9歳の誕生日 1
サラが最後に誕生日を祝ったのは、まだ両親が存命だった7歳だ。つまり、8歳の誕生日は誰にも祝われないまま、今日9歳の誕生日を迎えることになったのである。
サラは朝からお風呂に入ってピカピカに磨かれ、その後は全身をマッサージされた。ほんの少しだけお化粧を施されると、艶やかな銀髪はサイドを編み込みにしたハーフアップになった。
「サラお嬢様がお美しいのは理解していましたが、こうして盛装してみると貴族というより王族といった雰囲気になるのですね。小さな女王様のようです」
「マリア、軽口なのはわかるけど、その発言は不穏よ。一歩間違うと王位簒奪を目論んでると思われるわ。上位貴族の使用人は、些細な発言にも気を付けて頂戴」
「も、申し訳ございません」
朝から浮かれ気味だったマリアは、サラに注意されて自分の失言に気付いた。不用意な発言で、主人を窮地に追いやる使用人になるわけにはいかないと、改めて気を引き締めた。
『まさかドレスアップするだけでチートの能力使うとは思わなかったわ』
自分でも呆れたサラは、鏡に映った自分を見つめて苦笑するしかなかった。
「それにしても、ルーカスの気合が入ったドレスね。細かい刺繍があるからドレスが重いわ」
「グランチェスター城の服飾係もかなり手伝ったようですわ」
「すぐに着られなくなる子供のドレスにここまで手間をかけるなんて」
「サラお嬢様。上位貴族の令嬢は同じドレスを何度も着ないものなのです」
「馬鹿馬鹿しい」
最後に、さまざまな属性の魔石が嵌ったティアラを載せ、ズレて落ちないよう固定した。
「美しいティアラですね」
「テレサからの誕生日プレゼントなの。テレサの力作……って言いたいところだけど、彼女はそれほど彫金が得意じゃないから友達の彫金師に頼んでくれたのですって。リップスティック容器の研究用に小さな魔石をたくさん渡しておいたのだけど、いっぱい余っているんですって。好きに使って良いとは言ったけど、ティアラになって返ってくるとは思わなかったわ。素晴らしい職人よね。今後、リップスティック容器は、そちらの工房に注文するつもり」
「それではテレサさんのお仕事を奪ってしまうのではありませんか?」
「得意ではないことをやらせるよりも、テレサには自分の作りたい物を作ってほしいのよ。結局蒸留釜はフランに任せることになっちゃったしね」
「テレサさんのやりたいことって何なのですか?」
「彼女は武器を作りたいのですって」
「そういえば、サラお嬢様の武器もテレサさんが作られていましたよね」
「実はドレスの下にも付けられる武器を開発してもらうつもりなの」
「それってどうやって抜くんですか?」
「スカートを捲るしかないでしょ」
「淑女がですか?」
「本当にどうしようもないときにしか抜かないわよ。そもそも淑女なんだから。でも、素早く取り出せる訓練はしておきたいわね」
「でも、サラお嬢様はスカートの下に付けないですよねぇ?」
「当たり前じゃない。空間収納から取り出す方が早いもの」
「それなのにドレスの下に付ける武器を開発するんですか?」
「私のは本当にいざって時の予備だけど、私以外の人にも護身用にどうかなって思ってるんだ。マーグあたりは、ドレスでも戦える訓練を一緒にしてくれそう」
マリアは困った子を見るような視線をサラに向けると、苦笑と顰め面の中間のような複雑な表情を浮かべた。
「誕生日パーティーで抜剣することのないよう、心からお祈り申し上げます」
「マリアったら心配し過ぎよ。子供の出席者も沢山いるんだし、無茶なことをするわけないじゃない」
「本当にそうだと良いのですが……」
「よく知らない人たちの前で暴れたりはしないわよ」
「王様に喧嘩を売ったと伺っておりますが?」
「あれは! ……致し方なく?」
深いため息をついたマリアは、そっと首を横に振り、それ以上は何も言わずに拡げた化粧品やアクセサリー類を黙って片付け始めた。
「ちょっとぉ、何か言ってよ」
「私のような一介のメイドが何かを言ったところで、いまさらサラお嬢様の行動が変わるとは思えません」
すると、そこにノックの音が聞こえてきた。訪ねてきたのはレベッカであった。
「淑女はもう少し静かに話しましょうか。あなたたちの声は廊下にまで聞こえていたわよ」
「申し訳ございません」
「マリアの心配はもっともよ。今日の会場はグランチェスター家ではないことを忘れてはいけないわ」
「はい。お母様」
「招待客の大半は狩猟大会でも顔を合わせているから、名前を間違うのは失礼にあたるのだけど、あなたにはセドリックが付いているから心配なさそうね」
レベッカの言葉に触発されたせいか、セドリックが小さい姿のままでサラの背後にポンっと姿を現す。
「お任せください。お名前や興味のあることなどは私が耳打ちいたします」
「セドリック、まさか着替えの最中もそこにいたんじゃないでしょうね?」
「ご安心ください。呼ばれるまでは妖精たちの空間で眷属たちの目を通じて得られた情報を精査しておりました。王宮では第二王子の娘が、行きたいと駄々を捏ねている真っ最中ですね。アンドリュー王子の前で仰向けになって、バタバタと手足を動かしております」
「ぶふっ」
その状況を想像し、サラは思わず噴き出した。
「この前、王宮の晩餐会で第二王子の家族が一緒じゃなかった理由って……」
「5歳の王女が、とてもワガママなのです。しばしば酷い癇癪をおこすので、両親や侍女たちも困り果てている始末で」
「第二王子の王女ってマチルダ王女でしょう? 凄く久しぶりに誕生した王女だから、すごく大切にされてるって聞いてるわよ」
「その前に生まれた王女は国王の妹であるバーバラ王女ですから、50年近く男子ばかりでした。そのせいで甘やかし過ぎたのかもしれないと周囲は考えているようです」
「ワガママかぁ。でもさ、5歳の子は5歳なりに考えてるし、癇癪を起す理由もあると思うんだけど。大人とは違う視点で理屈を考えているモノでしょう?」
「ふふふ。8歳の娘に言われると説得力があるわ」
「お母様だって小公子だった頃の自分を忘れていないでしょう? 簡単にワガママで片付けられちゃうのは気の毒です。王室に生まれれば自由にできないことも多いでしょうし」
「そうかもしれないわね」
サラは少し首を傾げた。
「今日は私の誕生日パーティーですから、招待客は私基準ですよね?」
「そうね」
「じゃぁ招待客には子供が多いですよね?」
「3歳から15歳までの未成年が6割くらい。未成年の男女比は6:4で女性の方が多いわ」
子供の誕生日パーティーといえども、貴族にとっては社交のためのイベントである。招待客を選ぶのは基本的に両親あるいは家長であり、未成年で婚約者が決まっていない場合には、家格の釣り合いが取れる年齢の近い異性を招待する傾向にある。既に婚約者がいる場合には男女比を同程度に調整する。未成年だけでパーティーに参加することはなく、保護者が付き添うことになる。そのため、招待された子供たちの保護者同士の社交が重要視される。
「私がクロエの派閥形成に役立つ女性を中心に招待してほしいと依頼したからですね」
「その通りだけど、母親としては、娘の誕生日の招待客がそれでいいのかちょっと悩んじゃったわ」
「クロエはグランチェスター本家のご令嬢ですからね。全力で支えるのが傍系の役目じゃないですか?」
「短期間で貴族っぽくなったわねぇ」
「私は貴族的なのではなく、商人として有力な貴族を味方に付けておきたいだけです」
「資質から考えれば、サラの方が王妃向きだと思うのだけど」
「それは誤解です。そもそも王妃にとって最大の責務は『世継ぎを産む』ことです。王位継承権は男児にしか与えられないのですから、結婚してから健康な男児を産むまでのプレッシャーは相当なものでしょう。私はそんな立場は御免被りますが、未来の王妃になりたいと考える女性は多いようなので、それなりに魅力のある地位ということですね」
「華やかな部分だけを見れば、乙女の夢じゃないかしら」
「小公子レヴィも隣国の王子に求婚されてませんでしたっけ?」
「うっ……。で、でも、私の場合は側室だったわ」
「でも、相手はまだ正室を娶っておらず、お母様次第ではロイセンの王太子妃になる可能性があると、我が国の王妃殿下はお母様に王妃教育を施したのでしょう?」
「く、詳しいわね」
レベッカが少し焦ったような表情を浮かべると、傍らに控えていたセドリックがニンマリと微笑んだ。
「結局のところ、その地位を望むか望まないか次第なのかもしれません。その立場に耐えるために必要なことは人によって違うでしょうが、少なくともクロエはアンドリュー王子に恋していますからね。それだけでも大きなアドバンテージだと思います」
「なるほどね。クロエの恋が叶うといいわね」
「正直なところ、グランチェスター領の影響力とソフィア商会の後押しがあれば、王子妃になることは難しくないと思います。でも、そんな風に結婚相手になったとしても、クロエが幸せかどうかはわかりません」
「アンドリュー王子からクロエが愛されないと幸せじゃないってことかしら?」
「それもありますが……」
サラは苦笑とも微笑ともつかない曖昧な表情を浮かべて少し押し黙り、窓の外に広がる冬の空を見つめた。レベッカはサラの横顔に、自分よりも年上の女性を見たような気になった。
「結婚を控えているお母様にこんなことを言うべきか悩みますが」
「構わないわ。というか、聞いておくべきことな気がするの」
「私は永遠の愛を信じていません」
「まだ9歳なのに、随分と夢のないことを言うのね」
「人は変わってしまうものです。良い方向に変わることもあれば、悪い方向に変わることもある。周囲からのプレッシャーに耐えられず、クロエの愛が疲弊してしまうかもしれません。そんな時に支えになるのはアンドリュー王子の愛でしょうが、こればかりはアンドリュー王子次第です」
「確かにそうね」
「もしかしたら相思相愛で永遠に幸せな日々を送るかもしれません。そうなったらとても幸せでしょうね。ですが、数年後にアンドリュー王子が他の女性に心を移してしまったとしたら、相思相愛だった時期があるだけ苦しむでしょう。最初から政略結婚だけの関係だったら、深く傷つかないかもしれません。もちろんクロエの方が心変わりするかもしれませんけどね」
「悲観的なのね」
「お母様、結婚はゴールではないことをご存じですよね?」
「もちろんわかっているわ」
「これまでの人生よりも長い時間、夫婦として過ごしていくのです。少女時代の淡い初恋だけを支えに、王室でのプレッシャーを耐えていくなど無理があると思いませんか?」
「認めざるを得ないわね」
「最終的にはクロエ自身が折り合いをつけることではありますが、私はクロエが潰れてしまわないよう、彼女を支えて彼女の周りに味方を配置してあげたいのです」
窓の外を見ていたサラが、レベッカの方に向き直ってニッと笑った。だが、やはりその表情は9歳には見えなかった。
「いずれにしても未成年のご令嬢が多いことは確かですし、マチルダ王女がお越しになっても問題はないのではないでしょうか。困り果てたアンドリュー王子から、先触れが来るかもしれないと予想しておくべきでしょうね。幼い王女も、将来は王室の女性として権力を持ちます。今から仲良くしておくに越したことはありません」
だが、アンドリュー王子はマチルダ王女を振り切り、単独でサラの誕生日パーティーに出席することになった。年齢も性別も違う王族が増えれば、警備体制も大きく変えざるを得ない。そのため、当日に体制を変更するのは難しいという第二王子の判断により、泣きわめくマチルダを父親である第二王子が抱え上げて事態を収拾した。
サラはこのことを聞いて少し残念に思った程度だったが、一方のマチルダ王女の方は比較にならないくらい悔しがっていた。王女はサラの誕生日会にソフィア商会が深く関与していることを知っており、『同世代の女の子たちが、最先端のアイテムに触れる機会』だと認識していた。これが単なる誤解であれば良かったのだが、その認識が間違っていないことが大問題であった。
王女である自分より、貴族令嬢たちが新しいモノを知ることに我慢がならないマチルダ王女は、枕を引き裂いて部屋中を羽根だらけにすると、花を活けてある大きな花瓶をひっくり返して部屋を水浸しにした。次いで絵本を窓ガラスに向かって投げつけて窓ガラスを割り、制止しようとした乳母の手に嚙みついた。なお、王女は勢いよく乳母に噛みついてしまったため、乳歯である前歯がちょっとぐらぐらしてしまった。
娘の様子を聞きつけた第二王子妃は、別日にソフィア商会を呼ぶとマチルダ王女を宥めすかし、侍女に命じてサラの誕生日会で配られるであろう『お土産』の品を何としても入手するよう手配することで、なんとか娘の癇癪を落ち着かせた。
『ふぅ……まさかうちの娘がここまでソフィア商会の商品に執着しているとは、グランチェスター家の方でも予想しなかったのね。せめて手紙だけでも出しておけばよかった』
第二王子妃は娘の部屋の惨状を見渡し、深い深いため息をついた。
『どうやらソフィア商会とグランチェスター家にはご迷惑をかけそうだわ。ソフィア商会の商品を御用達にしてもいいかもしれないわね。他にもなんらかの便宜をはかれないか、王妃殿下に相談してみましょう』




