白羊宮にて
第二王子一家は白羊宮と呼ばれる離宮に住んでいる。名前を聞いて『おひつじ座か?』とサラは考えたが、他に星座の名前が付いた宮殿はないので偶然である。
緊急事態であることを承知しているため、宮殿の使用人たちからは最低限のやりとりだけでマチルダ王女の自室に通された。もっとも案内されたのは次の間であり、この先に王女専用のプライベートスペースがある。
リヒトは大きな医療用バッグの中をゴソゴソといじり始めた。リヒトは医療道具のほとんどを空間収納に置いている。バッグの奥に空間収納の取り出し口を顕現させているので、どこに行っても道具や薬などに困ることはない。しかし、すぐに使う道具は取り出しやすいよう診察直前にはバッグ本体に移動させる習慣があった。
暫くすると第二王子妃からのお呼びがかかり、一行は王女のプライベートスペースへと案内された。
「顔を上げなさい」
第二王子妃から声が掛かるのを待って、サラは顔を上げて自己紹介する。
「グランチェスター侯爵が孫、サラ・グランチェスターと申します。背後に控えておりますのが、パラケルススとその助手を務めるアメリアにございます」
本当なら両名とも『薬師の』と紹介したいのだが、さすがにアヴァロンの王族の前でアカデミーの資格を取得していない二人を薬師とは呼ぶことは憚られた。身分詐称の罪で咎められる可能性もある。
「以前から話は聞いているわ。マチルダもあなたの誕生日パーティーに行きたくて大騒ぎだったのよ」
「数ならぬ身には大変光栄なことと存じます」
「なるほど、さすがレベッカの教え子ね。それはともかく、今は時間が惜しいの。さっそくだけどあの子の寝室まで一緒に来てもらえるかしら」
「承知いたしました」
案内されるままマチルダ王女の寝室に入ると、宮殿の侍医と侍女たちがベッドの脇に侍っていた。
「マチルダの様子はどう?」
「ひとまず、けいれんは収まりましたが、相変わらずお熱が高く……」
そこにリヒトがつかつかと歩み寄った。
「はじめまして、私はグランチェスター領から罷りこしましたパラケルススと申します」
「あ、あなたが!? それにしては随分とお若い」
予想通りの反応に対し、サラが助け舟を出す。
「パラケルスス師は妖精と友愛を結ばれたお方なのです」
「あなた様は?」
「私はサラ・グランチェスター。グランチェスター侯爵の孫にございます。緊急であると伺い、取り急ぎ祖父の名代として参内いたしました」
しかし、こうしたやりとりすら第二王子妃には煩わしく映った。
「そういうやりとりは後にして頂戴。今はマチルダのことを優先しなさい」
「承知しました」
リヒトと侍医は第二王子妃に頭を下げ、即座にマチルダ王女に視線を移した。
「発熱はいつ頃からでしょうか?」
「朝に頭痛がすると仰せになられたため、侍女が検温したところ微熱がございました。しかし、昼前には39度を超えるまで上昇しております。ついさきほどひきつけをおこされました」
「おそらく熱性けいれんでしょう。繰り返していますか?」
「いいえ1回だけです。ただ、少しばかり時間が長かったことが気に掛かります」
「どれくらいでしょう?」
「およそ10分から15分くらいでしょうか」
「単純型かどうかは微妙なところですね。けいれんは全身でしたか?」
「そうですね」
「そちらはしばらく様子を見ることにしましょう。急激な進行から考えておそらく熱病で間違いないと思いますが、どう思われますか……えっと、まだ師のお名前を伺ってなかったですね」
「パラケルスス師に、師と呼ばれるのは面映ゆいですが、パット・レイドローと申します」
「ではレイドロー師の意見もお聞かせください」
「私も熱病だと思います。ただ、解熱効果のある薬を処方すべきかは悩ましいですね」
「比較的副作用の少ない解熱剤を持参してはおりますが、けいれんを起こしていることを考えると解熱剤の使用は賛成できかねます。体力が持つようであれば、このまま様子を見た方がよろしいかと。今は眠っているようですが意識障害はありますか?」
「脳症の兆候はまだありませんが、高熱ですので意識はぼんやりとしています」
リヒトはアメリアを振り返り、経口補水液を準備するよう指示した。リヒトのバッグの中には、瓶入りの経口補水液がみっちり詰まっているのだ。もちろん、控えの間で空間収納から取り出してゴソゴソ詰めたヤツだ。
「レイドロー師は経口補水液をご存じですか?」
「もちろん存じてはおりますが、病気を治す薬というわけではないので使用する薬師は少ないですね」
「やはりそういう理由であまり広がっていないのですか。残念です」
「効果があるのでしょうか?」
「仰る通り、経口補水液そのものに病気を治す効果はありません。身体に水分を補給することを目的とした飲料です。しかしながら、熱病など発熱、発汗、嘔吐、下痢といった症状があると、急速に体液が失われるのです」
「脱水ということですね」
「はい。人体の水は通常の水とは異なります。普通の水を飲ませるだけでは効果が薄いのです。具体的には塩などを一緒に摂取する必要があります」
「なるほど。脱水時に適した水分が経口補水液ということでしょうか?」
「はい。仰る通りです。お小水の量が少ない、熱があるのに発汗がない、口の中や唇が乾燥しているといった症状が出たら注意してください。脱水症状が悪化すれば命にかかわります」
次の瞬間、ベッドからマチルダ王女がか細い声を上げた。
「のど、かわいた……」
アメリアは侍女が用意した吸い飲みに経口補水液を瓶の半分ほど注ぎ入れ、毒見のために用意された小さなグラスにも少し注いで一気に呷った。毒見については事前にサラから教えられていたため、侍女から差し出された毒見用のグラスの使い方も万全であった。
毒見の結果に問題が無いことを侍女が確認し、最終的に第二王子妃が了承したことでマチルダ王女殿下に経口補水液を飲ませることができた。
「パラケルススというから、どんな凄い治療をするのかと思っていましたが、実際には普通の薬師と同じようなことをするのですね」
「私は少しばかり長生きをした薬師に過ぎません。妃殿下のご期待に沿えず心苦しいばかりでございます。ですが……」
「何かあるのですか?」
リヒトはチラリとサラに視線を向けた。その視線に気づいた第二王子妃がサラに問いかける。
「何か隠しているのでしょうか?」
「パラケルスス師の立場では言い出しにくいでしょう。私も祖父の許可なく申し上げるべきか悩みますが、妃殿下の前で隠し事はできません。実はグランチェスター領では、現在熱病の特効薬が作られています」
「な、なんですと!?」
サラの発言に激しく反応したのは、レイドローであった。
「特効薬などアカデミーでも聞いたことがございません。熱病には対症療法しかないというのが定説です」
「パラケルスス師が何十年も研究開発した新薬なのです」
「臨床試験の結果は比較的良好なのですが、一部で副作用と思われる症状も確認されております。薬師が監修できない場での投薬はまだ難しいでしょう」
サラとリヒトが説明すると、レイドローは興味津々といった風情で聞き入っている。
「パラケルスス師は、今後ご自身の患者にその特効薬を投与される予定なのでしょうか」
「まだきちんと考えがまとまっているわけではございませんが、できることなら他の薬師にも薬を提供できる仕組みを作りたいとは考えております」
「ソフィア商会が独占しなくても良いのですか?」
部屋の扉付近で置物のように立っていたゴーレムのソフィアは、レイドローの視線を受けてコクリと頷いた。
「なんと高い志であることか!」
感動しているレイドローを尻目に、王妃はリヒトに詰め寄った。
「その薬だけど、今は持っているのかしら?」
「ございますが……」
「それならばマチルダに投与なさい。あなたもその可能性を考慮していたから薬を持参したのでしょう?」
「しかし妃殿下、まだ正式に販売される前の薬です」
リヒト自身が第二王子妃の命令に異を唱えた。
「パラケルススよ、その特効薬ならマチルダを治せますか?」
「畏れながら私は薬師でございます。『絶対に治る』など不確かなことを申し上げることはできません」
「そう。ある意味では誠実な答えだと言えるでしょうね。母の心情としては恨めしくもありますが」
「大変申し訳ございません」
「でも、病気が早く良くなる可能性が高いのでしょう?」
「御意にございます」
「ならば良い。投薬を許可する。だが、回復するまで其方とその助手は王宮から離れることは許しません」
「妃殿下!」
サラは慌てた。サラの計画では、侍医と少し話をして経口補水液を導入し、侍医に熱病の特効薬を製造中であることをほのめかす程度に留めるつもりだったのだ。もちろん、重症化していた場合には、リヒトが魔法を使うフリをしてサラがサポートすることも考えていた。
しかし、第二王子妃はそんなサラの予想を超え、パラケルススという存在に過剰な期待を抱いていた。この世界の熱病は命にかかわる病気である。マチルダ王女になにかあれば、リヒトやアメリアもただでは済まない。だが、リヒトとアメリアは二人ともサラを見てニコリと微笑んだ。どうやらこうなることを最初から予想していたようだ。
「御意にございます。私と私の助手は、マチルダ王女殿下のお熱が下がるまでお側におります」
二人は第二王子妃の前に深々と頭を下げた。サラは自分自身の甘さを痛感せずにはいられなかった。そんなサラにアメリアが歩み寄って話し掛けた。
「サラお嬢様、ご心配なさらないでください。パラケルスス師なら王女殿下の病もすぐに治してしまわれますよ」
「アメリア……ごめんなさい。無理にあなたを勝手に連れてきてしまって」
「ふふっ。私も薬師の端くれです。病気で苦しんでいる小さな王女殿下がいると聞いたら、来ないわけには参りません。それよりサラお嬢様、そのクマをマチルダ王女殿下にお渡しならないのですか?」
「あ、そうでした」
サラはくるりと第二王子妃に向き直り、武蔵をマチルダ王女のベッド近くに置く許可を得た。
「そのクマはサラ嬢のおもちゃなの?」
「はい、私といつも一緒にいる武蔵です」
「ムサシ?」
「妃殿下は、ソフィア商会のゴーレムの話を聞いたことがございますか?」
「ええ、あるわ。高度な錬金術で作られた人造人間だとか。流暢に話すと聞いたけど本当かしら」
「このクマはゴーレムの技術で作られているので自律的に動きますし、お話もします」
「まぁ!」
「試作品ですので献上することはできかねますが、回復されるまで王女殿下の気晴らしになるかと思い持参いたしました。武蔵、こちらにいらっしゃい」
サラから声を掛けられた武蔵は、ムクリと立ち上がってサラの隣までトコトコと歩いた。
「本当に歩いたわ!」
おどろく第二王子妃に向かって武蔵は小さく頭を下げ、丁寧な口調で話し始めた。
「お初にお目にかかります妃殿下」
「話したわ!」
挨拶だけで第二王子妃だけでなく、侍女やメイドよく見ればレイドローとその助手も驚いている。
「ご覧のように武蔵はぬいぐるみでございます。身体は柔らかく、武器などを帯びることもできません。ゴーレムの技術を使った愛玩用の玩具でございます。ただ、大量の魔石が必要になるため、おそらく一般に市販されることはないかと存じます」
サラに代わってゴーレムのソフィアが、武蔵について"嘘の"説明を展開した。この辺りは事前にマギと打合せしてあった。もちろん、リヒトとアメリアも承知している。
「おそらくマチルダは回復したあとも、武蔵を返したがらないと思うわ」
「同型の新品をご用意いたします」
「ふふっ。その言い方だと献上してくれるわけではなさそうね」
さすがのマギでも、高価なぬいぐるみを勝手に献上するとは言い難いようだ。ソフィア商会でマギのデバイスとなるゴーレムのぬいぐるみを販売するともなれば、その価格は100万ダラスどころかその10倍の価格が付いても不思議ではない。魔石の販売価格がベースになっているため原価はそれほどでもないかもしれないが、ひとつひとつをサラが手作りしなければならない時点で安くなるはずがない。
「ソフィア、献上して構わないわ。グランチェスター家が代金を支払うから」
「承知いたしました。サラお嬢様」
「どうやらとても贅沢な玩具のようね」
第二王子妃は少し呆れたような口調になったが、「いらない」あるいは「代金を払う」とは言いださなかった。よもや自分が使える年間予算に匹敵するほど高価だとは想像もしていないだろう。
だが、そんな事情はお構いなしに、武蔵はマチルダ王女のベッドまで歩き、そのまま勢いを付けて飛び乗った。
「マチルダ、大丈夫か?」
「あなた、だれ?」
「オレは武蔵。マチルダのお見舞いに来たんだ」
「そっか。ありがと」
マチルダ王女は、そっと武蔵の手に自分の手を載せた。
「なぁパラケルスス、マチルダの手が熱いよぉ」
「熱があるからね」
「息も苦しそうなんだよ。なんとかしてやってくれよ」
「いまから薬を投与するから少し待ってくれ」
「わかった」
なんとも不思議な光景であった。武蔵はマチルダ王女の顔を覗き込み、額に手を当てたり、お腹のあたりを優しくぽんぽんと叩いたりしている。
「なんとも優しいクマですね。実に良いぬいぐるみですが、新品もあのくらい優しい子なのかしら?」
「もちろんでございます。武蔵は試作品のため少しばかり口調が乱暴でございますが、新品は王女様に相応しい口調でお話しできるように調整いたします」
「そうね、武蔵は男の子のようだから、新品は女の子にして頂戴」
「御意にございます」
ソフィアの会話運びと優雅な仕草に、サラは少しばかり敗北感を味わっている。サラは自分が感情的であることを自覚しており、勢いでいろいろやらかしてしまうことも理解していた。自分の感情を上手に制御できないのは身体が子供だからだと勝手に思い込んでいるが、ソフィアの姿でもやらかすことがある。
そう思えば、持って生まれた性格と言えないこともない。だが、バックエンドにマギがあるゴーレムたちは、人の持つ感情を模倣することはあっても、感情によって行動が変化することはない……ような気がする。最近は情報収集の機会が得られることに喜びの感情を示しているような気もするので、もしかすると感情のようなものがマギにもあるのかもしれない。
こうしてリヒトとアメリア、そして武蔵は白羊宮に残ることになり、サラとゴーレムのソフィアはグランチェスター邸へと引き上げることになった。
次の間に下がったサラは、見送りに来たリヒトに試作したばかりの音声通話用端末を渡し、マギを経由した連絡手段を確保した。万が一のことがあれば、王宮まで空間をつなげてリヒトとアメリアを救出するつもりである。
「ありがとうな。でも、そんなに心配しなくて大丈夫だ」
「あなたの心配じゃなくて、アメリアを心配しているのよ」
「ちゃんと守るよ。そうじゃないとアレクサンダー師に合わせる顔がない」
「そうして頂戴」
なお、次の間には連絡を受けて駆け付けたエドワードが待機していた。
「リヒト師とアメリアには申し訳ないことをした。サラのせいで巻き込んだな」
「お気になさらないでください。グランチェスター領の方は一段落して、薬師ギルドと錬金術師ギルドが動いてくれています。特効薬はアレクサンダー師を中心としたチームが製作してくれています。先日、正式な製薬のプロセスを確立できたので、レシピとともに王室に献上する資料を作成中です」
「薬師ギルドに公開するのではないのか?」
「特効薬が完成したことと、レシピを王宮に献上したという情報は薬師ギルドと錬金術師ギルドに共有します。実際に資料を公開するかどうかは陛下次第ですね」
「特効薬の存在を公表すれば、王室とて秘匿はできないだろう。リヒト師は策士だな」
「……実はクロエお嬢様の提案なのです」
「うちの娘が?」
「その……、『王室に恩を売っておきたい』と仰せになられまして」
「それは王室にじゃなく、王子に感謝されたいだけだろう。まったく乙女の初恋に政治が振り回されるとは」
エドワードは首を横に振りつつ、ため息をついた。次いでエドワードはサラに向き直った。
「サラ、熱病の特効薬については既に陛下もご存じだ。先程、父上が呼ばれた」
「そうでしょうね」
「マチルダ王女が回復すれば、特効薬の製造は国家事業になる可能性が高い。おそらく新参のソフィア商会の参画は厳しくなるだろう。運よく参加できたとしても末席だ」
「元より承知しております。私はすべての利権を手にしたいと考えるほど強欲ではありません」
「……お前、強欲ではないなどとよく言えるな」
「事実ですよ。自分の手に余ることは誰かに投げてしまった方が良いのです。その間に私はもっと違うことでお金を稼ぎます」
「わかったわかった。まぁひとまず家に帰ろう」
「そうですね」
こうしてサラはエドワードに抱えられて帰路についた。だが、王宮にリヒトとアメリアを置いてきたことによって、サラはどんよりと重い塊を飲み込んだような気持ちになった。
『どうか無事にマチルダ王女が回復しますように……』
最後は祈ること以外できない自分の無力さに気付いたサラは、涙目になりながらリヒトたちを巻き込んだことを悔やんだ。
一方、王宮に残ったリヒトは、先程のレイドローと親睦を深めていた。
「ところで、レイドローとは聞き覚えがある家名です。もしや、レイドロー師の御父君はロビー・ディ・レイドロー卿ですか?」
「はい。父をご存じでしたか」
「何度かお会いしたことがあります。大変に優秀な薬師でいらっしゃいましたし、彼の研究論文はいくつも目を通しております。実はグランチェスター領にある研究施設にも、レイドロー卿の論文の写しが置いてあるんですよ」
「それを聞いたら父も喜ぶでしょう。いまでも自宅で研究を続けておりますから」
レイドローはどうみても四十代から五十代なので、その父親であればおそらく七十代くらいだろう。妖精との友愛を結んでいない人としては長生きである。
「もう一度お会いしたいものです。もっとも、あちらは私のことなど憶えていらっしゃらないかもしれませんが」
「かつて、パラケルススと名乗っていたテオフラストスという薬師のことでしたら、父はいまでも憶えていますよ。酒が入ると繰り返し同じ話をするんです」
「ははは。それは実に光栄だ」
リヒトとレイドローは顔を見合わせて良い笑顔を浮かべた。
そして数時間後、マチルダ王女の熱は下がり始めた。




