9歳の誕生日 4
大人たちに囲まれたサラをフォローするため、王宮や貴族家に探りを入れている妖精のセドリックは、姿を隠したままサラの耳元で周囲の大人たちの名前や職業などを告げた。
『うげ……この国の文官のトップ、アカデミーの総長、そして大きな領地を持ってる貴族家の領主たち!?』
この様子を見たグランチェスター侯爵とロバートは、急いでサラを救出することにした。グランチェスター侯爵が背後から足早に近づいてサラをひょいっと抱え上げ、ロバートはここまでエスコートしてくれていたアルフレッドを近くにある椅子に座らせつつ、近くにいたホールスタッフにお茶と軽食を持ってくるよう命じた。
「本日は、孫娘の誕生日を祝ってくださりありがとうございます」
「グランチェスター侯、実に素晴らしいお孫さんですな。これほど聡明で美しいとは」
「まだまだ幼さが抜けきっておりません。今日もこのような玩具を手離せずにおります」
祖父の言葉を聞いたサラは、すかさず武蔵をむぎゅと抱き寄せた。微かに『ぐえっ』と声が上がったが、周囲には気付かれなかったようだ。
「可愛らしい玩具ですな。これは、ワイルドベアを模しているのだろうか?」
この質問にはロバートが答えた。
「その通りです。かなりデフォルメしていますが。これはソフィア商会からのプレゼントなのです」
「ほう、ソフィア商会の新製品か。それは特別な品なのだろうね」
周囲の大人たちが、武蔵を覗き込むようにまじまじと見つめると、武蔵はサラの腕の中で居心地悪そうに少しだけ身動いだ。武蔵がこの状況に耐えられなくなる前に、サラが声を上げる。
「ええ、これはソフィア商会が発売する子供向けの玩具なのです。まだ商品名が無いので、ソフィア商会では『ぬいぐるみ』と呼んでいるそうですが、おしゃべりしたり動いたりできるんですよ」
「ほほう」
サラがそっと武蔵の耳元に囁きかけた。
「不審に思われない程度に喋っていいわよ。あんまり下品なことは言わないでね」
武蔵は無言でこっくりと頷き、ゆっくりと首を傾けて周囲の客に話し掛けた。
「こんにちは。僕、武蔵です」
『おーーーーーい。どこの誰だよ。なにその可愛い声は!』
思わずサラが心の中でツッコミを入れるくらい、武蔵は可愛らしい声を出し、手をフリフリしながら愛嬌を振りまいている。
「おお、これは素晴らしい!」
「私の孫にもプレゼントしたいものだが、発売はいつになるのだろうか」
「まだ決まっていないそうです。玩具とはいえ、これも魔石の入った魔道具なのです」
「ほう。つまり量産できる体制にはないということかね」
「そもそも量産をしないと思います。魔石によって機能に差が出てしまうので、完全にオーダーメイドになるはずです」
「多機能になれば高いということか」
「そうならざるを得ないですね」
「諸外国の有力者への贈答品として、他国の言語に対応は可能かね?」
「時間を掛ければ対応できるとは思いますが、即答はしにくいですね。学習させるための講師を手配するところからになるでしょうから」
つい調子にのってサラが武蔵について嘘の説明を始めると、周囲の大人たちが互いに目配せをした。
「おい、ウィル。サラ嬢にはもうちょっと教育が必要そうだぞ」
「そうだな。尻尾を出すのが早すぎる」
サラを取り巻いていた大人たちの中には、グランチェスター侯爵の古くからの友人であるランズフィールド侯爵も混ざっていた。そして、同じく文官のトップであるピアネ伯爵とも長い付き合いであった。グランチェスター侯爵はサラを右手で抱えつつ、左手を蟀谷に当てて首を横に振った。
「サラ、相変わらずお前は迂闊だな。簡単に誘導されおって……」
「もしかして、私は嵌められたのですか?」
するとアカデミーの総長であるミントン前伯爵が、少しばかり人の悪そうなニヤニヤとした笑いを浮かべながらサラに話し掛けた。
「それは人聞きが悪い。そもそもサラ嬢が本気で隠す気があるとはまったく思えないんだがね。隠したいなら論文にサラ嬢の名前など連ねるべきではないだろう」
「総長はすべての論文に目を通されるのですか?」
「いや、マッケランたちが騒ぎを起こしたと聞いて慌てて目を通した。私の専門は錬金術ではないからな。どちらかといえば、ソフィア商会が販売している複式簿記の教本の方が気になる」
「あぁ、トマス先生の本ですね!」
「そうだ。トマス・タイラーの担当教授は私だった。いやはや、複式簿記は本当に素晴らしい発明だよ。来年度からはアカデミーでも必須の授業にしようと考えたのだが、トマス・タイラーが招聘に応じてくれなくてな。私はかつての教え子を正当に評価し、光のあたる場所にもう一度戻ってほしいと願っているのだが……」
「アカデミーで教鞭を取らせたいのですか?」
「そうしたかったのだが、いま抱えている生徒たちをアカデミーに合格させたあとは、グランチェスターで働きたいと手紙に書いてきたのだ」
『トマス先生は王都に復帰する気ないんだね』
アルフレッドを休ませてから戻ったロバートも口を挟む。グランチェスター領の代官として、優秀な人材が王都に戻るのは避けたいのだ。
「それは、グランチェスター領が日のあたらない場所ということでしょうか。過去に彼が巻き込まれた事件を考えれば、あまり王都には戻りたくないと思うのは当然です。グランチェスター領で、トマス・タイラー氏は生き生きと仕事をしていますよ」
「然もありなん。あれ程優秀な男をなぜ守れなかったのか……」
ミントン前伯爵がため息を漏らしながら愚痴を零すと、ピアネ伯爵が申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「それについては、私の不徳の致すところだな。よもや男の顔が綺麗なだけで、あのような騒ぎになるとは思ってもみなかったのだ。彼が辞意を表明した時には、もはや手の施しようがない程に状況が複雑になっていた」
「まぁ仕方あるまい。それに、グランチェスター領であれば、領民達も美形慣れしているだろうしな」
すると、一緒にサラを取り囲んでいたランズフィールド侯爵が、友人であるグランチェスター侯爵を揶揄った。
「確かにそうだな。ロバートが年貢を納めると聞いて涙にくれているご婦人たちは山を成しているし、『愛人でも構わない』とエドワードに縋るご婦人の姿もよく見かけるな。まぁ、後者はあっさり袖にされるが。棺桶に片足突っ込んでるジジイのウィルですらモテまくっているのだから、まったくグランチェスター家の美形どもは腹立たしい」
「祖父様はモテるのですか?」
「モテモテだよ。ちょっとくらい分けてほしいものだ」
「え、でも閣下には奥様いらっしゃいますよね?」
「別腹という奴だよ、って痛いじゃないか!」
調子に乗っている友人の頭を、グランチェスター侯爵は情け容赦なく殴った。
「幼子の前で破廉恥なことを言うな。この馬鹿者が!」
「お、おう。すまんすまん。だが話をしていると9歳には思えなくてな」
「ここにいらっしゃる皆様はお疑いのようですが、私は本当に9歳なのですが……」
「わかっているのだが、あまりにもサラ嬢が特異なのでな」
ピアネ伯爵がサラと目を合わせて話し始める。
「そこまで言われる程、私は迂闊でしょうか?」
「否定はせん。だが、サラ嬢がもっと慎重に振舞っていたとしても、気付かれるのは時間の問題だっただろう」
「そう、なのですか?」
「ここ数年、グランチェスター領で問題が起きていることは、我らも把握していたのだよ。もちろん、そのことは国王陛下もご存じであったし、内々に処理すべき案件として扱われていた」
この指摘に、グランチェスター侯爵とロバートはギクリとした。周囲に悟られないようにしていたつもりだったが、どうやら王都には筒抜けであったらしい。
「やはり気付いていたのか」
「まぁもう少し早くカタが付いていれば気付かなかったかもしれん。だが、時間が経過すれば不自然さに目が行くものだよ。だが、グランチェスターほどの領地に、下手な指摘をするのは難しい。きちんと証拠を示さなければ内政干渉となり、下手をすれ内戦に発展しかねない」
「気を遣わせてしまったようだ。誠に申し訳ない」
グランチェスター侯爵は素直にピアネ伯爵に頭を下げた。もちろんサラもピアネ伯爵の言葉には頷かざるを得ない。
「ありがとうございます。ピアネ伯爵」
「サラ嬢よ、礼をいうのは早いかもしれんぞ。グランチェスター侯爵やロバート卿から不興を被ることを覚悟して言うが、我々はグランチェスター領の内偵を始めていたのだよ。大量の文官が離職していることは、今年に入ってから気付いた」
「まぁ、隠しきれることではありませんね」
ロバートは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。
「ロバート卿を始めとする文官の働きぶりは素直に称賛できるが、潰れる前に相談してくれればいいのになとは思っておった」
「さすがに王宮に相談というわけにもいかないでしょう」
「領主や代官の立場からすればその通りだろうな。だが、我々も心穏やかだったわけではないことを理解してほしい。グランチェスター領がアヴァロンにとってどれほど重要な領地なのかを知らないわけではないだろう?」
「領主として恥じ入るばかりだ」
「誠に申し訳ございませんでした」
グランチェスターの領主と代官は、揃って謝罪した。
「いやいや、大事に至る前に自力で解決したことを国王陛下は評価していらしたよ」
ピアネ伯爵から国王陛下の評価を聞いたサラは、思わず抱えている武蔵に目を遣った。すると、武蔵の方もサラと目を合わせてこっくりと頷いた。
『どうやら、本当みたいね。私が知ってる王様はイヤな感じだったけど、武蔵が干渉しなかったら賢王なんだろうなぁ』
というサラの心の言葉が伝わったかどうかはわからないが、武蔵はそっとサラから目を逸らす。
「とにかくグランチェスター領の行政が急変したことが驚きだった。突然グランチェスター領の文官たちの動きが変わったのだ。お陰で、ますますグランチェスター領の監視を強めざるを得なくなった」
『文官の中にスパイでもいるのかしら?』
グランチェスター領の文官たちは皆知り合いなので疑いたくないが、どうしても不安になってしまう。そんなサラの表情に気付いたのかピアネ伯爵がサラに声を掛けた。
「サラ嬢、安心していい。文官や城の使用人たちに、我らの息が掛かった者はおらん」
「すみません。顔に出てしまってましたか?」
「ははは。そういうところは年相応なのだろうか。まぁ、そこまでしなくても商人たちから情報を得られるレベルなんだよ。行政の情報というのは隠しておけるものではない」
「なるほど」
「数年にわたって停滞していたはずが、突然書類の動きが良くなり、さまざまな手続きが滞ることがなくなった。領政の健全化は素晴らしいが、その要因として他国からの干渉があるようなら対処が必要になるからな」
「ご懸念はもっともかと」
「うーむ……これを理解する9歳か。うちの孫は去年10歳でアカデミーに入学した。周囲からは神童と囁かれることも多いのだが、サラ嬢には到底かないそうにない。グランチェスター侯よ、どういう教育をすればこんな子が育つんだ?」
「グランチェスター領に行かせるまで、ガヴァネスすら付けておらんかった。息子夫婦とソフィアのお陰だろうな」
「ふむ……ここでもソフィアか。まったく謎の美女だな。いい加減、正体を明らかにしてもいい頃じゃないかね? まぁ顔立ちを見ればサラ嬢との血のつながりは明らかではあるが」
サラを囲んでいた大人たちは、一斉にゴーレムのソフィアの方に視線を動かした。ソフィアは貴族の女性たちに囲まれており、その手には化粧品の容器が握られている。おそらく美容製品について問い詰められているのだろう。
「商魂たくましく動き回っておるようだな。まぁ商人であればそういうものだろう」
「女性陣からソフィアを攫ってくるのは難しそうだな」
「下手なことをすれば、我らが妻や娘から恨まれかねん」
すると、ピアネ伯爵がふっと笑った。いや、嗤ったようにすら見える。
「だがなぁ。ソフィアすら、サラ嬢の隠れ蓑に過ぎないような気がしてな」




