提案した。
「正直に話したらいいのよ」
「はぁ、父上にそんなこと言ったら大騒ぎするに決まっているだろう」
「すべてを話す必要はないわ。『密かに備蓄を確保するために商会を設立する。グランチェスター家が直接経営するのは問題になるかもしれないから、信頼できる人物を商会長に据えて、自分は後見する形を取りたい』とだけ説明するの」
「なるほどなぁ」
「嘘を吐くわけじゃないでしょ? 言わないことはあるかもしれないけれど」
レベッカが優雅に微笑むと、ロバートは少しだけ目線を泳がせた。
『あー、レベッカ先生綺麗だもんねぇ…。この二人って付き合っちゃえばいいのに。あぁでもレベッカ先生ってなんか事情抱えてそうだよね』
「伯父様、商会長の身分ですし、年齢は少し上くらいな身分を用意していただけますか?」
「いや、バレるんじゃないか。それ?」
「実は言い損ねていたのですが、私にも妖精のお友達ができまして」
「「「えーーーーーーーーーーーーっ」」」
あ、みんな声を上げて驚いている。躾の行き届いたメイドは声こそあげなかったが、目を見開いたり固まっていたりするので、やっぱり驚いているのだろう。
「なので、最悪は『妖精の恵み』ということで通せるんじゃないかと。どのくらいの年齢で成長が緩やかになるかは、人それぞれらしいので」
実際には10代後半の成長期が終わったくらいの状態を維持することが多いのだが、妖精は友人となった人間の希望も反映してくれるらしく、男性では30代くらいで止める人もいる。
「サラ…後でお祝いするか? それとも隠しておくか?」
「少なくとも独立して生活できるまでは隠しきりたいですね」
「確かにエドが何をするかわからないか。わかった。皆もこのことは内密に」
ロバートが周囲に口止めすると、全員が頷いた。
「あ、伯父様が後見してくださるということですし、商会設立直後の運転資金もご用意いただけますか? 私、それくらいは働きましたよね?」
「うっ…どれくらいの資金が必要かは別途相談とさせてくれないかな」
「はい。もちろん」
「それと新しい身分は作るけれど、サラ・グランチェスターとしての身分も残して置いてほしいな。エドが無茶を言ってきたら出奔したってことにするから。名義だけとはいえ、姪を失うのはキツイよ。どうせなら僕の養女になっておかないかい?」
「伯父様が結婚されるときに問題になりそうですから、謹んで辞退いたします」
かくして、サラは新しい商会と、別人の身分を手に入れたのだった。