9歳の誕生日 5
―――― ぎくっ!
グランチェスター関係者一同は内心かなり動揺していたが、貴族らしくまったく表情を変えなかった。もちろん、サラもレベッカのお陰でギリギリ及第点である。
「どうしてそのように思われるのでしょう?」
「いろいろ理由はあるが、あれ程の美貌と商才を持ちながら過去が一切出てこない。人間が生きているということは、社会の中で存在するということだ。それは他人との繋がり合うことで形成されていく。とりわけ商人は、そうした繋がりが蜘蛛の巣の如く広がっていなければ不自然なのだよ。だが、ソフィアにはそうした痕跡がまったく存在しない。彼女自身が資産を持っていなければ到底できない商売をしているにもかかわらず、その資産が何処から来たものなのか辿れないのだ」
『魔法で魔石作りましたなんて言えないしねぇ』
そしてピアネ伯爵はグランチェスター侯爵の方に目を遣った。
「まぁ、グランチェスター家がソフィアという人物を作り出したことは理解できる。だが、グランチェスター侯は実直な御仁であるが故に、こうした工作には不向きのようだ。人為的に作らなければ、存在し得ない人物だよ」
グランチェスター侯爵は、身内にしかわからないレベルでほんの少しだけ眉を動かした。
「ピアネ伯、実に面白い話だな」
「そうだろう?」
「ソフィア商会では、物語の本も販売しておる。是非とも貴公も執筆してみてはいかがだろうか」
「そうだな。本の題名を考えておかねばならんな。だが、その前にソフィアに取材を申し込まねばならんだろう」
ピアネ伯爵は相変わらずニヤニヤとした薄ら笑いを浮かべたまま話を続けた。
「ソフィアがグランチェスター領に突如現れたのは、グランチェスター領において暴動と森林火災が発生した頃だ」
「確かにそうだな」
「だが、グランチェスター領の行政が変わり始めたのは、ソフィアが現れた時期よりも早いのだよ」
するとグランチェスター領の代官として、ロバートが会話に加わった。
「人手不足とはいえ、さすがに商人が直接行政に関わることはありませんよ。もちろん、協力関係があることは否定しません。ですが、我々としてはソフィア商会との繋がりよりも、トマス・タイラーの複式簿記を導入したことが大きいと考えております」
ロバートは涼しい顔で大嘘をつく。いや、すべてが嘘ではないからこそ、平然と嘘のストーリーを語れるのだろう。
「確かに、トマス・タイラーの協力を得られたことは、ロバート卿のお手柄と言えるでしょうね」
ピアネ伯爵がロバートを称えると、ミントン前伯爵は嬉しそうに頷いた。自分の教え子が評価されていることが嬉しいのだろう。
「トマス・タイラーをグランチェスターに誘ってくれたのは、私の従兄であるジェフリーです。彼の息子の家庭教師として招聘したのですが、人材不足に喘いでいた我が領にも手を貸していただき、その成果として書籍を執筆していただきました」
「その割に、トマス・タイラーが執務棟に出入りしていたという記録がない。なんとも不思議な話だ」
「実は人材不足故に、執務棟には大勢の女性たちが働いているのです。我らは彼女たちを執務メイドと呼んでいます。しかしながら、トマス・タイラーは王都での一件以来、女性が近くに寄ることをあまり好まないようで」
「ははぁ、なるほど。そういう事情だったのか」
トマスの事件は王都では有名である。ちなみに、騒ぎを起こした女性は社交界に顔を出せなくなり、今は修道院に入っているらしい。
「だがなぁ。そのトマスにしても、ジェフリー卿の息子だけでなく、サラ嬢の家庭教師もしているのだろう?」
「グランチェスターの子供たちは、一緒にお勉強することになったんです。今は従兄のアダムとも机を並べているんです」
サラは気合を入れて子供らしい仕草を頑張っているが、既に尻尾を出してしまっているので周囲の大人たちには通用しない。
「あ、いや、サラ嬢。無理しなくていい」
「もう手遅れだから安心していいぞ」
周囲を見回すと、サラを取り囲んでいるジジイたちは、揃って笑いを堪えるよう肩を震わせていた。
『くっ……、頑張ったのにガッカリだよ』
悔しそうな仕草をするサラを慰めるように、武蔵がぽんぽんと腕を軽く叩いた。そんなところに気遣いは要らない。
「まったくサラ嬢を見ていると不思議な違和感をおぼえるよ。サラ嬢がグランチェスター領に居を移した途端、グランチェスターの行政改革が一気に進んだ。だが、その要因であるはずのトマス・タイラーは君の家庭教師だという。そして、突如として現れた”君にそっくり”なソフィアは、一気にグランチェスターでもっとも裕福な商会の会長となった。いや、今となってはアヴァロン国内でも有数の商会と言っても差し支えあるまい。なにせ、今年のグランチェスターの小麦をすべて買い占めるほどの金を積み上げて見せたのだからな。ソフィアは金の力で、グランチェスターの商人たち、いやアヴァロン国内にいるすべての商人たちの頭をカチ割って回ったと言っても過言ではない」
ピアネ伯爵は、一瞬だけ俯いて小さくため息をつき、顔を上げた次の瞬間にサラの目をまっすぐに見つめた。
「これでも私は40年に渡ってこの国の行政に携わり、多くの商人たちとの繋がりがある。無論、ソフィアが王都の商業ギルドで、腹黒い商人どもを金袋で殴り倒してきたことも承知している。だからこそ断言できるのだよ。すべての中心にいるのは、間違いなくサラ嬢、君だ」
「買い被りですわ」
「ははは。私も君があっさり認めるとは思っておらん」
すると、横にいたミントン前伯爵が、唸るような声を上げた。
「うぅむ……。サラ嬢が男子であれば、アカデミーで私の教え子にならないかと誘っただろうに」
「仮にそうであったのなら、早期に卒業させて王宮文官として私が直接スカウトしにいくだろうな」
『あぁ、ここでも”男子であれば”って限定詞が付くのね』
ミントン前伯爵やピアネ伯爵はそこまで深く考えて発言しているわけではない。単に王宮文官になるにはアカデミーを卒業せねばならず、アカデミーの入学資格が男子にしかないことを知っているだけだ。だが、枕詞のように『男子であれば』と言われることに、サラ自身がうんざりしていたことは間違いない。
「だとしたら、私は女子で良かったです」
「どういう意味だね?」
「私はまだ貴族ではありませんが、もうじき貴族になることが決まっています。貴族家の男子であれば、アカデミーに通うのは半ば義務のようなものですが、女子はその限りではありませんから」
この発言に、アカデミーの総長であるミントン前伯爵が反応した。
「サラ嬢はアカデミーが嫌いかね?」
「いいえ。通ったこともなければ、通うこともできないアカデミーに対して好き嫌いを申し上げることはありません。ただ、女性が書いた論文というだけで、侮辱的な批評をしてくる方々がいらっしゃることは存じております」
「はぁ……マッケランの愚か者め」
ミントン前伯爵は、大きなため息をつきながら首を横に振った。
「どうか、あのような輩ばかりではないと信じてくれないだろうか。グランチェスターにいるアリスト師……いや、本名はアリシア嬢だったか……のことは覚えている。我らは本当に彼女を入学させたかったのだ。勅命により入学は男子のみという規定を変えられなかったことが悔やまれてならん」
「私に対してそのような釈明は不要です。日々たくさんの論文を読み、さまざまな研究をしている多忙な方々に対し、外部の人間が論文を送ったところで相手にされるはずもないのは理解できます」
「そうか、理解してもらえるか」
サラが一定の理解を示したことをミントン前伯爵は喜んだが、その喜びもすぐに萎んでしまう。
「ですが不快に感じてしまうのも、また仕方がないことだとご理解ください。私はともかく、アリシアは優秀な錬金術師なのです。たとえ国やアカデミーに認められていなかったとしても、その事実は変わりません。私はそのような人物を侮辱した方々を許すつもりはありません。アリシアが書いたからと、内容を荒唐無稽と決めつけ、その研究結果を否定し、侮蔑的な返事を送ってきたのです。そんなことをするくらいなら、最初から論文を開封せずに『アカデミー関係者以外の論文は読まない』と返送すれば良いだけだったはずです」
「それについては……」
「承知しています。アリシアを……いえ、かつてのアリスト師を無視できなかったんですよね。彼女がアカデミーの討論会で論破したのは、マッケラン教授たちですもの」
「知っておったのか」
「もちろん調べました。マッケラン教授がアカデミーの学生だった頃、彼はいつも次席に甘んじていたそうですね。首席はアリシアの父君であるテオフラストス師だったと。そんなアリシアに討論会で論破されたのです。さぞかし過去の劣等感が刺激されたことでしょう。ですが逆に、彼女が書いてきた論文も気になって仕方がなかった。彼も錬金術師である以上、新たな知識を貪欲に求めたでしょうから」
「サラ嬢、まったく9歳には見えんぞ。確かにその通りなのだが」
「いやいやミントン卿、このように感情的になる方がよほど子供らしいでしょう」
ピアネ伯爵が微笑ましい者を見るような目でサラを見つめていた。
『あ、しまった。またやらかした』
「本当に申し訳ないことをしたと思っている。許してもらうことはできないだろうか」
「もう過ぎたことです。侮辱した方々を許すことはありませんが、アカデミーに対してそれほど悪い印象は持っていません」
「そうか!」
「ですが私は女の身で生まれて参りましたので、アカデミーにかかわることもないかと存じます」
「そ、それは……」
なぜかサラの言葉に、腕の中にいた武蔵がぷるりと震えて反応していた。そっとサラの胸に顔を埋めるような仕草をする。だが、サラはそんな武蔵の行動にはまったく気付かなかった。
「それ故に、サラ嬢は女性たちだけの乙女の塔にアリスト師を招聘したのかね?」
「お詳しいですね」
「アカデミーの教授に乙女の塔の名前を知らぬ者などおらんよ。なにせ錬金術師と薬師の教授たちは、誰が最初に乙女の塔に入れるかで争っているくらいだからな」
「誰も入れませんよ? 乙女の塔なんですから」
「だが、パラケルスス師やトマス・タイラーは入れるのだろう?」
「あそこは元々パラケルスス師の実験室だったのです。それに、トマス先生は私たちの家庭教師ですから」
「グランチェスターの子供たちの教師になったら、乙女の塔に入れるということかっ!」
「いえ、そういうわけでもないです」
「くぅぅぅぅ。何故だぁ」
「私有地なので、私の好きに選んでいるというだけです」
サラが冷たくあしらうと、周囲で会話を聞いていた有力者たちがボソボソと話をしている声が漏れ聞こえてきた。
「結局のところ、顔が良ければいいということではないのか?」
「トマス・タイラーはともかく、パラケルスス師はジジイだろ」
「いやいや妖精の恵みを受けた美男子らしいぞ」
「つまりサラ嬢は面食いということか」
すると、サラは声のした方にぐるっと顔を向け、ニッコリと微笑んだ。
「容姿については然程気にしておりません。そんなことよりも、能力が高いか低いかということの方が大切です」
この発言にピアネ伯爵が反応した。
「容姿は優れておらんが、それなりに執務能力は高い方だと自負しているのだが、私を乙女の塔に入れてくれないか?」
「ピアネ伯爵の場合、畏れ多すぎて本邸にしかお通しできそうにありません」
「ふっ。それは屁理屈というものだよ」
「子供の屁理屈は、正論であることも多いと申しますし」
「やれやれ『ああ言えばこう言う』だな。ではサラ嬢、せめて私を歳の離れた友人として認めてくれぬだろうか。聡明で美しい少女と友人になりたいのだ」
「は? 変態ですか?」
サラはうっかり淑女の仮面を外して唖然とするほど、ピアネ伯爵の発言に驚いていた。
「誤解だ。私は幼児性愛者ではない。孫よりも若い少女におかしな真似などせん」
慌ててピアネ伯爵は否定したが、すでにグランチェスター侯爵とロバートが全力で警戒していることに気付いた。
「そういう意味で言ったわけではない。貴公らは親馬鹿が過ぎるのではないか? 爺馬鹿か伯父馬鹿になるのか?」
というピアネ伯爵の発言を右から左に受け流したグランチェスター侯爵とロバートは、サラを抱えたままで静かに後ずさった。
「狩猟大会でもいろいろありましたので」
「あぁ、ロイセンのゲルハルト王太子殿下か。なんでも側室に召し上げるとか言ったそうだな。だが、断じて私はソッチではない!」
グランチェスター侯爵とロバートがピアネ伯爵とやり合っている間、サラの耳元ではセドリックがぼしょぼしょと情報を呟いた。それを聞いたサラの目に、少しだけ危険な光が宿った。
「祖父様、どうやら誤解のようです。友人になろうというお誘いには、きちんとお返事すべきでしょう」
そういうと、サラはピアネ伯爵に向かって抱っこをねだるような仕草を取り、サラを抱えているグランチェスター侯爵を慌てさせた。
「おい、サラ!」
「きちんと目を見てお話したいのです」
ピアネ伯爵は、グランチェスター侯爵からそっとサラを受け取って抱きかかえた。さすがに孫が大勢いるため危なげなくサラを支えている。
「改めまして、サラ・グランチェスターです。かなり年上の殿方ではありますが、お友達になってもいいですよ?」
「それは有難いな。私のことはピアネ伯爵ではなく、ダグと呼んでいいぞ」
「では、サラと呼んでください。ダグ小父様」
ニコニコと微笑んだサラは、そのままピアネ伯爵に抱きついた。そして、彼の耳元にそっと囁きかける。
「ダグ小父様、ギネス商会の借金は即座に返済してください。ソフィア商会から無利子で全額融資いたします。あの商会はシルト商会と裏で繋がっております。金銭的に行き詰っても公金を横領しない小父様の高潔さは素晴らしいですが、ギネス商会は息子さんを嵌めて借金漬けにし、小父様が不正を働くことを狙っているのです。おそらく小父様が今の地位にいることに不都合があるのでしょうね」
この瞬間、ピアネ伯爵の顔から薄ら笑いが消えた。やはり小声でサラに呟く。
「薄々気づいてはおったが、正式な書類がある以上、踏み倒すわけにもいかぬのでな」
「上手く動けばお金は取り返せるかもしれません」
「そうか感謝する」
「新しい友人へのささやかなプレゼントです」
サラは抱きついた姿勢からそっと身を起こし、再びピアネ伯爵に微笑みかけた。
「グランチェスター侯、前言を撤回してもいいだろうか?」
「というと?」
「サラが天使に見えてきた」
『チョロいな。おい』
だが、ロバートはピアネ伯爵の発言を聞くなり、サラを強引に奪い返した。
「お、お父様、ちょっと乱暴です」
「父親は娘を変態から守る義務がある!」
そして、そのまま呆然とするジジイたちの集団から離れ、本来のパートナーであるアルフレッドのところまでサラを連れて行った。
「いやはや、正式な養女になる前から親馬鹿ですな」
「あれだけの美少女であれば心配にもなるでしょう」
「それにしても……サラ嬢は酒を酌み交わしてゆっくり話をしたくなるような人物だな」
「だがまだ9歳だ。酒が飲めるようになるまでは今しばらく待たねばならん」
「長生きせねばな」
そして、サラを奪い返されたピアネ伯爵は、苦笑を浮かべながら小さくため息をついた。ピアネ伯爵は本当に困っていた。何しろ末の息子が賭博で借金を抱えた上、それを取り返そうと父親の名義でさらなる借金をこさえ、今度は胡散臭い投資詐欺に引っ掛かったのだ。ピアネ伯爵が気付いた時には、所有する土地や建物の多くが抵当に入っている状態であった。
もちろん息子であっても勝手に名義を借りて借金することは違法だ。ピアネ伯爵はギネス商会の借金を無効だと主張することも可能である。だが、そのためには自分の息子を罪に問わねばならない。長年連れ添った妻が亡くなり、新たに迎えた後妻が産んだ末息子がピアネ伯爵は可愛くて仕方がなかった。だが、甘やかして育ててしまったせいか我慢することが苦手で分別がなく、自分の息子とは思えぬ程に愚か者であった。それでも、ピアネ伯爵はこの末息子を断罪することができなかったのだ。
セドリックはサラに、この末息子がピアネ伯爵の実子ではないことも囁いたが、さすがにその情報を暴露するのは自分の役目ではないと判断してサラは口をつぐんだ。誰が本当の父親なのかはともかく、そのような愚か者を育成した責任はピアネ伯爵にもあるのだから。
なお、ピアネ伯爵の息子が最初に借金を作ったのは、アールバラ公爵の弟であるライサンダーと同じくマダム・バイオレットのサロンで行われた賭博である。
『マダム・バイオレットにも、シルト商会の息が掛かっていると考えるべきかしら……』
サラはそんなことを考えながら、もぎゅもぎゅとお菓子を食べながら待っていたアルフレッドのところに戻った。
や、やっとジジイ沼から脱出成功か!?




