真実と嘘と流れない涙
グランチェスター侯爵が王の前に跪いてから10分程が経過していた。
ここは王の私室であり、王に忠誠を誓った護衛騎士以外は人払いされている。
挨拶の口上に合わせて跪いた後、通常であれば王が顔を上げるよう促すのだが、王は言葉を発することなくじっとグランチェスター侯爵を見つめている。
少々居心地の悪くなったグランチェスター侯爵が僅かに身動ぎしたところで、王は不機嫌そうな声を発した。
「熱病の特効薬ができたことは承知した。だが、なぜグランチェスターばかりなのだ」
グランチェスター侯爵が返事を窮している様子を見た王は、さらに言葉を重ねる。
「優秀な錬金術師が魔力を補充できる魔石を発明し、自律的に動くゴーレムも評判になっている。新たな酒、魔道具、薬のように効果の高いハーブティ、化粧品、さらには熱病の特効薬……そのすべてにソフィアが関与している」
「熱病の特効薬はレシピを公開し、ソフィア商会は販売に関与いたしません」
「それもまた商会の利益を優先しなかったソフィアの英断であろう」
「御意にございます。薬種問屋とのつながりもないソフィア商会では、必要な量の特効薬を作れないと申しまして……」
「そこまでいくと、商人というより聖女だな。ところで、そろそろソフィアの正体を明かしてもいいのではないか?」
「畏れながら、私はその答えを持ち合わせておりません。末息子の嫁と近しい関係であることは承知しておりますが、正確な関係は私も把握しておりません」
「そんな簡単な言葉で納得できるはずもないだろう!」
「納得せざるを得ないのです。無理強いをすれば、グランチェスターはソフィアという貴重な存在を失うことになります」
「ふぅむ……」
王は右手に手を遣り、どっかりとソファに背を預けた。
「ひとまず座れ」
やっと着座の許可を得たグランチェスター侯爵は、王の正面からやや右に寄った位置に静かに腰を下ろした。
「サラ嬢がお前の孫であることはわかっている。だが、ソフィアのことは皆目わからん。グランチェスター領の領民としてソフィアを登録したのも、ソフィア商会の登記を代行したのもお前の手の者であることは調べがついている。何者かも知らぬ相手にそのようなことはすまい?」
グランチェスター侯爵は静かに首肯した。
「孫に……サラに頼まれたのです。亡くなった母親に瓜二つであるせいか、サラはソフィアに懐いております」
「アデリア・エレイン・フロレンティア本人ではないのだな?」
「御意。息子の嫁は亡くなっております。私自身が葬儀を執り行い、埋葬に立ち会ったのですから間違いございません。それに、アデリアとソフィアとでは瞳の色が違います」
王は背もたれに預けていた身体をゆっくりと起こし、テーブルの上に魔石が嵌めこまれた小さな箱を置いて魔力を流した。貴族の間でもよく使用される、盗聴防止の魔道具である。この魔道具を作動すると、側に控える護衛騎士はもちろん、壁やドア、あるいは天井で盗み聞きをしている者にも話が漏れることはない。
「確認しておきたいのだが、お前の息子とアデリアはなぜ駆け落ちをしたのだ?」
「私と長男が結婚に反対しました。大変お恥ずかしい話ではございますが、アデリアが亡国の姫君であることを知らなかったのです。商人の娘だとばかり……」
「商人の娘であることは間違いないな。だが、ソフィアと似ているのであれば、さぞかし美しかったであろう。長男ならともかく、三男であれば裕福な商人を妻に迎えても差し障りあるまい」
「美しい女性であったことは間違いございません。というより、その美しさこそが結婚を反対した理由でもありました」
「ほう?」
グランチェスター侯爵は膝の上で両手を白くなる程ぎゅっと握り合わせ、絞り出すように過去の己の過ちを告白した。
「アデリアは父親と名乗る男性と一緒にアヴァロンにやってきたのですが、二人はまったく親子には見えませんでした。容姿が似ていないというだけではなく、父親が商売にまったく口を挟まないのです。それに、父親の身体や動きを見れば、武芸に秀でていることは明らかでした。かといって傭兵のような粗暴さがあるわけでもなく、まるで引退した騎士のように見えたのです」
「おそらく護衛だったのだろうな」
「今から考えれば、そう考えるのが妥当かもしれません。ですが、明らかにアデリアはその男に懐いており、そのせいで私は……」
「騎士を引退した貴族の愛人だと思ったわけか」
「御意にございます。若く美しい女商人など、貴族が道楽で飼っているだけの存在だと勝手に思い込んでおりました」
「わからぬでもない」
「アデリアの美しさに逆上せ上る男は多く、彼女がジェノアから持ち込んだ商品はあっという間に売れました。そのため、彼女は次々と商品をジェノアから輸入し、逆にグランチェスター領のエルマなどを購入しておりました。また、小麦の輸出についても、王室から許可を得る申請を愚息が手伝っていたようです」
「なるほど。そういう縁で親しくなったというわけか」
「正直なところ、息子とアデリアが親しくなったことに反対しませんでした」
「愛人であれば構わないと?」
「当時はそのように考えておりました。大勢の崇拝者の中から息子が選ばれたことを誇らしくさえ感じたのです」
王は呆れたような視線でグランチェスター侯爵を見つめた。
「ふん。美形揃いのグランチェスター家の男に言われると何とも嫌味だ。だがまぁ、お前が愚かであったことは理解した。グランチェスター家の男が、愛人など作れるはずもないだろう。蜜蜂のように花を渡り歩いていたロバートでさえ、一夜の夢を見る以上のことはなかったではないか。仮初の交際相手すら作らず、ひたすらレベッカを目で追っている様子は憐れを超えて痛々しい程であったぞ」
「なんとも恥じ入るばかりで……」
「まぁ良い。それよりも重要なのは、アデリアとそっくりなソフィアは誰なのかということだからな。サラを引き取った後に、ソフィアが訪ねてきたのか?」
「御意。息子夫婦が駆け落ちした先に、アデリアの親戚であるソフィアが訪ねてきたそうで、サラとは親交があったようです。しかしながら、ソフィアが商売のためにアヴァロンを離れている時期に息子夫婦が亡くなり、私が引き取ったことを知ったソフィアが慌ててサラに会いに来たのです」
「もしかして、サラを引き取ろうとしたのか?」
「そのつもりだったようですが、既にサラは次男のロバートやレベッカ嬢に懐いておりました。そこで、ソフィアはサラの住むグランチェスター領で商売を始めたのです。将来はサラに商会を引き継がせるつもりだと申しております」
「サラはソフィア商会の後継者ということか。というより、サラのために商会を作ったと考える方が自然だな。後継者として厳しい教育を受けているのであれば、晩餐会での彼女の様子も納得できるというものだ。しかし、親戚なぁ……」
「陛下、おそらくソフィアは妖精と友愛を結んでおります」
「やはりそうか」
「故に私は彼女の年齢を正確に存じません。外見と中身の言動が一致しないことが多く、親戚といってもどの程度の血縁関係なのかを推し量るのは非常に困難なのです」
「ソフィアという人物は、グランチェスター領で突然作られたようにしか見えぬのだ。グランチェスターに来る前の痕跡がまったくない。だが、隠棲していた長老が若い親戚の娘のために腰を上げて活動を始めたと考えればしっくりくるな。優秀なサラをソフィアが気に入ったのだろう」
嘘をつくときは、真実を混ぜることが重要である。グランチェスター侯爵は王の前で、堂々と嘘をついているが、実際にサラやソフィアに対して感じていることを正直に語っているとも言える。そのせいで王はソフィアの正体を『長い年月を重ねたフローレンスの長老の一人』と誤認するに至った。
「しかし妖精との友愛か……なんとも羨ましいものだ」
「御意」
「ところで、うちの孫がサラの誕生日で失礼な振る舞いをしたそうだな」
「決してそのようなことはございませんでした」
「いやいや。幼子の誕生日を祝う席で妖精との友愛に言及し、あまつさえ献上品を強請るなど王族として恥ずべきことだ」
「畏れ入ります」
妖精との友愛は、妖精が望んだ相手としか結ばれない。妖精に権力や経済力は通用しないため、王侯貴族であっても妖精に好かれなければ友人にはなれない。だが、人間の側はそれほど単純ではない。公の場で身分の高い者が自分よりも身分の低い者に対して『妖精との友愛を結んでいるのか?』と尋ねることは、『お前の妖精の力を貸せ』と言っているのと同義に扱われる。
つまり、サラの誕生日会でアンドリュー王子の「グランチェスター領に滞在して妖精の友人を探したい」という発言は、『グランチェスター領でお前の妖精に他の妖精たちを呼ばせろ』と周囲の貴族たちの前でグランチェスター家に命令したことになる。王族であればそうした傲慢な態度が許されるわけではない。王族であるからこそ、発言には慎重でなければならないのだ。
アヴァロンは国王を頂点とした絶対君主制ではあるが、貴族たちの影響力は無視できない。そもそもアヴァロンは、現在の王都周辺の地域を治める豪族であったアヴァロン家が周囲の豪族たちを取り込むように成立した国であるため、領地を持つ貴族たちの自治権が非常に大きいのだ。アンドリュー王子に『将来の王たる資質は無い』と判断する領主が増えれば、王太子の長男であっても王位に就くことは難しくなる。
「グランチェスターとソフィア商会には、王室と末永く良い付き合いをしてほしいのだよ。愚かな若者のせいで台無しにするわけにはいかん。……いや、私も人のことは言えぬ。先の晩餐会では、随分と失礼な振る舞いにおよんでしまった。この数年、ときおり自分の感情が上手く制御できなくなるのだ。私も年をとったということだな」
「お疲れが溜まっていらっしゃるのでしょう」
「そうだな。長く居座り過ぎたのやもしれぬ」
「賢明な君主であらせられるからこそ、我らが長くお引き止めしているのでございます」
「だが、もうアルバートもいい歳だ。そろそろ任せても良かろう」
「私のような者が口を挟める問題ではございませぬ。すべては御心のままに」
グランチェスター侯爵は王に武蔵が憑いていたことを知らないため、王の弱気な発言を咄嗟に否定できなかった。王が譲位を匂わせる発言をした場合、側に侍っている家臣は即座にその発言を否定しなければならない。どれだけ心の中で『早く辞めればいいのに』と思っていても、認めてはいけないのだ。
ちなみに、グランチェスター侯爵の『御心のままに』という発言は『やりたいようにやればいい』という意味になるため、どちらかと言えば肯定に近い。これは侯爵のミスであり、まったく貴族的な返答とは言い難い。うっかり本音が出てしまったというべきだろう。
「ふっ。その通りだな」
王は自嘲的な笑みを浮かべた。
『おそらくグランチェスター侯爵以外にも、譲位を望んでいる者は多いだろう。そろそろ潮時なのだろう。いや、遅すぎたくらいだ』
この日、王は来年の社交シーズンに譲位を宣言する決意をした。だが、同時に王は一抹の寂しさを感じてもいた。それは王位を去ることによる寂しさというより、共に過ごした戦友と別れたような気分になったのだ。
『おかしな話だ。王妃も家臣たちもみな揃っているというのに……』
同じ頃、熱を出したマチルダ王女を見守っていた武蔵も王とよく似た喪失感を味わっていた。マチルダ王女を孫のように見つめていても既に自分は祖父という存在ではなく、生身の人間ですらない。寄る辺のない水草のような曖昧な存在となったが、それでもふわふわとした自分の身体の中には確かにマチルダ王女への愛情があった。
王妃や王太子に家族愛を感じたことはないが、不思議とアンドリュー王子やマチルダ王女のことは可愛く思えた。特にマチルダ王女は、彼女が生まれた日に抱き上げたことを鮮明に覚えている。ふにゃふにゃと柔らかく頼りなさげな感触、赤子特有の匂い、シワシワの顔を真っ赤にしながら泣き叫ぶ声……すべてが愛しく、守らなければならないと思わせる存在であった。
武蔵自身に自覚はないが、マチルダ王女の誕生以降、武蔵はマチルダ王女を守るためにアヴァロンを導きたいと思うようになった。そして、武蔵に憑依されていた王も武蔵の感情に引きずられ、それまで「そろそろ王太子に譲位しよう」と思っていたにもかかわらず、「もっとアヴァロンを守らなければ」という感情に支配されるようになっていった。
『そうか、オレはもう王じゃないからマチルダを守ってやれないんだな。マチルダ、早く元気になれ。オレはもう側にいてやることはできないけど、たくさん愛されて幸せになるんだ』
柔らかいぬいぐるみの手でマチルダ王女を布団の上から優しくぽんぽんと叩くと、武蔵の身体の中にある魂の器が締め付けられるように痛んだ。だが、ぬいぐるみの身体では涙を流すこともできず、ただ愛しい子の傍らに寄り添うことしかできなかった。
久しぶりの更新です。
バタバタとしていてすみません。どうか忘れられていませんように。




